第21話「演劇」

 遮光中のファンタズマ号甲板——


 エルミラとリルは無事だった。

 二人は帝国軍の十字砲火を凌ぐことに成功した。


 空間鏡の中、あの士官の目つきがどうしても気になった。

 あれはこちらの位置を見抜いている目だった。


 どうやって特定できたのか?

 真相は彼に聞いてみるしかないが、推測くらいはできる。


 ファンタズマは、哨戒中の警備艦とすれ違うときは速度を落としたが、抜き去った後には帆を全開にしていた。

 それで多少は白波が立ってしまったのかもしれない。

 おそらく、あの警備艦はそれを見逃さなかったのだ。


 戻ってきたのは十字砲火のため。

 深夜直終了の申し送りに見せかけて配置に着いたのだ。


 ——呑気に立ち去るのを待っていなくて、本当に良かった……


 エルミラの口から大きな溜め息が甲板に落ちた。



 ***



 あの士官が旗艦に乗り込んだ後、エルミラは胸騒ぎが治まらなかった。


 そこでリルに指示を出した。

 ウンディーネの水流噴射だ。

 ただし白波を立てるわけにはいかないので、弱い力でゆっくりとやってもらう。

 それをファンタズマに向かって押すように噴射させた。

 帝都のときのように外側に向かってやったら、停泊している艦隊を不自然に揺らしてしまうからだ。


 初めは右舷から押し、追尾してきた警備艦の射線から外れた。

 続いて艦尾。

 弱い水流なので亀のように遅いがジワジワと前進し、少しずつ艦隊の砲列を横切っていく。


 空間鏡の中で、艦隊に異変はない。

 あの士官はこちらに気付いているようだが、お互いに姿が見えないのだ。


「何も見えない海に向かって、みんなで撃ってみよう!」


 海軍のお偉方というのは、どこの国でも頭が固いのだ。

 向こうの提督もきっと、どうにもならない頑固親父だろう。

 そんな提案がすんなり通るわけがない。


 彼女も石頭は嫌いだが、このときばかりは応援したい気分だった。

 どうか頑固親父の本分を遺憾なく発揮し、あの士官の言うことは戯言と突っぱねられたし。


 彼女の応援が背中を押したのか、頑固提督は士官に誑かされていないようだ。

 依然、艦隊は通常直のまま。

 その間にファンタズマはノロノロと、最後尾艦の真横に差し掛かる。


 あと少しで抜き去れる!

 その時だった。


 ——⁉


 空間鏡の中で、旗艦甲板に人の動きがあった。

 艦隊全体が収まるように表示していたが、大急ぎで拡大する。


 見ると、見なりの良い軍人が士官を一人伴って、甲板に上がってきたようだ。

 水兵たちが一斉にその軍人に向かって敬礼している。

 艦長と副長、もしくは頑固提督と艦長なのだろうか。


 彼らは一体何をしに甲板へやってきたのか?

