第47話「別れ」
ファンタズマ号乗員となった兵士たちはエルミラの客室から一人、二人と出ていった。
一度にゾロゾロ出て行ったら怪しまれてしまうので、別々にアジトを抜け出すのだ。
解散する前、乗員となった彼らの配置を決めた。
外に出るまでも大変だが、出た後も大変だ。
昼は騎士団が街道を巡回し、夜は獣やモンスターが跳梁する。
敵を引き連れてファンタズマと合流ということもあり得る。
だからいまのうちに決めておけば、乗船後すぐ配置に着き、素早く岸から離れられる。
水兵は操帆・操舵担当、城壁守備兵には舷側砲の砲手を任せる。
陸軍魔法兵は詠唱担当だ。
舷側砲に魔法を装填したり、実砲弾に魔力付与したりする
また敵の攻撃に対し、障壁を展開して艦を守ってもらう。
じいは副長だ。
だが状況に応じて手が足りないところを助けてもらう。
いまエルミラとノルトが最後の一人を送り出した。
「それでは、上でお待ちしております」
「ああ、気をつけてな」
彼らは地上でやることがある。
馬車の調達だ。
ノルトは二人で逃げる予定だったので、馬を二頭しか用意していなかった。
一行は合計一二人。
それぞれの馬を用意していたら、何事かと怪しまれてしまう。
そこで馬車に変更した。
街道を南へ下る行商に見せかけるのだ。
もう二頭追加して四頭引きにするか、それとも二頭引きを二台用意して六人ずつ分散するか。
これを艦長たちが合流するまでに用意しておく。
合流地点はマルジオの酒場の裏側。
そこには食材を運んでくる馬車を停めるための空き地がある。
彼には迷惑をかけてしまうが、将来、島に帰ってこられたときに詫びよう。
兵士がいなくなった後、ノルトも客室から出ていった。
捕虜のところでいつまでも長居しているのは変だ。
予定が変わったので、アジトで普段通りに振舞わなければならなかった。
彼が客室に戻ってきたのは午後も半ばを過ぎようという頃。
退屈していた姫様は椅子に腰かけて浅い仮眠を取っていた。
だが、物音ですぐに気が付き、伸びをしながら立ち上がった。
「おかえり、じい。そろそろか?」
「はい、頃合いです」
馬車の準備が済んだ頃合い。
そしてもし二人だけだったとしても、どこかで暇をつぶしながらこの時間まで待つつもりだった。
夕刻になると街のあちこちで鐘が打ち鳴らされる。
ウェンドアが死者の街に切り替わる刻限だ。
家々は門扉を固く閉ざし、帝国兵も引き上げる。
だから門番たちも早く引き上げたくて通行する者に対して
馬二頭が馬車へ変更になったが、脱出するのに良い頃合いだった。
ノルトは腰に差した小剣を鞘ごと掴んで、その柄をエルミラに差し出した。
「どうぞ」
「すまん。少し借りる」
彼女は柄を掴むと小剣を抜いた。
飾りはなく魔力付与もされていないが、彼らしい実用的な小剣だった。
「よく手入れされているな」
「恐れ入ります」
一言礼を述べ、彼は背を向けた。
その背にエルミラが小剣を突き付ける。
「では、参りましょう」
人質ノルトがノブを回して扉を開け、二人は客室を出た。
二人でどう脱出するか話し合った結果、この方法に決まったのだ。
狭いアジト内で一度も姿を見られずに連れ出すのは無理だ。
兵士たちと遭遇したらどうするか?
