第43話「もう一つの海洋国家」
エルミラはファンタズマ号の艦長だ。
ノルトは霊弓カヌートを携えている。
それぞれが強力な呪物であることは間違いない。
けれども州政府を追い払い、地下で着々と進んでいる野望を止めるほどの力はない。
よって、二人は島から脱出することにした。
なんとかアジトを抜け出し、ファンタズマを目指す。
問題は艦に戻った後だ。
まず、あの哨戒網をもう一度突破しなければならない。
あのとき、警備艦隊は後方に現れた船団の救助を優先してくれた。
そうでなかったら、こうしてじいに再会することもできなかっただろう。
来るだけであれほど大変だったのに、帰りはそれ以上に厳重な哨戒網を張っているはずだ。
帝都沖以上の戦闘を覚悟しなければならない。
突破した後は女将の宿屋号と合流する。
その後は——
「風に乗ってネイギアスを目指そうか?」
エルミラはそう提案した。
おそらく女将はいつまでも面倒をみてくれるだろう。
だが、自分のようなお尋ね者が一緒にいれば宿屋号を巻き込んでしまう。
女将はそれでも構わないとマジーアを託してくれたが、長い年月をかけてやっと手に入れた彼女の平穏を壊したくない。
だから航海の間ずっと考えていた。
ネイギアスを拠点にしようと。
あそこならそれぞれの島に都市国家があり、帝国から身を隠すことができる。
ところが——
「ネイギアス連邦はやめておきましょう。姫さまにとってはウェンドア同様危険な場所です」
提案を聞いたノルトは即座に反対した。
ネイギアス連邦は、お尋ね者だと名乗らなければ誰でも受け入れるが、姫様だけは見つけ次第捕えてイスルード島に送り返すだろう。
「なぜだ? 帝国に睨まれるのが怖いからか?」
姫様の質問にじいは首を横に振った。
「姫様が解放軍にいると連邦にとって都合が良いからです」
「?」
それだけ言われてもどういうことかよくわからず、エルミラの傾げた首が元に戻らない。
もちろんノルトもそれだけで理解してもらえるとは思っておらず、説明を続けた。
まずは彼女に尋ねた。
「さっき姫様を取り囲んでいた重装歩兵を見てどう思いましたか?」
「重装歩兵……」
別に特段変わった様子はなかったように思う。
帝都の宮殿からあの鎧で行進しているのを見たことがある。
帝国兵から奪っておいたものを、
そう答えるとまたもやじいは首を横に振った。
「あの者たちは本物の帝国兵です」
帝国陸軍において歩兵は騎兵より身分が低く、その歩兵の中でも重装歩兵はさらに低かった。
一応頑丈な鎧が支給されるが、撃ち込まれる火球は痛いし熱い。
銃兵や弓兵から筋肉だけが取り柄と嗤われながら、敵正面に立たなければならない危険な仕事だ。
そういう報われない者たちは、目の前に差し出される金貨を躊躇せず受け取る。
連中を買収するのは簡単だった。
彼らは毎朝のゾンビ退治が終わるとアジトへやってきて、巡回の予定を教えてくれるのだ。
買収されているのは重装歩兵だけではない。
陸軍も海軍も、州政府の役人も解放軍の金を受け取っている。
ハーヴェン軍は地下に居ながらにして、新旧両市街の様子や州政府のことを把握していた。
エルミラの首は元に戻ったが、代わりに驚いて丸く見開かれた目が戻らない。
「なぜそんなに資金が?」
ハーヴェン伯爵自前の財産では到底足りない。
それ以前に、海軍魔法兵団は革命軍に抵抗したから副団長の財産はとっくに没収されているはずだ。
では一体どこから?
