第36話「父王とじいと下衆」
ノルトはエルミラからハーヴェン共々何らかの陰謀に関与しているのではないかと疑われてしまった。
ハーヴェンとの出会いから今日までの経緯を話せば、身の潔白は証明されるだろう。
同時に自分の過去を知られることになる。
暫し躊躇った。
彼女に対して胸を張れる過去ではなかったから。
一瞬、嘘を吐いて突き放そうかとも思った。
これからファンタズマで往く海は孤立無援の荒海だ。
時には姫様の優しさが命取りになることがあるかもしれない。
冷たく突き放すことで甘さを捨ててもらうことも必要だ。
だが、人の心は容易に操れないもの。
強くなってもらおうと突き放した結果、故郷の何もかもが変わり、懐かしむものは何もないのだと自暴自棄にならないだろうか?
彼は悩んだ末、たとえ真実を話して幻滅されても疑いを晴らす道を選んだ。
***
時はまだエルミラの母親が王宮に仕える前に遡る。
後に議会派の革命によって処刑されるアーレンゼール王。
当時はまだ王太子になったばかりの若者だった。
彼はその立場に甘んじることなく修練を積み、すでに一人前の魔法兵だった。
特に障壁などの防御魔法に優れ、魔法盾の扱いを得意としていた。
ハーヴェンはこのときまだ海軍魔法兵ではなかった。
当時はまだ新米の神殿魔法兵であり、王宮ではなく神殿に仕えていた。
二人はまだ二〇歳にも満たない若者だったが、もう一人の登場人物ノルトだけは三〇歳目前の青年だった。
年齢も立場も違う三人。
縁もゆかりもなく、交わるはずのない三人はある事件がきっかけで共に戦うことになる。
発端は王太子の留学だった。
当代国王もそれ以前の王たちも若い頃に留学し見聞を広め、帰国後に即位した。
制度として決まっていることではなかったが、これは王家の伝統と言っても良いだろう。
かつてロレッタ卿の提唱により魔法使いたちは海に出た。
今日の繁栄はそのおかげだ。
だからリーベル人は皆海を目指す。
それはもはや本能に近い。
アーレンゼールも士官学校卒業後、外国で経験を積みたいと申し出た。
半ば伝統でもあったし、王太子が即位前に見聞を広めてくること自体は誰も反対しない。
問題はどこにするかだ。
大国リーベルの王太子が留学するとなると、いやでも外交的な意味が発生してしまう。
いくら本人が望もうと、外交上問題がある国に留学させるわけにはいかないのだ。
大臣を交えた話し合いの結果、友好的だった北方の同盟国に決定した。
先方からも歓迎の意が大使を通じて伝えられ、彼は兵団から選抜した護衛たちを伴って客船で向かうことになった。
物々しく魔法艦で向かえば、王太子がウェンドアから離れたと宣伝するようなもの。
リーベルに敵対する国が攻撃してくるかもしれない。
ゆえに留学すること自体を秘匿し、一般人の乗客に紛れながらの船旅になったのだ。
こうして客船に乗り込んだ王太子一行。
一般人を装っての旅なので、乗客は一行だけではない。
そこには様々な人たちが同乗していた。
北の資産を調査しに行くのだという貴族、リーベル純正を謳う呪物商人、休暇を楽しもうという旅行客。
そして巡礼の神殿魔法兵。
彼こそがハーヴェンだった。
神殿魔法兵は陸軍や海軍の魔法兵とは成り立ちが異なり、巡礼団を守るために神官が鎚矛と盾で武装したのが始まりだ。
現在も伝統に則り、若い神殿魔法兵は巡礼の旅に出ることになっていた。
アーレンゼールとハーヴェン。
このとき二人はまだ赤の他人同士だった。
だが大きな客船とはいえ、出航すれば限られた空間だ。
出会うのに時間はかからなかった。
出会ってすぐは二人共ぎこちなかった。
王家と神殿。
対立しているわけではないが、友好的というわけでもない二つの勢力。
それぞれの立場や背景を気にしたのだ。
しかし初めての外国旅行で希望に胸膨らむ若者同士。
頭の凝り固まった老人たちと違い、打ち解けるのは早かった。
穏やかな船旅が数日続いた。
北の港までこんな気怠い日々が続くのだと思われた。
そんなある日、けたたましい鐘の音が甲板に蔓延していた退屈を吹き飛ばした。
平和の終わりを告げる警鐘は、同時に事件の始まりを告げていた。
ある事情により歴史に記されることはなかった〈リーベル王太子襲撃事件〉の始まりだ。
警鐘はメインマスト上方の見張り台からだった。
皆で見上げるとそこにいる見張り員が前方の海を指差して怒鳴っている。
何かと思い、甲板にいた者たちは指し示された方を見た。
そこには一隻の帆船の姿が。
真っ直ぐこちらに向かっているようだった。
船影がみるみる大きくなっていく。
進み続ければ二隻は間違いなく衝突する。
そんな針路を取りながら増速してくるような船は断じて商船ではない。
海賊船だった。
襲撃してきたのは北方の海賊。
