第39話「理由」
岩縫いノルトは神殿魔法兵の〈祈り〉を援護するため、矢を放ち続けていた。
客船の海霊退治が終わったら次は自分の船を助けてもらう。
〈祈り〉を続けてもらいながら接近し、生き残っている手下をこっちに乗り移らせるのだ。
それまで何とか持ちこたえてくれと願いながら次の矢を番える。
撃っては番え、撃っては番え。
その最中に自分の船を一瞥したときだった。
ドゴォーンッ!
視線の先で海賊船が爆散した。
メインマストが折れたときより大きい。
おそらく全員憑依されたか、正気の者が全滅した後、船内の全火薬を爆発させたのだ。
ノルトは奮闘したが、間に合わなかった……
彼の脳裏に仲間たちとの思い出が蘇ってきた。
傭兵時代からの付き合いだった。
リーベルの船団を襲うという無茶にもついてきてくれた。
しかしその思い出は後悔で塗りつぶされた。
船長たる自分の判断が間違っていたからこうなった。
航路を誤った。
引き際を誤った。
それでも彼は顔を上げ、迫り来る海霊憑きを撃つ。
精密に飛んでくる矢に次々と倒され、海霊憑きは近寄ることができない。
船や手下を失った直後でも彼の弓は正確無比を誇った。
さすがは岩縫いというべきか。
…………
違う。
そうではない。
ノルトはメインマストの根本で火薬樽に発砲した手下のことを思い出していた。
あのとき甲板まで約一〇エールト(一エールトは約一メートル)ほどだった。
短銃で直接狙えないことはない。
なぜ狙わなかったのだろう?
そしてあの最期の笑顔。
取り憑かれて狂っていたのは確かだ。
直前まではそんな感じの高笑いだった。
だが、発砲する直前のあの笑顔。
あの笑顔には見覚えがあった。
「船長! 任せといてくだせぇ!」
彼はいつも威勢よく厄介事を快諾してくれた。
あの豪快な微笑みを忘れはしない。
彼はギリギリのところで海霊の支配に打ち勝ったのではないだろうか?
だから最期に微笑んだのだ。
「船長だけでも生き残ってくだせぇ!」と……
他の手下たちも助けを求めてこなかった。
誰一人……
皆メインマストに背を向けて海霊たちを防ごうとしていた。
海に投げ出されて一人になってしまったのではない。
ノルトは仲間たちから生かされたのだ。
だから独りじゃない。
矢を番えながら、もう一度だけ燃え沈んでいく自分の船を見た。
彼らの雄姿を目に焼きつけた。
内部爆発により船体が真ん中で千切れ、二つに分かれて漂流を始めている。
いまは夜空と波を煌々と照らしているが、少しずつ小さくなっている。
すぐに水没するだろう。
番えた矢はすぐに魔力を宿す。
仄かな光が彼を叱咤する。
おまえはおまえの戦いを全うしろと。
ノルトはもう二度と振り返らなかった。
手下——いや、仲間たちは懸命に戦い、そして終わった。
あとはゆっくり休んでいてもらいたい。
自分もいつか皆のところへ合流できる日が訪れるだろう。
だがそれは今日ではない。
「おまえらにだけはやられないぞ!」
岩縫いの咆哮が客船の甲板に轟く。
持ち主を叱咤するどころか、逆に気合いを入れられた霊弓カヌート。
心配無用だったと、その弦音はますます鋭さを増していった。
***
ノルトとハーヴェンの活躍により、近付いた海霊は悉く消滅していった。
カヌートから射出された魔法矢が憑代に留まっている海霊を滅ぼす。
矢が命中する前に身体から離脱した海霊は〈祈り〉によって滅ぼされる。
このまま全滅させることも可能ではないかと思われた。
ただし、矢があればの話だ。
仲間の命に報いようという気迫は凄いが、だからといって気迫で矢が増えるわけではない。
確実に一本、二本と減っていく。
続々と攻め寄せてくる海霊憑きを一人で阻止するため、決して多くない矢を早撃ちしていた。
そんな撃ち方をしていればあっという間に手元の矢を撃ち尽くしてしまう。
なくなると足元を探し、見つけては集めて射るという作業を繰り返していたが、ついに周囲に散らばっていたすべての矢を撃ち尽くした。
かなり減らしたが、客船は乗客を運ぶ船だ。
海霊憑きはまだまだいる。
いまも船室から大笑いしながら甲板に上がってきた。
ノルトは剣を抜いて構える。
多勢に無勢だが、最後まで諦めない。
そのとき海霊憑きたちの後方で異変が起きた。
何かが後ろから弾き飛ばしているようだ。
どんどん前へ突進してくる。
——牛か馬に海霊が憑依したか?
客船の貨物室には動物が乗せられていることがある。
海霊がまず狙うのは人間だが、動物に憑いて暴れることもある。
——目の前にいる連中だけでも厄介なのに……
ノルトは新たに追加された厄介事に舌打ちした。
数秒の内に何か手を考えなければならない。
自分一人なら躱せるが、後ろで詠唱中の神殿魔法兵をどうするか?