 軍人は水兵たちに敬礼をやめさせると、何か言っているようだったが、空間鏡は映し出すのみ。

 音を拾うことはできなかった。


 ——まさか、戦闘配備か⁉


 彼女は耳を澄ましてみた。

 遮光は見えなくなるだけで、音は遮らない。

 まだ艦隊の真横にいるので、ここからでもよく聞こえる。


 戦闘態勢になれば、それを乗員たちに告げる鐘が鳴らされ、走り回って板を踏み鳴らす音、水兵たちの掛け声が聞こえてくる。


 だが、聞こえてくるのは水兵同士の私語や笑い声のみ。


 何もないし、あるはずもない。

 面倒臭い深夜直がもうすぐ終わる。

 そんな弛んでいる日常の声しか聞こえてこなかった。

 どの艦でも甲板砲に近付く者はおらず、舷側の砲門外扉は閉じたままだ。


 追尾艦の甲板では魔力砲をいじっている者がいるが、砲戦用意にしては人数が少ない。

 もし砲撃準備なら、一つの砲に数人の砲兵たちが付き、一斉に装填作業に取り掛かる。


 それが人数はたった二人。

 一つ目が終わったら、隣へ。

 それが終わったら、更に隣へと順番に作業しているようだ。

 おそらく点検作業だろう。


 再び空間鏡を動かして旗艦の軍人たちへ。


「おい、人騒がせだな……」


 二人を見たエルミラは、苦笑しながらホッと安堵の溜め息を漏らした。


 彼女が艦隊の様子を見渡していた間に、軍人たちは欄干に寄りかかって一杯やり始めていたのだ。

 長い瓶とグラスが見える。


 いま士官が、身なりの良い軍人のグラスにおかわりを注いでいる。

 どうやら彼らは提督と艦長の組合せだったようだ。


「まったく……気の早い仕事上がりだな」


 彼女がぼやくのも仕方がないことだった。

 こちらは大真面目で回避行動の真っ最中。

 それに引きかえ向こうは、もうすぐ深夜直が明けるからと、仕事上がりの一杯を前倒し。

 頑固提督どころか、不良提督だ。


 ——こんなボンクラ軍人たちを見張っているのも馬鹿々々しい。


 安心したエルミラは、もうすぐ抜き去れる最後尾艦に注目することにした。

 彼女が違和感に気が付いたのは、空間鏡を最後尾艦に動かそうと手を翳したときだった。


「ん?」


 ボンクラ二人は欄干に寄りかかっているのだから、正面の海や星を見上げるか、話している相手と顔が向き合っているはず。

 ところが、こちらの方に何度も顔が向いている。

 それも二人同時に。


 まだ暗くてよく見えないが、なんとなく海を見渡して、その中でこちらの方にも視線を送ってみただけなのではないか?

 そう考えてもみたが、艦隊前方より後方を見る回数の方が偏って多い。


 彼女の首筋から背中に向かって、ひんやりとしたものが伝わり落ちた。


 ——あの提督は頑固でも不良でもない!


 エルミラは自分の浅はかさに唇を噛んだ。


 無敵艦隊は弱小と侮っていた帝国海軍に滅ぼされた。

 自分も帝都沖で、彼らが決して弱小海軍ではないと思い知ったではないか……


 あの甲板は私たち観客に見せる舞台だ。

 端役の水兵たちと主役の提督と艦長が、気怠い日常を演じて見せた。

 だが、観客席から見えない舞台裏では、次のシーンのために準備を進めている。


 この警備艦隊は接収したネヴェル型で構成されているようだ。

 ネヴェル型精霊艦は二段砲列を備えている。

 舞台裏たる下段砲列甲板では、次の用意をしているのではないだろうか?


 次は領海に侵入してきた脱走艦を、至近砲撃で血祭りに上げるシーンだ。

 しかし舞台上では、まだ平和なシーンを上演中なので、砲撃準備をするわけにはいかない。

 だからその分、舞台裏の砲兵や魔法兵は裏方として大忙しのはずだ。

 に魔力を付与しておいたり、火球や雷球の詠唱を始めたり……


 ——いつ撃たれるか、わからない?


 エルミラは自分たちの運命が風前の灯であることを悟った。

 提督たちはまだチラチラ、ちびちびやっている。

 向こうは向こうで、バレないように砲撃準備を整えるのに苦労しているのだろう。

 その時間稼ぎであることは明白だ。


 だが焦っているのはこちらも同じこと。

 もうすぐ最後尾艦の射線から外れることができるが、向こうが早かったら艦尾に数発受けることになる。


 至近距離とはいえ、たった数発で魔法艦が沈むことはないが、命中音で位置が特定されてしまう。

 そうなれば、もうお手上げだ。


 ——なんとしても先に射線から離脱したい!


 エルミラの目が提督たちと最後尾艦を行ったり来たりと、せわしなくなった。


 提督たちは……

 大丈夫、こちらを横目で見ながら談笑中だ。


 外扉は……

 大丈夫、まだ閉じている。


 恐怖と興奮が織り交ざった複雑な不安感が、エルミラの胃を締め付けた

 彼女は軽い吐き気を覚えながらも、なんとか監視を続けた。


 幽霊船の回避が先か?

 あるいは元無敵艦隊の装填速度が上か?

