第34話「司令と副官、それぞれの妥協」
交渉は決裂した。
エルミラは解放軍から協力を得られない。
だが解放軍もファンタズマの協力を得られない。
もう彼女がここに留まる理由はない。
対して解放軍司令ハーヴェンは?
彼は違った。
廊下で待たせていた重装歩兵を呼び入れ、かつての上官を取り囲んだ。
霊式艦が手に入らないのは残念だが、解放軍及びその後の新王朝の正当性は姫様の身柄を押さえておけば済む。
必ずしも賛同が必要なものではない。
賛同してくれれば丁重に扱うつもりだったが、要は王女が手の内にあればよいのだ。
「昼は竜と巡回兵、夜はゾンビが徘徊しているのでウェンドアは危険なのです」
それでも出て行こうとする殿下をお止めするという口上だったが要するに、
——小娘の意向など知ったことか。せっかく手に入れた生身の大義名分を逃がしはしない——
ということだ。
見れば、重装歩兵たちはこちらの魔法剣を警戒して普段通り大盾を装備してきているが、右手には布を巻き付けた木製の棒を持っている。
抵抗したら死なない程度に痛めつけて生け捕りにするつもりだ。
エルミラの右手が魔法剣に伸びる。
それを見た歩兵たちは互いの大盾の端を重ね合い、半円に囲みながら少しずつ距離を詰めていく。
一気には詰めない。
魔法剣を警戒しているためだ。
通常は抜き出された剣に魔法を付与するが、先に付与しておいて鞘に納めておく場合がある。
抜刀したときにはすでに魔法が付与されているのだ。
魔法剣の前では鉄も紙も一緒だ。
一太刀で両断される。
もしそうなら、鉄の大盾など何の意味もなさない。
もちろん鎧も……
丸腰同然の鎧の中で歩兵たちの冷や汗が止まらない。
この中で誰かが斬られて命を落とす。
最低一人は鎧もその中の命さえも滑らかに両断される……
大盾で押し潰して取り押さえるのはその時しかない。
しくじれば更に犠牲者が増える。
どうか自分ではありませんように……
祈りながら歩兵たちはジワジワと詰めていく。
対するエルミラはまるでその通りと言わんばかりに重心低く歩兵たちを待ち構える。
「さーて、誰から真っ二つにしてくれようか?」
そう言わんばかりの剣幕を漂わせているが、実は鞘の中のマジーアには何の魔法も付与していない。
つまりただのハッタリだ。
抜刀したとき、彼女の化けの皮は剥がれる。
魔法剣が恐ろしくて一気に詰められない重装歩兵。
抜刀したらすべてが終わるので抜くに抜けないエルミラ。
両者はあと一歩で剣が届く距離で静止した。
お互いにそのあと一歩を踏み出せない。
睨み合いが続き、部屋の空気がピリピリと緊張していく。
その鬩ぎ合いに割って入ったのはノルトだった。
中間に立つとエルミラの方を向いて恭しく頭を下げながら両手を差し出した。
「ともかく今日は旅装を解いてお休みください」
じいはいまにも抜刀しそうになっている魔法剣を預かると申し出た。
彼女を救うためだ。
姫様のハッタリは見事だが、そういうときは大抵何もないのだ。
知らない者は騙されるが、じいはそのことをよく知っている。
迷うエルミラの視界の端に歩兵隊とハーヴェンが映った。
じいの後方で彼らは彼女の出方を見ている。
このまま抜けば当然おしまい。
抜かなくてもこれ以上時をかければ焦れたハーヴェンが突撃を命じるだろう。
やはりそこでおしまい。
交渉が決裂した以上、ここは敵陣のど真ん中と化したのだ。
身柄を拘束されるのは避けられないが、戦ってしまった場合とそうでない場合でその後の扱いが変わってくる。
戦って敗れれば捕虜として拘束される。
逆に戦わなければ敗れない。
敗れていない者を捕虜にすることはできず、あくまでも客人として扱わなければならない。
いまその客人を武装した兵で取り囲んでいる。
理由は自分の意見が通らなかったから。
理不尽極まりない。
現時点で、非は力に訴えている司令にある。
取り囲んでいる彼らがその非の証人だ。
この騒ぎが終わった後、彼らは他の者たちに話すだろう。
だからハーヴェンは剣を抜かせたいのだ。
歩兵を斬ってくれれば、力ずくで取り押さえるしかなかったと周囲に説明できる。
元上官だった王女を公然と捕えておくことができる。
——口実を与えてはならない——
じいは彼女をそう諭しているのだ。
エルミラも愚鈍ではないからじいの言いたいことはわかる。
わかるがしかし……
彼女の迷いを察知したじいはもう一段頭を低く下げた。
「どうか——」
この場は〈客人〉で切り抜けるしかありません……
じいの必死の願いは彼女に伝わった。
彼女は抜きかけていた剣を鞘に戻すとベルトの留め金を外し、差し出された両手に乗せた。
「大事に扱えよ? 非常に高い物だ」
「はっ。お預かりします」
ノルトはホッと小さく安堵の息を漏らした。
「姫様をご案内します」
「……任せる」
ハーヴェンの声が苦い。
本音を言えば、捕虜として捕えて意のままにしたかった。
だが、王党派の解放軍司令を名乗っている以上、王女を粗末に扱うわけにはいかない。
それこそ剣を抜いてこちらに危害を加えてくれない限り。
御逗留いただく王女を副官が御部屋へご案内する。
普段から策を巡らせているハーヴェンでも、これを拒む口実は思い浮かばなかった。
渋々、ノルトの策通りに答えるしかない。
(……まあ、良かろう)
ハーヴェンは妥協した。
