第32話「副団長にとって」
ウェンドア旧市街地下某所、解放軍アジト——
ついにエルミラはノルトの案内で解放軍アジトに辿り着くことができた。
探し求める魔法使いはたぶんいないと思われるが、記録文書が残されている可能性がまだ残っている。
これからその可能性だけを頼りに、あるかどうかわからない文書を探し出すのだ。
よく考えてみればお先真っ暗なのだが、いまは味方と合流できたことを喜んだ。
到着すると少し広い部屋へ通された。
食堂らしい。
そこへ彼女を一目見ようと解放軍兵士たちが集まってきた。
ファンタズマや宿屋号のことは話せないが、帝都での暮らしや、船を奪って脱出してきた話を聞かせると、彼らは静かに胸躍らせているようだった。
本当は諸手を挙げて盛り上がりたいところだろうが、決して大声を上げない。
声が響いて地上の帝国兵に聞かれては大変なことになる。
だからきっと軍規で静粛が定められているのだろう。
それを理解しているここの兵士たちは士気も練度も高い。
地上の野盗共とは違うようだ。
彼らの顔を順に見ていって気が付いた。
全員表情が真っ直ぐで明るい。
略奪や人攫い等、悪いことをしていない証拠だ。
——大変だったが、この解放軍を目指して正解だったな。
自分が現れただけでこんなにも喜んでくれる人たちがいる。
たとえお目当ての情報が見つからなかったとしても、これだけで来た甲斐はあったと彼女は満足していた。
しかしその部屋の中、ノルトだけは表情が暗い……
やがて彼の顔を曇らせている元凶が部屋に現れた。
元副団長、そして現在は解放軍司令のハーヴェンだ。
彼に気付いた途端、兵士たちから一瞬で和やかさが消えて直立不動になった。
それを見たエルミラはよく統率されていると初めは感心したが、すぐにそうではないと気付いた。
統率がとれているのではない。
皆が司令一人に怯えている。
無理もない。
彼が漂わせている気は、凄みを通り越して身の危険を感じさせるものだからだ。
元々軍規違反には厳格な男ではあったが、彼を怖いと思ったことはなかった。
だがいまは彼女も兵士たちの気持ちがわかる。
規律に違反していなくても、気に障っただけで処刑されそうだ。
乱世は人を変えるというが、ここまで変えてしまうものなのかと驚いた。
しかし段々冷静になってくると、仕方がなかったのかもしれないという思いが湧いてきた。
秩序や規範が乱れ、まとめる者がいなくなったこの島は誰も彼もが好き勝手に振舞っている。
暴力の味を覚えてしまった彼らに道理を説いたところで効き目はないだろう。
略奪禁止を守らせようと思ったら、より強力な暴力で脅迫するしかない。
暴力を禁じるために暴力で脅す。
なんとも矛盾した話だが、彼なら躊躇わない。
彼は副団長時代、綺麗事では済まない実務を担当してきた。
理屈が通用しないとわかれば、望む結果を生むために矛盾も辞さない。
そういう視点で見れば彼らしい解放軍といえるかもしれない。
むしろ彼の厳格さが増したというなら、彼女にとっては好都合かもしれなかった。
その厳格さに照らせば、リーベルの過ちは許せないはずだ。
過ちを自分達リーベル人の手で解決したいという考えは彼の方針にも合致するに違いない。
エルミラが彼の厳格さを肯定的に考えていると、その凄みのある声が部屋に低く響いた。
「ノルトを除いて皆、下がれ」
兵士たちは司令と姫様に敬礼し、慌てふためいて退室していった。
というより、逃げ出したという表現の方が正しいか。
ゾロゾロと出ていき、部屋は三人だけになった。
一度だけ振り返って誰も残っていないことを確認すると、彼女に片膝をついてかしこまった。
「ご無事で何よりです。殿下」
ハーヴェンの声が副団長時代に戻っていた。
その声色を聞いた彼女は安堵した。
兵士たちの手前、無理に凄んでいたのだなと。
「そなたも王国が滅んでからずっと大変だったな」
「いえ、殿下のここまでの航海に比べれば——」
互いの挨拶が終わると本題に入った。
まずはハーヴェンから。
「ぜひ解放軍の司令に!」
エルミラは驚かなかった。
地下道でじいから、解放軍に王族はいないと聞いている。
そこへ姿を見せれば、大将に担ごうとするだろうと予測していた。
「祖国を取り戻すことには賛成だが、その前に——」
先に片付けたいことがある。
その後なら司令でも何でも引き受けよう。
そう告げると当然、その片付けたいことが何なのか尋ねてきた。
エルミラは息を深く吸い込む。
誰にでも話せることではない。
じいと同じくらい信用できる者にしか明かせない。
ハーヴェンは自分のことより周囲がうまくいくことを優先する男だった。
それは司令と呼ばれるようになったいまも変わらない。
気を許せばすぐに野盗の仲間入りをしかねない兵士たちを畏怖させ、解放軍を維持してきた。
そして彼女を見るなり、何の逡巡もなく司令の座を明け渡そうとした。
彼に私心はない。
そう判断し、決心がついたエルミラはリルのことを明かした。
リルという少女が王国の魔法使いによる外法で精霊艦の魔力核にされてしまったこと。
ここへは彼女を救う方法を探しに来たのでそれまで待ってほしいと……
ハーヴェンは静かに聞いていた。
表情は変わらないが、内心は初めて聞いた時のじいと同じだろう。
祖国の悪行を知って平然としている者などいない。
目を瞑って何か考え込んでしまった。
——やはり刺激が強すぎたか?
