第20話「悪霊退治」

 ロイエス提督の号令を合図に、第三艦隊の砲門外扉が一斉に開いた。

 砲口が暗い海に向かって突き出されていく。

 同時に艦体表面のそこかしこから、ユラユラと炎の気が立ち上る。

 第三艦隊に配備されていたネヴェル型は火精艦だった。


 どの艦の魔力砲にも、その力が十分に装填されている。

 かつて世界の海軍を恐れさせた無敵艦隊の「力」だ。

 これを浴びれば、最新鋭艦といえどもタダでは済むまい。


 悪霊退治の準備は完了した。

 各艦砲術長の咆哮がウェンドアの海に木霊する。


「撃てぃっ!」

「てぇぇぇっ!」

「撃てぇぇぇっ!」


 ドンッ! ドドドンッ! ドンッドンッ! ドドド……


 まだ寝ぼけている朝日を叩き起こすかのような轟音。

 火の力を付与された砲弾がまっすぐに飛び出していく。

 同時に上空でも爆発が起きた。

 魔法兵たちの火球だ。


 夜明け前の海は、そこだけ昼間のような明るさになった。

 闇は、闇の中でこそ紛れることができる。

 これだけ明るい空間の中、闇のままでいることはかえって浮彫になってしまう。


 幽霊船を見てやろう、と提督とシオドアは欄干から身を乗り出した。

 果たして艦隊後部の海に悪霊は……


 ——いない⁉


 惰性航行により艦隊真横で止まっていると計算したが、あくまでもただの予測だ。

 実際にはもっと速度が出ていて、最後尾の艦を抜き去ったところで止まっているかもしれなかった。


 シオドアは最後尾艦の更に向こうの海を睨んだ。


「あそこか!」


 彼は伝声筒を掴んで叫んだ。


「副長、撃ち方始めっ!」


 こういう場合に備えての十字砲火だった。

 たとえ幽霊船が最後尾艦の射線からすでに外れていたとしても、アルンザイトの位置から撃ち込めば、幽霊船の艦尾に直撃するはずだ。


 副長はすでに左舷側で命令を待っていた。


「左舷、撃てぇぇぇっ!」


 副長の号令で左舷魔力砲が火を吹いた。

 撃ち出された砲弾は、ほんのりと光を引きながら飛んでいく。

 火の力を付与している火力弾ではなく、通常通り魔法兵が付与しただけの貫通力強化弾だ。


 スキュート型防盾艦は精霊艦ではない。

 初期魔法艦の流れをくむ艦なので、艦内精霊から力を引き出すのではなく、何をするにも魔法使いによる詠唱を要した。


 本当は他艦同様火力弾を撃ちたいが、火の魔法は時間がかかる。

 スキュート型の魔力砲は甲板に設置されている一段のみ。

 ネヴェル型のような二段式ではないので外扉はなく、その内側で砲撃準備というわけにはいかなかった。

 点検作業の振りをしながら、モタモタと火力付与の詠唱などやっていたら、幽霊船に気付かれてしまうだろう。


 艦隊の砲撃開始と同時に詠唱を始めても間に合うものは、火や雷を伴わない威力強化のみ。

 基本的な付与魔法だ。


 ゆえにこの夜戦でアルンザイトは、貫通力強化を付与された砲弾を撃つしかなかった。


 艦隊から撃ち出された火力弾は炎を引きながらまっすぐ飛んでいる。

 その様はまるで火精サラマンダーが夜空を引っ掻いた爪痕のようだ。

 その爪痕に強化弾の残光が直角に横切り、敵艦尾を目指す。


 副長はその命中を見守らない。

 彼にはまだやることが残っている。


 幽霊船は面舵を切った可能性がある。

 その場合、アルンザイト右方向で艦尾を晒している。


 振り返った副長の視界には左舷の海同様、サラマンダーが夜空を引っ掻いていた。


「右舷、てぇぇぇっ!」


 ドンッ! ドンドンッドンッ! ドンッ!


 耳鳴りと振動、それと腹に響いてくる衝撃。

 それらが副長の全身に命令完遂を報告してくる。


 右舷の砲撃は終わった。

 結果が気になる副長は、すぐに左舷を振り返る。

 果たしてシオドア艦長の読みは的中したのか?


「…………」


 魔法兵たちが上空に放った火球は限られた範囲しか照らせない。

 ギリギリ最後尾艦までだ。

 その明かりの中に幽霊船の姿はなかった……


 火力弾も何かに衝突することなく、まっすぐ飛んでいって海に落ちたようだ。

 あとは強化弾だが、明かりの中を横断して飛んでいったまま何かに衝突した音がしない。


「……気味悪いな」


 艦隊内の砲兵が一人、誰に言うでもなくボソッと呟いた。


 シオドア艦長は、白波という現実の痕跡が残るのだから、実在する艦船だと主張する。

 だが、本当にそうなのだろうか?


