第45話「死者の王」

 海に浮かぶ宿屋号とウェンドアの地下アジト。

 距離を隔てた二つの場所で女将と司令の鬩ぎ合いが続いていた。


 彼女の口から魔王という言葉が飛び出してから、二人の会話は途絶えた。

 無闇に血を流す粛清好きを魔王に例えられ、司令は怒り心頭で言葉が出てこない。

 ——と事情を知らない者は思うだろう。


 だがこの魔王という言葉は皮肉ではない。

 その通りの意味だ。


 とんだ戯言だと女将を嗤ってやればよいのだが、ハーヴェンは巻貝を握りしめたまま動かない。


「……女将、いくらあなたでも言葉が過ぎるぞ?」


 元々高くはない彼の声がさらに低い。

 相当怒らせてしまったようだが、彼女はほっと胸を撫で下ろしていた。

 彼は〈魔王〉に対して〈暴言〉という札で牽制してきた。

 怒り狂ったり開き直ったりせず、交渉を続けるということだ。


 交渉に付き合ってくれるのはありがたいことだが、まだ適当に誤魔化そうという気配を感じる。

 だから——


「気分を害したなら訂正するわ。魔王というより、死者の王かしら?」


 魔王の次は死者の王。

 あまりに無礼だが、それでも彼は巻貝を投げ捨てることができない。


 投げ捨てたら交渉が終わる。

 それはハーヴェンにとっても都合が悪いのだ。

 彼は友にも知らせていないある事情を抱えていた。

 女将が一体どこまで掴んでいるのかを探らなければならない。


 ——ようやくちゃんと席に着いてくれたわね。


 席とは交渉の席だ。


 彼はずっと姫様は手放さないの一点張り。

 最後は小娘の後ろ盾をやめろと一方的に申し渡して終わるつもりだったのだろう。


 これで坊やも真面目に話し合う気になった。

 女将はこれ以上の探り合いは不要と判断した。

 ついにエルミラ奪還の切り札を出す。


「坊や、艦長に最も必要な能力って何だと思う?」

「的確な判断能力かな?」


 リーベル海軍の試験なら正解だが、これは女将からの出題だ。

 残念ながらそれでは不正解だった。

 知識、経験、それに基づいて最適解を導き出す。

 これは優秀な副官や参謀で補うことができる。


 では女将の考える艦長必須の能力とは何か?


「勘よ」


 努力ではどうにもならない生まれつきの能力。

 でも、それが鈍い艦長はダメだ。

 宿屋号の常連となっている海賊たちは例外なくその能力が高い。


「なるほど。確かにそうかもしれんが、そのことが私たちの話にどう関係するのだ?」

「エルミラは勘が良い子だったわね。だって——」


 だって、真っ直ぐに辿り着いたのだから。


「エルミラが探している柩計画の死霊魔法使いはあなたよ」


 世界中で禁止されている外法。

 密かに継承されていると言われているが、名乗り出る者はいない。


 表向きに他の魔法も習得しているか、そもそも魔法が使えない振りをするか。

 死霊魔法使いはそうやって世間に溶け込んでいるという。


 その中でエルミラが探し求めているのは、リルを人型二三号にした術士だ。

 女将は彼こそがそうだと名指した。


 対する彼はどんな札を切り返すのか?

 いや、切り返せるのか?


 少しの間の後、彼の口が開いた。


「たとえ救国の英雄でも許せない暴言だが、それよりもなぜ私だと思うのだ?」


 外道呼ばわりされたのだから、根拠を求めるのは当然だ。

 彼女は自らが切った〈死霊魔法使い〉という札を補強しなければならない。

 さもなくば、ハーヴェンから〈事実無根〉という札で切り返されて手詰まりとなる。


 女将は根拠を示した。


 彼女は船乗りや冒険者に巻貝を渡しているので、世界中から情報が集まってくる。

 その情報の中に、外の解放軍が追い詰められて死霊魔法を使ったという話はなかった。


 もし使えば術士は一生人里で暮らせなくなるが、殺されるよりはマシだろう。

 でも、彼らは外法を用いることなく大人しく滅ぼされた。


 だからといって、その解放軍に術士はいなかったとするのは早合点だ。


 件の魔法には生前に術を施しておき、死後、不死者になれるというものがあるという。

 その〈死〉のためにわざと殺されるという可能性もあった。


 しかし、イスルード島に吸血鬼が現れたという情報はない。


 共和国滅亡後、船の出入りが厳しく制限されているので、島の情報が入りにくくなった。


 だが、吸血鬼の情報は探る必要がないのだ。

 なぜなら州政府は解放軍の悪評だけは外部に流しているから。


 もし解放軍の外法で吸血鬼が出たら、帝国は声を大にして世界中に言いふらすだろう。


 ゆえに断言できる。

 外の解放軍に術士はいなかったのだ。


「……それだけで私を外道呼ばわりするのか?」

「いいえ、まだあるわ」


 地上は監視が厳重だから地下に潜るしかないが、帝国軍は外のゾンビを地下に引き入れた。

 これでは非戦闘員たちを抱える解放軍は潜伏できない。


 実際に噛まれる者が続出したことで彼らは地下を捨て、ウェンドアの外にアジトを構えた。

 現在、地下に潜伏しているのはハーヴェン軍だけ。


「あなたたちはよくで襲われずに済んでるわね」

「……ゾンビの動向を常に注視しているからだよ」

「そうね。〈子〉が勝手なことをしないように〈親〉は注視していないとね」


 ——っ!


