第35話「副官の資質」

 ノルトはエルミラが解放軍と接触することに反対だった。

 もし旧市街で巡回兵たちの捜索が始まらなければ、無理にでもイスルード島から離脱させたことだろう。


 もちろん立ち去れと言って大人しく引き返してくれる姫様ではないが、決してわからず屋というわけではない。

 上陸した浜に戻る道すがら、この島の実情を説明するつもりだった。


 説明の場が浜ではなくアジト内の客室になったが、ハーヴェンや解放軍の現状についてすべて語った。

 帝国軍についてはマルジオの酒場へ辿り着くまでにその目で見てきたはず。

 説明は不要だろう。


 ここに姫様を手助けする者は一人もいない。

 ノルト自身に魔法の心得はないからお役に立てない。

 だから——


「どうか、島から離れてください」


 エルミラもじいの言っていることは理解できる。

 ここにいてもリルの情報は手に入らない。

 それだけでなく、自分がここに留まることでハーヴェンの野心に大義名分を与えることになる。

 あえて口にはしないが、じいは彼女の存在が島にとって有害無益だと言っているのだ。


 だからもう酒場のように駄々をこねるつもりはない。

 一刻も早くファンタズマに戻るべきだ。


 だが……


 エルミラはさっきの兵士たちが気になっていた。

 重装歩兵たちのことではない。

 ハーヴェンが食堂にやってくる前、帰還を歓迎しに集まってきた者たちのことだ。


 副官であるじいに対しては敬意を向けていた。

 それに対して、後から現れたハーヴェンには……


 ——あれは畏怖の念というより、恐怖そのものではないか。


 彼女も士官学校の鬼教官に恐怖を抱いていたが、それとは違うものを兵士たちから感じた。

 命の危険に対する恐怖だ。


 ハーヴェンは元々規律に厳しい副団長ではあった。

 でもいまは単に厳しいだけでなく、いとも簡単に味方を粛清しているのではないか?


「じい、一つ教えてくれ」

「何でしょうか?」


 そこに続ける質問の言葉はもう出来ている。

 だが、自分で考えたその内容が恐ろしくてすぐに続けることができない。

 それがわかるのか、じいは急かすこともなく彼女の言葉を待った。


 一拍の後、尋ねる覚悟が決まった彼女は口を開いた。


「ハーヴェンは……いままでに味方を何人斬った?」


 じいが息を呑んでいる。

 その音が彼女の耳まで届いた。


 彼もすぐに答えることができない。

 息を深く吸い込み、静かに吐きながら考える。

 どう話せば一番ショックが少ないか?


