第50話「出発」
旧市街に夕闇が迫り、死者がやってくる。
一行は城門へ急がなければならなかった。
だが、報告を終えた乗員はまだその場に立っている。
艦長も副長も「すぐに出発する」とは言わない。
……言えない。
マルジオたちをこのままにして行くことはできない。
巡回兵たちが告げた取り壊しの理由は口実だ。
本当の理由は彼らが楽をするためだ。
かなり歩くことになるが、そこから地下を探索すればアジトに辿り着ける。
彼等も歩いてみれば見つけることができるはずだが、そんなことはしたくない。
倉庫から地下道に入り、もう少し進むと下水の臭いが漂ってくる。
捜索組はそこで引き返してきたのだ。
もっとお手軽な方法があるのに、好んで臭いところに行きたい者などいない。
どこにゾンビが潜んでいるかもわからないのに……
そのお手軽な方法とは出入り口を潰すことだ。
穴を埋め、見えにくくしている
地下道に通じる穴を見つけたので、解放軍が出入り口として使えないように処理した。
そう報告すれば上官に叱られることもない。
つまり手抜きだ。
そんなことのためにマルジオの酒場は潰されてしまったのだ。
街は刻々と静まっていく。
皆、戸締りに必死だ。
戸締りが甘かったためにゾンビが扉を破ってきて大惨事になることだってあるのだ。
気の毒だが、マルジオのところは運が悪かったのだ。
地下道の上に建っていたなんて……
誰も一家を気にかけない。
気にかけている場合ではない。
普段ならマルジオもそうしている頃だが、戸締りすべき家はもうない。
この一家が死者の街を生き延びるのは無理だ。
エルミラは呆然としたまま直らないマルジオに提案を持ちかけた。
「親父、家族を連れて私のところに来ないか?」
意識は朦朧としていたようだが、耳は聞こえているようだ。
彼女の声に反応して振り返った。
「姫様のところ?」
家族という単語が気付けになったのか、彼の意識が少し戻ってきた。
虚ろだった目に光が戻る。
「そうだ。少し危険だが、このまま留まっているよりマシだと思う」
これから馬車でウェンドアを脱出し、用意してある船で島から離れる。
それに親父たちも来ないかと誘った。
話が聞こえたのか、奥さんが子供たちを連れてやってきた。
「あんた」
彼女の泣き腫れた目は夫に決断を促していた。
姫様の提案に従うべきだと。
「……そうだな。ここにいてもゾンビに齧られちまう」
一家の方針は決まった。
姫様たちと同行し、どこか他所の土地でやり直す。
ずっと気にはなっていたのだ。
夜、ゾンビの呻き声や断末魔の叫び声がする街で子供を育てることに。
先祖代々の酒場を捨てられなかったのだが、よい機会だったと切り換えることにした。
一行は合計一六人に増えた。
内訳はエルミラたち一二人とマルジオたち四人の合計一六人だ。
八人ずつ、二台の馬車に分かれる。
乗員は一家にも二人ずつ分かれて乗ってもらおうと提案してきた。
道中、街道警備の騎士団と戦闘になる可能性が高い。
そのとき戦力が偏らないようにするためだ。
また二台の内、一方が潰されないとも限らない。
もしその一方に一家全員が乗っていたら……
分かれて乗っていれば二人は生かせるかもしれない。
理に適った話だ。
しかし彼女は却下した。
女将に甘いと叱られそうだが、別々にすることなどできなかった。
方針が決まった後、一家四人で瓦礫を探っているのを見た。
住み慣れた地を離れる前に、思い出の品を求めて。
あまり重い物は困るが、手荷物程度ならと許可した。
娘たちは埃まみれになってしまった人形、奥さんはお気に入りだった衣服、マルジオは……
彼はお目当てが見つからず、ひたすら瓦礫を退かしていた。
三人は親父の探し物がわかるのか、一緒に退かしていき、やがて明るい声があがった。
それはエルミラも見覚えのある酒場の看板だった。
「これでまたやり直せるぞ!」
彼女は悲しみに暮れていた一家の喜ぶ声を聞いてしまった。
……別々に乗れとは言えない。
一家とエルミラは一緒に先頭馬車に乗ることになった。
もう一方はじいに任せる。
すべての準備は整った。
エルミラは目立つので馬車の中に隠れ、乗員に御者を任せることにした。
なんとか閉門に間に合いそうだ。
馬車の中で彼女は号令した。
「出発!」
ガラガラと車輪を鳴らしながら、二台の馬車が酒場裏だった場所から出立した。
徐々に瓦礫の山が小さくなっていく。
幼い姉妹がその山に向かって小さい手を振っているのを見て、エルミラは目頭が熱くなった。
***
ウェンドア南門——
二台の馬車は門の前で順番待ちの列に加わった。
帝国海軍による海上封鎖によって、島は陸運主体に戻りつつあった。
その結果、夕刻の南門はウェンドアに出入りする者たちでごった返している。
門は馬車二台分の幅がある。
出ていく方は問題なければ通行証の確認だけで通れるのだが、厄介なのが入ってくる方だ。
通行証の確認と積荷の確認、それに怪我の有無だ。
少しでも怪我があれば、ゾンビの噛み傷かもしれないと疑われ、どこかへ連行されていく。
