第49話「マルジオの酒場」

 ウェンドア旧市街地下道——


 長い年月をかけて場当たり的に掘り進められたこの地下道は、住民たちから地下迷宮と皮肉られていた。

 元々地下道と地下下水道は別だったのだが、誰かが誤って繋げてしまったのか、あるいは壊れて繋がってしまったのか、いまはもう区別がなくなっていた。


 地下道を行くエルミラの鼻腔にその臭いが絡みつく。

 昔から不快なところだったがいまはそれだけでなく、ずっとゾンビの呻き声が木霊する恐ろしい場所になっていた。


 二人は警戒しながら地上を目指した。

 来るときは夜だったので、ゾンビたちは皆外出していたが、いまは午後だ。

 彼らは陽光を避けて中にいるはずだ。


 ノルトもそのことはよく心得ており、カヌートをいつでも発射できるように構えている。

 交差点の度に立ち止まり、彼らがいないか確かめながら進んでいく。


 行先はマルジオの酒場ではない。

 この地下道から彼の調理場に出られるが、あの親父は二人を地下倉庫に放り込んだ後、重い食材で塞いでしまった。

 行っても出られないかもしれなかった。


 また、密偵が捕まっていなければ、いまも見張りがうろついているかもしれない。

 店の中にも……

 そんなところへ地下から解放軍一味が出てきたら親父に迷惑がかかる。


 そこで別の出口を目指していた。


 来るときは決して得意ではない弓を構えながらだったが、帰りは弓の名人が一緒で心強い。

 しかしせっかくのじいの腕前を見ることはできずにいた。

 それで良いのだが。


 呻き声があちこちから反響するが姿は見えない。

 時々二人共立ち止まり、エルミラは〈探知〉を、じいは聞き耳を立てて反響する音を辿ってみるのだが、近くにいる様子がない。


 あり得ないことだが、ゾンビたちが一定距離を保っているとしか思えなかった。

 呻き声が近寄りも、遠ざかりもしないのだ。

 まるで二人を中心に円を形成しているような……


 気味が悪いが、襲ってこないなら結構なことだ。

 ただ、いつ気が変わってこっちに来るかわからないから油断はできない。

 二人は警戒を続けながら先を急いだ。



 ***



 旧市街の目立たない路地裏——


 雨水が流れ込む下水溝の蓋が持ち上がり、人影が二つ出てきた。

 エルミラとノルトだ。


 二人共外の新鮮な空気を吸い込み、肺に溜まっていた悪臭と緊張を吐き出す。

 結局、カヌートから矢が放たれることはなかった。

 こんなことは初めてだと弓の名人も首を傾げた。


 他でもない、司令の御加護だったのだが……


 外はまだ明るかったが、正午の日差しではない。

 夕刻が近かった。

 城門が閉まる前に乗員たちと合流してウェンドアを脱出しなければならない。


 通りは家路を急ぐ者、品物を片付けている物売りたちで騒然としていた。

 彼らに紛れながら二人は先を急ぐ。

 乗員たちは無事、馬車の用意が出来ているだろうか?


