第29話「掃討隊」

 噛まれた男を見送った後、エルミラはマルジオに連れられて裏口から店に入った。


 そこは酒場の調理場だった。

 馴染みの客になれるほどこの親父の店に通ったが、彼女が調理場の中を見たのは初めてだった。


 初めて見た感想は——

 なんだか閑散としていた。

 もっと食材がひしめき合っている光景を想像していたのだが……


 親父は調理場を抜けて二階へ彼女を案内しながら、そのことをぼやいた。


 やはり州政府はウェンドア全体に夜間外出禁止令を出していた。

 夜になると下水道を開放されてしまうので、市民たちは嫌でも守らざるをえない。


 そのせいで、酒場の店主たちは夜間営業ができなくなってしまったのだ。

 いまは朝から夕方までしか店を開けずにいる。

 だから食材を大量に仕入れても仕方がないのだ。

 もっとも、海上封鎖と外出禁止令のせいで、食料品をはじめとしたあらゆる物資が不足しているのだが。


「ゾンビが通りをうろついているのに、店を開いているのか?」


 ゾンビは日の出が近付くと暗闇へ逃げていくが、別に日の光に当たることで溶けてしまうわけではない。

 怯えているだけで、暗闇を探して逃げ込んだりすることはできるのだ。

 時には近付いた人間に噛みつくことも。

 エルミラの疑問は当然だった。


 しかし親父によれば、その心配はないらしい。

 朝になると、帝国兵と魔法兵たちが街に残っているゾンビたちを掃討する。

 それが終わると鐘が打ち鳴らされ、市民たちの一日が始まるのだ。


 そして夕方、再び鐘が鳴って一日が終わる。

 この暮らしが始まった頃は市民たちの不満が絶えなかったが、いまはもう諦めていた。


 明るくなったら働いて、暗くなる前に帰宅する。

 夜は二階以上の高い所で、大人しく朝の鐘を待つ。

 これがいまのウェンドア市民たちの生活だ。

 親父も夜になると二階に引き上げ、家族と固まって朝を待つ。


 案内されて二階に上がると、奥さんと子供たちに驚かれた。

 それはそうだろう。

 他国に嫁がされたはずの王女様が、突然自分たちの家に訪れたのだから。


 親父もそのことは気になっていたようだった。

 なぜウェンドアにいるのか、と。


 現在のウェンドアの様子がわかったので、今度はエルミラがここまでのことを話した。


 謀反人共の共和国は気に入らなかったが、それでもこの島に住む者たちが救われるならと我慢した。

 しかし帝都で共和国滅亡と併合のことを知り、我慢する理由がなくなったので、船を奪って脱走してきた、と。


 ……ファンタズマのことは伏せておいた。

 この親父が知る必要はないことだ。

 リルのことといい、搭載している呪物兵装といい、関わればこの一家に災難が降りかかる。


 だからただ〈船〉と言ったのだが、一家は何も引っ掛からずに納得してくれた。

 併合を知ったのは脱走後、宿屋号と合流してからだ。

 本当は時系列がおかしい説明だったので、そこを突かれると苦しくなるところだ。


 ほっとしたエルミラは話を変えた。

 ハーヴェンの解放軍についてだ。

 なんとか関係者と接触したい、と伝えるとなつかしい名前が飛び出した。


「ノルトの旦那に相談してみてはどうだい? 姫様が帝国に連れて行かれてから、毎日来てくれるんだ」


 ノルト——

 幼少の頃から教育係として彼女に寄り添ってきた老紳士。

 実の父より父親らしい。

 誰に対しても穏やかで怒鳴ったりせず、人前で酔って暴れたりもしない。

 そんな彼が毎日、酒場へ?


 じいともあろう者が、明るいうちから酒を呷りに?


 お仕えしてきた王女が嫁いで御役御免になった上、王家も滅んでしまった。

 きっとその寂しさを紛らわせようと酒に手を……

 まさか、副官の地位を利用してハーヴェン軍から酒代を集るような真似を?