しかし突っ込んでくるその動物は猶予を与えてくれなかった。
考えが纏まらないうちに先頭の海霊憑きを蹴散らし、その姿を現した。
その動物は縦長で仄かに光っていて……
「……盾?」
現れたのは動物ではなく、盾を構えた人間だった。
体格の良い若い男性だ。
仄かに光っているのはその盾が魔法盾だから。
その盾を前に構えて突撃してきたのだ。
二人のところへ合流した彼はアーレンゼールと名乗った。
——! こいつがリーベルの……
彼こそが標的と目していた王太子だった。
ノルトも名乗り返すべきだが、さすがに気まずい。
彼を誘拐しようとしていたのだから。
どう誤魔化そうと迷っていると、王太子は背負っていた大きな荷物をノルトの足元にドサッと落とした。
大量の矢だ。
「これで戦えるだろう? 岩縫いノルト」
「…………」
名乗るまでもなく知られていた……
当然だ。
霊弓カヌートを携える弓の名人。
その名人の腕前を昼間から披露してきたのだから。
アーレンゼールも甲板にいて、ハーヴェンの下へ急いでいたのだが、海から上がってきたノルトを見て行先を変更していたのだった。
その行先とは弾薬庫。
海霊憑きより先に辿り着いて火薬樽を捨てなければならない。
扉の前には押し入ろうとしている海霊憑きがいたが、
大きな爆発音を聞いたのは投棄作業をちょうど終えたときだった。
音量の大きさから海賊船の爆沈を確信した。
残るはこの船のみ。
海賊船を攻撃していた海霊たちもこちらへ合流してくるだろう。
岩縫いとハーヴェンだけでは防ぎきれない。
そう判断した彼は船室からありったけの矢をかき集めて近くにあった籠で背負ってきたのだった。
荷物を下ろして軽くなった肩をぐるぐると回しながら、二人の前に立った。
構え直した盾が光を強める。
「そいつの名はハーヴェン。もうわかっていると思うが、そいつがやられたら俺たちも終わりだ」
王太子は前を向いたままノルトにハーヴェンを紹介した。
「助かりたければ死に物狂いでハーヴェンを守れ!」
それから三人の戦いが始まった。
矢を手に入れ、ノルトの弓は復活した。
近くにいる者は速射で倒され、遠くで帆を焼こうとする者は長射で頭を射抜かれた。
魔法矢を嫌い、憑代から逃げ出せばハーヴェンの〈祈り〉が待っている。
それでもなんとか辿り着いた者には王太子の魔法盾が待っていた。
これが一番残酷だった。
盾表面に魔法が施されており、使い手が少し突き出しただけで衝撃波が起き、盾の正面に立つ者を打ちのめす。
それはまるで猛牛の突撃の如し。
受けた海霊憑きの顔面は砕け散った。
またカヌートの矢同様、魔力のこもった盾叩きは中の海霊も滅ぼした。
戦いが終わったのは夜が明け始めた頃のこと。
朝日に照らされた海霊たちは悲鳴を上げながら海中に逃げていった。
海霊憑きたちも急に苦しんだ後、ぐったりと動かなくなった。
死んではいない。
中にいた海霊が身体から離脱して解放されたのだ。
海霊が離れて気を失っていたが、人々は少しずつ目を覚ましていった。
だが自害させられたり、ノルトや王太子に倒された人々は残念ながら……
ともかく危機は去った。
そう理解した三人はその場にへたり込んでしまった。
ハーヴェンは一晩中詠唱し続けて喉が潰れてしまった。
アーレンゼールは盾を掴んでいた手が痺れて力が入らない。
ノルトは——もう海はこりごりだった。
一晩で船と一味を失い、海賊廃業に追い込まれた。
疲れ果て、甲板に仰向けに倒れて大の字になった。
客船は大忙しだ。
意識を取り戻した水夫たちが生き残った乗客の手当や壊された箇所の修復に奮闘している。
やがて水夫たちは三人のところへもやってきた。
リーベルの二人を手当するために。
だが残る一人、ノルトに対しては銃を構えた。
「海賊ノルト! 本船を襲撃した罪により逮捕する!」
抵抗するなと怒鳴りつけているが、抵抗どころか横たわったまま動けない。
逮捕された海賊の末路は港で縛り首にされるか、このまま手足を縛られて海に突き落とされるかだ。
寝転がっている場合ではない。
しかし何も抵抗せず、静かに目を瞑った。
もう王太子を誘拐しても仕方がない。
金を稼ぐ理由がなくなったのだ。
第一、連れ去るための船は二つに折れて沈んでしまった。
海賊を続ける理由も、岩縫いとして生きていく理由も失った。
水夫が何か喚いているが、もはや彼には届かない。
客船を救い終えた弓の名人はそのまま眠りに落ちた。
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