海賊の名は——ノルトという。
ノルトはイスルード島北方の海で急速に勢いを増している若い海賊だった。
最初から海賊だったわけではなく、元は各地で勇名を轟かせた傭兵だった。
傭兵時代の彼は弓の名人で、鉄の弓を引く剛力の持ち主でもあった。
彼の鉄弓から放たれた矢は重装甲の騎兵を甲冑ごと貫いて岩に縫い付けた。
その離れ業から付いた渾名は〈岩縫いノルト〉
岩縫いと恐れられた彼の周囲には仲間が集まり、いつしか大きな傭兵団になっていった。
しかし傭兵団が活躍できる戦はいつか終わる。
失業した彼らは海賊に転向した。
決して波や揺れを甘くみていたわけではない。
各国海軍に斬り込み要員として雇われ、何度も敵艦を拿捕した経験があったからだ。
会敵までは船の仕事をやらされてきたので、操船技術も習得している。
あとは狩場さえ間違えなければ海賊としてやっていける自信があった。
狙うは北方に向かうリーベルの交易船団。
王国は北方諸国と友好的な関係を深めていた。
これから北との交易量が増加していくことだろう。
その船団を狩るのだ。
作戦は図に当たり、海賊稼業は上々だった。
船団には魔法艦の護衛がついていたが、船長ノルトの弓で撃沈することができたからだ。
凄い武勇伝だが、魔法艦は鋼化装甲板と乗っている魔法兵たちの障壁によって、戦艦の至近砲撃にも耐える。
そんな魔法艦を一人の弓兵が沈めるのは、いくら何でも荒唐無稽すぎると思われるかもしれない。
しかしこれは何の尾鰭もついていない実話だった。
彼が使っていたのが傭兵時代の鉄弓ではなく、〈霊弓カヌート〉という強力な魔法弓だったからだ。
霊弓カヌート——
北方の高名な付与魔法使いカヌート作の魔法弓だ。
ノルトが海賊転向を考え始めていた頃、弓の腕前を絶賛していたこの大魔法使いから贈られた呪物だ。
この弓が凄いのは普通の矢をつがえただけで貫通力強化が付与されることだ。
付与された矢は装甲板や魔法兵の障壁を突き破る。
阻止したければ魔法兵複数人で障壁を重ねるしかない。
揺れの中でも正確に士官や魔法兵を射抜く腕前と、核室まで貫通してくるカヌートの力……
この二つを兼ね備えていた海賊ノルトは、無敵艦隊といえども侮れない相手だった。
だからといって降参するような王太子ではない。
彼自身が魔法盾の使い手であり、魔法兵や魔法剣士の護衛も連れてきていた。
さらにこの旅で友人になった神殿魔法兵ハーヴェンも一緒だ。
海賊の弓とリーベルの魔法は北の海で激突した。
脅威がすぐそこまで近付いているとも気付かずに……
***
海賊船と客船。
狩る者と狩られる者。
通常両者は追撃と逃走という形になるのだが、この海戦では少し様子が違う。
お互い微妙な距離を取りながら矢と魔法を撃ち合っていた。
ノルトは早く接舷して王太子を捕まえたい。
あまり時間をかけていては援軍が現れるかもしれないので、その前に仕事を完了して引き揚げたかった。
そのためには護衛の魔法兵共が邪魔だ。
奴らを始末してから部下たちを送り込まなければ犠牲が大きい。
もう一つ邪魔なのが、魔法兵共の火球や雷球だ。
ひっきりなしに飛んできて接近できない。
幸い、カヌートに魔力付与された矢を当てれば空中で相殺できるが、これではいつまで経っても終わらない。
他にも気掛かりがある。
どうやら客船もこちらに接近しようとしているようだ。
魔法兵は敵に接近されたら詠唱に集中できなくなる。
他の乗客のこともあるし、海賊船から距離を取るべきだ。
それが逆に接近しようとしている。
飛んでくる火球を撃ち落としながら傭兵時代の記憶を辿っていたノルトは思い当たった。
——魔法剣士を乗り移らせる気か!
魔法剣士は海賊にとって恐ろしい相手だった。
獲物に接舷すると逆にこっちへ斬り込んでくるのだ。
そして剣も人も、太いマストもまるで小枝のように切り払われてしまう。
魔法剣士単体でも厄介なのに、魔法兵の援護を受けながら斬り込んでこられたらこちらが皆殺しにされる。
接舷する前に何とか始末したい。
ノルトはメインマストに上って敵甲板に目を凝らすが、どの護衛が魔法剣士なのかわからない。
全員細剣を装備し、似たような服装をしている。
魔法剣士といっても斬り込むまでは、障壁を張ったり、火球攻撃に参加しているので見分けがつかないのだ。
王太子を誘拐するために早く接舷しなければならないが、魔法剣士を警戒してすぐには近寄れない海賊ノルト。
なんとか魔法剣士を送り込んで海賊を退治したいが、矢が正確に飛んでくるので容易に近付けない王太子一行。
着かず離れずの戦いは続き、いつしか夕暮れに。
海は、逢魔が時を迎えていた……
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