できれば大人しく従ってくれる王女が良かったのだが、とりあえず手元に確保することはできた。
エルミラ殿下は元々聡明な姫君だ。
焦って拷問などせずとも、状況が見えてくれば理解できるはずだ。
新王朝に協力するしかないことを。
***
魔封じの手錠こそ掛けられなかったが、エルミラは所持品をすべて没収された上で客室に軟禁されることになった。
帝国に引き続き、味方であったはずの解放軍でも囚われの身だ。
客室は一人用のようだ。
テーブルと椅子が一脚。
あとはベッドがあるだけ。
部屋へ案内している最中、ノルトは無言だった。
彼の機転でエルミラを客人として扱うことになったが、限りなく捕虜に近い客人だ。
いくら元教育係だといえ、アジトの中で副官がその捕虜と親し気に語らっているのはまずい。
二人の会話が再開したのは客室に入ってからだった。
「あんなに下品な男だったとは……」
じいを椅子に座らせ、エルミラ自身はベッドに腰掛けるとすぐに愚痴をこぼした。
司令と陛下は同年代だ。
姫様が気持ち悪いと感じるのも無理はない。
彼女の率直な感想を咎めるつもりはないが、司令は単なるスケベ親父ではない。
彼がただの変態かどうかは、姫様を欲する本当の理由を知ってから判断すべきだ。
これから彼女は頼る当てがないまま、ファンタズマの針路を決めていかなければならない。
艦長が判断を誤ったとき、艦は危険に晒される。
その判断の基礎となるのが正しい情報だ。
やっと二人きりになれたノルトはまずハーヴェンについて正しく認識してもらうことにした。
まずは彼の目標が〈ハーヴェン朝リーベル王国〉という新王国の創設であることを。
驚いて目を丸くする様子を思い浮かべながら明かしたのだが、ノルトの予想に反して彼女は平然と聞いていた。
「私も王家の端くれ。あの下衆が欲しいのは私そのものではなく、父上から受け継いでいるリーベル王家の血だということはわかっている」
仮にハーヴェン軍が州政府軍と他の解放軍共を一掃できたとして、その後で勝手に王を名乗っても誰も認めない。
正確には諸外国が新王国を外交の相手として認めないということだ。
認めてもらえないと何がどうなるのか?
ハーヴェンは正当な権限がないのにイスルード島を実効支配していることになる。
権限がなくても力で支配してよいというなら、各国は競って討伐軍を派遣するだろう。
賊に苦しめられている島を救うという口実で。
この侵略から新王国を守る方法は二つしかない。
一つ目は単純だ。
攻めてくる者を返り討ちにすればよいのだ。
だが単純ではあっても簡単ではない。
内戦に勝利したばかりの新王国に対抗する力は残っていない。
そこでハーヴェンが採用しようとしているのは二つ目の方法だ。
島を支配する資格がない血筋だというなら、そういう血筋になればよい。
だから他国に避難していた女性王族が帰ってくるのを待っていたのだ。
「それが私だったわけだ」
「ご明察の通りです」
ノルトはそれ以上説明を加えることはなかった。
エルミラの見解通りだ。
ハーヴェン伯はこの〈機〉に一族の命運をかけて挑んでいる。
その彼が姫様に協力するはずないのだ。
連れてくれば必ず捕えられ、野望に利用されることは明白。
ゆえにアジトへ案内したくなかったのだ。
「……何も知らずにすまなかった」
エルミラはバツが悪そうに俯きながら詫びた。
じいの気持ちを察することができず、己の都合だけでハーヴェンに会わせろと、マルジオの酒場で迫っていたことが恥ずかしい。
「いえ、今日は仕方がありませんでした」
酒場の二階で押し問答の最中、いきなり密偵の捜索が始まってしまった。
案内したのは帝国兵と鉢合わせるよりマシだと判断してのこと。
姫様のわがままに押し負けたわけではなかった。
「じい……」
昔からこうだ。
頭ごなしに「いけません!」と怒鳴りつけたりしない。
失敗しても仕方がなかったときは庇ってくれた。
そのじいが酒場で頭ごなしに拒絶するほどハーヴェンはひどい男だったのだ。
そう考えるとエルミラに一つの疑問が浮かんでくる。
じいはなぜそんなひどい奴の副官を務めているのか?
彼女は尋ねた。
心から司令の野望に賛成しているわけではない——
じいはそう前置きした上で、それでも副官を務めている理由を明かした。
「亡き王様やこの島の人たちには、受け入れてもらった恩があります」
だからどこへも逃げられずここで暮らすしかない民衆を救いたい。
しかし、女将のような大魔法使いではない一人の人間にできることは限られている。
そんな彼にできること。
それは民衆にとって一番マシな勢力が勝てるように協力することだ。
見たところ、その一番マシな勢力がハーヴェン軍だった。
司令だけが新王朝を立ち上げた後の統治を真面目に考えている。
残念ながら、旧王国復活を心から願っている王党派はいない。
元から忠誠心の薄い連中ではあったが、滅亡後は露骨に自分だけの利益を追求するようになった。
たとえ王冠を頭に戴いても野盗は野盗。
奴らに比べれば司令の新王朝の方が遥かにマシだ。
育ての姫様を野望の道具にしようとするハーヴェンに、いまもこれからも従おうとしている理由——
それは流血が絶えない〈正当〉でなく、民衆が明日も生きていける〈妥当〉を願ったじいの妥協だった。
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