 勝手に悪い想像をして盛り上がっている彼女を親父が制した。


「すまねぇ、言葉が足らなかった。正確には毎日じゃなくて、毎朝なんだよ」


 ノルトは酒を飲みに来ているのではなかった。

 毎朝、朝食を食べにやってきて、親父と世間話をしたり、姫様の思い出話をして帰っていくという。


 それを聞いた彼女は胸を撫でおろした。

 じいは変わっていない、と。


 ゴブリンから救出した村娘からは賊と化した解放軍たちの話を聞かされ、今日は変わり果てた旧市街を見せつけられてきたばかりだ。

 せめて彼女が知っている者たちだけは、そのままでいてもらいたかったのだ。


 その晩は一家の厚意で、そのまま泊めてもらうことになった。

 とはいえ、時刻はすでに深夜。

 せいぜい五・六数時間程度なのだが。



 ***



「前へ、進めーっ!」


 疲れて眠っていたエルミラは、外から聞こえてきた号令で飛び起きた。

 二階も灯りや音が漏れないように閉め切られていたのだが、いまは開かれている。

 窓からは朝の光とそよ風、そして号令に続く行進の足音が部屋の中に入ってくる。


 すでに奥さんと娘は起きて、外の様子を眺めていた。

 一体何の号令なのか、と一緒に外の様子を見る。


 号令の主はマルジオが昨夜語っていたゾンビ掃討隊だった。

 ちょうど酒場の前を行進中なので、その陣容が上からよく見える。


 ——っ⁉


 一目見たエルミラは悟った。

 酷い目に遭わされているのは市民だけではない。

 魔法使いたちも例外ではないのだ、と。


 重厚な大盾を構えた重装歩兵が、通りの端から反対側の端まで横一列に並び、その後ろから弓兵や銃兵が続いている。

 ここまでは普通だ。


 昨夜、マルジオは語っていた。

 朝になると、帝国兵と魔法兵たちが街に残ったゾンビを掃討する、と。

 だから魔法兵は弓兵たちと共に、重装歩兵の後ろから魔法攻撃を行っているのだと思っていた。


 しかし違った。

 重装歩兵の後ろには帝国から一緒にやってきた弓兵と銃兵しかいない。


 では、魔法兵たちはどこに?

 彼らの持ち場は……重装歩兵の前方だった。


 魔法兵という兵科を全く理解していない、明らかに間違った配置だ。

 これでは魔法兵本来の能力が十分に発揮できない。

 何だったら、弓兵の後ろに配置しても良いくらいだ。

 王国のように独立した部隊はなかったかもしれないが、帝国軍の中にも魔法の使い手はいただろう。

 大陸のモンスター相手に剣と魔法を組み合わせて戦ったこともあっただろうに……


 帝国の愚かさに歯噛みしながら見ていると、部隊は止まった。

 ゾンビが現れたからだ。

 陽光の中で怯えていたが、現れた人肉たちを見て食欲が上回ったらしい。

 右手を前に突き出して向かってきた。


「! ……あいつは……」


 エルミラの表情が引きつり、思わず息を呑んだ。

 親父に酒をもらって立ち去った男だった。

 完全にゾンビに変異してしまっている。


 右の肩口は黒緑色の血で染まっており、顔は正視に堪えない形相になっている。

 だが、服装と髪型は変わらないので彼だと断定できた。

 なにより、左手にはあの酒瓶が握られていた……


 複雑な思いはあるが、完全に変異してしまっている以上、始末するしかない。

 部隊を率いている隊長が叫んだ。


「魔法兵、前へっ!」


 号令を合図に、重装歩兵たちが槍で丸腰の魔法兵たちをゾンビの方へ追いやる。

 槍で脅された彼らは仕方なく、ゾンビに向かっていく。


 そこまで見てようやく、この配置が無知ゆえではないと悟った。

 彼らはおそらく旧王国陸軍の魔法兵たちだ。

 見知った顔が一人もいなかった。


 先の哨戒網突破の際、魔力砲の砲撃と空中での火球の爆発を見て確信した。

 あの艦隊には海軍魔法兵が乗っている、と。


 甲板に行って見てきたわけではないが、海軍魔法兵はそれほど悪い待遇ではないはずだ。


 もし敵船斬り込みに使ってしまったら、誰が魔力砲に装力するのか?

