第51話「イスルードオオカミ」
ウェンドアを出たエルミラ一行は街道を南へひた走る。
姫様とじいの二人旅だったはずが、いまは総勢一六名。
子供もいるので、可能ならば夜行は避けたいところだが、夜のうちに距離を稼いでおかなければならない。
普通はモンスターが活発になる夜は避け、騎士団が巡回している昼間に移動する。
その方が比較的安全だ。
ところが、彼女たちはその騎士団と出会いたくないのだ。
歩兵と違い、騎士はエリートだ。
賄賂を受け取らない可能性がある。
こちらは子供連れなので戦闘は避けたい。
夜のモンスターは危険だが、疾走する馬車の車輪に噛みつくものはいない。
ゆえに騎士団を避けて夜道を急いでいた。
ただ、モンスターたちは車輪には噛みつかないかもしれないが、馬には襲い掛かるかもしれない。
それを防ぐために先頭車のエルミラと後続車の魔法兵たちは〈探知〉の網を広域に展開していた。
その網に揺らぎが。
一つ、二つ、三つ……
まだ増えていき、そしてじわじわと近付いてきている。
一行は何かに包囲されていた。
疾走する馬車と並走しながら包囲を狭めてくるものたち……
エルミラは巻貝を取り、じいを思い浮かべた。
「じい、聞こえるか?」
「はい。こちらの魔法兵たちも捕捉しています」
ノルト隊に探知魔法が得意な者がいたようだ。
彼によれば狼の群れではないかと推測していた。
その意見に彼女も賛成だ。
イスルードオオカミは狩りの名人だ。
集団で狩りをし、どうしても獲物がいなければ自分たちより大きいモンスターも襲う。
人里を襲うゴブリンたちもこの狼を恐れ、必ず松明を持ち、決して単独行動は取らない。
「総員、迎撃用意!」
彼女の命令は巻貝を通して後続車にも届いた。
直ちに二台の馬車の中で準備が進められていく。
魔法兵は全員に〈暗視〉を施し、周囲に障壁を展開していく。
銃兵は馬車の幌を少し上げて視界を確保した。
長銃や短銃に次々と火薬と弾丸を装填し、その一つを構えて闇夜の草叢に狙いを定める。
「姫様——」
すでに迎撃準備を終え、狼を待ち構えていると、エルミラの巻貝からじいの声が聞こえてきた。
「ここは我らが引き受けます。先頭車は先を急いでください」
エルミラは一緒に戦うと反論したが、この状況ではノルトの方が正しい。
マルジオ一家が乗っている分、先頭車は兵が手薄だ。
戦える者は魔法剣士のエルミラ、陸軍魔法兵一名、銃兵二名の合計四名だ。
その内、銃兵一名は御者なので、実際は三名しかいない。
対して後続車は御者以外、七名全員が戦える。
内、一名は弓の化け物だ。
子供たちがいるので無理をするわけにはいかない。
彼女は即座にじいの提案を採用した。
先頭車はランタンの火を消して速度を上げ、後続車は灯りを点けたまま速度を緩めた。
果たして狼たちは?
作戦は図に当たった。
先頭エルミラの探知円の中で、揺らぎの点たちが後続車を中心に包囲していく。
狼たちは疲れて逃げ遅れている方に狙いを定めてくれた。
先頭車に見捨てられ、これから狼に狩られる可哀想な後続車。
その中では左右後方に分かれた銃兵たちが一匹ずつ狙いを定め、その動きを銃口で追っていた。
「撃ち方待て! 十分に引き付けよ!」
「アイアイサー!」
ノルトの命令に銃兵たちが狙ったまま了解を返した。
狼たちは地に足がついている内は弾をよけることができるが、最後は馬車に飛び掛かってくる。
飛び掛かっている最中は空中に浮いているので避けられない。
だから引き付けてから確実に命中させるのだ。
魔法兵は馬車の細かい振動の中でも集中を途切らせることなく、〈探知〉を続けている。
前方は馬の突進を受ける危険があることを狼も知っている。
ゆえに左右後方から一気に畳みかけてくる。
狼たちの包囲は円形から半月状に変化していた。
いよいよだ。
これからこの半月のどこかが崩れて突出する。
それを合図に他も一斉に襲い掛かってくるのだ。
まだか……
いまか……
車内にはガラガラという車輪の音しかしない。
時々、銃兵たちの緊張を飲み込む音がするのみ。
そろそろかと予測したノルトが矢を番えると、ついにそのときがやってきた。
「来ます!」
〈探知〉で半月の揺らぎを見張っていた魔法兵だ。
短く鋭い報告が群れのボスにもわかったのか、草叢に咆哮が轟いた。
「オォォォーンッ」
我に続けとでも言っているのだろうか?