彼は真面目な男だった。
きっと動揺するだろうと予測していたが的中した。
いまの彼は解放軍司令だ。
無闇に余計な心労をかけたくはない。
だがリルのことは祖国解放と同じかそれ以上に大事なことだ。
エルミラも彼も海軍魔法兵だ。
魔法艦建造と直接の関わりはない。
だからといって、自分がやったことではないと逃げることはできない。
自分たちの国、そして所属している海軍という組織内で外法が行われていたのだ。
そのことはしっかりと受け止める必要がある。
そう考えた彼女は回りくどい言い方をやめて、わかりやすく伝えることにしたのだった。
「私も知ったときはショックだった。だが起きてしまったことは仕方がない。これからリーベル人の手で償っていけばよいのだ。だから——」
尋問と資料探しを手伝ってくれ、と言いかけたとき、司令の目がバッと見開かれた。
何事かと驚き、彼女の話が途中で止まった。
「思い出しました。人型二三号のことですな?」
リルと仰るので誰のことかすぐにはわからなかった、とエルミラに詫びた。
そして人型もファンタズマも最高機密なので無闇に話さないようにと釘を刺された。
「……いや……なぜ……」
彼女は驚きのあまり、言葉がまとまらなかった。
彼には精霊艦としか言っていない。
なのに、なぜ艦名を知っている?
なぜ二三という数字を知っている?
彼女は俯き、膝の上で拳を握りしめながら震える声で尋ねた。
「……これも〈実務〉だったのか?」
知っていたが副団長の実務だから、いちいちお飾り団長に知らせる必要はなかったということなのか?
こんな大それた非道が、彼の中では事後報告で済む〈実務〉の一つにすぎなかったのか?
「ご報告が遅れたことをお詫びします」
彼は副団長のときからこうだ。
一切言い訳せず、素直に謝る。
それが彼の誠実さだとずっと思ってきたが、もうそんな風に肯定的に考えることはできない。
彼にとってエルミラは言い訳する必要もない相手だったということだ。
報告がすべて終わった後だったことは数えきれない。
情報がもたらされたら自分のところで止めて勝手に処理する。
打った手がうまくいき、変わらない日常が戻ってきた頃に実はこんな出来事があったのです、と報告してくる。
その度、すぐ報告するようにと何度も注意したが、謝罪するだけでまったく改まらなかった。
それはそうだろう。
お飾りなのだから。
それでも副団長権限では足りず、どうしてもお飾りの署名が必要なものもある。
そのときに「もう署名しない!」とへそを曲げられては彼の実務に支障が出る。
だから頭を下げて機嫌を取っていただけだ。
ハーヴェンおじさんが幼いエルミラ
お飾り兵団長、新米、小娘、純粋な王族ではない
彼に見下される心当りがいくつも浮かぶ。
一体どれだろう?
あるいは全部か?
とにかく端から相手にされていなかったのだ。
彼女はこれまで努力してきた。
それ見たことか、所詮はお飾りなのだ——そう嗤われまいと必死に……
今日、その日々がすべて無駄だったのだと悟った。
世界中で禁呪とされている死霊魔法が魔法王国に入り込み、その外法を用いた魔法艦が建造されていた。
これほどの重大事件を知りながら、何食わぬ顔でいつも通りに書類仕事をあてがっていたのだ。
彼女は宮殿内外で心ない人たちから見下されてきたが、副団長こそが最も彼女を見下していたのだ。
彼女の悔しさが伝わってくる。
斜め後ろから見ているじいの視線の先、彼女は拳を固く握りすぎて爪が食い込んでいた。
そこへ追い討ちをかけるようにハーヴェンから新たな侮辱の言葉が続いた。
それは突拍子もない質問だった。
「話は変わりますが、夫となられる皇子はどのような御方でしたか?」
怒りと悔しさで彼女の頭は沸騰していたが、我を失ってはいなかったので質問内容を理解することはできた。
ただ、なぜそんなことを尋ねるのかわからない。
「なぜ、そんなことを気にする?」
「…………」
彼は問いに答えない。
答える代わりにただ一点を見つめていた。
一体何を見ているのか?
視線を辿っていくと彼女の腹に行き当たった。
——私の腹?
エルミラはハーヴェンの意図が掴めずに首を傾げた。
解放軍司令がなぜ彼女の腹痛を心配するのか?
食事はマルジオの朝食が最後だ。
それからかなり長い時間歩いたから、もし傷んだ食材を使っていたならとっくに食あたりを起こしている。
腹痛の心配はない。
何を気にかけているのかわからず、エルミラの視線が彼の目と視線の先にある自分の腹を行ったり来たり……
ちょうど三往復目、彼の目に一瞬嫌な光が宿った。
その光に名をつけるなら〈好色〉
——!
帝国の皇子、腹、好色……
関連性がないように思えたこれらがハーヴェンの目付きで一つに繋がった。
意味が分かったエルミラの背に悪寒が走った。
皇子の子を身籠っていないかと尋ねられたのだ。
こんな気持ち悪い質問をする理由は一つだ。
自分の血を引く子を産んでもらうため、いま彼女の腹が
その確認だ。
——なんて下品な男なんだ!
乱世が彼を変えたのか、あるいは元々下品だったのだが、彼女の前では紳士的に振舞っていただけなのか。
——気持ち悪い……
彼女は自分で気が付いた元々下品だった可能性に鳥肌が立っていた。
帝国の皇帝といい、ハーヴェンといい、どうして自分の娘ほどの年の女にそんな気持ちを抱けるのか。
ずっとそんな目でこちらを見ていたのかもしれない。
その可能性に気付かず、副団長として信頼していた。
もし時の魔法を使えるなら、エルミラは呑気に彼を信頼していた過去の自分を引っ叩いてやりたかった。
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