いちいち気絶させるのも煩雑だし、隠す場所もない。
帝都のときのようにはいかない。
そこでこの方法に決まった。
どうせ見つかるのだから副官殿を人質にして正面突破する。
通路を進むと予定通り兵士に見つかった。
すぐに知れ渡り、通路は兵士たちで埋まった。
中には隙を見て小剣を取り上げようと構える兵士もいたが、彼女が小剣に力を入れると引き下がった。
副官殿の苦しそうな呻き声は効果的だった。
そのままアジトの出入り口までやってきたが、そこの番兵は頑固者だった。
脅されているノルトが通せと命じても、構えた短槍を下げなかった。
膠着状態に陥る。
何を言っても頑として道を空けてはくれず、グズグズしているうちに重装歩兵たちがやってきて隙間なく盾を並べていく。
それを見たエルミラは小さく舌打ちした。
この状況では厄介な相手だ。
普段なら鉄はもちろん、多少魔力が付与されていても魔法剣で一刀両断にする。
だがいま手にしているのは通常の小剣だ。
魔力を付与する隙もない。
大盾には刃が立たない。
ノルトが説得を続けているが、正面の短槍は一向に下がる気配がない。
後ろには大盾の列。
それだけでも完全に追いつめられているのに、そこへダメ押しが追加される。
銃兵たちだ。
到着すると大盾の後ろから銃口が一斉に彼女を狙い、撃鉄を起こす音が連続した。
狙いは彼女一人と言わんばかりだが、その位置で撃てば副官にも当たる。
ここでは副官の安全より裏切り者の始末が優先されるらしい。
彼女も魔法使いの端くれ。
障壁を展開して弾丸を防ぐことができる。
ただし、それほど得意ではないから長くはもたない。
他にも問題がある。
障壁展開に集中し始めたら、気付いた門番が襲い掛かってくる。
どう切り抜けようかと悩むが、銃兵たちは考えが纏まるのを待ってはくれない。
「撃ち方、よーいっ!」
隊長の号令が聞こえた瞬間、エルミラは反射的に小剣を人質から放して銃に向き直った。
銃弾を防ぐ障壁の詠唱!
この番兵も元は魔法王国の兵士だ。
矢弾に対して魔法使いがどうするかよく知っている。
背中が無防備になることも。
こちらも反射的に動いた。
裏切り者の背中に短槍を突き立てんと、彼は解放された副官の横を駆け抜けていく。
その瞬間——
「わっ!?」
彼の天地がひっくり返り、宙に投げ出された。
ノルトは横を通り過ぎようとする番兵から素早く短槍を奪い取りながら、前のめりになっている勢いを利用して投げ飛ばしたのだ。
「ぐはっ!」
副官の体術を予測していなかった彼は受け身が取れず、背中から落ちた。
衝撃のために息が出来ず、重装歩兵とエルミラの間で苦しんでいる。
皆が気を取られた隙に、ノルトは素早くカヌートに矢を番え、隊長に狙いを定めた。
「全員武器を捨てろ!」
その場にいる全員が副官の強さを知っている。
だが捨てれば司令の粛清が待っている。
恐怖で統率された集団に岩縫いの脅しは通用しなかった。
誰も武器を捨てない。
本日二度目の鬩ぎ合いになった。
ノルトが番兵を投げ飛ばしたので出入り口を塞ぐ者はいなくなったが、一歩ずつゆっくり後退するしかない。
走り出せば集中が途切れて障壁が消える。
背を向けた途端、銃口が火を吹いてすべてが終わるだろう。
その号令を封じるためにも隊長から狙いを外すわけにはいかなかった。
取り囲んでいる兵士たちも焦っていた。
中でも隊長が最も焦っていた。
このまま逃がせば司令に粛清される。
それを回避したければ、撃てと号令すればよい。
しかしそのときには副官に射抜かれて絶命する。
エルミラたちが後退した分だけ兵士たちが前進した。
そんなジリジリとした均衡が続いたが、いよいよノルトが扉の前に辿り着いた。
一瞬矢から右手を離し、ドアノブを回す。
キィ…… という音を立てながら外に向かって開き、地下道が露わになる。
それを見た隊長は頭の中で何かが吹っ切れた。
一度は下げた手が高く掲げられていく。
あとで司令に粛清される恐怖が、いま副官に射殺される恐怖に打ち勝った。
「撃……」
「待てっ!」
隊長の「撃て!」という号令に誰かが割って入った。
一斉に声がした方を振り返る。
声は集団最後尾からだ。
声の主は道を空けさせながら前に進み出てきた。
銃兵たちのところまで辿り着くと銃口を下げさせた。
ハーヴェンだった。
「アジト内での発砲は禁止しているはずだぞ? 隊長」
「はっ、申し訳ございません!」
地下であまり騒いでいると帝国兵に気付かれてしまう。
地下道はゾンビの巣になっているので、普段あまり入ってこないが、それでも何か異音がすれば帝国の奴らが調査にやってくる。
発砲など以ての外だった。
「ここは私が引き受ける。全員下がれ」
「はっ」
ここには司令の命令に対して「でも」や「どうして?」などと一々尋ねる者はいない。
以前はいたが、いまはもういなくなった……
全員すぐに立ち去った。
出入り口前に三人だけが残った。
兵士たちがいなくなったので、エルミラは障壁の集中を解こうとした。
だが、目の横で鏃に気が付いた。
隊長を狙っていたノルトが今度は司令に狙いを変更していた。
彼の左手に魔法剣が握られているからだ。
抜刀して彼女に斬り掛かってくる可能性があった。
じいは彼女の教育係になる前は陛下直属の護衛官だった。
たとえ友であろうと警戒を緩めない。
彼女もそれに倣い、解きかけた集中を続けた。
ハーヴェンはそんな二人の真面目さが微笑ましかったのか、苦笑いを浮かべながら足元に剣と巻貝を置いて五歩下がった。
「殿下、剣と巻貝をお返しします」
鞘を見て気が付いた。
女将から譲り受けたマジーアだ。
——罠か?