 しかし姫様はすでに察しがついている目を向けてくる。

 余計な小細工は無用と目で語っている。


 それでもあえて尋ねるのはその察しが正しいことを確認するためだ。

 こういうときは余計な気を回さず、正直に話した方がよい。

 決心がついたノルトは答えた。


「数えきれないほどです」


 勝機とみれば、敵味方が混戦になっていても矢弾を撃ち込むのはあの司令にとって当たり前のこと。

 偵察に出した者が帝国兵に目を付けられればすぐに始末する。

 夜、少しでも傷を負って戻ってきた者も始末した。

 そして島に戻った男性王族もその日のうちに……


「な……に……⁉」


 エルミラは呻き、驚いたまま硬直してしまった。

 実は島に戻った女性王族は彼女が初めてだが、男性王族は先に何名も帰還していた。

 しかしいまは一人もいない。

 すべてその日のうちに粛清したから。


 粛清の理由は様々だ。

 帝国が送り込んできた偽者だとか、ゾンビに噛まれた傷を隠していたとか。


 中には弁が立ち、ハーヴェンの言い掛かりを論破した者もいたが、そういう者は翌朝冷たくなっている。

 一応、帝国や他の解放軍からの刺客を疑い、手分けしてアジト内の捜索を行うが痕跡は何も見つからない。

 見つかるはずはないし、見つけてはいけない。

 見つければ粛清される。


 無事に御帰還を果された王族は帝国や野盗共の凶刃に倒れた。

 必死に捜索したが、暗殺者はすでに離脱していた。

 そう報告して毎回終了となる。

 普段は結果を出せない部下に厳しい司令も、例外的に見つけられなかったことを咎めはしない。


 そうやってこの解放軍はハーヴェン司令の下で統率されてきたのだ。


 司令は邪魔だと思ったら躊躇いなく始末する。

 その司令の頼みをきっぱりと断ってしまった。

 彼が粛清を決意したとしても不思議ではない。


 司令は女性王族を待ち望んでいたが、今後のことを考えると従順な姫の方が良いはずだ。


 とりあえずエルミラを確保しておいて、他の従順な姫が現れ次第始末する。

 あるいは一人目が帰ってきたのだから、待っていれば二人目が現れると考え、生意気な小娘はすぐに始末する。

 ……どちらもあり得る話だった。


「ですからお願いです。逃げてください」


 平にと言わんばかりにじいは頭を下げた。


 こちらの話を一切聞かず、島から出て行けと言い張る理由はわかった。

 逆の立場なら問答無用で浜に連れて行き、波打ち際に突き飛ばすかもしれない。

 そうしないだけじいの方が紳士的だった。


 ここでリルの手掛かりを掴むのは諦めるしかない。

 そうなればもうここに留まっている理由はなくなったから、立ち去ることには賛成だ。

 しかしエルミラの中で、リルの事とは別の気掛かりが生じていた。

 勧め通り逃げたあとに待っているじいの運命を。


 ——あんな危ない男の傍に置いていくのは心配だ。


 さっきの兵士たちの態度とじいの話からすると、ハーヴェンは自分に賛同しない者を容赦なく排除する。

 男性王族が彼の新王朝建設に賛同しないのは明らかだ。

 だから現れ次第、始末しているのだろう。


 きっとあの男はじいの気持ちにも気付いている。

 他よりマシだから妥協しているだけで、心から賛同しているわけではないと。

 いつかじいも始末されてしまうのではないか?


 じいの願いにどう答えるか、エルミラの方針が固まった。


「わかった。私はこの島を去る。リルのことは他所で調べることにしよう」

「それがようございます」


 白髪頭が上がり、やっと明るい顔を見せてくれた。

 それを見た彼女はやっと見慣れたじいに再会できた思いがした。

 しかしこれからまたその顔を曇らせる。

 話がまだ終わっていないからだ。


「じいも一緒に行こう。ハーヴェンのところに残していくのが心配だ」

「いや、それは……」


 案の定、じいの顔は曇っていった。

 だがその曇り顔にエルミラは疑問が沸く。


「じいが残りたがる理由は、本当に恩返しだけなのか? 恩返しのためだけにハーヴェンの横暴に従っているのか?」


 確かに帝国も他の解放軍もひどいが、聞けばハーヴェンだって似たようなものだ。


 民は一人一人意見が違う。

 決して王様とぴったり同意見な者などいない。

 自分に賛同していないというだけで粛清しているような男が民を大事にするだろうか?

 まるで現在の州政府のように、弾圧や重税を課している新王朝の姿が思い浮かぶ。


 ——いま略奪するか、後で徴収するか——


 時期と名目が違うだけで、行いは一緒ではないか。


 じいも同じ光景が思い浮かんでいるはずだ。

 思い浮かんでいながら、父上や島に対する恩返しのためだと称して味方の流血に目を瞑っているのか?


「じいらしくない! 奴の副官を続けている本当の理由は何だ?」


 エルミラに一喝され、俯くじいの瞼が左右にせわしなく動いている。

 下を向いているが、目が泳いでいることが見て取れた。

 何か彼女に知られたくない事情があるのは明白だった。


 正確な年数は知らないが、彼女が生まれるもっと前からじいは父王に仕えていたらしい。

 それだけ長く宮廷に身を置いていれば陰謀の一つや二つ関わっていても不思議ではない。


 思い返してみれば、彼女はノルトという人物をよく知らない。

 これまでの彼女の人生で最も長く一緒にいた人だが、彼は常に教育係のじいとしての側面しか見せてこなかった。


 大体、ハーヴェンがじいを副官にしているのも謎だ。

 解放軍といえば戦闘を目的とした集団、つまり軍隊だ。

 副官が必要なら、合流した士官や兵士の中から優秀な者を任命すればよいではないか。

 それがなぜノルトなのか?


 じいは長く宮廷に仕える侍従の一人だ。

 若い頃に武功を立てたという話は聞いたことがないから、武勇を期待して副官にしたわけではないだろう。

 機転は利く方だが饒舌ではないので、交渉役として有能とは言い難い。

 例えば王太子の教育係なら様々な情報に精通しているかもしれないが、平民の子エルミラの教育係では……

 情報通として解放軍を補佐するのも難しいだろう。


 ノルトという一人の男が持つ能力や権力では副官に足りない。


 そんな役立たずをハーヴェンが重用する理由。

 それは二人が何らかの企み事に加わっている同志だからではないだろうか?

 同志なら無能だからと粛清されないし、司令の〈右腕〉は志を同じくする者に担ってもらいたいはずだ。


 だからこそ、宮廷人ノルトは如何なる人物だったのかを問わねばならない。

 どんな陰謀に関わっていて、ハーヴェンとどんな関わりがあるのか?

 その内容によってはたとえ粛清が待っていようと、彼が望む通り置いて行かざるを得ないかもしれない。


 エルミラは重ねて尋ねた。

 召し抱えてくれた父王への恩返しや愛国心では納得できない。

 島から離れられなくなるほど、ややこしい陰謀に参加していたのかと。


 それでもじいは返事せず、何かを躊躇っているようだった。

 だがこのまま沈黙で凌ぐのは無理だと悟ったのか、やっとその重い口を開いた。


「よくも騙したなと軽蔑されても仕方がありません。実は……」


 彼は陰謀に加わっているわけではなかった。

 だがその内容は彼女の想像を遥かに超えた。

 聞き終えたとき、ハーヴェンがじいを副官にした理由がわかった。

 そしてじいが副官として島に残り続けたい理由も。


 ノルトとハーヴェン、そして父王——

 三人は若い頃、一緒に戦った仲間だった。

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