 巻貝を握るハーヴェンの手に力が入った。


 この地下アジトはかつて別の解放軍が使っていたが、にもゾンビの襲撃を受けて壊滅した場所だ。

 ……ここはなのだ。


 そして術士とゾンビは親子のようなもの。

 正しく術を維持している限り、〈子〉が〈親〉を襲いにくることはない。


 勝負はあった。

 もはや言い逃れはできなかった。


「それで?」

「エルミラを無事に逃がしてくれるなら知らなかったことにしておくわ。どうかしら?」


 条件提示は綺麗な言葉で纏めようとせず、露骨なくらいがよい。


 逃がしてくれたら見逃す。

 さもなくば帝国に通報する。

 単刀直入でわかりやすい条件だ。


「それに、さっき言ったことは方便じゃないのよ?」

「さっき?」


 王家を利用しなくても、ハーヴェンの名声だけで大勢の民衆は支持するだろうという話だ。


 エルミラ以外にも王位継承順位が低い者は沢山いる。

 中には、何か事を起こしてでもその順位を変えたい野心的な王族がいるはずだ。

 どうしても他国への防御に女王が必要なら、そのような王女を立てるべきだ。


「ダメよ。あんな真っ直ぐなお馬鹿さんを悪用しちゃ」


 すると、女将の巻貝から大きな溜め息が一つ聞こえてきた。


「……いいだろう」


 ハーヴェンはエルミラの解放を約束した。

 約束は無事に逃がすこと。

 アジトを出た途端、ゾンビの大群で取り囲んだりしないと誓った。

 破れば世界を敵に回すことになる。


 交渉は成立し、ピリピリとした空気はなくなった。

 これで終わりなのだが、最後に彼から女将に質問があった。

 海の三賢者ロレッタ卿がなぜそこまであの小娘に肩入れしているのかと。


 副団長として傍らで見てきたが、殿下はお世辞にも魔法の才能が豊かだとは言い難い。

 大魔法使いが目を付けるような才能は感じられないのだが……


「胸糞悪い」

「は?」

「柩計画を途中まで読んだあの子の感想よ。面白いでしょ? そんな面白いことが言える子だからよ」


 ハーヴェンには何のことかわからないだろう。

 かつてのロレッタもわからなかった。

 だが齢数百年生きて、師マジーアの言葉がわかったのだ。


 師匠は言っていた。

 魔法使いは面白くなければならないと。


 どんなに高い魔力があっても面白くない奴はダメだ。

 面白くない奴はせっかくの力をつまらないことに使う。

 周囲にとって迷惑だし、本人にとっては無益だ。


 逆に面白い奴なら力を有益なことに使う。

 力が弱いなら呪物で補えばよいし、他の魔法使いが力を貸してやればよい。


 無益な外法をコソコソ研究している大魔法使い様より、辻で手品を披露して人々を楽しませている魔術師の方が何倍も有益だ。


 エルミラにハーヴェンが言うような魔法の才能はないだろう。

 だが、有益な魔術師になれる素質がある。

 そういう前途ある若者を無益なことに巻き込んでほしくなかったのだ。


「ハーヴェン、かつてあなたの神聖魔法にも同じものを感じた。なのにどうして……」


 外法に手を出すなという彼女の戒めは守られなかった。

 彼は神に背き、正反対の道を歩んでいる。


 ファンタズマ号の随所に使われている死霊魔法は強力なものだった。

 彼の手によるものだ。

 熟練した術士の仕事だった。


 あの礼儀正しかった神殿出身の海軍魔法兵がなぜ……?


 それに対してハーヴェンは多くを語らない。

 短く——


「神に嫌われていたからだよ…… 、女将」

「待っ……」


 待って、どういうこと? と最後まで言うことはできなかった。

 ハーヴェンからと通信を切られてしまった。


 女将には意味がわからなかった。


 元神殿魔法兵が神に嫌われる。

 ……何らかの処罰を受けたという意味だろうか?


 気になるが、いまは考えているときではない。

 とりあえず彼からエルミラの解放を取り付けることに成功した。

 まもなく拘束を解かれるだろう。

 いまはその支援に集中しなければならない。


 ウェンドアからの脱出と哨戒網突破。

 これらは彼女自身に頑張ってもらうしかない。


 こちらはイスルード島近海で待機する。

 ファンタズマを拾ったら空間転移して警備艦隊を振り切るのだ。


「……二隻同時なんて年寄りには堪えるわね……」


 腰をトントンと叩きながら、甲板に向かった。

 宿屋号は都合により本日休業だ。


 女将は甲板に出ると給仕たちに告げた。


「これより本船はイスルード島近海に転移する!」


 帝国海軍の哨戒網を避け、その外側でエルミラたちを待つ。

 追手を振り切ることができず、引き連れた状態で合流してくる可能性がある。


「到着したら周囲の警戒を怠らないで」


 これだけで給仕たちは理解した。

 先日訪れたリーベルの姫様を拾いに行くのだ。


 向かう先は内戦で荒れている島の近くだが、不安そうな者は一人もいない。

 宿屋号では別に珍しいことではない。

 海で困っている人を助けに行く船だから。


 今回もいつも通りだ。

 皆元気よく女将に返した。


了解アイマム!」

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