第25話「食人屍」

 イスルード島沿岸街道西部——


 時刻は零時を回った頃だろうか。

 街道を行くエルミラと村娘の前に、目指す村が見えてきた。

 闇夜を照らす灯りが強い。

 建物から漏れる灯りではなく、屋外で焚かれている火だからだ。

 ゴブリンたちの襲撃を受け、家が破壊されてしまったのだろう。


 エルミラは村の手前で娘と別れた。

 一瞬、このまま村へ行って、村人たちを労いたいと思った。

 だが、やめておいた。


 村人たちに必要なのは、物資や人手などの支援だ。

 それを伴わない元王族の言葉など空しいだけだ。


「本当にこのまま行かれるのですか? 」


 別れ際、娘に尋ねられた。

 破壊と略奪の後なので何もおもてなしできないが、夜明けまで休める寝床なら用意できるかもしれない、と。


 ありがたい申し出だったが、感謝した上で辞退した。

 解放軍の話の後、娘には戻ってきた理由を簡単に説明した。


 この島と関係のない人が多大な迷惑を被っている。

 いまの有様も捨て置けないが、それ以上のリーベルの恥だ。

 そちらを先に解決したいので、いまは帰還を知られたくない、と。


 娘は理解してくれた。


 もちろん島は大事だが、いまの元王女にできることは何もないのだ。

 名乗り出れば、解放軍は総大将に持ち上げてくるだろうが、それだけだ。

 頭を下げてみせるだけで、決して従いはしない。


 従わせるには力が必要だ。

 帝国軍も解放軍も、逆らおうという気が失せるほどの圧倒的な武力が。

 ファンタズマは確かにすごいが、所詮一隻の小型艦だ。

 彼らを従わせるほどの力はない。

 しかもその力はなるべく使いたくない。

 だからいまは単独行を続ける。


「いまの私には何の力もないのだ。姿を見せて、皆に期待を持たせたくない」

「……わかりました。それではお気をつけて」


 娘はウェンドアにいた魔法使い共より遥かに聡明だった。

 エルミラのことは秘密にすると約束してくれた。

 村人たちには、ゴブリンたちが狼の群れに襲われている隙に逃げてきた、と説明してくれるという。


 最後に、助けてくれたことを感謝すると、娘はそのまま振り返らずに村へと帰っていった。

 まもなく、村から上がった歓喜の声が、静かな街道にいるエルミラのところまで届く。

 少しの間、彼女も街道から娘の帰還を喜んだ。


 しかしいつまでも頬を緩めてはいられない。

 すぐに気を引き締め直すと、北を目指して再び歩き始めた。


 思いがけず、この島の情報が手に入って良かった。

 特に解放軍がいくつもあるという情報は重要だ。

 娘の提案通り、ハーヴェン伯の解放軍と接触することにした。



 ***



 元海軍魔法兵団副団長ハーヴェン。

 彼は紳士的な人物だった。


 数百年の歴史を誇るエリート集団、海軍魔法兵団。

 その副団長なのだから紳士的なのは当たり前、と思うかもしれないが、そうではない。


 実は昔から団長と副団長は仲が良くない。

 特に、王族や大貴族が団長の地位を独占してからは……


 王族団長にしてみれば、身分も役職も下の者に兵団の実権を握られているのは面白くない。


 副団長にしてみれば、何の能力もないお飾りのくせに、時々勝手なことをしては仕事を増やす厄介なお荷物。


 どちらも相手を鉄拳制裁というわけにもいかないので、皮肉の言い合いになってしまう。

 そんな紳士的でない関係が、代々続いているのだ。


 エルミラは強く希望して士官学校卒業後は、団長ではなく魔法剣士になった。

 団長になってしまっては、存分に海へ出ることができない。


 兵団において魔法剣士がどういう立場だったかというと——

 海軍魔法兵団は団長の下に副団長がいて、その下に魔法兵隊隊長や魔法剣士隊隊長がいる。

 さらに魔法剣士隊隊長の下には副長がいて、その下に魔法剣士がいる。

 つまり一時期ではあるが、彼女は彼の部下だったのだ。


 それがある日突然、娘ほど年齢が離れている部下がいきなり上司になった。

 まだ入隊したての新兵が……


 ただでさえ、王族はお飾りと嗤われているのに、そこへこの人事だ。

 副団長が何も思わないはずはない、とエルミラは彼に対して警戒心を持っていた。


 だが違った。

