第42話「友情vs屁理屈」

 自分の過去を明らかにしたノルトはエルミラに重ねて頼み込んだ。

 どうか姫様はこの島からお逃げください、と。


 エルミラはじいが海賊だったと聞かされても、軽蔑の念は浮かばなかった。

 軽蔑はしないが、代わりに尋ねたいことがあった。


「じい、私が一人で逃げるべきか判断するために、もう一つ聞きたい」


 話を聞き終えたいまなら、酒場で追い返そうとしたことも頷ける。

 帝国兵の家宅捜索でやむを得ず連れてきたが、ハーヴェンの下は危険だから即刻立ち去ってほしい。

 このまま司令の野望に利用させては、娘を託してくれた父に申し訳ない。


 そこまでは理解できた。


 でも、じいだってこのままでは粛清の危険がある。

 いまのハーヴェンは神殿魔法兵だった頃のハーヴェンではない。

 奴はやる。

 邪魔になったら古い友だろうと躊躇せずやる。

 わかっているだろうに、なぜ一緒に逃げてくれないのか?

 それが彼女の尋ねたいことだった。


「この島に長く居すぎました」


 初めは友から娘を託された責任を果たすためだった。

 しかし陛下の御命令だからというだけではなく、自分の意志でこの幼子の成長を見守っていきたいと思うようになっていった。


 それから月日が流れていき、知り合いや友人が増えていった。

 人々は岩縫いだとは気付かず、ただのノルトとして親しんでくれた。

 彼はいつの間にか、この島の人間になっていた。


「ここには親しい者が多すぎるのです」


 それにハーヴェン司令も——

 姫様の指摘通り、いまの彼に友だった頃の面影はない。

 それでも友だ。


 王国が滅んだいま、彼が王になりたいというなら別に反対しない。

 ただ、王になった後、いたずらに血を流したり、民衆に重税を課そうとしたら……

 そのときには友として彼を止めなければならない。


 ゆえにノルトはここで副官を続けていたのだ。

 カヌートで射抜くには司令の背後、副官の位置が最適だから……


「……きっと気付いているぞ?」

「構いません」


 そう、構わないのだ。

 暗殺を事前に読んでいて、矢を外されたとしても構わない。


 王になった友に弓を引く。

 その行為で「おまえは間違っている」と伝えることができる。

 それこそが重要なのだ。

 矢が命中するか否かはどうでもいい。


 幼いエルミラが日に日に成長していく姿を傍らで見守る幸せな日々。

 その間、友アーレンゼールはどれほど孤独だっただろう。


 揉め事の種が宮殿から去った後も、彼は妻子たちとうまくいかなかったらしい。

 相手は貴族たちが勢力拡大のために送った正室・側室という名の〈使者〉なのだから。


 日に日に表情がなくなっていく友に何もしてやれなかった。

 傭兵と海賊の経験しかないただの〈じい〉にできることはなかった。


 だから友ハーヴェンが悪の道へ突き進みそうになったら、今度こそ救いたい。


「…………」


 エルミラはその話を押し黙って聞いていた。


 自分も身を置いていたからわかる。

 孤独だったのは父王だけではない。

 あの宮廷では誰もが孤独だ。

 同じ派閥に属している者たちも利害が一致しているだけだ。

 友ではない。


 父の孤立にじいが責任を感じる必要はないのだ。

 問題はどうやって納得させるかだ。

 じいには悪いが、昔の友情より人命優先だ。


 いつか新国王を暗殺すると聞かされたいま、どうしても連れて行きたくなった。

 間違った道に進んだ場合と言っているが、奴はすでに間違っている。

 ならばその暗殺計画は、ほぼ確実に実行される。

 そしてじいは処刑される。


 ハーヴェンという個人を暗殺しても間違いは正されない。

 一族の誰かが流血と重税を引き継ぐだけだ。

 そんな無駄なことで死なせるわけにはいかない。


 ——さて、どうやって説得しよう。


 責任を感じている人間に、父のことは気にするなと言っても無駄だ。

 何かじいが付いて来ざるを得ない理由はないか……

 暫し悩むといくつか思いついた。


 ——外にゴブリンがいて怖いから守ってほしい。


 せっかく思いついた口実だったが自分で却下した。

 魔法剣士がゴブリン怖いなどと言っても笑われるだけだ。

 いくら苦し紛れでも酷すぎる。


 一緒に来て船のことを教えてほしいというのも白々しい。

 セルーリアス海を少女と二人で渡ってきた話をすでにしている。


 散々悩んだ後、ゆっくりと顔を上げた。


「じいは父から私たち母子を守れと命じられたのだな?」

「はい。直々に頼まれました」

「書斎で頼まれた後、正式に命じられたのだな?」


 姫様は一体……?


