第31話「新王国」
旧市街マルジオの酒場の二階——
かわいい子には旅をさせろという。
先人の教えは本当だったと、ノルトは素直に頷いていた。
命がけの旅から帰還したエルミラは以前より逞しくなっていた。
リルという少女を救いたいという彼女の話には同感できる。
そして、身分に拘りなく困っている人を助けたいと思える大人になってくれたことは、育ての親として嬉しかった。
人と和する。
当たり前のことだが、これが王族と平民という関係になるとややこしい。
身分が邪魔してこの当たり前のことができなくなる。
では姫様の身分は?
彼女が正式なリーベル王家の王女であることは確かだ。
しかしここでいう身分とは、そのような形式上の話ではない。
周囲の人間が彼女をどう認識しているかという話だ。
王族たちは彼女を自分達の一員とは認めていない。
平民たちも自分たちと同類とは思わない。
いずれにも分類できない異質な存在。
それがエルミラ王女だった。
ノルトは教育係の一人に任ぜられた日のことを思い返す。
乳児だった姫様を託されたとき、陛下はすべて任せるから思った通りに育てよ、と仰せられた。
教育係の一人ということは、他にも乳母や教師が数人付けられたということだ。
教師たちは学問を教えるだけだから問題なかったが、乳母とは教育方針について揉め事が絶えなかった。
乳母は王族の方々から卑しまれているからこそ、より王族らしく育てなければという方針だった。
ノルトは違う。
王族が卑しんでいるのは血の純度だ。
出来の良し悪しではない。
ならば姫様がどう頑張ろうとも、王族の方々と和するのは絶対に無理なのではないか?
だから陛下のお言葉に従い、思った通りにお育てすることにしたのだ。
いずれにも分類できない存在だというなら、逆に、誰とでも和することができる人間に。
そのために幼い頃から平民の習俗に慣れさせてきた。
いつか婚姻や陰謀に巻き込まれ、彼女が王宮を去る日がやってくるかもしれない。
そのとき、周りにいる者たちと和して暮らしていけるように。
エルミラは帝都が辛くて逃げてきたのではないと力説しているが、そんなことは言われるまでもない。
彼女は根性なしではない。
育てたノルト自身がそのことを一番よく知っている。
根性なしどころか、王国も共和国も消滅したのだから義理など気にせず、どこか遠くで幸せに暮らしてほしいと願っていたくらいだ。
しかし、この島はだめだ。
内戦で危険だからではない。
内戦が終わった後も、姫様にとってここは良くない。
それをどう切り出そうかと考えながら話を聞いていると、ついに決定的な名前が彼女の口から飛び出した。
「——というわけで、ハーヴェンに会わせてほしい」
彼女の目的は理解できた。
姫様の言う通り、リーベルの過ちはリーベル人の手で解決するべきだ。
そのリルという少女を救うこと自体は賛成なのだが……
「お断りいたします」
「…………どうして?」
これだけ説明してもじいは拒絶してくる。
正直、彼の頑なさに彼女は苛立ちを覚えてきた。
だが同時に、一つの疑問が浮かんできていた。
じいは始める前から言い訳を並べて尻込みする男ではない。
乳母はもし失敗したらみっともないからと、先回りして全てを禁止する人物だった。
一方、彼は痛い目を見なければ学べないこともあるという姿勢だった。
だから擦り傷程度で済むことなら反対されなかった。
その彼が断固拒否の姿勢を崩さない。
なぜなのか?
エルミラが信じてもらうために伝えるべきことはすべて話した。
次はじいの番だ。
「司令にお会いになっても情報は得られないと思います。なぜなら——」
そこまで言いかけたとき、酒場の一階から誰かが乱暴に駆け上がってきた。
足音に話を遮られた二人は、一体何かと出入り口に注目した。
足音は二階に辿り着き、こちらに近付いてくる。
現れたのはマルジオだった。
「大変だ——!」
彼は血相を変えて部屋に入ってくるや、すぐに逃げるようにと急かしてきた。
しかし状況が飲み込めない二人は反応が鈍い。
その様子に焦れた親父はいま起きていることをかいつまんで説明した。
この街に他国の密偵が潜入していることは珍しくない。
朝になると帝国兵は街を巡回し、それらしい不審者を見付けて尋問する。
今朝も開いたばかりの朝市で巡回兵が不審者を発見したが、相手の逃げ足が速く、この辺で見失ったらしい。
そこで一軒ずつ扉を蹴破って踏み込み、捜索が始まってしまったのだ。
もうすぐここへもやってくる。
だから、急いで逃げろと知らせにきてくれたのだ。
だが逃げろと言われてもどこへ……
いま外に出たら捜索隊と鉢合わせになる可能性がある。
どうしたものか……
思案していると、モタモタしているように見えたのか、とうとう親父の苛立ちが限界に達してしまった。
「二人共、何ボサッとしてんだ⁉ 早く逃げるんだよ!」
