第30話「じい」
掃討隊は次のゾンビを求めて酒場の前から立ち去った。
後には昨夜の男と若い魔法兵の死体が残されている。
惨劇の最中、エルミラは一言も発しなかった。
終わった後、一つ大きく息を吐いて彼女は我に返る。
そこで思い出した。
いまの惨劇をマルジオの子供たちも見てしまったのでは、と。
慌てて子供たちの方を見ると、母親が胸に抱いて見せないようにしていた。
恐怖で母親にしがみついているその小さな手が痛々しい……
「もうすぐ鐘が鳴るけど、姫様はここにいてくれ」
後から声がする。
振り返るとマルジオだった。
いつの間にか、朝食を持って部屋の出入り口に佇んでいた。
テーブルに朝食を置くと、エルミラに下へは降りてこないようにと告げた。
旧市街は彼女が知っている姿からすっかり様変わりしてしまった。
現在のこの街については彼の方が詳しいのだから、大人しく指示に従う。
だが、なぜ?
姫様から尋ねられたマルジオは、答える代わりに顎をクイッとやって、再び窓の外を見るよう促した。
一体何があるのかと見てみると、さっきとは別の連中が倒れている死体を囲んで作業していた。
一人は罪人の首を刎ねるのに使う大きな斧を持ち、その他は鉄製の鉤爪がついた長い棒を持っている。
死体の傍らには荷車が……
荷車と得物を見て、彼らが何の係なのかわかってしまった。
死体処理係だ。
ゾンビの頭は吹っ飛んでいるのでトドメは必要ない。
鉤爪係数人が得物の爪を身体に引っかけて荷車に積み込んでいく。
後は若い魔法兵の死体だ。
斧係はその首の横に立ち、大上段に振りかぶった。
そして一気に!
ザグッ——!
切断した後、斧の刃が地面に食い込む音が二階まで届いた。
作業が終わった斧係は離れ、入れ替わるように鉤爪係たちが胴体を荷車へ引っ張る。
胴体を積み込むと、頭を回収しに一人だけ戻ってきた。
手慣れているようで、鉤爪をうまく眼窩に引っ掛けて運び、荷車に放り込む。
作業が終わると荷車を引いて立ち去り、後には地面に滲む大きな血痕だけが残った。
「毎朝、中央広場でまとめて焼くんだ」
マルジオは建物で見えない広場の方を見ながら眉をひそめた。
もう少ししたらその煙がここからも見えるという。
街の真ん中から上がる煙と鐘の音で一日が始まる。
これがいまのウェンドアだった。
いま作業していたのは元リーベル陸軍の歩兵隊。
魔法艦運用に携わっている海軍と違い、陸軍の扱いはあまりにもひどい。
さっきの魔法兵たちもそうだが、海洋王国の人間でも水が苦手な者はどうしてもいるものだ。
そういう者たちは陸軍に入り、沿岸街道の安全を守っていた。
しかしいま、その任は帝国陸軍騎士団が担っている。
ゆえにリーベル陸軍を丁重に扱う理由がないのだ。
咬まれたらすぐに始末するし、死体の処理もさせる。
城壁の外へ灰の処分や埋葬に行かせるし、モンスターに追われて帰ってきたら門を閉ざす。
そんな奴隷のような扱いを受けている彼らも、火葬が終わるまでは休憩を取ることができる。
だからもうすぐ、彼らが朝食を取りにここへ来るのだ。
鐘の音で一日が始まった旧市街住民たちもやってくる。
そこにエルミラがいたら大騒ぎになってしまう。
マルジオはそのことを危惧し、彼女の朝食を運んできたのだ。
ノルトがやってきたら、皆が帰るまで引き留めておいてくれるという。
「わかった。よろしく頼む」
彼の心配はもっともなことだった。
状況を理解したエルミラは、このまま二階で大人しく待つことにした。
***
一人、二階の部屋に残されたエルミラの耳に鐘の音が聞こえてきた。
ウェンドアに一日の始まりを告げる音だ。
すると待っていたかのように家々の扉が開かれ、中から一斉に人々が出てきた。
街に音が溢れ始めた。
楽器の音、人々の行き交う足音や話し声、大急ぎで品物を並べながら客を呼ぶ声……
——これが旧市街本来の音だ。
島に戻ってきてからようやく、彼女はなつかしいと思えるものに出会えた。
目を瞑って聞いていると、酒場の一階も賑やかになってきた。
客たちの注文の声と威勢の良い親父の応答。
さっきまで子供を抱いていた奥さんの元気な声も聞こえてくる。
これもなつかしい……
騒ぎはしばらく続いていたが、一人、二人と酒場から帰っていくに連れて徐々に静まっていった。
酒場から通りに出ていく人間が途絶えると、一階から何の音もしなくなった。
朝の営業が終了した。
これから酒場は昼まで準備中になる。
トン、トン、トン——
客がいなくなった静かな酒場で誰かが階段を上ってくる。
足音が不揃いだから複数人だ。
一人はマルジオだと思う。
もう一人はじいか?