 書類に対する助言は副団長業務なので、団長の個人的な好き嫌いなど考慮しないが、それ以外で彼が団長を蔑ろにすることはなかった。

 蔑ろにするどころか、そういう態度を取る者を叱るほどだった。


 彼は可能な限り、団長を尊重した。

 そういう副団長なので、代々伝統となっていた皮肉の言い合いは起きなかった。

 王族団長が慣例化して以来、初めてのことだった。


 粛清を恐れて島外に逃げていた者たちは、帰還後に変わったというが、彼は変わらなかったようだ。

 だから彼の解放軍が略奪を行わない、というのも頷ける。

 彼らだけが真に祖国解放を目指しているのかもしれない。


 そしてその解放軍司令を補佐している副長がノルトじいだ。

 これもハーヴェンを信用できる要素の一つだった。


 じいは父王より父親と思える存在だった。

 何かうまくできたときには優しく褒めてくれた。

 しかし決してご機嫌取りというわけではない。


 良くないことをしたときは、なぜそうしてはいけないのかちゃんと教えてくれる大人だった。

 他の侍従たちのように「いけません!」と喚き散らしたことは一度もない。


 そのような尊敬できる人物がハーヴェンの補佐についている。

 それだけでも信用できる。


 帝国海軍の海上封鎖に、盗賊団と化している各解放軍と、この島の情勢は不穏だったが、ようやく希望が一つ見つかった。


 夜道を行く彼女の期待は膨らんでいった。



 ***



 州都ウェンドア——


 海に面したこの都は最初から都だったわけではなく、漁村から始まったという。

 彼らは取れた魚を他の村へ売りに行くために、島の各地に道を広げていった。

 内陸部に住んでいた者たちも海沿いの村を目指して道を拓いていった。

 やがて両者の道は合流し、それが今日の街道の基礎となった。


 その南街道を北上していたエルミラはついにウェンドアの近くまでやってきた。

 時刻は正午。

 街道を歩いていると、城壁上の見張りに見つかってしまう。

 そこで街道を外れ、小高い丘の上から木々に隠れて都を見下ろしていた。


 この場所には昨夜到着していた。

 だが、すぐに潜入を開始することはできなかった。

 想定していなかったものを見てしまったからだ。


 夜になると城門の跳ね橋は上げられる。

 これは想定していた。

 王国時代からそうだったから。


 想定していなかったのはその城壁だ。

 あちこちで外側から城壁を叩いている人たちがいる。

 いや、人というより人影というべきか。


 食人屍——ゾンビだ。

 死後も動き続け、生ある者たちの血肉を貪る動く死体。

 この島の死者が皆そうなるわけではなく、大抵の者たちは静かな眠りにつく。

 幽霊もそうだが、こういうものは誰かが余計なことをするから目覚めてしまうのだ。


 良くない土地に埋葬したとか、死霊魔法や邪教の呪いとか、闇の精霊の悪戯等……

 最初の一体目はそうして発生するのだろう。

 そしてその一体目に襲われた者も死後目覚めて、同様に血肉を貪るようになる。


 噛まれた傷が小さく、命に別状なかった者も司祭たちによる〈浄化〉を受けなければゾンビと化す。


 研究している魔法使いたちはなぜゾンビ化してしまうのか諸説立てて争っていたようだが、当時もいまもエルミラにとってどうでもいい説だ。

 要するに、接近させないようにすればよいということだ。


 救出した村娘を村へ送る途中、島のことをいろいろ教えてもらったが、滅ぼされた村の人々は難民となってウェンドアに集まっているらしい。


 だが帝国軍は治安悪化を恐れ、難民たちを城壁の内側に受け入れない。

 仕方なく、城壁に沿って住み着き始めたのだが、そんなことをしていれば野外を彷徨っているゾンビがやってくる。


 これも諸説あるが、どうやらゾンビは遠くからでも獲物がわかるらしい。

 嗅覚や聴覚が生前より鋭くなっているのか、生きている者の〈気〉を感知しているのか不明だが、沢山の人が集まっている方に向かう習性があるようだ。


 団長時代、エルミラも城壁上から見たことがある。

 ウェンドアは王都だったので、当然大勢の人間が住んでいる。

 その音か匂い、あるいは〈気〉に引き付けられてきた数体のゾンビが呻きながら城壁を叩いていた。


 昨夜、ウェンドアの灯りで薄っすらと見えたが、あの頃より遥かに増えていた。

 おそらくは難民たちが……


