第54話「魔法騎兵」
今日のイスルード島の天候は晴れ。
ただし正午を過ぎた頃から風が強まり、夜は海が荒れるだろう。
島で暮らしている船乗りたちは風や雲の様子からそう予想していた。
予想は当たり、西海岸を南へ疾走する二台の馬車に強い風が吹きつけていた。
先頭はエルミラ隊、後続はノルト隊という並びで必死に逃げていた。
帝国騎士団の追撃から。
時は少し遡り、正午——
ビスケットを食べ終えた一行は再び南を目指すことにした。
ボートのある浜までもう少し。
馬車に乗り込んだエルミラがマルジオの娘たちを引き上げていたときのことだった。
北の方角から蹄の響きが聞こえてくる。
一頭や二頭ではない。
行商の馬車ではなく、おそらく騎兵の集団。
馬蹄の音はみるみる大きくなり、あっという間に馬車を取り囲んだ。
最も会いたくない敵、帝国騎士団の一隊だった。
エルミラは咄嗟に樽へ飛び込んだ。
姿は見られなかったはず。
ここは皆に任せる他ない。
「止まれ! 全員見えるところに出てこい!」
隊長らしき騎士から命じられ、乗りかけていた者たちは横一列に整列した。
「昨夜、ここから北へ半日程のところで銃撃戦があった。おまえたちだな?」
「はい。狼に追いかけられまして……」
ウェンドア南門で賄賂を渡していた御者が答えた。
「確かにここへ来る途中、狼の亡骸を見た」
だがそんな言い訳で納得などしない。
隊長はそこから難癖をつけ始めた。
島の者なら、夜の狼の恐ろしさを知っているはず。
ここへ来る途中、騎士たちが一泊していた村があった。
そこで夜が明けるのを待ってから出発しても良かったはずだ。
村を素通りしてまで、何をそんなに急いでいたのかと。
「はぁ、申し訳ございません。どうしても大急ぎで東部へ運ばなければならなかったもので……」
「ほう、急ぎの配達か」
それを聞いた隊長の目が厳しく光った。
「荷を改めさせてもらう」
「えっ⁉」
一行の狼狽を見て隊長は確信した。
こいつらはただの行商ではない。
反乱軍だと。
昨夜、間断なく鳴り響く銃声が村にも届いていた。
行商の護身用にしては量が多すぎる。
それにここまでの道中、射殺されている狼だけでなく、焦げているものも転がっていた。
まるで落雷にあったかのような。
昨夜は星が綺麗だったのに……
おそらくこの中に魔法使いがいる。
焦げた狼はそいつの雷でやられたのだ。
魔法使いの護衛が付き、大量の銃を運ぶ馬車の隊。
東部反乱軍への武器供給を疑われても仕方がなかった。
隊長は積み荷を全部下ろせと要求してきた。
しかし樽の中にはエルミラが……
さも重そうに空の樽を一つ一つ下ろしていくが、段々皆の顔色が悪くなっていく。
どんなに後回しにしても、最後の一つも下ろさないわけにはいかない。
どう切り抜ければよいのか誰にもわからなかった。
隊長はといえば、一行の仕事の遅さにイライラしながら作業が終わるのを待っていた。
いよいよ先頭車に積んである樽が最後の一つになったとき、ノルトが動いた。
馬車の前に立ち塞がり、困っていた荷下ろしの二人を列に戻らせた。
「隊長様、これで運ぶ荷はすべてでございます」
隊長は後ろに残る樽を指差した。
「まだ一つ残っているではないか。あれも下ろせ」
「あれは我々の私物でございます。配達品ではございません」
「黙れ! さっさと下ろさんか!」
隊長は気が立っている。
騎兵刀を抜き、ノルトの顔スレスレに突き付けた。
「ひっ!」
マルジオの下の娘が低く悲鳴を上げた。
怯えている妹に気付いた姉が見えないように庇い、さらに母親がそんな姉妹を庇って見せないようにした。
ノルトは安堵の息を吐いた。
これからすることを子供たちに見せたくなかったから。
しかし馬上の隊長には、うんざりして溜め息を吐いているように見えた。
「貴様っ⁉」
隊長の剣がカタカタと震えている。
誤解なのだが、下級市民のじじいに侮られたと怒りに震えているのだ。
ノルトの命は風前の灯火。
そのことがわかっていないのか、さらに煽るような言葉を浴びせた。
「まったく…… 人に刃物を向けてはいけませんと、帝国のお母さんは教えないのか?」
帝国の騎士を子供扱い。
これを耐えても、誰一人辛抱強かったと褒めはしない。
腰抜けと嗤う。
「この、無礼者めがっ!」
キレた隊長は突きつけていた剣を大上段に振りかぶった。
一気に白髪頭に振り下ろし、悪態をついた報いを受けさせる。
だが——
ドッ!