じいは短く答えた。
「ネイギアスです」
解放軍はネイギアス連邦から資金援助を受けている。
村を略奪せず解放軍を維持できるのはそのおかげだった。
「連邦は、ハーヴェンに恩を売ろうと?」
それで見事新王朝ができれば、連邦の傀儡国家にできる。
だが、あの司令は金で飼い馴らされる男ではない。
連邦はそれを知った上で支援しているのだ。
傀儡国家リーベル王国を作りたいなら、もっと平凡で従順な者を王に立てる。
目的は彼の新王朝ではない。
「もし新王朝が始まったら、連邦はハーヴェン王のために新たな火種を用意するでしょう」
他国に亡命した王族に旧王国復活をけしかけたり、再び革命を起こすよう民衆を煽ったり……
せいぜいネイギアスの安寧のために、戦乱の炎で焼かれ続けてほしい。
永遠に……
***
昔の帝国と連邦は友好的だった。
後に帝都となるルキシオは当時、ごく普通の港町で連邦からやってくる交易船を迎え入れていた。
月日が流れ、帝国は海に目を向け始めると南のネイギアス連邦が目障りな存在になってきた。
敵意は日に日に増幅し、ついにネイギアスの交易品に高い関税をかけることになった。
さらにルキシオ沖の警備を強化。
連邦の船を見付けると停船させて長時間臨検を行った。
他国の船は素通りさせるか、臨検を行っても短時間。
明らかに連邦を狙いとする嫌がらせだった。
ルキシオ沖は連邦の船が北方諸国に向かう際の通り道だったが、この措置によって遠回りしなければならなくなった。
何度も外交交渉が行われたが、帝国が一切妥協しないため決裂。
連邦も帝国の交易品に対して高い関税をかけた。
両国の対立は決定的となった。
またその頃から帝国南方の海で海賊が暴れ始めた。
証拠はないが、連邦が密かに帝国の船に賞金をかけていたからだという。
最初はこの海賊たちが帝国海軍を苦しめた。
だが、いずれ世界の海軍と渡り合って行こうという者たちだ。
訓練を積んで日々強くなっていく彼らに、海賊たちは敵わなくなっていった。
ついに尻込みして帝国の船に突っかかっていく海賊はいなくなった。
連邦は恐怖した。
帝国が南下してくるかもしれないと。
ネイギアス連邦に他国のような正規軍はなく、有事の際は各都市国家が兵を出し合って連邦軍を結成する。
装備と練度は高いが士気は非常に低く、戦場で先陣を譲り合うことも少なくない。
彼らは焦り出した。
そんな軍が最近成長著しい帝国海軍に勝てるのか?
連邦に属する各都市国家に王はいるが、連邦そのものは王制ではなく議会制である。
各都市国家の王が任命した評議員たちが首都ロミンガンに集められ、この問題について話し合った。
——直接戦うのは避け、なんとか帝国の目を南から逸らさなければならない——
評議会は各自の都市国家の利益ばかり主張し、普段まったく纏まらない。
しかしこのときばかりは全会一致で方針が決まり、結果は元老院に上げられた。
元老院——
それは特に勢力の強い都市国家の議員たちで構成され、連邦元首たる評議会議長への助言を役割とする機関だ。
だがこの助言は参考意見などという生易しいものではない。
議長に対する事実上の命令だ。
ゆえに議長は評議会の議決より、元老院の
形式的には議長より下位に置かれているが、彼らこそが連邦のすべてを決定する最高機関だ。
人々は彼らを〈ロミンガンの老人たち〉と呼んで恐れた。
〈老人たち〉は評議会の決定を支持した。
確かに連邦の危機が迫っていたからだ。
彼らは議長へ助言した。
帝国の
東——
リーベル王国へ。
***
帝国のリーベル侵攻は連邦の策略だった。
連邦の都合で王国は滅ぼされ、エルミラは帝国に売り飛ばされることになったのだ。
リーベルが標的に選ばれるのは当然だった。
互いに世界の海を支配したいと考えている海洋国家。
その昔、連邦加盟国の一つだったコタブレナを滅ぼされた因縁もある。
無敵艦隊が敗れたとはいえ、王国はまだまだ力を残していた。
そう簡単に敗れはしないだろう。
二国が泥沼の戦いを続けてくれれば、ネイギアスの平和も続く。
連邦の工作はすぐに始まった。
帝国の大臣や高級軍人たちを買収し、リーベル王国征服を働きかけた。
賄賂は効を奏し、大臣たちはすぐに話に乗ってきた。
帝国全体が竜騎士団という新たな可能性に沸いていたことも助けとなった。
ところが海軍の将軍たちは計画に消極的だった。
意外だった。
無敵艦隊を葬った彼らが最も積極的と予想していたのに……
無敵艦隊と直接戦った海軍だからこそ、消極的にならざるを得ないのだ。
確かに竜の奇襲は成功したが、帝国海軍に残ったものは自信ではなく、次はどうしようという不安だった。
無敵艦隊といっても沢山ある魔法艦の一部を壊滅させたにすぎず、強大な海軍はいまも健在だ。
しかも、竜に対抗するため、魔法兵には猛訓練を積ませているというし、魔法艦の弱点もすぐに改良されてしまうだろう。
奇策は二度と通用しない。
それに王都に張られている大障壁はどうするのか?