 核室に定位させている精霊から力を引き出すにしても、誰がその精霊を制御するのか?

 召喚士だけでなく、それ以外の魔法の使い手も必要なのだ。

 彼ら抜きで帝国の素人たちが精霊艦を動かしたら、艦はすぐに転移するだろう。


 竜の力で魔法艦隊に勝利した帝国軍が、なぜ魔法艦を運用したいのかわからない。

 だが、魔法兵なくして魔法艦運用はあり得ない。

 帝国海軍はいやでも海軍魔法兵とうまくやっていくしかないのだ。


 対して陸は——


 海の最強がリーベル海軍なら、陸の最強は帝国陸軍だ。

 彼らは筋肉と武器があれば、すべての敵を粉砕できると信じている。

 そんな彼らにとって、陸軍魔法兵は貧弱で無意味な存在だった。


 だから毎朝、戦奴としてゾンビと戦わせているのだ。

 反乱に使われては面倒なので武器も防具も与えない。

 ご自慢の魔法で何とかすれば良い。

 できなければ噛まれるだけだ。

 倒すゾンビが一匹から二匹へ変更になるが、大した問題ではない。


 どうせゾンビも陸軍魔法兵も、いつか絶滅させるのだから……


 通りでは不慣れな肉弾戦が始まった。

 丸腰の魔法兵たちの中から一人が前に押し出され、自然と戦いになっていった。


 仲間たちから押し出された彼は、見るからに貧弱で小柄だった。

 彼が襲われている間に、他の者たちは詠唱を進めた。


 人は困ったとき、互いに助け合うというのは嘘だ。

 嘘という言葉が言い過ぎだとしたら、理想と言い換えよう。


 理想だから、できればそうありたいという努力目標にすぎない。

 ただの目標にすぎないから、最も力の弱い者にすべてを擦り付けて自分達だけ助かろうとする。


 いま目の前で繰り広げられている光景がまさにそうだ。


 もし人と人が助け合うときがあるとしたら、それは普段から仲間と呼べるほど親しい者が困っているときだろう。

 平時より派閥争いに明け暮れていた彼らに仲間意識はない。


 彼らは己の利益のためなら、国を売ることも厭わなかった者たちだ。


 革命が起こったとき、陸軍魔法兵団はすべて議会派についた。

 革命自体は議会派の貴族たちによるが、裏からそう仕向けていたのは帝国だ。

 だから決起する前から、陸の兵団は帝国と繋がっていたのだ。


 エルミラは帝都で軟禁されていたので、共和国内で帝国と結託した彼らがどれほど権勢をふるっていたのかはわからない。

 だが仲間を裏切った者は、いつか仲間と信じていた者から裏切られる。

 今日、丸腰でゾンビの前に突き出されている彼らのように。


 仲間と信じていた帝国から切り捨てられ、戦奴にされた陸軍魔法兵たち。

 その戦奴仲間からさらに切り捨てられた貧弱な魔法兵は、あっという間に押し倒されてしまった。

 ゾンビの方が体格差で勝っていたからだ。


「早く助けて! 助……」


 見ればまだ若い魔法兵だった。

 おそらく貴族出身だと思う。

 幼少から魔法を学び、陸の兵団に入り……

 まさか、戦奴仲間から見捨てられ、化け物に食われる最後が待っていたとは思いもしなかっただろう。


 ゾンビが噛みついた部位は、奇しくも昨夜ゾンビ自身が齧られたのと同じ右肩口だった。

 ゾンビは噛みつくと、強引に頭を上げた。

 ブチブチブチッ、という嫌な音と共に肩肉が千切れる。


「ギャアァァァッ!」


 静まり返った朝の通りに若者の悲鳴が木霊する。

 掃討隊は息を呑んだ。

 魔法兵だけでなく帝国兵も。

 彼らの方に向けられたその顔が、思わず言葉を失うほど醜悪だったからだ。


 血色の悪い肌、白濁した眼、若者の血で赤黒く染まった口周り。

 その口からは赤く濁った歯を剥きだし、新鮮な肉片を咥えている。

 そこへ——


 バチィィッ‼


 ようやく完成した雷球が、次々とその顔面に命中した。


