第33話「おまえたちは間違っている! 少女は必ず家に帰らせる!」

 解放軍アジトの食堂——


「いま皇子の子を身籠っているのか?」


 信頼していた元副団長の口から飛び出したおぞましい質問。

 想像だにしていなかったエルミラは、答えるのも汚らわしくて黙っていた。


 だが、ハーヴェンにとってはそれで十分だ。

 彼女の様子を見ていれば、語ってもらわずともわかった。

 だと。


 人として幻滅されたとも知らず、彼は話を続けた。

 いや、知っていても気にせず話を続けるだろう。

 その下品さがいまの彼にはある。


 一つ目は外出禁止だ。

 解放軍の総大将なのだから、決起の日までアジトから一歩も出てはならないと申しつけられた。


「総大将の御身体に何かあっては大変です」


 エルミラは思い知った。

 今日思い知った。

 ハーヴェンにとって彼女はお飾りですらなかったのだ。

 ただの女だった……


 もはや彼の言葉を素直に聞くことはできなかった。

 心配なのは総大将ではなく、自分の血を引く子供を産んでもらう身体だろう。


 正直、こんな下衆はいますぐ斬り捨ててやりたい。

 それでも彼女は奥歯を噛みしめながら、怒りに耐えていた。

 彼女を抑えているもの、それは〈教え〉だった。


 ——艦長たる者、いつ如何なるときも冷静であれ——


 ロレッタの弟子としてその教えを頑なに守っていた。

 きっとこの魔法剣でゴブリンを斬ったことは褒めてくれるだろう。

 だがこの下衆を斬ったら咎められるかもしれない。

 私憤だから。


 ——マジーアを託してくれた女将の気持ちを無駄にしてはならない。


 怒りの最中にあっても、斬る相手を選ばなければと気を静めていた。


 下衆の要望は続いた。

 二つ目はファンタズマを解放軍に引き渡すこと。


 霊式艦を引き渡すということは人型も柩も同時に渡すことを意味する。

 下衆はとうとうエルミラが戻ってきたそもそもの理由すら潰してしまった。


 彼は確かにファンタズマを欲してはいるが、それはただの軍備増強のためではない。

 エルミラの耳に、聞き捨てならない言葉が飛び込んできた。


「ウェンドアに竜がいるのです」


 竜——


 無敵艦隊を滅ぼした帝国海軍竜騎士団の一隊だ。

 彼らはウェンドア上空を飛び回り、不審な動きがないか見張っているという。


 昼は竜、夜はゾンビ。

 おかげで解放軍は決起できずにいたのだった。


 しかしそれも今日まで。

 ファンタズマの魔法弩ならウェンドア上空の竜を殲滅できる。

 そして王族を総大将として決起すれば、新旧両市街で民衆が一斉に立ち上がるだろう。


 ハーヴェンは喜んでいた。

 殿下があの艦を持ち帰ってきてくれたおかげで帝国を追い払うことができると。


 対するエルミラは冷ややかだ。

 馬鹿々々しさと気持ち悪さで憔悴していた。

 それでも明かされた決起計画には不安な点があった。

 憔悴していても確認しないわけにはいかなかった。


「それでは民衆が大勢犠牲になってしまうが?」


 ハーヴェンから笑みが消え、驚きと困惑が浮かんだ。


 民衆の犠牲。

 彼にとっては突拍子もない言葉だったらしい。

 何が問題なのかわからず、彼女を見たり後ろに立つノルトを見たりと忙しく視線を動かす。


 結局、どれほど考えても彼にはわからない。

 仕方なく彼女の意を探ろうと尋ねた。


「いけませんか?」

「——っ⁉」


 ついにエルミラはキレた。

 冷静であれ、という師匠の教えは遥か彼方へ飛んでいった。


「解放軍と言っているが、一体誰のために何を解放するつもりだっ⁉」


 もちろん解放軍の目的は帝国からこの島を解放することだ。

 それは聞くまでもない。

 では、その解放は一体誰のためなのか?