あちこちから応答の吠え声が木霊し、草叢の乱れがガサガサと一気に近寄ってきた。
十分引き付けた。
ノルトもボスに負けじと号令を轟かせた。
「撃てぇぇぇっ!」
痺れを切らしていたそれぞれの銃口は一斉に火を吹いた。
「キャヒヒィーン!」
飛び掛かった数匹が悲し気な鳴き声を残して撃ち落された。
銃兵は撃ち終わるとすぐに次の銃を構える。
どれを狙おうかと迷う必要はない。
次の狼がもう飛び掛かる態勢に入っているのだから。
狼たちは勇猛だ。
大きな発砲音に竦んだりしない。
仲間がやられたのを見ても臆病風に吹かれたりしない。
間断なく波状攻撃を仕掛けてくる。
あっという間に用意しておいた銃を撃ち尽くした。
うるさい銃が沈黙した。
そう判断した狼たちは安心して飛び掛かった。
しかし馬車に前足が触れた途端、
「ギャヒッ!?」
と短い悲鳴を上げながら地に落ちた。
魔法兵の障壁だ。
状況に応じて様々な障壁があるが、今回は雷の障壁を張っていた。
昔の魔法使いが、作物を盗んでいくゴブリン共に困っていた農夫を助けるために編み出したという。
触れたものに電撃が走る障壁だ。
火の障壁のように、引火したゴブリンによって山火事になることもない。
その間に手早く銃兵たちが再装填を完了し、今度は障壁を張り直す時間を稼ぐ。
見事な連携だった。
こうやって陸兵は街道を守ってきたのだ。
昔からずっと。
港間の海上輸送から海の大国へ。
人々はいつしか街道など見向きもしなくなった。
もはや街道など不要という者もいた。
それと、不要なものを守る陸軍も……
だが、人々が皆ウェンドアや大きな港街で暮らせるわけではない。
港と港、その中間の土地で暮らすしかない者たちも少なくない。
都市に住む者はそんな辺境の村など捨てて移住すればいいのにというが、繁栄から取り残された彼らにそんな金はない。
辺境の村にとって街道は生命線。
モンスター共に断たれたとき、村は滅ぶ。
陸兵が代々守り続けてきたものはそういうものだ。
今日、彼らは変わったことをしているわけではない。
いつも通りだ。
いつも通り、銃と障壁が補い合いながら、街道の敵を一匹一匹確実に減らしていく。
徐々に銃声が減っていった。
勇猛なイスルードオオカミも今日は相手が悪かったと悟った。
「ワオォォォーンッ!」
それは仲間の死を悼んでいるのか?
あるいは厄介な人間共にさっさと行っちまえと言っているのか?
狼は遠吠えだけ残して草叢の向こうに消えていった。
撃ち方終わって静まる車内。
狼は遠ざかったようだが、間隔を空けた第二次攻撃の可能性もあり得る。
陸兵たちは気を抜かない。
魔法兵は障壁の再展開を、銃兵は床に置いていた銃に次々と装填していく。
静かに第二波への備えを急ぐ中、魔法兵は〈探知〉で狼たちの動きを追う。
馬車を半月に取り囲んでいた〈揺らぎ〉たちは一度散開した後、自然と縦一列になって遠ざかっていった。
一つ、二つとその揺らぎが探知円の範囲から出ていき、いま最後の一つがいなくなった。
「狼が退却しました。周囲に敵影なし」
彼の報告に馬車内の緊張が解けた。
ノルトもカヌートに番えていた矢を下し、戦闘終了を告げた。
急いで先行する姫様たちに追い付かなければならない。
御者は馬車の速度を上げた。
魔法兵は周辺の様子を探知し続け、銃兵たちは用意した銃の片付けを始めた。
撃退成功だったが、楽な戦いではなかった。
「なんだか最近おかしいな」
戦が終って寛いでいる元陸兵たちの話がノルトにも聞こえてきた。
つい最近まで現役の城壁守備兵と街道警備隊だった者たちだ。
それが口を揃えてそう漏らしていた。
イスルードオオカミは元々、山奥で鹿などを狩って暮らしていた。
大きな獲物も襲うが、どうしても手頃な獲物が見つからなかった場合だけだ。
うっかり縄張りに入ってしまうと威嚇してくるが、それ以上近付かなければ何もない。
狼にとって人間は恐ろしい存在だった。
その狼が変わったのは島が現在のようになってから。
島のあちこちに討伐された解放軍の屍が転がっているから、人間の味を覚えてしまったのかもしれない。
だとしても、自分たちより大きな馬車を執拗に追いかけてくるのは異常だ。
今日のように返り討ちに遭うし、積荷が食べられるものとは限らない。
あまりにも割に合わない狩りだ。
街道から少し内陸に入ればもうそこは人間の領域ではない。
人間が狩りに行かないのだから、そこには獲物となる動物も多いはずだ。
獲物が減って餌に困っているとは考えにくい。
だとすると、一つの考えが浮かんでくるのだ。
——狼たちは、人間を噛み殺すのが楽しい——
まさかと笑って否定したくなるが、餌場に沢山鹿がいるはずだし、街道まで下りてくる途中にゴブリンの巣だってある。
ただ肉がほしいだけなら街道まで遠出する必要はない。
人間の方から縄張りにやってくることは滅多にないから、狼たちが街道までやってくるのだ。
人間狩りを楽しむために……
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