 途中、馬商人のところへ寄った。

 海洋王国リーベルにも馬はいた。

 街道を馬で移動することはあったし、農民たちにも必要だった。

 王国時代は自由に売買できたが、現在は州政府が厳重に頭数管理している。


 だが、それは形式上のことであり、末端の役人は正しい者にはいくらでも下さる。

 二頭位ならすぐに許可していただけるのだ。


 馬を引きながら広い通りをいくつか横切ると、彼女が良く知る通りが見えてきた。

 酒場が軒を並べる通りだ。


 本来なら賑やかさが増していく時間帯なのだが、どの店もゾンビお断りと店じまいに大忙しだ。


 閉店作業を横目に合流地点を目指すと、やがて二台の馬車が見えてきた。

 乗員たちは無事、準備を完了できたようだ。

 あとは引いてきた二頭を繋げば出発できる。


「ん? 様子がおかしいぞ、じい」


 その異変にエルミラが気付いた。

 合流地点は酒場裏の空き地だ。

 通りから馬車が見えるのはおかしい。


 マルジオの酒場はなくなっていた……

 正確には潰されて瓦礫になっていた。

 その前で彼と家族がへたり込んで泣いていた。


「一体、何が……?」


 そこへ唖然としている艦長たちに気付いた乗員の一人が近付いてきた。


「お待ちしていました。準備は完了しているのですが……」


 彼はここであったことを報告し始めた。

 といっても、彼らが来たときにはすでにこうなっていて、周囲の野次馬や親父たちから聞いた話なのだが。



 ***



 朝、姫様とノルトを地下に逃がしてすぐ、マルジオのところにも巡回兵たちが押し込んできた。


 彼は昼の仕込みをやっていた風を装っていたが、ドカドカと入ってきて有無を言わさず外につまみ出された。

 勢いよく出入り口から投げ出され、顔も身体も土埃にまみれてしまった。


 急だったので顔を打ってしまい、痛みで顔をしかめていると誰かが助け起こしてくれた。

 すでに追い出されていた女房だった。

 子供たちは彼女のスカートにしがみついて泣いている。


 いくら帝国兵だろうと、あまりにも理不尽だ。

 そこへ女房と子供の涙を見たマルジオはキレた。

 怒髪天を突きながら、バッと振り返った。


「やい! 何しやが……」


 何しやがる! と怒鳴ることはできなかった。

 酒場の入口は銃兵二名が封鎖していたが、それぞれの長銃で彼と家族に狙いを定めていたからだ。


 沸点に達していた彼の怒りは一気に氷点下まで下がった。

 咄嗟に家族の前に立ち、彼女たちに向けられていた射線を妨害する。


 二つの銃口は彼の命を狙う。

 蛇に睨まれた蛙のように動けない。


 だが身体は動けずとも目は動かせた。

 彼は銃口から銃身へと視線を辿っていき、兵士たちの目まで来たときゾっとした。


 彼らの目には何の感情も込められていなかった。

 敵意も殺気も、何も……


 帝国兵にとってウェンドア市民の命には何の意味もないのだ。

 だからあと一歩近付いたら無造作にその引き金を引くのだろう。


 明日どころか、今晩寝床に着く頃には命を奪ったことも名前も顔もすべて忘れる。

 それほど軽い命にはしない。

 兵士の目はそう物語っていた。


 マルジオたちは為す術なく店が壊されていくのを見守った。

 先祖代々、ここで街の人たちに陽気なひと時を提供してきた。

 親の更に前の代から御贔屓の客も多い。

 ここにはそんな彼らとの思い出が積み重なっている。


 その歴史を帝国が木端微塵に破壊していた。


 密偵などいない。

 もしいてもこんなに大騒ぎしたら、とっくにどこかへ移動している。


 見つかるはずがない密偵捜索は続き、二階の窓から家財道具が次々と投げ捨てられた。

 娘が可愛がっていた人形も……


「あっ! お人形!」


 娘は母親のスカートから手を離し、反射的に人形のところへ駆け寄ろうとした。

 それを見た入口の銃兵が顔色一つ変えず、銃口で動きを追う。

 まるで野兎でも狙うように。


 だが一早く気付いたマルジオが抱きかかえて連れ戻した。

 もし人形に辿り着いていたら……


 捜索の兵士たちは二階で何も見つからなかったので一階に戻り、まだ残っていた箇所を破壊—— いや、詳しく捜索した。

 すると、調理場の奥に地下倉庫に繋がる階段を発見した。


 倉庫は地下道に通じていた。

 もしや解放軍アジトに繋がっているのではと疑ったようだが、探索はしなかった。


 州政府が地図作成を断念するほどの地下迷宮だ。

 市中見回りの歩兵に「ならば自分が!」という意気込みはない。


 全員酒場に戻ってくると一階に散乱していた物を片っ端から投げ込んで、地下倉庫を塞いでしまった。


 捜索はこれで終わったはずだ。

 しかし彼らは帰らない。


 一人が応援を呼びに行き、戻ってきたときには馬を数頭連れてきた。

 騎士団の軍馬ではなく、歩兵隊の荷馬車に使っている馬だ。


 その馬と柱を縄で結びつけ、彼らはマルジオの酒場を取り壊し始めた。

 一家の目の前で……


 古くとも頑丈だった柱は一頭ではなかなか倒れず、時間が掛かった。

 鞭で打たれる馬も嘶きながら頑張り、やがて一本目が倒れた。


 その途端、建物は大きく傾いたが、潰れずになんとか耐えた。

 まるで、そう簡単に負けてたまるかと言わんばかりに。


 だが二本目はさすがに無理だ。

 ついに旧市街の名店、マルジオの酒場は閉店した。


 潰れた衝撃で舞い上がった大量の埃が治まった頃、ようやく巡回兵たちは帰っていった。


 捜索の結果、ここには密偵が隠れていないということが確認できた。

 ただ捜索の途中で倉庫と地下道が繋がっているのを発見した。

 地下道からゾンビが街に侵入する危険があるので処置を施した。


 酒場を潰した理由はそんなところだったらしい。


 ここまで破壊し尽くせば、間違いなく密偵がいないことを確認できるだろう。

 州政府が下水道を開放して外のゾンビが街に入るのはよいが、市民の建物から侵入されるのはダメだということらしい。


 乗員たちが馬車を手に入れて合流地点に到着したのは全てが終った後だった。

 あるはずの酒場も巡回兵の姿もなく、瓦礫の前でへたり込んでいる一家の姿だけがそこにあった。

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