彼女とじいの目が一瞬合った。
どうしようかと迷っているとハーヴェンから申し出てきた。
「私に構わず、〈探知〉でご確認ください」
お見通しだった。
さっき決別してしまったのだ。
いまさら信用している振りをしても仕方がない。
遠慮なく罠がかけられていないか確認させてもらうことにした。
障壁を解き、〈探知〉を準備する。
熟練魔法使いは同時にできるが、彼女には無理だった。
障壁が解かれるとノルトの警戒心が一層増した。
司令に身動き一つすることも許さない。
確認の結果、何も仕掛けていないようだった。
エルミラはマジーアと巻貝を取り戻した。
それでもまだ信じられず、じいの横へ後退りで戻った。
ノルトがようやく弦を緩めたのは、彼女が横に帰ってきてからのことだった。
「何も仕掛けておりません。殿下を亡き者にしたかったら隊長を止めたりしません」
確かにそうだ。
でも、なぜ返す気になったのか?
「何の意味もなく、あの女将を敵に回したくありませんので」
彼は冗談めかしてそう答えたが、二人は笑えなかった。
何の意味もなく、ということは意味があれば女将と戦うことも辞さないということだ。
あの伝説の英雄が相手だろうと……
ハーヴェンは友に視線を移した。
「初めてカヌートを向けられたが、恐ろしいものだな。友よ」
アジト中から恐れられているおまえの口から恐ろしいなどと!
思わずエルミラは突っ込みかけたが控えた。
じいたちの友情に部外者が口を挟むべきではない。
挨拶代わりの冗談が終わり、ハーヴェンの顔が真面目になった。
「どうしても行くのか?」
「はっきりさせておく……」
ノルトが解放軍副官を引き受けたのは、陛下がお亡くなりになり、姫様が帝国に嫁がれたからだ。
教育係の任を解かれたわけではないが、王命を守っても何の意義もなくなってしまった。
だがそこへ姫様が帰還した。
ハーヴェン自身も彼女を殿下と呼んでいるのだから、まだ王命は生きていることになる。
「俺は解放軍副官である前に、姫様の教育係なのだ」
たとえこの島のためであろうと、主君である姫様のためにならない計画には協力できない。
「俺は亡き陛下と殿下の御命令に従う」
「……そうか」
エルミラには心なしか、彼の肩が落ち込んでいるように見えた。
何が起ころうと動じてはならない。
味方の前でも弱いところを見せてはならない。
ハーヴェンは冷酷非道な鬼司令でなければならなかったのかもしれない。
そんな鬼司令が、唯一心許せる相手が友ノルトだったのだ。
それほど信じていたにも関わらず、友は副官である前に〈じい〉であると宣言し、ようやく捕らえた王女と逃亡を企てた。
粛清という言葉がよぎる……
しかし友との別れに際し、見送る彼が発した言葉はそんな冷酷なものではなかった。
「もう若くないのだからあまり無理はするなよ。ノルト」
旅立つ友にかけるいたわりの言葉だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます