第26話「元難民たち」

 夜になり、エルミラはウェンドアを見下ろす丘を下りることにした。

 その前に——


「リル」


 巻貝を手に取り、少女に連絡を入れた。

 これから潜入する、と。


「見つからないように気を付けてね」


 ずっと退屈していたようで、声が明るい。

 エルミラの用はそれだけなのだが、ひとりぼっちでいる少女を気遣い、もう少し会話を続けることにした。


 何を話そうか?

 少し考えると、巻貝を口へ持っていった。


「あいつらは探しに来ていないか?」


 あいつら——

 深夜、こちらへ十字砲火をお見舞いしてくれた艦隊のことだ。


「んー、それがね……」


 リルによれば、軍艦どころか漁船も通らないらしい。

 ひたすら波の音と海鳥の鳴き声しかしない、とぼやいた。

 今日も甲板掃除や船室の掃除をやって、後は女将さんからもらった本を読んで暮らしていたらしい。


 つまらない思いをさせていることはすまないが、エルミラは少女の愚痴を安堵の思いで聞いていた。

 帰りはまたあの哨戒網を突破しなければならないのだ。

 しかも彼らはこちらの存在に気付いている。

 遮光航行にせよ、強行突破にせよ、疲れる航行になるのは確かだ。


 少女はちょうど夕食だったらしく、話す声がモゴモゴとこもっていた。

 それでいい。

 いまのうちによく食べて、ゆっくり休んでいてもらいたい。


 しばらく連絡できなくなることと、何かお土産を持ち帰ると約束し、少女との通信を終えた。


 いよいよウェンドアに潜入する。

 昼間、弓矢を作りながら観察した結果、河口側の下水道から入ることにした。

 海側は港が近いこともあって、人の気配に引き付けられたゾンビが多い。


 河口側排水口は丘を下りて川を挟んだ反対側にある。

 河口なので川幅は広く、水深もそれなりにあるので渡し船か橋が必要だ。


 この地に住んでいた昔のリーベル人は、渡し船ではなく橋を選択した。

 以来、城門から伸びる道に繋がるように橋が掛かっていた。


 橋は城門の正面にあって、昼だとそこを通る者はすべて門番に見られる。

 通るなら夜だ。

 夜になるとゾンビが出てくるので、門番は引き上げ、城門を閉ざす。


 川岸を歩いて橋の下まで来ると、彼女は下から見上げた。

 戦の後にも関わらず、橋は無傷だったようだ。

 橋脚も橋桁もしっかりしている。


 共和国は城壁の内側に駐留していた帝国軍によって、僅かな時間で制圧されたという。

 おかげで橋を含めた様々な施設が戦火を免れたのだろう。


 確認を終えたエルミラは川岸から橋の親柱へ移動し、その影に隠れた。

 すぐには渡らず、周囲の様子を確認する。


 橋の上にゾンビはいない。

 皆、日課の城壁叩きに出かけているようだ。


 城門は?

 果たして城門の上に見張りが何人立っているか……


 弓兵一名と丸腰一名。


 ——厄介だな。


 彼女は心の中で舌打ちした。

 弓兵は別に問題ない。


 問題は隣の丸腰の方だ。

 弓矢も槍も、何も持たずに突っ立っている。

 魔法兵だ。


 迂闊だった。

 ここはすでに探知魔法の円の中だ。

 空間鏡から見た陸上の探知円はかなり広かった。

 川岸を歩いている時点でとっくに見つかっていたのだ。

 だが、城壁上は静かなままだった。


 なぜ敵襲を告げない?

 どうして迎撃態勢をとらない?


 こちらを捕らえるために歩兵隊を出そうとしたら、城門を開くことになる。

 そうすると城壁叩きのゾンビたちが、殺到するかもしれない。

 だから閉門したまま、上から矢を浴びせてやろうと待っているのか?


 それにしては二人から緊張感が感じられない。

 もう少し近付いて様子を見ようかと、中腰になった時だった。


 弓兵が何かに気付いて、隣の魔法兵に知らせた。

 魔法兵は不意に驚いた様子で、彼が指差す先を覗き込む。


「まったく……」


 その様子を橋の影から見ていたエルミラは溜め息を吐いた。

 なんだったら舌打ちもしたい気分だった。


 魔法兵は探知魔法を発動していなかった。

 もし発動していたら、弓兵より先に異変に気が付く。

 彼の職務怠慢だった。


 探知魔法も歴とした魔法なので、詠唱と集中の持続を要する。

 ずっと発動し続けられるわけではない。

 そこで港側の魔法兵たちは交代しながら、探知円が途切れないようにしていた。


 では港以外は?