 この下衆は王国復活を願う忠臣ではない。

 さっきの話でよくわかった。

 その不忠者の口から「いけませんか?」という言葉が飛び出してきた。

 主家の姫を手籠めにしようという不埒も許せないが、それ以上にこの言葉は断じて許せない。


 似たような返事で「仕方がない」という言葉がある。

 賛成はできないが、こちらならまだ理解のしようがあった。

 民衆を犠牲にするのは〈良くない〉が、解放軍だけでは数が足りないので「仕方がない」ということだ。


 対して「いけませんか?」は違う。

 民衆を犠牲にすることが、何か〈いけなかったか?〉ということだ。


 ——こいつも外の解放軍共と一緒だ。


 自分の欲望を満たすために他人を犠牲にする。

 こいつがいま略奪しないのは、州政府打倒のためと他の解放軍に民がついていかないようにさせるためだ。

 決して民衆の暮らしを思いやってのことではない。


 財物はすべての敵を滅ぼしてから、後で税として全島から巻き上げていけばよい。

 そのときに旧王家の血を引いていたほうが面倒は少ないだろう。


 女将が反対するわけだ。

 ファンタズマもエルミラも、この乱世の島にとっては誰かの血をより一層流す凶器なのだ。

 決して良いことには用いられない。


「殿下はどうも誤解なされているようです」


 俯いて己の愚かさを悔いていたエルミラに、ハーヴェンは自分の考えを述べた。

 彼にとって民衆や国とは……


「我々が解放したいのはリーベルという〈国〉です」


 そのために我々貴族は能力や財産を出している。

 どちらもない民はせめて命を差し出すくらいのことはするべきだ。


「殿下は執務室で、民あっての王国とよく仰られていましたが、それも誤りです」


 王国あっての民。

 ならば命じられた通りに帝国軍に突撃し、その命で王国に恩返しするべきなのだ。


「ですが、私も鬼ではありません」


 どうせなら民衆にやさしかったエルミラ王女のために死ねた方が彼らも納得がいくだろう。

 だからいつまでもガキのように駄々をこねず、王族としての役目を果たせ。

 最後は本当にこのような命令口調になった。


「…………」


 エルミラは何も言葉が出なかった。

 一緒に働いていたと思っていたのは彼女だけだった。

 彼は同じ部屋にいても遙か遠くの世界にいる貴族だったのだ。


 もう怒りはない。

 怒っても仕方がない。

 彼女とは大切にしているものが根本的に違うのだから。


 一息に話し終えたことで冷静になれたのか、自らの暴言に気付いたハーヴェンは白々しく詫びた。


「失礼いたしました。ですが、すべて王国を思っているからこそです」


 さっきまでと打って変わり、よく知っている副団長の口調に戻った。


 このアジトで一番広くて綺麗な個室を用意してあるので、民衆に決起を呼びかける日まで留まっていてほしい。

 そして、解放軍の魔法兵たちに慣れさせたいのでファンタズマの停泊場所を教えてほしい。


 エルミラにそう願うと、恭しく頭を下げた。


 口調はお願いだが、実質的には命令だ。

 たとえ拒否してもその部屋に監禁されるだろう。

 もしかしたらその部屋で、ファンタズマの場所を吐くよう尋問されるかもしれない。


 だから王女としての待遇を保障してほしかったら了解するしかないのだ。

 勝ったと確信しているから深々と頭を下げているのだ。


 彼女は決して愚か者ではない。

 自分が置かれている状況がよく理解できた。

 女将が止めるのも聞かずに帰ってきたのだ。

 これからどんな目に遭わされようと自業自得だ。


「フゥ……」


 一つ息を吐きながら、エルミラは運命を受け入れる覚悟を決めた。


「ハーヴェン」

「はっ」


 返事をしながら上げた彼の顔には、勝利を確信した笑みがこぼれていた。


 ——小娘は大人しく指示通りに「そなたの思うようにいたせ」と言えばよいのだ。


 厳粛を装っていても、そんな笑みが自然と滲み出ていた。


 対するエルミラには怒りも屈辱もない。

 物静かで、その姿からは威厳すら漂っていた。

 まるで古のロレッタ卿のような。


 ——観念したか?


 それにしては様子がおかしい。

 彼は副団長として長く傍らにいたので、彼女の気性をよく知っていた。

 斬り掛かってこられてもおかしくない話をしているという自覚はある。


 ハーヴェンにとって彼女は取るに足りない小娘だったが、魔法剣の腕前は侮れないものがあると認めていた。

 だから備えをしてきた。

 廊下に重装歩兵たちを待機させていた。

 彼らの鎧や大盾は魔法で強化してあり、彼女が剣を抜いたらすぐに室内へ突入する手筈になっていた。


 それがなぜか剣を抜く気配がない。

 では諦めて観念したのかというと、そうでもなさそうだ。


 ——この状況で言われた通りに従う他、小娘に如何なる手があるというのか?