 雷球は海上でもその眼球を吹っ飛ばすほどの威力を誇る。

 それを島蛸の眼球より小さい人間の頭に集中したらひとたまりもない。


 命中した衝撃でゾンビの頭が粉々に砕け、僅かに遅れて飛んできた雷球がその断片を更に粉砕する。

 その欠片をさらに……

 ゾンビの首から上が血煙に変わるのは一瞬だった。


 頭を潰されたことで活動停止となり、若者に被さるように倒れ込んだ。

 咬まれた若い魔法兵は激痛に耐えながら、その死体を自分の上から押しのけた。


 しかし痛みが邪魔してうまく立てず、片膝をついたところで右肩を押さえて呻いた。

 それでも彼は立ち上がらなければならない。


 まだこんなところで死にたくない。

 変異する前に浄化してもらえれば助かる。

 本当は横たわっていたいが、まだ助かる見込みが残っていると掃討隊に示さなければならなかった。


「助けて……早く、神殿に連れ…」

「射撃用―意っ!」


 隊長の号令と共に横一列だった重装歩兵たちが二列横隊になり、空いた隙間に弓兵と銃兵が入ってきた。

 弓兵はキリキリと弦を引き、銃兵は撃鉄を起こした。


「狙えーっ!」

「ちょっと、待って……まだ」


 まだ変異していない。

 浄化してもらえれば助かる。

 大陸ではどうか知らないが、この島ではそうやって助かった者たちがいる。


 若者は痛みを堪えながら必死に訴えるが、帝国兵たちは聞く耳を持たない。

 戦奴仲間も脇でうずくまり、流れ弾に当たらないよう己が身を守っている。

 誰も彼を救おうとはしなかった。


 ひどいが、戦奴たちを詰ることはできない。

 明日も生きていたければ、自分の命は自分で守るしかない。

 今日助けてやった仲間が、明日裏切らないという保証はどこにもないのだから。


 一隻の船に乗り合わせた敵同士でも、セルーリアス海の真ん中で船が沈みかけたら、協力して防水作業を行うという。

 普段いがみ合っていても、いざとなったら人と人は助け合うのだ、と老人は子供たちに語る。


 しかし、そうではない。

 そうしなければどうしても共倒れになるからだ。

 他者と引き換えに自分が助かるなら、形式上の仲間の命など喜んで差し出すだろう。


 いま何の火の粉も降りかかってない他の戦奴たちが、彼を庇って隊長に助命嘆願などするはずがなかった。


 現にこの若者も、先日囮になって咬まれた仲間を救おうとせず、脇にうずくまって見殺しにしていた。

 今日が自分の番だったというだけだ。


 もう助からないからトドメを刺されるのではない。

 用済みの命を救うのが面倒だから始末するのだ。


 そのことを悟った彼の手が、噛み千切られた傷口からダランと落ちた。

 その諦めを待っていたかのように、隊長の号令が轟く。


「撃てぇーっ!」


 号令の一瞬後に続く、弦を弾く音と発砲音。

 皆、若者の頭部目掛けて矢と弾を放った。


 さすがは帝国陸軍というべきか。

 騎士団に比べると歩兵隊は士気が低いというが、練度は高かった。

 一発の撃ち漏らしなく、全弾が彼の頭部に命中した。

 しかもただ当たったのではなく、額に集中している。

 ゾンビの急所である脳を精密に撃ち抜いていた。


 彼は撃たれた衝撃で後ろに倒れた。

 ……もう命乞いはしない。


 たとえで戦奴であっても人間として死ねて良かったのか?

 あるいは完全にゾンビ化するまで生きていたかったか?

 それを彼に確認することはできない。


 だが、帝国からの迫害や仲間から切り捨てられるかもしれない恐怖から、本日をもって解放されたことは確かだ。


 そして再びエルミラを叩き起こしたあの号令が通りに轟く。


「前へ、進めーっ!」

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