勝ち戦の勢いでウェンドアに攻め寄せたが、海軍の小竜では突破できなかった。
まだ我々には早かったのだ。
そう言って海軍は首を横に振るばかり。
連邦の使者がいくら励まそうが、賄賂を増やそうが、彼らの心に火を点けることはできなかった。
報告を受けた〈老人たち〉は悩んでしまった。
思いもよらない壁が計画の前に立ちはだかった。
人の心だ。
賄賂は心の弱い者によく効くもの。
強い信念を持つ者には効かない。
——帝国海軍はまともに戦ったらリーベル海軍に敵わない——
これはもう自己暗示や信念と呼べるほど強固なものだった。
普段、人の心を金で買っている〈老人たち〉だからこそ、この強い信念を金で曲げるのが無理であることをよく知っていた。
方針を修正しなければならない。
帝国を東にけしかけるだけでなく、受ける王国側にも手を打つのだ。
元老院の進言により、連邦はリーベル王国の重臣たちを買収することになった。
そして、連邦の手先である議会派と帝国軍の挟撃を受けた王国は滅んだのだ。
「……なるほど。女将もじいも止めるわけだ」
エルミラはノコノコ帰ってきた己の愚かさに唇を噛んだ。
今日まで島で起きた不穏のすべてが連邦の仕業だ。
彼らは解放軍を支援して州政府を妨害している。
将来、ハーヴェン王朝も妨害するだろう。
ダラダラといつまでも揉めていてくれれば良いのだから。
そんなところへ帰ってきてしまった。
連邦に火種として利用されるために。
***
本来南を目指していた帝国にとって、遥か東のイスルード島はそれほど重要ではない。
直接統治ではなく、リーベル共和国で十分だったはずだ。
だがこれで安定してもらっては連邦が困る。
東の憂いがなくなったら、帝国が再び南に目を向けてくる。
そこで目を付けたのが共和国議員たちだ。
正々堂々戦おうとせず、ヒソヒソコソコソと帝国に島を売り渡した卑怯者たち。
〈老人たち〉はその卑劣さを利用した筋書きを用意した。
——共和国が帝国から独立するため、議員と各国の密使が頻繁に連絡を取り合っている——
共和国議員たちが如何に信用できないかは、手を貸した帝国が一番よくわかっている。
連邦の密使が伝えたこの筋書きに誰も疑いを持たず、共和国も滅んだ。
そして島内各地で解放軍が立ち上がり、泥沼の内戦になった。
狙い通り、連邦のことを気にしている場合ではなくなった。
陸軍は解放軍狩り、海軍は海上封鎖で大忙しだ。
だが連邦の船だけは哨戒網を素通りできる。
すでに買収済みだからだ。
おかげで白昼堂々、州政府とハーヴェン軍に資金を渡すことができる。
決して、戦火が消えないように……
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