 彼らは空が白々とし始めた頃、怯えながらどこかへ立ち去る。

 行先はわかっている。

 ウェンドア地下から伸びてきている下水道の出口だ。


 排水口は、海に直接注ぎ込んでいるものや都の隣を流れる河口と繋がっているものがあり、そこなら日射しを避けることができる。


 早朝、ゾロゾロと穴に帰っていく彼らを見ながら、エルミラは困ってしまった。

 彼女もそこから潜入しようと思っていたからだ。


 村娘の情報によると、ハーヴェン派はウェンドア旧市街の地下に潜伏しているという。

 下水道から旧市街に出ようと思っていたのだが、おそらく排水口は海側も河口側も彼らで溢れかえっているだろう。


 夜になったらまた城壁を叩きに出てくるだろうから、その留守を狙って入るしかない。

 ただ、数体はどこかに引っかかって、排水口内に残っている可能性がある。


 そいつらを静かに仕留めながら進まなければならない。

 木々の間から射す明るい日の下で、エルミラは枝を削ってその準備を整えていた。


 彼らは火に弱い。

 これがただの下水道掃除なら、火の魔法をお見舞いしながら進んでいける。

 しかし今回、この方法は採用できない。


 火の魔法は熱だけでなく、光も生み出す。

 下水道から灯りが漏れたら、見張りに気付かれてしまう。


 それにハーヴェン派が帝国軍を欺くため、あえてゾンビと隣り合わせの下水道に潜伏している可能性もある。

 もしそうなら、彼らのアジトで放火を働くことになってしまう。


 そこで弓矢を作り、外に出られなかった者たちを仕留めることにした。


 それにしても、ハーヴェンたちは一体どこに潜伏しているのか?

 もう少し情報が欲しかったが、同時にエルミラはこれで良いとも思っていた。


 ウェンドアの外の村娘まで潜伏場所を知っているようでは、そのアジトはとっくに踏み込まれている。

 きっと意表をついた場所だ。

 たとえば、ゾンビの巣の中にある安全地帯とか。


 旧市街に限定してもウェンドアの地下は広い。

 下水道の他に地下道や地下室があり、地図に載っていない忘れられた空間も合わせると、総面積は地上と同じ位かそれ以上だと言われている。


 作ったリーベル人ですら、そのすべてを把握しきれていなかったのだ。

 その地下迷宮に逃げ込まれてしまったら、よそからやってきた帝国の人間が探し出すのは不可能に近い。


 都の地下を潜伏場所に選んだハーヴェンは頭が良い。

 いくら騎兵隊が大陸最強だったとしても地下には入れない。

 それに解放軍を名乗る野盗が騒いでいるので、機動力の高い騎兵隊は基本的に州都を留守にしている。


 その留守を守るのは歩兵隊と海軍。

 海軍は海に出るから気にしなくてよい。

 そうなるとハーヴェンたちの敵は歩兵隊だけということになる。


 その歩兵はびっくりするほど士気が低い。

 帝国では騎兵がエリート集団であり、出世もしていく。

 対して、歩兵隊は出世の見込みがないので士気が低いのだ。

 そんな彼らが面倒臭い地下迷宮で解放軍の捜索など、真面目にやるはずがない。


 手柄を求める騎兵が縦横無尽に駆ける山野より、やる気がない歩兵しかいない都の方が安全かもしれない。


「よし、こんなもんだろう」


 弓矢が完成した。

 矢は二〇本用意した。

 これで足りないほど残っていたときには、大人しく退却して他の方法を考える。


 準備を整えたエルミラは大きな欠伸を一つすると、そのまま木に寄りかかってうたた寝を始めた。


 潜入は夜になってから。

 下水道を通って旧市街に出る。

 もしかしたら、知らずにアジトを通り過ぎてしまうかもしれないが、確信がないままゾンビの巣でウロウロと探したりしない。


 地下に潜伏しているということは、地上に協力者がいる。

 そいつに教えてもらうのが一番近道だ。


 下水道を抜けたら、その協力者を見付けなければならないのだが、幸いなことに心当りがあった。

 旧市街と聞いた瞬間、すぐにその人物が思い浮かんだ。


 これから彼に会いに……行……く……


「…………」


 頭の中でそう呟いた辺りでエルミラは眠りにつき、へその辺りで組んでいた彼女の手がほどけてずり落ちた。

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