第40話「殿下の悪知恵」

 ハーヴェン軍アジト内客室——


 エルミラは一言も口を挟まず、ただ静かにじいの話を聞いていた。

 というより、絶句していたという方が正しいか。


 子供の頃、岩縫いノルトの武勇伝を聞き、同じノルトでもじいは大違いだと冷やかしたことを思い出していた。

 まさか本人だったとは……


 そんな豪傑がなぜ教育係に?

 いや、その前になぜ今日まで生きている?

 海賊は縛り首ではないのか?


 いくつも疑問が湧いたがじいの話はまだ途中だった。

 きっと疑問の答えがそこには含まれているはず。

 彼女は大人しく続きを聞くことにした。


「これは後から聞かされた話ですが——」


 話は客船で気を失い、そのまま捕らえられそうになっていたところから続く。



 ***



 甲板で気を失った海賊ノルトに水夫たちは容赦なく縄をかけようとした。

 仕方がないことだ。

 客船を攻撃したことは事実なのだから。


 ところが——


「待て!」


 縄を巻き付けている水夫の手を止める者がいた。

 アーレンゼールだ。


 気が立っている水夫は止める手を振り払おうとしたが、ものすごい握力で掴まれたまま動けない。


「坊や、邪魔すると痛い目を見るぞ?」


 その様子を見た水夫たちと睨み合いになってしまった。

 再び甲板がざわつき始める。


 もう水夫たちは縄をかけるどころではない。

 この生意気な若造に世の中の厳しさを教えてやるのが先だ。


 彼らの意向がどうであれ、ノルトに縄をかけるのは中止してくれた。

 それを見たアーレンゼールも掴んでいた腕を離して水夫を解放した。

 自由を取り戻したその水夫も仲間に合流する。


 甲板は一触即発。

 そこへ水を貰って喉が幾分回復したハーヴェンが間に入った。


「殿下、何かお考えが?」


 水夫たちにも殿下という呼び名は聞こえている。

 図体がでかいだけの若造ではなく、相手が高貴な身分の御方だとわかり、内心うろたえ始めた。


 殿下ということはどこかの王族ということだ。

 喧嘩を売られようと、買うべき相手ではなかったのだ。

 勝とうが負けようが処罰される。


 知っていれば買わなかったが、始まってしまったものは仕方がない。

 海の男としてこのまま引き下がるわけにはいかない。

 売られた喧嘩を買ってみたら、相手が王族だったから怖気づいたと知れたら周囲に嗤われる。

 大人しく拳を収めるには真っ当な理由が必要だ。


 アーレンゼールも大事にしたくはない。

 一晩中戦って疲れているし、留学のために乗船しているのだ。

 喧嘩しにきたわけではない。

 それでもこの海賊を水夫たちに引き渡すわけにはいかなかった。


 すべてはハーヴェンの仲裁にかかっていた。


「私はリーベルの神殿魔法兵ハーヴェン」


 続いてアーレンゼールの方に手を向けながら、


「こちらはリーベル王国のアーレンゼール王太子殿下だ」

「お、おい、ハーヴェン」


 身分を伏せての旅なのにと王太子は窘めたが、ハーヴェンは気にしない。

 いまさら伏せても仕方がないことだった。

 情報が漏れていたから海賊ノルトの襲撃を受けたのだ。


 それよりもいまこの場をどう治めるかだ。

 ハーヴェンも夜通し守ってくれた功労者を縛り首にしたくない。

 仲裁に利用できるものは権威でも何でも利用するのだ。


 身分を明かした効果はあった。

 ノルトに長銃を向けている水夫はそのまま、残りの水夫同士でひそひそと話し合いが始まった。

 リーベルの二人にも漏れ聞こえてくる。

「よりにもよって、あのリーベル——」とか「魔法艦隊が——」とか物騒な単語が途切れ途切れ……


 話し合いがついたらしい。

 一人が代表して尋ねた。


「リーベルの王太子殿下がその海賊をどうなさる気で?」


 王太子の返事に注目が集まる。

 ハーヴェンもだ。

 喧嘩が突発的に始まってしまったので、事前に仲裁の打ち合わせをしていたわけではない。

 だから殿下がどう答えるつもりなのか知らない。


 ただ、想像はつく。

 客船を救った功績で襲撃の罪を相殺する。

 これしかない。


「こいつは私が預かる」


 聞いた途端、水夫たちから嘲笑が起こる。

 これだから育ちのよろしい王太子様は、と悪し様に言う者もいる。

 ひとしきり嗤った後、代表格の水夫が王太子の提案を退けた。


「海賊は縛り首にする決まりだ。そいつぁ、聞けねぇな」


 だが、殿下は譲らない。


「ただの海賊ならな。でも諸君には考えてもらいたい」


