第44話「魔法剣の持ち主」

 エルミラを取り押さえようとしていた重装歩兵は本物の帝国兵だった。

 これは逆のことも言えるだろう。


 州政府の情報を探りに出している解放軍密偵が買収されて、アジトの場所を漏らしているかもしれないのだ。

 その情報を入手した役人は解放軍に買収されていて、上司に報告せず、ハーヴェンに密告……


 双方、滅茶苦茶な状態だ。


 一つだけ確かなことはハーヴェンと連邦は繋がっているということだ。

 内心はともかく。


 じいの意見を採用し、ネイギアスへ向かうことはやめることにした。

 ではどこへ逃げようか?


 少し考え、行先を決めた。

 こういうとき、彼女の決断は早い。

 最善の道が見つからないからと立ち止まったりしない。

 とりあえず歩き出す。


 宿屋号と合流することにした。

 それからどこを拠点にするか考える。


 じいもその方針に賛成してくれた。

 これで決定だ。


 ただ、問題が一つあった。


 どうやって宿屋号に知らせるかだ。


 彼女は自分の胸板をさすって確認する。

 そこにあるはずのものがないことを。

 遠音の巻貝だ。


 あれで連絡すれば拾いに来てもらえるのだが、装備をすべて没収されてしまった。


「なんとか取り返さないと……」


 じいによると、皮革のザックは倉庫に保管されているので回収は容易だ。

 しかし、魔法剣と巻貝は司令自ら持って行ったから無理だ。


「諦めてこれを使いましょう」


 言いながら、じいはエルミラのものとは違う巻貝を取り出した。

 目を丸くする彼女に笑いながら言った。


「私もあの宿屋の客の一人でした」


 言われて彼女は思い出した。

 女将も言っていたではないか。

 宿屋号にとって、暴れたりしないならもお客様だと。

 じいはかつて海賊ノルトだったのだ。


 ある日、いつも通り美味い料理と酒に満足して帰ろうとした際、女将から手渡された巻貝だという。

 その後、海霊の一件で陸に上がることになる。


 あの女将は時を超越して生きる大魔女だ。

 最後の来店だと感じ取っていたのかもしれない。


 巻貝のことは解決できた。

 だが、マジーアをどうしようかと悩む。

 女将に託された大事な剣だ。


 ノルトも一緒に取り戻す方法を考えてみるが、無理に取り返そうとすれば逃亡に気付かれてしまう。

 姫様を気の毒に思うが、彼女の迷いをきっぱりと断ち切った。


「見事な剣でしたが諦めましょう。あの女将も剣より姫様の安全が大事なはずです」


 正論だった。

 諦めるしかないと彼女は俯いてしまったが、顔を上げたときには迷いが吹っ切れていた。


「女将には後で詫びよう。そうと決まればすぐ逃げるぞ!」

「はっ!」


 ファンタズマの停泊場所まで少し遠いので馬が要る。

 来るときは浜から上陸したので徒歩になったが、帰りも徒歩で向かう必要はないのだ。


 決まると、二人は一旦別行動を取ることになった。

 じいは旅支度と馬を用意しに。

 エルミラは彼が戻ってくるまで捕虜の振りを続けた。



 ***



 解放軍司令室——


 どうしても直接申し上げなければならない用事がない限り、誰も訪れない孤独な部屋。

 気軽に入ってくるのは友のみ。


 ハーヴェンは扉の正面に設置された席に一人座っていた。

 机の上には没収した小娘の魔法剣と巻貝の首飾りが置かれている。


 元々は鎚矛を使う神殿魔法兵だったが、海軍転向後は魔法剣を所持し、副団長の嗜みとして業物も揃えていた。


 その彼でも視線の先にある剣は見覚えがない。

 あの小娘が兵団長のときに差していた物ではない。

 帝都で手に入れたものと推測するが、ふと、どんな剣か気になった。


 剣を目の高さまで掲げ、スゥッと静かに抜いてみた。


 鞘から完全に抜くと剣が露わになり、ぼんやりと魔力の光を放つ。

 手に持っているだけでその強さが伝わってくる。

 かなりの業物だ。


 誰の作だろうと思いながら見ていると、剣に刻まれた魔法文字が目に止まった。


 ——!