 残念ながらいまほどではないが、王国時代の城壁魔法兵たちも決して士気が高かったとは言えない。


 どうせ敵はゾンビくらいだし、夜明けにはいなくなる。

 港側に魔法兵を集めなければならず、その分、城壁は堅固に作られていた。

 素手のゾンビがいくら叩いても、これを突破するのは不可能だ。


 これで緊張を緩めるなというのは無理だろう。

 加えて、いまは帝国に支配されているのだ。

 王国時代の魔法兵はエリート部隊だったが、現在の地位は低いはずだ。

 彼らの職業意識が高いはずはなかった。


 きっと直立不動のまま、意識ここに在らずだったのだろう。

 だから魔法兵よりは多少士気が高い弓兵が先に見つけたのだ。

 一体のゾンビがどこからか現れて、城門に近付いているのを。


 髪は長く、スカート姿だから生前は女性だったのだろう。

 着ている衣服は血にまみれ、あちこち噛みちぎられて骨が露出している。


「ウゥゥ……アァ……」


 まるで助けを求めるように両手を突き出し、ヨロヨロと城門に取りついた。


 ガン! ガン!


「アアアァッ!」


「開けろ」と言いたいのか、「助けて」と訴えているのかわからないが、彼女は何かを叫びながら鉄の門を叩き始めた。


 それを見た弓兵は矢をつがえて、彼女の頭頂に狙いを定めた。

 魔法使いたちも明快な答えは出せていないのだが、ゾンビたちは脳が弱点らしい。

 撃ち抜かれたり、斬首されると活動を停止する。

 ただ、斬首された頭部はしばらく動けるので、口に近付くと噛まれるらしいが……


 帝国の弓兵が上から頭を狙っているということは、大陸のゾンビも同様なのだろう。

 狙われているとも知らないゾンビは夢中で叩いているが、鉄板を叩く音と叫び声の間に矢が割って入った。


 矢は僅かに逸れて耳を貫きながら、彼女の肩口に刺さった。

 人間がゾンビになると痛みを感じなくなると信じられていたが、研究によってそうではないことがわかっている。

 奴らにも触覚はあるのだ。

 ただかなり鈍くなるというだけだ。


 それでもさすがに耳たぶが千切れるのは痛かったらしい。

 傷を押さえながら、凄まじい悲鳴を上げた。


「アァッ! オゴアアアァァァッ!」


 触覚と違い、ゾンビたちの聴覚は鋭い。

 城壁に取りついて叩いていた連中の手が止まった。


「オオォ……」

「……アアァァァ……」


 彼らは日課を中断し、ゾロゾロと大きな声がした方に流れていく。

 辿り着くと、そこにいたのは人間ではなく仲間だった。


 集まった連中はヨロヨロと揺れながら彼女を取り囲む。

 見ると、彼女は上に向かって手を振り上げて叫んでいた。

 一体何に気を取られているのか、おそらくすでに腐っているであろう彼らの脳では分析できない。


 そこに何があるのか、自分も見ればわかることではないか。

 ようやくそのことに気付いたゾンビ数体が見上げた。

 そして最初の彼女と同じく、手を上に振り上げて叫び始めた。


「ウゴアァッ!」


 他のゾンビたちも遅れて見上げると、全員が騒ぎ始めた。

 彼らが見上げた城門上には二人の人間の姿が。


 ガン! ゴン!


「アアアッ!」


 ガン! ガン! ガン!