詳しく調べるというが、酒場取り壊しの一件からもわかる通り、帝国兵は面倒臭いことが嫌いだ。
だから連行された者は一人も帰ってこない。
その評判が知れ渡っているので、獣に噛まれた怪我であっても隠すし、隠しているからゾンビの傷だと余計疑われるという悪循環に陥っていた。
怪我人を見つけた帝国兵は強引に逮捕しようとし、傷を見咎められた方も殺されたくないから全力で抵抗する。
その度に、出ていく方の馬車も止められてしまうのだ。
今日も二件あったらしい。
一件はゴブリンに棍棒で殴られたというもの。
頭から血を流していただけなのだが、連行に抵抗したので門の外で処刑された。
もう一件は本当にゾンビによるものだった。
傷が浅いので神殿に行きたいと主張したが、中に入れるはずはなく……
二人共、門の外に放置されているという。
話を聞いたエルミラから溜め息が漏れた。
昔から神殿はこうだ。
世俗の欲望が大好きなのに、面倒になりそうだと見るや、俗世を捨てている振りを決め込む。
こんなとき、〈浄化〉を施す係として門に常駐してくれていたら、皆の信仰心が増すだろうに……
それから後は特に騒ぎが起きず、概ね順調だった。
段々と前に進んでいき、一行の馬車の番が近付いてきた。
「艦長、そろそろです」
「わかった。頼んだぞ」
御者に後を任せ、彼女は樽の一つに隠れた。
出ていく馬車の確認はあまり厳しくないが、お尋ね者の海賊がいたら面倒だ。
蓋をすると樽の中は真っ暗になった。
窮屈な姿勢で息苦しいが、門を抜けるまでの辛抱だと自分に言い聞かせる。
ノルトは地下で彼女と島を出ると決意した後、準備を整えてきた。
その一つが通行証だ。
偽造ではなく、買収してある役人に正式なものを発行してもらった。
あとは
確認が済んだ馬車が出発する度、彼女たちの馬車も車輪が少し回る。
その振動が少しずつ前進していることを樽の中に伝えていた。
それが何回か続いた後、人の話し声が聞こえてきた。
いよいよ一行の番だ。
「通行証を見せろ」
御者はやってきた門番に用意していたものを提示した。
帝国兵も鐘が鳴るまでに業務を終えたい。
時間になったら門の内外に何人残っていようと、閉門して帰るが、その分だけ朝の討伐組から嫌味を言われる。
おまえらのせいで仕事が増えたと。
通行証に難しいことは書いていない。
「この証を持つ者たちの通行を許可する」と大雑把に書いてあり、あとは発行した役人の名が記されているだけだ。
随分と雑だが、仕方がないのだ。
たとえば人足を島東部へ運ぶ場合、門の近くで声をかけて雇うので、発行時点では許可の対象が誰なのかわからない。
そんな簡単な許可証なのだが、帝国兵たちは食い入るように眺めたり、馬車の中をのぞき込んだり……
とにかく時間が掛かった。
いや、掛けていた。
役人は許可したが、最終的に問題ないか判断するのは門番だ。
何か異変を感じれば通行を禁止できる。
許可証は「通ってよい」と書いてあるだけだ。
「通さなければならない」とは書いてない。
つまり通りたければ
馬車や旅人たちが困るのは時間が掛かることだ。
後ろからは鋭い視線と罵詈雑言が投げかけられ、自分達も早く通らせてもらわなければゾンビの晩飯になってしまう。
これは門の外だけではない。
閉門する頃にはほぼすべての家屋が扉を固く閉ざす。
宿屋もとっくに本日の営業を終了している。
門内でも同じ運命を辿るだろう。
夕刻は大事な稼ぎ時だ。
そのことに早く気付いた者だけが、明朝の鐘を聞くことができる。
門番はさっそく絡んできた。
「馬車二台か。随分大袈裟だが、どこへ行くんだ?」
「はい。南で半分下ろして、残りは東部へ運ばなければなりません」
御者の愛想良い答えに、「ふーん…… 東ねぇ」と怪訝そうに通行証の裏側を見たりする。
裏が白紙だということ位、知っているだろうに……
「最近、反乱軍だけでなく、各国の密偵も入り込んでいるらしくてなぁ……」
そうぼやきながら御者に背を向けた。
怪しい者ではないと信じられない限り、通すわけにはいかない。
少しの間、後ろを向いてやるから、その間に
ノルトはすでにその礼儀を用意していた。
掌に余るほどの金貨を包み、御者に渡しておいた。
彼は予定通り賄賂…… いや、礼儀を持ちながら馬車を下りて、門番の背中に近付いていった。
「毎日お疲れ様です。おかげで安心して商売ができます」
「おお、そうか。そう言ってもらえれば我らの苦労も報われるというものだ」
日頃の感謝を述べながら両手で握手を求め、門番もそれに応じた。
——っ!
掌に乗る重さに驚いた門番は、他の者と一緒に包みをそっと開いてみた。
中には黄金に輝く大量の礼儀が!
エルミラ一行は彼らの信頼を得ることに成功した。
そうなれば積荷の検査などするまでもない。
信頼できる者たちであることは礼儀の重さが証明している。
「モンスター共に気を付けて行けよ!」
一行の礼儀正しさに感激した門番たちは、いつまでも二台の馬車に手を振り続けていた。
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