 王国を作るという大事のため、彼は帝国軍にぶつける民衆の犠牲や目の前の小娘の意向などは小事と断じてきた。

 小事をいちいち気にしていては大事に差し支える。


 一方で、疎かにした小事のために大事を失敗した者たちが数多いることも知っている。


 それは捨て置けば良い小事なのか、あるいは見逃してはならない小事なのか?


 理解できなければどちらなのか判断できない。

 ゆえに理解できないものが気になって仕方がなかった。


 そんな不安が膨らんでいるハーヴェンにエルミラは告げた。

 結論だけを端的に、そして厳しく——


「おまえたちは間違っている! 少女は必ず家に帰らせる!」


 帝都に連行されて、彼女は自分が孤立無援なのだと改めて思い知った。


 余所者、異物……


 王国でもずっとそんな扱いを受けてきたが、これからはそれが帝国に変わるだけだと自分を言い聞かせた。

 寂しさを感じないと言えば嘘になるが、悲嘆にくれるということはない。


 軟禁部屋に通された日、窓から見える帝都の街並みを見下ろしながら彼女は課せられた運命を受け入れた。

 もう海に出ることはないだろう、と。


 人質らしく宮殿の一角でひっそりと暮らすのだ。

 寿命が尽きる日までたった一人で。

 王国でも対等な仲間ができることはなかったのだから、帝国ではもっと無理だろう。


 窓から振り返り、部屋の中をグルリと見渡した。

 大国の宮殿らしく広く豪華絢爛な牢獄だ。

 その部屋の中だけが、人質に許された全世界。

 ……あまりにも狭すぎる。


 だが、その世界でリルと出会った。


「野良犬」と軽蔑することなく、「姫様」と敬遠することもない。

 少女は彼女をただの「エルミラ」と呼んでくれる初めての仲間だった。


 その仲間を人型呼ばわりする奴らは全員間違っている。


 故郷の場所だけでなく、いつの時代から連れてこられたのかもわからない少女の孤独はエルミラ以上だ。

 幸いなことに少女はまだ孤独を感じていない。

 だから孤独を思い知る前に必ず故郷を見つけ出す。


 そのことに協力するどころか、兵器として利用しようとする外道共にリルは渡さない。

 祖国解放という耳障りの良い甘言で民衆を扇動しようとする企みにも協力しない。


 新たな王を名乗る資格?

 そんなものは旧王家の血など頼らず、自力で解決すればいい。

 非道も辞さない知恵者なのだろうから、周囲が納得せざるを得ない秘策を考え出せばよいことだ。


「貴様も魔法兵なら女子供など当てにせず、自分の力で竜に勝つがよい」


 きっぱりと拒否を伝えたエルミラの後方、斜め後ろで控えているノルトからハーヴェンの顔がよく見えた。


 教育係と副団長。

 仕え方は違っても同じ王家に仕える者同士、付き合いは長かった。


 だからいろんな表情を見てきた。

 お互い笑っていられる日ばかりではなく、憮然とした顔の日もあった。

 それでも彼のこんな表情をノルトは初めて見た。


 小娘に一喝され、怒りのあまり血の気を失った白い顔に青筋が幾本も浮き立っている。

 忿怒の相だった。


 その恐ろしい形相をエルミラは正面から見据えていた。

 見据えながら心の中で、年長者の忠告は素直に聞き入れるべきだったと反省していた。


 年長者といっても、目の前で怒っている下衆のことではない。

 女将とじいに対してだ。


 女将の言う通り島に帰るべきではなかったし、じいの言う通りさっさと立ち去るべきだったのだ。


 リルに負担をかけながらろくでもない島にやってきて、帰るときもまた負担をかける。


 ——なんて無能な艦長なんだ。


 これも女将に言われたことだ。

 もっと艦長として成長しなければダメだと。


 リルと女将に心の中で詫びながら、エルミラは改めて師匠の教えを胸に刻むのだった。

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