 ノルトは首を傾げた。

 長い付き合いだから彼女の考え方や言いそうなことは大体わかる。

 だからこそ知っている。

 こういうときの姫様は何か思いもよらぬことを考えついているのだ。


 それが何か不安だが、わからないので正直に答えるしかない。


「はい。翌日、玉座の間で陛下直々に命ぜられました。」

「そこには大臣たちもいたのだな?」

「……はい」


 そうか、そうか、と頷きながら姫様の口角が僅かに上がっている。


 間違いない。

 何かある……


 身構えていると彼女はとんでもないことを言い出した。


「では、私と一緒に参れ。じい」


 彼女はすべてをひっくり返した。

 ここまでノルトが語ってきた三人の関係やイスルード島の人々に対する思い。

 そのすべてが無駄に帰した。


「……ですから姫様——」


 しかしその先を言わせない。

 掌をじいの前にかざして話を制した。


「話はちゃんと聞いていた。今度は私の話を聞いてくれ」


 彼女の話とは、じいはエルミラの命令に従って一緒に島から脱出しなければならないというものだった。

 これは決して姫様のわがままではない。

 その理由とは……


 教育係任命は父王の個人的な頼みではなく、大臣たちがいる前で出された王国の正式な命令だ。

 だが、王国はすでに滅び、出されていた命令も消滅したと考えるのが普通だ。


 そこで彼女は主張する。

 解放軍ある限り、王国はいまだ健在だったのではないのかと。

 つまり出されていた命令はいまでも生きているということだ。


「私はリーベル王国王女なのだ。じい」


 王国がある限り、そこで出された命令は続く。

 陛下亡きいま、ノルトの主君はエルミラなのだ。

 だから命じることができる。

 共に来いと。


「…………ふぅ」


 憮然として聞いていたノルトは俯いて溜め息を小さく吐いた。

 そしてクスッと微かに笑う。


 ——まったく…… 父娘親子揃って屁理屈を……


 顔を上げると彼女もノルトを直視していた。

 その不安そうな目が訴えている。

 これでもダメなのかと。


 小さい頃からこうだ。

 おねだりしてそれが通らないときは、学んだ知識を総動員して屁理屈を並べ、最後に目で訴えてくるのだ。

 そこで仕方なく今回だけと約束した上で叶えて差し上げた。

 そんな〈今回〉が毎回続いてきた。


 姫様はもう立派な大人だが、無意識に癖が出てしまったのだろう。

 お願いを叶えてもらうときの癖が。

 それが懐かしくて可笑しかった。


 ふと彼女の顔に若い頃の陛下が重なって見えた。

 実の親子だからそう見えても不思議ではないのだが。

 見ていると、書斎でのことを思い出す。


 命の危険が迫る宮殿から母子を逃がし、腹心のノルトを護衛に付けた。

 大国リーベルの国王が卑しい海賊あがりに頭を下げて頼み込んできた。

 愛する者を守ってくれと。


 いま再び姫様に危険が及んでいる。


 州政府も解放軍も危険だ。

 宮殿から逃がしたように、エルミラをイスルード島から逃がし、傍らで守ってくれ。

 彼女に残る陛下の面影が、改めて頭を下げて頼んでいるような気がした。


 ——命を救ってくれた友の頼みは断れん……


 ノルトはついに心を決めた。

 彼女と共にファンタズマに乗ることを。

 彼は椅子から立ち上がり、彼女に向かって片膝をついた。


「ご命令に従い、お供します。」

「ありがとう。じい」


 エルミラはその肩に手を置いて喜んだ。

 数多の敵やモンスターを倒してきた岩縫いノルトだったが、この愛すべき悪知恵父娘には敵わなかった。

 それが同行を決心した最大の理由だったが、それだけではない。


 彼女には語らなかったが、司令の傍らにいたノルトは友に対して不安を感じていた。


 組織を率いていくには厳しさも必要。

 それはわかっている。


 だが最近の友からは厳格とは違う、何か異質なものを感じていた。

 友によく似ているが、人間を超越した何か別なもの……


 だからこそ何かおかしなことを始めたら、カヌートを使ってでも止めようと決めていた。

 だが同時に、矢が命中したくらいで止められるのだろうかという不安があった。


 そこへ姫様が帰ってきた。

 これは天の導きなのかもしれなかった。

 彼女と一緒に島を離れ、外から友を見てみろと……

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