 競争の結果はどうやら幽霊船の勝利で決まりのようだった。


 幽霊船が最後尾艦の射線から完全に抜けるまであと一〇秒。

 まだ外扉は開かれない。


 あと五秒。

 四秒……


 そのとき、提督の手からグラスが落ちた。


「撃ち方、始めっ!」


 それを合図に砲門外扉が一斉に開き、中から赤く光った砲口が突き出されていく。

 火力弾だ。


 ネヴェル型の核室に召喚されているのは基本的に火精だ。

 もちろん事前に召喚しておけば、他の精霊艦になることはできる。

 だが、戦闘中に切り替えることができる可変型と違い、単一型は戦闘が終わるまでずっとそのままでいるしかない。

 ゆえに戦闘前に、何の精霊艦になるかを決めておかなければならなかった。


 こう述べると難しそうに聞こえるが、旧王国海軍ではそれほど悩むことはなかった。

 軍艦にせよ、商船にせよ、木で出来ているのだから燃やすのが一番だ。

 とりあえず雷精艦と水精艦を数隻用意したら、あとは火精艦にしておけば間違いはなかったのだ。


 今日も魔法艦隊の基本である火精艦編成だったようだ。


 ——火力弾を装填した魔力砲は、こんなに赤く光っていたのか。


 それが撃たれる寸前、エルミラに浮かんだ素直な感想だった。

 撃つ側として、後ろから赤く光る砲口を何度も見てきたが、前から見るのは今日が初めてだった。


 おそらくはリーベル人でも彼女が初めてかもしれない。

 密輸された旧式砲や、闇に流れた欠陥品ではなく、無敵艦隊正式の魔力砲で狙われたのは。


 各艦の号令がファンタズマの甲板にまで聞こえてきた。


「伏せろ!」


 敵の号令に混じって彼女もリルに向かって叫び、頭を押さえて腹ばいになった。

 それを見た少女も同じように倣った。


 直後、西の海に向かって鳴り響く長い轟音。

 ファンタズマの艦尾スレスレをサラマンダーが赤く引っ掻いていった。

 続いて上空で火球の連続爆発が起こり、爆風の圧力が甲板に伏せる彼女たちの背中を押し潰す。


「あぅ……っ!」


 圧力で肺の空気が押し出されてしまい、思わず二人から呻きが漏れた。


 だが、艦長は苦しくても現状を確認しなければならない!

 その責任感から、苦しみながらも片目を開いたエルミラの目に飛び込んできたのは、右舷艦尾から艦首へと走る淡い光。

 追尾艦の貫通強化弾だ。

 淡い光は幽霊船の右舷を舐めるように飛び去っていった。


 警備艦隊の一斉射撃を辛うじて回避することに成功した。

 間一髪だった。

 ボートの士官が放つ殺気を見逃していたら、間に合わなかっただろう。


 ウェンドア沖に静けさが戻り、腹ばいだったエルミラは体を起こしたが、へたり込んだまま暫し放心した。


 ゆっくり五つ数える程の時間が経つ。

 気を取り戻した彼女は、艦長の使命を思い出してハッとなった。

 乗員の安否は?


「……リル⁉」


 まだ腹ばいのまま伏せている少女に駆け寄り、膝に抱きかかえた。


 両手で耳を押さえていた少女は苦笑いしながら右親指を上に立てて無事を告げた。


「ものすごい音だった。まだ耳がキーンって言ってるよ」

「ああ、それは大丈夫だ。すぐに治まる」


 リルが無事ということは、ファンタズマも異常なしということだ。

 安心したエルミラはすぐに空間鏡を確認しにいった。

 これが壊れたら遮光中に周囲の様子がわからなくなる。


 いろいろと操作してみると、こちらも異常はないようだ。

 よく考えてみたら、もしこの空間鏡に異常があったら、リルが目の不調を訴えるだろう。

 動転していたので、うっかり失念していた。


 無事だとわかると、さっそく空間鏡を動かして艦隊の様子を確認した。


 ——あいつら、これで諦めてくれるだろうか? それとも……


 彼女の悪い予感は当たった。

 第二射用意だ。


 全艦の甲板にワラワラと水兵たちが出てきた。

 通常通りの戦闘配備だ。

 第二射は上下段全門砲撃らしい。

 前方の艦たちも横の射線を増やすための配置に移動している。


 さすがにこれは躱せない。

 一度沖へ離脱するべきか……


 その沖で一発の火球が打ち上げられたのは、エルミラが諦めかけていたときだった。

 急いでその火球付近を拡大してみると、交易船団の一隻から打ち上げられたものだとわかった。

 さらにその背後には島蛸が迫っていることも。


 第二射は中止となった。

 あの提督は脱走艦撃沈より、人命救助を優先したようだ。

 艦隊は十字砲火の態勢を解き、一列になって沖へと向かって行った。

 追尾艦は艦列の一番最後に続く。


 その去り際、エルミラは何気なく旗艦を拡大してみた。

 提督はもう見つからなかったが、あの士官はまださっきの場所に佇んでいた。

 ただ佇んでいるのではなく、こっちを睨みつけている。


 ——今日のところは見逃してやるが、次はないと思え!


 エルミラはそんなことを言われている気がした。

 その倍率のまま見送ると、やがて人影は点になり、艦列が豆粒のようになっていった。

 空間鏡から消える直前、その豆粒に雷球の青白い光が灯り出した。


 悪霊として退治される寸前だった幽霊船は、こうして島蛸に救われた。

 ファンタズマは辛くも帝国海軍の哨戒網突破に成功したのだった。


「危なかった……」


 エルミラの肩から力が抜けた。

 振り返り、舵輪を握っているリルに向かって親指を立ててみせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る