 彼が言いたいことはこういうことだ。


 こいつは確かに敵だった。

 だが海霊からこの船を守ってくれた。

 よって襲撃の罪は人命を救った功績で相殺しよう。

 だが野放しにするとまた悪さをするかもしれないので、これからは王国が責任をもって監督する。


 水夫たちは不満だが、相殺については一理あった。

 いま逮捕できるのも命があるから。

 この海賊が奮戦してくれたからだ。


 それにこれ以上ケチをつけるわけにもいかない。

 王太子が〈王国〉の名を持ち出して見張ると約束した以上、その言葉を信用するしかない。

 後で王国の威信に傷をつけられたと難癖をつけられたら面倒だ。


 これといった代案があるわけでもなく、水夫たちは渋々、長銃を下した。


「無理を言ってすまない。ありがとう」


 水夫たちに礼を述べ、ノルトの身柄を確保した。

 縛りかけだった縄を外しながらハーヴェンを呼ぶ。


「こいつが倒れないように肩を支えておいてくれ」


 何をするのかわからないが、とりあえず言われた通りに従った。

 相変わらず気絶しているので、肩を支えても首がガクンと下がったままになる。

 何も知らない者が見たら、酔い潰れた友を介抱しているように見えるかもしれない。


 ——殿下は一体何を?


 ハーヴェンも一晩中詠唱し続けて疲れていた。

 徹夜の頭は働かず、その意図がわからなかった。


 ——何をするつもりなのだろう?


 ぼんやり見ていると、アーレンゼールはいきなり剣を抜いた。

 それを見て再び甲板がざわつく。

 ハーヴェンの眠気もどこかへ吹っ飛んだ。


 しかしそんなことはお構いなしだ。

 彼は剣を両手で天に向けて立てながら宣言し始めた。


「此度の海霊退治、真に見事であった。その功績を認め、ノルトを王太子直属の護衛官に任命する」


 甲板が沈黙に包まれた。

 まるでそこだけ時が止まる魔法をかけられているかのように。

 しかしそれが魔法による現象ではないことを、風と波の音が教えてくれる。


 彼は相変わらず周囲を気にしない。

 任命式をてきぱきと進めていく。

 首が据わらないノルトの両肩に剣を当てた。

 順番に右肩、左肩と。


 本人は黙って剣を受けたし、他の者たちも異議を唱えない。

 神殿の者ハーヴェンも立ち会ってくれた。

 最後に剣を鞘に納め、式は無事に終わった。


「さあ、船室へ運ぼう。ハーヴェンはそのまま頭を頼む。私はこいつの足を——」

「ちょっと待てっ!」


 式が終わった頃になって異議が唱えられた。

 やっと我に返った水夫たちだ。

 一斉に詰め寄ってくる。


 その剣幕に王太子は驚く。

 思わず家臣の足を落としてしまった。


「いきなり何だ? びっくりして落としてしまったではないか!」

「びっくりしたのはこっちの方だ! 何だ、いまのは⁉」


 やっと治まったと安心した矢先、再び争いが勃発した。


 護衛官は王太子の身辺警護を任務とする。

 その間、海賊に戻らないように責任もって見張ることができる。

 ゆえに何も騙していないと主張するアーレンゼールだったが、こんな屁理屈がまかり通るわけがない。


 海賊を捕らえたら厳しく罰しなければ示しがつかない。

 それが縛り首になるどころか、大国リーベルの護衛官に召し抱えられる。

 そんな馬鹿な話があるかと水夫たちはいきり立った。


 ハーヴェンはその喧嘩に加わらない。

 彼もこの海賊を助けたいとは思っていたが、まさかこの場で家臣にするとは……


 これで勝手に処刑することはできなくなった。

 強行すれば外交問題に発展しかねない。


 そんな力技を用いて、水夫たちが納得するはずがない。

 もしかしたら自分たちを皆殺しにしていたかもしれない海賊なのだから。


 鎮まりかけた火をもう一度燃え上がらせたのは殿下御自身だ。

 あとは自分で解決してほしい。

 いくら友でも知らん。


 溜め息を吐きながらハーヴェンは足元に横たわる海賊を眺めた。

 自分の命が風前の灯火だったとも知らず、呑気に高いびきの最中だ。


 ——自分もさっさと気絶してしまえばよかった。


 そうすれば殿下の出鱈目に付き合わされることもなかった。

 甲板で仰向けになっていれば、復活した水夫たちが船室に運んでくれたことだろう。


 喧嘩はまだ終わりそうにない。

 疲労と眠気が限界に達しつつあったハーヴェンは、いまからでもノルトの後に続こうかと迷っていた。

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