エルミラは立ち上がり、出入り口の方を向いてやってくる者を待った。
上から見ていたが、通りを行く人々は帽子を被っているので、どれがじいかわからない。
一階へ聞き耳を立ててみたが、うるさくてどれが彼の声かもわからなかった。
寡黙というわけではないが物静かな男なので、いるのかどうか二階からはまったくわからなくて不安だった。
期待して待っていると、やはり最初に現れたのはマルジオだった。
出入り口の脇で振り返ると、後ろからついてきている者に入るよう促した。
コツ、コツ、コツ——
人影は部屋の中に入ってくると帽子を胸に当て、エルミラに片膝をついた。
「姫様……」
いつも侍従姿しか見ていなかったので、私服姿は初めて見た。
だが服装がいくら変わろうとも、顔は変わらない。
この白髪白髭を見間違えはしない。
彼こそがエルミラの教育係、ノルトだ。
「じい……」
エルミラの声が思わず涙声になる。
セルーリアス海では多くの船が行き交う航路を避け、大頭足に襲われそうな海域も避けた。
帝都を脱走してからこの酒場に辿り着くまで、緊張の連続だったのだ。
それがいま、育ての親の顔を見て緊張がほぐれ、涙がこみ上げてきてしまった。
感動の再会。
……のはずだった。
だが、ノルトの表情は厳しい。
いたずらが見つかったときでも、いまほど険しくなったことはなかった。
「じい?」
ノルトの変貌ぶりに彼女は戸惑っていた。
命がけで帰ってきた故郷がすっかり様変わりしていた。
せめて、育てのじいだけは……
しかし次に発せられたじいの言葉に、溢れかけていた涙が引っ込んだ。
彼は片膝をついたまま、眼光鋭く彼女を睨みつけ——
「なぜお戻りになられた? いますぐこの島から離れてください」
娘が嫁いだら親の務めは全うされるというから、じいの仕事はすでに完了したことになるのだろう。
だが親離れが出来ていないと誤解し、突き放すための言葉なのだとしたらあまりにも心外だ。
彼女はもう立派な大人だ。
いまさら幼児のように甘えたいとは思っていない。
それがわからないのだとしたら、彼は長い間、彼女の成長をまったく見ていなかったということだ。
「旦那っ、いくら何でもそりゃないんじゃないですかい?」
普段、余計な口出しはしてこないマルジオだが、あまりの突き放しぶりに咎めの言葉が出てしまった。
エルミラにも聞こえたのだから、出入り口に近いじいはしっかり聞こえたはずだ。
だが、彼女を見据えたまま、振り返らないし反論もしない。
その代わり——
「親父、すまんが二人だけにしてくれ」
ノルトは出入り口に対して背を向けているので、どんな恐ろしい顔をしていても、マルジオが立っている位置から確認することはできない。
だが、その背中から発せられる〈気〉は雅な宮廷人のものではなかった。
まるで武歴数十年の豪傑のような……
酒癖の悪い荒くれを毎日相手取っているのだから、気が弱かったら酒場の親父など務まらない。
その酒場の親父をずっと続けているマルジオの背に冷たいものが流れた。
ノルトは決して凄んでいないし、大声を張り上げてもいない。
しかしその物静かな声からは、逆らうことができない凄みが滲み出ていた。
「あ、ああ。ごゆっくり」
そう答えるのが精一杯だった。
二人に一礼して一階に降りていった。
……というより、退散したというのが正しいか。
***
マルジオが去り、部屋には二人だけが残された。
じいは膝をついて頭を下げたまま、王族に対する礼を崩さない。
厳密にいえば、エルミラはもう王女ではないのだから、礼儀は不要だった。
それに、礼儀正しさというより、断固たる拒絶を感じる。
和やかに話せる空気ではないが、彼女にとって、これはただの里帰りではない。
解放軍に接触し、リルの情報を得るためにきたのだ。
黙っていては始まらない。
いくら待っても、押し黙ったままのじいは語ろうとしないだろう。
ゆえに彼女から切り出した。
「なぜだ? じい」
「…………」
返事はない……
きっと嫁いびりが辛くて逃げ帰ってきたと思っているのだろう。
根性なしの娘に語る言葉はないということか?