頭の頂点に剣の狙いを定めようとしたとき、じじいの右手から何かが閃いた。
直後、右目に襲ってくる鈍い音と衝撃、そして激痛。
右目に投げナイフが突き刺さっていた。
ノルトのものだ。
いつの間にか、手の中に忍ばせていたのだ。
「ぐあぁぁぁっ!!」
ただのじじいと侮った代償は大きかった。
もう無礼者の成敗どころではない。
「う、うぅ……」
あまりの激痛に振りかざしていた剣を落とし、右目を抑えながら馬上で蹲ってしまった。
岩縫いノルトはその隙を見逃さない。
落下する剣を空中で取り、そのまま斜め上に突き上げた。
剣先は鎧の隙間に滑り込み、深々と脇腹を貫いた。
「隊長!」
部下の騎兵が駆け寄ってくるがもう遅い。
投げナイフから脇腹貫通まで流れるような早業で、馬を走らせ始めたときには隊長は崩れ落ちるところだった。
早業が止まらない。
脇腹から騎兵刀を抜きざま、駆け寄る部下目掛けて投げつけた。
剣は弧を描いて飛び、彼の喉に命中した。
彼は隊長と違い、絶叫はしなかった。
刺さった剣が喉を塞いだから。
代わりに笛のような音を出しながら、彼も隊長を追って地に落ちた。
他の騎兵たちが落馬に気を取られているうちに、ノルトの手にはカヌートが。
一騎、二騎、三騎と落とされていく。
「引けっ!」
形勢不利を悟った副隊長らしき騎士の号令で生き残りたちは北へ退却していった。
撃退成功だ。
ノルト以外は全員そう喜んだ。
だが彼は、一行の沸いている空気に冷や水を浴びせ、出発を急かした。
「浮かれている場合ではない! 皆急いで乗り込め!」
海賊になる前、彼は傭兵団長だった。
主な戦場は大陸で、雇い主は決まって帝国の敵方だ。
だから帝国騎士団がこれで終わる連中ではないことを知っていた。
歩兵は基本的に前進するものだが、騎兵は違う。
縦横無尽に戦場を駆け巡る。
前方で苦戦したら、他の方向へ回り込んだり、一旦引いて態勢を立て直すということもある。
矢を射かけられたくらいで尻尾を巻くような連中なら、誰も最強と恐れたりしない。
数が少なかったから、いまの連中はおそらく偵察隊だ。
だとしたら北から本隊を連れて戻ってくる。
話を聞いた一行は大急ぎで出発した。
少しでも距離を稼がなくてはならなかった。
***
ノルトの見立ては正しかった。
追い払ったのはやはり本隊から先行していた偵察隊だった。
北へ逃げた彼らは、遅れて出発した本隊と合流し、エルミラたちのことを報告した。
この先で反乱軍の補給隊らしき馬車と交戦し、隊長他数名が死傷した。
敵は大量の銃で武装しており、魔法兵も同行している——と。
本隊を率いる隊長は偵察隊報告の銃と魔法に警戒を高め、部下たちに命じた。
「荷はすべて焼き払え! 反乱軍は皆殺しにしろ!」
「オオオォォォッ!」
全員それぞれの得物を高く掲げながら、隊長の号令に咆哮で応えた。
帝国の軍馬がイスルードの土を力強く踏みしだく。
騎士団は縦一列になって追撃を開始した。
偵察隊の騎兵が道案内を務め、その後ろに軽装の騎兵、銃騎兵、槍騎兵が続く。
この並びが最後尾まで連続していた。
この隊列は騎士団本来のものではない。
島にやってきてから編み出したのだ。
解放軍と名乗っている賊共を悉く討伐してきたが、連中に混じっている魔法使いが厄介だった。
これに対抗するため、騎士団は〈馬上の魔法使い〉を考案した。
それが軽装の彼らだ。
魔法騎兵と呼ばれている。
王国陸軍魔法兵だった者たちから志願者を募り、馬上で詠唱できるように訓練した。
元々、魔法兵だった者たちだ。
彼らの魔法の実力に疑問はない。
あとは馬上で魔法を完成させられるようになってくれれば……
別に馬上で大魔法を披露しろと望んでいるのではない。
障壁を展開して反乱軍どもの魔法を防いでほしいのだ。
それには帝国の軍馬を乗りこなし、疾走する騎士団についてきてもらわなければならない。
徒歩では困るのだ。
だが最も困ったのは魔法兵たちだ。
海洋王国に生まれたが、揺れや振動が苦手だったから陸の魔法使いになったのだ。
まさか帝国軍馬に跨って魔法を詠唱しろと言われる日がやってくるとは……
しかし泣き言は言っていられない。
後がないのだ。
どうしても馬術が上達しない者は、朝のゾンビ掃討隊に戻されてしまう。
魔法兵たちは、騎士団仕込みの馬術を必死に習得した。
いまは馬上の揺れも苦にならない。
先頭で障壁を展開して敵魔法攻撃から騎兵を守り、彼らの武器に簡単な付与も行える。
騎士団長もその力を認め、槍、弓、銃に続く新たな兵科として魔法騎兵を騎士団の一員に加えた。
そんな彼らが追撃の隊列に加わっていた。
馬車に追い付き、エルミラの姿を見れば驚くだろう。
だが、手加減も見逃しもしない。
毎朝誰かがゾンビに噛まれ、また仲間の命を囮にしなければ明日まで生きられない地獄。
その地獄にいまさら何の用あって王族が帰ってきたのか知らないが、もはや主従でも何でもない。
いまの彼らは帝国騎士団魔法騎兵。
命令できるのは直属の隊長や騎士団長、そして皇帝陛下だけだ。
市民たちを地獄に置き去りにして逃げた
反乱軍は討伐するのみ。
馬車が追いつかれたとき、亡国の姫君は思い知るだろう。
戦乱が人を変えるということの本当の意味を。
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