親父に急かされた二人は席を立たされ、一階へ連れて行かれた。
下では親父の奥さんが店の入口から捜索の様子を見ていた。
捜索隊はついに隣の酒場へ踏み込んだようだ。
怒鳴り声や悲鳴、食器が割られていく音がここまで聞こえてくる。
親父の言う通りだ。
あまり時間がない。
一階につくとそのまま調理場へ。
親父は乱雑に置いてある道具や食材をどかし床板を外した。
そこには地下へ通じる階段が。
だが、それを見たノルトがなぜか尻込みし始めた。
「待て、姫様を連れて行くわけには——」
エルミラはじいの渋り方を見て気付いた。
ここと解放軍アジトは繋がっているのだと。
「そんなこと言ってる場合じゃねぇっ! 隣まで来てんのがわかんねぇのか⁉ 話の続きは逃げた先でやってくれ!」
親父に一括され、じいの話は遮られてしまった。
そのまま有無を言わさず地下へ放り込まれ、別れの挨拶もないまま床板を閉じられてしまった。
すぐ後から乱雑に物が積み上げられる音が聞こえてきたので、どかした食材を元に戻したのだろう。
静まり返った漆黒の地下室。
エルミラは短く呪文を唱えた。
〈暗視〉の魔法だ。
暗闇を見通せるようになり、周囲を見渡すとそこは倉庫だった。
穀物などの長期保存可能な食材や酒が保管されていた。
奥を見ると出入口が見える。
そこから地下道に出ることができるのだろう。
状況確認を終えると、隣にいるじいにも〈暗視〉の魔法をかけた。
「ありがとうございます」
「礼には及ばない。道案内してもらわなければならないからな」
エルミラの言葉に彼は一瞬息も言葉も詰まった後、項垂れながら諦め混じりにその息を吐き出した。
「……わかりました。不本意ですがご案内します」
ノルトは渋々観念した。
先頭に立ち、彼女を誘導するように地下道を歩き出す。
結構歩かなければならないようだ。
彼女はウェンドアで生まれ育ち、旧市街にはよく訪れていたので、主要施設の場所位はわかる。
しかしそれは地上部分の話だ。
地下となるとほとんどわからない。
頻繁に通っていたマルジオの酒場が地下道と繋がっていたとは……
まだまだ知らないことがあるな、と初めて通る道を見ながらじいの背中についていった。
知らないことといえば、じいが拒絶している理由についても知らない。
だがこうして案内してもらえることになった。
いまならその理由を教えてもらえそうな気がする。
エルミラはじいがなぜ拒絶しているのか尋ねた。
「姫様を拒絶しているわけではありません。ただ——」
さっき話しかけていたことだが、この島は王国と共和国という二つの国の滅亡を体験している。
それもごく短い期間の中で。
島は大混乱に陥り、乱暴狼藉の嵐が吹き荒れた。
もちろん帝国兵による島民迫害はあったが、それほど大きな被害ではない。
むしろ被害の大半は島民によるもの。
いままであった法や秩序が壊れたことで民たちの枷が外れたのだ。
同じリーベル人同士での略奪や殺し合いが多発した。
その中でも特に魔法使いたちへの仕返しが酷かった。
魔法使いは先祖代々特権階級だったので、魔法を学ぶ財力がない平民を見下し、様々な理不尽を行ってきた。
しかしその非道を許してきた加護が消えた。
そのとき、彼らはいままでの罪を償わされることになったのだ。
魔法使い狩りだ。
王国滅亡直後はまだまだ少なかったが、共和国滅亡後から急増した。
威張り散らしてきた使用人に毒を盛られたり、闇討ちに遭ったり……
街の辻に、野に生える樹木の枝に、彼らの死体は吊るされていった。
迫害を恐れた魔法使いたちは、賄賂を使って国外へ逃亡した。
だから島に残っている魔法使いや魔法兵は、賄賂を使えるほど財力がなかった者たちなのだ。
そのような者たちは王国時代も閑職にあったはずで、重要機密について知っているとは思えなかった。
リルやその新型艦について知っているとしたら、工廠や魔法研究所に関わりがあった者たちだと思うが、そのようなエリートたちは家柄が良い大貴族出身だ。
迫害されないうちに賄賂を使って島を去っている。
司令も副団長だったのだから魔法艦建造に関わりがなく、尋ねても望む情報は得られないだろう。
解放軍アジト内に魔法使いはいるが、〈時〉の使い手はいないし、死霊魔法については確認しようがない。
世界中で禁止されている外法なので、誰も自分がそうだと名乗ったりしない。
そもそもどうやって、こいつが死霊魔法使いだと目星をつけるつもりだったのか?
「……そうか」
じいの後ろをついていきながら、エルミラは残念そうに呟いた。
滅亡前からこの島には魔法使いが大勢いたが、彼女が尋問したい相手は新兵器開発に関与できるエリートだ。
もし一人も残っていないなら、今日までの苦労は何の意味もなかったことになる……
エルミラは落ち込み、トボトボと俯きながらじいの後ろをついていく。
——!