それにしても、会うなり立ち去れというのはあんまりだ。
冷静沈着だったじいが早とちりをしているとは思えないが、もしそうならその誤解を解きたい。
そう思った彼女はさらに言葉を重ねた。
「もし帝都暮らしに音を上げて逃げてきたと思っているなら、それは誤解だぞ?」
「…………」
相変わらず返事はなかった。
位置関係から彼の額から眉までしか見えないが、その表情が厳しいままだということは容易に察することができる。
「私は知りたいことがあって帰ってきたのだ。それが済めばじいに言われるまでもなく立ち去るつもりだった」
それを聞いたノルトはようやく反応した。
育ての娘でもあり、お仕えする主でもあった彼女を少しだけ見上げた。
「……知りたいこととは?」
彼の語調から幾分、迫力が薄らいだようだった。
これで多少話しやすくなったので、単刀直入に尋ねた。
「リルを人型二三号にした魔法使いたちを探している」
この街の地下に潜伏しているのは、外の自称解放軍共と違い、旧王国軍の流れを汲む王党派解放軍だ。
議会派や帝国軍に渡したくない機密を持った貴族たちは、数ある中からこの解放軍との合流を目指したことだろう。
じいはその副官だ。
持ち寄られた機密情報を目にしているはず。
だから細かい説明は不要。
〈リル〉と〈二三号〉とだけ言えばお互い、何の話かわかるはずだ。
だが——
「リル? 人型?」
じいは明らかに困惑していた。
迫力は消え、不思議なものでも見るような目で彼女を見ている。
「じいは副官だろう。知らないはずはあるまい」
エルミラは溜め息混じりにそう吐き捨てた。
下手な芝居をするものだと呆れるが、彼の表情を見逃さなかった。
彼は困惑ではなく、混乱している。
「お待ちください。本当に何のことかわかりません」
彼の目に映る姫様は、彼の言を全く信じていない様子だ。
実際、彼女はその言葉を信じてはいない。
だから「もう芝居はやめよ」と言いかけていた。
「…………」
その言葉は彼女の喉から舌先に達していたが、結んだ唇から外に出なかった。
彼女がすんでのところで飲み込んだからだ。
思い出した……
彼は昔から芝居が下手なのだ。
だから嘘をついても、すぐ芝居だとわかってしまう。
こんな迫真の演技ができる男ではない。
「本当に何も知らないのか?」
じいは首を縦に振りながら逆に尋ねてきた。
「帝都で何を見たのです?」
「…………」
じいの顔を見ていたエルミラは確信した。
彼は本当に何も知らないらしい。
副官なのだから司令官の傍らで様々な情報に触れていると思ったのだが……
こうなったら、やはりハーヴェンに会わせてもらうしかない。
さっきの迫力は驚いたが、じいが若い頃に武功を立てたという話は聞いたことがない。
そんな男を副官にしているハーヴェンの真意はわからないが、あくまでも形式上にすぎないことは確かだ。
だから機密情報に触れることはできない立場なのだろう。
それでも、司令のところまで客人を案内すること位はできるはずだ。
そのためにはまず、「帰れ」一点張りのじいを説得しなければならない。
エルミラはじいに着席するよう促し、自分も向き合う位置に椅子を動かして座った。
そして、今日までのことを説明した。
リルとの出会い、ファンタズマ号のこと、ロレッタ卿のこと……
じいは微動だにせず、ただ黙って聞いていた。
一言一句聞き漏らすまいという真剣さが、話している彼女にも伝わってきていた。
——相変わらず、じいは生真面目だな。
彼の昔ながらの様子を見た彼女は安心を覚えるのだった。
一方、彼女はじいの話をよく聞いていなかった。
彼は一言も姫様に帝都へ「帰れ」とは言っていない。
彼はこう言ったのだ。
この島から「離れろ」と。
彼女はこれからその意味の違いを思い知ることになるのだった。
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