 中断していた彼らの日課はそこで再開した。

 先頭のゾンビが門を破ろうと叩きながら押し、そのゾンビを後ろから押す。

 揉み合いになって倒れたゾンビを踏みつけながら、ボロボロの人影たちが城門に向かって大渋滞を作っている。


 その頭上に雷撃が降り注いだ。

 城壁魔法兵の雷球だ。

 上から人込みに向かって撃っているのだから、いやでも弱点に当たる。


 一体のゾンビの頭頂に当たった雷球は弾け、バラバラになった稲妻が思い思いの方向に駆け抜ける。

 額に当たった稲妻は後頭部から抜けて直後のゾンビの額へ。


 頭を貫かれた者たちが地に伏せると、空いた空間を無事だった者たちが埋めていく。

 足を取られた者が倒れれば、その上を踏みつけて門に向かって行く。


 二人では防ぎきれない。

 ここでようやく城内に敵襲が知らされた。

 詠唱を終えた魔法兵が傍にある警鐘を激しく鳴らす。


 カンカンカンカンカンカンカンカン——!


 ひとしきり鳴らすと再び雷球の用意に戻った。

 ゾンビは火に弱いから、火球のほうが良さそうだ。

 だが別命ない限り、通常時に使用する魔法は火以外と昔から決まっている。


 火球が直撃した者は一瞬で消し炭になるが、少し離れていた者は火だるまになる。

 ウェンドアの城門を出るとすぐにイスルードの豊かな森が広がっているのに、引火した彼らがのたうち回りながら森に入ったら火災になってしまう。


 だから城壁魔法兵は基本的に雷撃か氷撃を行う。


 エルミラが橋の影から見守る中、南側の城門は大騒ぎになっている。

 応援に駆けつけた弓兵たちは直ちに上から矢を降らせ、魔法兵たちは雷球の詠唱を始めた。

 程なく、横一列に青白い光がいくつも灯された。


 不謹慎だが、橋から見るその光は幻想的だった。

 その一つ一つが、大勢のゾンビたちの脳を内部から破壊できる、恐ろしい稲妻の塊なのだが……


 しかしこれからすぐに幻想的ではなくなる。

 耳をつんざく悲鳴がそこいら中に轟くことだろう。

 それを見届けようとは思わない。


 エルミラは移動を開始した。

 いまなら見張りたちの注意がゾンビの群れに向かっている。

 ゾンビたちも増えた獲物たちを全員で見上げていて、誰も振り返らない。


 それでも両者に気付かれないよう、静かに橋を渡っていく。

 五歩程進んだとき、完成した雷球が一斉に降り注いだ。

 一瞬、城門周辺の地面が青白く光り、沢山の悲鳴が橋まで届いた。


 決して気持ちの良い音曲ではなく、どうしても眉をひそめてしまうが、歩みは止めない。

 元難民たちが注意を引き付けてくれている間に、排水口まで辿り着きたい。


 悲鳴の後、一瞬静かになったが、再び呻き声や叫び声がし始める。

 ものすごい大群だ。


 王国時代もゾンビが城壁の下でウロウロしていたが、ここまで大群になったことはない。

 下水道やウェンドア周辺を定期的に駆除し、村をモンスターに滅ぼされた村人たちは城内に入れて保護していた。


 帝国軍はこの島に来て、すぐにわかったはずだ。

 大陸同様、この島も肉食獣やモンスターが跋扈する危険な場所だと。

 にも関わらず、難民を見殺しにし続けたから今日のようになった。


 橋を渡り終えたとき、次の一斉雷撃が彼らの頭上に落とされた。

 再び地面に稲妻が走り、僅かにエルミラの足裏にも衝撃が伝わってきた。


 だが、もはや振り返りも立ち止まりもしない。

 彼らの戦いを横目にエルミラは下水道へ静かに急いだ。


 ゾンビ対人間の戦いはその後もしばらく続いたが、いくら手を振り回そうとも、高い城壁の上にいる獲物に届くはずはなかった。

 城門も元々分厚い鉄板で作った上に、閉門後は魔法で障壁を張る。

 オーガが叩いても壊れない代物だ。


 そのような安全地帯から一方的に矢と雷を落とされ続け、大群はあっという間に全滅した。

 雷撃を終えた魔法兵たちは探知魔法を発動する。

 彼らの探知円が城門前でいくつも重なり合い、残敵を探し出す。


 あれだけの攻撃を受けて動ける者などいるはずはないのだが、念には念を入れなければならない。


 数分後、魔法兵たちによって敵の殲滅が確認され、戦闘態勢が解除された。

 戦いが終わった援軍は詰所へ引き上げていく。


 後には元からいた弓兵と魔法兵の二名が残った。

 彼らの視界の中、城門前もその先の橋にも、動く者は誰もいない。


 南門に静寂が戻った。

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