 ハーヴェンは顔をしかめた。


「厄介だな……」


 作者だけでなく、元の持ち主が誰なのかもわかった。

 同時に、この剣を小娘に与えたことの意味も。

 その人物が小娘の後ろ盾についているということだ。


 机の巻貝を取り、その人物を思い浮かべながら語りかけた。


「女将——」


 返事はすぐに帰ってきた。

 巻貝から大人の女性の声がする。


「あら、坊やじゃない。懐かしいわ」


 元副団長を坊や呼ばわりできる女性——

 宿屋号女将ロレッタだ。


「一度きりの客なのに、覚えていてくれて嬉しいよ」

「あなたは特別だから」

「ほう……」


 どう特別なのかという尋ねに、女将は穏やかな物腰で答える。


「エルミラとは別の意味で危ない子だったから」


 危ない子——

 それがハーヴェンに対する女将の率直な感想だった。


 二人が出会ったのは彼が海軍に転向してから。


 あるとき海戦があった。

 アレータ海では竜騎士団に後れをとったものの、他には魔法艦に敵うものがなく、その海戦もリーベル艦隊が勝利した。


 だがその最中、彼は海に投げ出されてしまった。


 敵味方双方気付かず引き揚げてしまい、戦が終わった海に一人取り残されてしまった。

 彼は死を覚悟した。


 そこへ現れたのが宿屋号だった。

 彼はそこで手当てを受けながら、味方の近くまで送ってもらった。

 別れ際、女将はハーヴェンに、こう声をかけて送り出した。

「元気でね」と。

 ……巻貝は渡さなかった。


 巻貝は誰にでも渡しているわけではない。

 彼女が交流したいと思った者に対してだけだ。


 だが渡さなかったとしても、今後お断りということではない。

 もしどこかの海で遭遇したら客として歓迎する。

 だからお帰りの際は「またどこかの海で」と声をかける。


 元気でね——

 もう私から会うことはないけれど元気でね、という今後お断りの意味を含めている。


 彼は何か女将の癇に障ることをしたのだろうか?

 それで女将に嫌われたのか?


 そうではない。


 少々堅苦しいが、彼は海軍に転向してからも礼節を守る若者だった。

 人の癇に障るような真似はしない。


 普段、給仕たちは荒っぽい海の男ばかり相手しているので、彼の礼儀正しさは大好評だった。

 無理もない。

 彼女たちにはこの好青年から立ち上る闇が見えないのだから。


 魔法使いが感じる闇、それは外法の気配だ。

 魔法使いをやっていると一度や二度は、手が届くところに外法がポンと差し出されるときがある。


 代償は大きいが、どこまでも自由な魔法——

 その誘惑に負けた魔法使いが闇に堕ちる。

 特に前途有望な若者が危ない。


 もう手を出してしまったのか、これから手を出そうとしているのかはわからないが、女将はその危うさをハーヴェンに感じ取ったのだ。


 別れが近付いたある日、彼女は若者を戒めた。


「あなたの神聖魔法は素晴らしい。だから外法に出会っても決して手を出してはいけない」


 ハーヴェンは一瞬心外そうな表情になったが、「はい、決して」と肝に銘じてくれた。


 それから時が流れた……


 あのときの若者は解放軍司令となり、エルミラを捕らえている。

 そして女将の巻貝にまで漂ってくる彼の闇。

 宿屋号のときより闇深さが増大している。


 大人同士の挨拶は済んだ。

 これ以上の社交辞令は不要と、女将は本題を切り出した。


「エルミラは?」


 ここには来ていないと、とぼけようものなら突っ込んでやろうと女将は備えていた。


 ハーヴェンとエルミラが一緒にいたのは革命軍との戦いまで。

 女将がエルミラに巻貝を与えたのは帝都を脱走した後だ。

 彼女がアジトに来ていないというなら、なぜ彼女の巻貝がいまハーヴェンの手にあるのか?


 どこかで拾ったとか、ノルトの物を借りているなどと、とぼけても無駄だ。

 巻貝は彼女が作った物だから一つ一つ違いがわかる。


 どう出るか静かに待ち構えている女将に気付いたか、あるいは初めからとぼけるつもりがなかったのか、彼は単刀直入に答えた。


「殿下は王国の民を救うため、解放軍と共に立ち上がると仰せになられた。いまは別室でお休み中だ」


 女将は目を瞑り、心の中でエルミラに小言を言った。

 ほら見なさい。やっぱり捕まった。仕方のないお馬鹿さん——と。


 ハーヴェンの巻貝から女将の笑い声が聞こえてきた。


「あんなおてんば姫は総大将の器じゃないわ。あなたの邪魔になるだけだから追い出してちょうだい」


 対する彼の声からは先ほどまでの和やかさが消え、事務的で淡々とした冷たさが取って代わった。


「却下する。総大将の御身に何かあっては大変だ」


 女将は逞しさだけが取り柄の子だから心配無用だと反論するが取り合わない。


「殿下は全島奪還後、リーベル王国を復活させ、国王陛下になっていただかなければならない」


 だから王女をアジトから一歩も出すわけにはいかないと突っ撥ねた。


 ——見え透いた嘘を……


 復活させるのではなく、自分の王国を新しく立ち上げるためだろうに。

 その忠臣面が鼻につくが、罵るのは控えた。

 いまは人質の安全が第一だ。


「あなたが王様になればいいじゃない?」


 略奪を働かないハーヴェン軍の評判は上々だ。

 旧王家など持ち出さずとも、いまなら民衆の大多数が支持するだろう。


 だが……


「私はただの伯爵だ。国王にはなれない」


 どうあってもエルミラを手放さないつもりらしい。

 確かに各国のを防ぐには旧王家という切り札を持っていた方が安全だ。


 ただし、これは普通の野心家の場合の話だ。

 ハーヴェンには必要ないだろう。

 なぜなら……


「謙遜する必要はないわ。あなたならあの子を利用しなくても必ず——」


 そこまで言って一呼吸置いた。


 噂によれば、解放軍司令は部下も王子たちも粛清する非情の男だという。

 怒らせたくはなかったが、エルミラを救うためにやむを得ない。


 イスルード島から遠く離れた洋上、宿屋号船長室で女将の目が鋭く光った。


「必ずなれるわ。立派な魔王様に……」

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