無言で歩いていた彼女は何かを思いついて顔を上げた。
その目には消えかけていた光が戻っていた。
——エリートたちは逃げ去った後かもしれないが、記録が残っているかもしれない。
二度も続いた滅亡の混乱の中、記録文書を綺麗に整理整頓して運ぶ時間はない。
極限状態で荷造りしているのだから、荷物の隙間に突っ込んで乱雑に持ち込んできたはずだ。
いまも荷造りした本人も心当たりがないようなところに紛れているのではないだろうか?
だから帰ってきたのは決して無意味ではない。
無意味だと決めつけるときではない。
諦めるのはまだ早いと彼女は心の中で自分に言い聞かせた。
一方、前を歩くノルトの表情は苦かった。
例えるなら〈やむを得ない〉という顔だ。
どちらも嫌だが、取り返しがつきそうな方を選ばざるを得ない苦々しさ。
——ここで望む情報が手に入る可能性は低いから、誰にも会わず立ち去れ——
彼の話を要約するとこうなる。
いろいろと疑問点がある話だ。
可能性が低いというが、そんなことは調べてみなければわからない。
どうせ見つからないに決まっているからやめておけ、などとまるで乳母のようなことを言う。
彼らしくない。
誰にも会わず立ち去れというのもおかしい。
エルミラ王女が健在とわかれば、解放軍の士気は高まるだろう。
それを立ち去れというのは解放軍副官としておかしい。
むしろ、是非にと頼むべきではないのか?
彼がこんな〈らしくない〉話をするのには理由がある。
姫様は旧知の者に会う気軽さで司令に会いたいと言うが、彼はかつての勤勉実長な副団長ではない。
いまこの島は、力ある者たちが〈夢〉を追いかける島となっている。
平和な時代では決して見ることが許されない大それた夢を。
ハーヴェン司令もその夢を追いかける一人なのだ。
彼の夢は、リーベル王国を建国すること。
早合点する者は王党派解放軍なのだから当然だと聞き流す。
だが暫し留まり、よく着目してほしい。
王党派が目指すべきは王国の〈復活〉だ。
〈建国〉というのはおかしい。
彼は村で略奪することを固く禁じ、略奪を働く解放軍を討伐している。
だから彼の解放軍は島内で評判が良い。
ゴブリンに捕まっていた村娘がエルミラに勧めたのも、この評判が伝わっていたからだ。
この島で彼は悪を討ち滅ぼし、民を守ってくれる英雄そのものだ。
そんな英雄が見る夢とは、自らの王国を作ること。
即ち、ハーヴェン朝リーベル王国の〈建国〉を目指しているのだ。
邪魔な帝国軍や他国の勢力、野盗と化している自称解放軍共を討伐した後、国の治め方を間違えた旧王家の連中に国を返すつもりはない。
だが、伯爵が力に物を言わせてハーヴェン王国と名乗っても人々は従わない。
面倒なのが旧王家と血の繋がりがあった大貴族と頭の固い聖職者共だ。
この連中から血の正当性について疑問を呈されたら厄介だ。
反抗する大貴族は何か理由をつけて討伐できるが、神殿勢力を討伐することはできない。
そんなことをしたら、民衆は一斉に生まれたばかりの王国に襲い掛かるだろう。
この島は再び乱世に逆戻りとなってしまう。
そのような事態を回避するべく、まずはリーベル王国の名で帝国から島を取り返す。
同時に旧王家の血を引く女性を見つけ出しておく。
新リーベル王国の国王に即位してもらうためだ。
新王国の国王は女王でなければならない。
なぜなら、時機をみてハーヴェンか彼の息子が夫になるからだ。
やがて旧王家の血を引くハーヴェンの子が生まれるだろう。
あとはその子が即位すれば、一滴の血も流れずに司令の夢が叶う。
そして国名は民心が落ち着いた頃に改名すれば良い。
〈ハーヴェン王国〉と……
だからじいはエルミラに帰ってきてほしくなかったのだ。
我が子同然の彼女が、おかしな計画に利用されるところを見たくない。
血の正当性を証明するためだけの道具になど……
だが、彼の教育が行き届きすぎてしまったようだ。
彼女は人助けのために帰ってきてしまった。
本当は人知れず連れ出し、乗ってきた船で島の外に逃がしたかった。
ところが地上では帝国兵が不審者を捜索している真っ最中だ。
逃げ場はない。
彼の言葉通り、不本意ながら彼女をアジトへ案内するしかなくなってしまったのだ。
おそらくアジトに到着次第、姫様は拘束されるだろう。
司令の計画に不可欠な女性王族が自分から来てくれたのだ。
厳重に監禁して全島を掌握する日まで外に出さない。
どうせ捕まるなら死刑が待っている帝国軍より、命と健康を保証してくれるハーヴェンの方が幾分マシだ。
そんな苦渋の決断があって、ノルトの表情は苦いままなのだ。
自然と歩みが遅くなるのも無理はなかった。
——じいもいつの間にか年老いていたのだな。
何も知らない彼女は後ろから、彼の歩みの遅さを歳のせいだと片付けた。
だが、育てた娘を大事にしないろくでなしの下へてきぱきと案内する父親がいるだろうか?
エルミラはまだ知らない。
アジトで彼女を待ち受けている運命を……
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