 足跡を残す幽霊や、消えた後に水溜まりを残す水死霊など、昔から痕跡を残す怪談話は多い。

 あくまでも物体の船だというなら、装甲が厚くて痛手を与えられなかったとしても、当たった音くらいするものだ。

 それがまったくないというのは、やはり……


 各艦第一デッキを中心に、帝都の怪談がシオドアの理論を上から塗りつぶそうとしていた。


「外したか……」


 旗艦ノイエッドの甲板上、提督は困ったように頭を掻いた。


「こういうことは、神官共の領分なのかもしれんな……」

「提督っ⁉」


 シオドアは提督の言葉を聞き捨てならず、詰め寄ってしまった。


 ここだ、と睨んだ場所に敵はいなかった。

 そのことは言い訳しない。

 ただそれでも、幽霊船ではないと言い切れる。

 予測位置にいなかったのは、白波が立たない何らかの方法で移動したのだ。


 いつも冷静な若者が珍しく、提督に食い下がった。

 その剣幕は、上官に対する無礼に当たるかもしれない。

 だが海の武人は、それを咎めはしなかった。


 これから帝国海軍は無敵艦隊に成り代わり、竜と魔法艦をもって世界の海で戦っていかなければならない。

 強大な敵にも遭遇するだろう。

 そのとき、必要になるものは信念だ。


 艦隊は組織だから、皆が好き勝手言い出したら纏まらなくなる。だから命令を忠実に遂行する従順さは大切だ。

 だが、絶対に正しいと信じたことを、上官に怒られるからと曲げるような弱虫は海賊共に勝てない。


 それがロイエスという海の武人が、長い海賊退治の人生で学んだことだった。


 彼にも、本国に対して曲げられない信念がある。

 腰抜け海軍と侮ってきた本国の奴らに、最強の艦隊を見せつけてやりたい。

 そのために、この艦隊を勇者の集団に育てたいと思っていた。

 だから上官の顔色次第で、信念を曲げるような意気地なしは、第三艦隊に必要ない。


「相手は幽霊なのだから仕方がない」と言ってしまえば、簡単に問題から逃げられる。

 だがこの若い艦長はそうせず、あくまでも実在する敵艦として対処しようとしている。

 困難から逃げない武人が考えたことは、たとえ年下であろうと静粛に聞くべきだ。

 そんな思いもあって、提督はシオドアの話を黙って聞いていた。


 やがてひとしきり言い終えたシオドアは、自分の剣幕に気が付いて、ハッとした。


「大変、失礼しました!」


 弾かれたように敬礼し、非礼を詫びる。

 相手は提督だし、年長者だ。

 間違った内容とは思わないが、あまりにも強い語気だった。


「いや、わしが戦闘中に神官などと冗談を言ったのが原因だ」


 提督は笑い流した。


「次に考えられるのはあの辺かな?」


 すぐに真顔に戻ると、艦隊右舷後方のさらに向こう——

 十字砲火の射線から外れていた辺りの海を指差した。


 二人共、端から帝都の怪談など信じていなかった。

 敵艦は幽霊船ではない。

 必ず撃沈できるという信念があった。

 一度撃って当たらなければ、当たるまで撃てばよいだけの話だ。


「第二射、用意っ!」


 提督の伝声筒から全艦に命令が轟く。

 すぐに命令復唱がその手の中から聞こえ、再び全艦で砲撃準備が始まり、方向や角度が修正されていく。


 もう演技の必要もなくなったので、甲板にも砲兵たちが出てきて同じように作業に入った。

 次の十字砲火は上下段一斉砲撃だ。


 第一射をはずしてしまったが、決して無駄弾ではない。

 その射線上にいないことがわかったのだ。

 第二射は艦隊右後方のさらに向こうへ集中できる。

 コソコソする必要がなくなった水兵たちは、大急ぎでその準備を整えていく。


 砲撃の位置が悪い艦隊前部の艦たちは、アルンザイトに並ぶように移動してきた。

 さっきは艦隊側の〈縦〉の射線に対し、〈横〉の射線が少なかったが、これで万全だ。


 程なく、提督とシオドアの伝声筒に準備完了が連なった。


 再び悪霊退治の号令が海に轟く。

 その寸前——


「提督、あれを!」


 近くにいたノイエッドの水兵が西の空を指差した。

 水平線の彼方、一筋の光が空に向かって伸びていった。

 火球だ。

 海軍魔法兵の火球は陸のものより小さいが、これはさらに小さい。

 辛うじて一発だけ打ち上げたという様子だ。


 火球が撃ち出された辺りでは、いまの火球よりもっと小さい光が揺らめいている。

 だが、遠くてよくわからない……


 望遠鏡を持つ者は一体何なのかと、筒を伸ばして覗き見た。

 揺らいでいる光はランタンの灯だった。

 ということは、船がこちらに向かってきていることを意味している。


 揺らぎは波のせいではない。

 円を描いたり、縦横に動かしたり。

 まぎれもなく、人間の手によるもの。

 信号だ。


 同じ内容を繰り返しているようだ。

 万国共通の信号なので当然、帝国海軍の軍人にも理解できる。

 内容は……


 ——!


 意味を理解した提督の動きは早い。

 握りしめていた伝声筒へ号令をかけた。


「全艦抜錨! すべての帆を張れ!」


 提督だけではない。

 見ていたすべての者が、信号の意味を理解している。

 急な命令変更に戸惑う者はいなかった。


 シオドアも理解している。

 それでも一抹の口惜しさから、幽霊船がいるはずの海を一睨みした。

 だが、いつまでも未練を引き摺っている場合ではない。

 伝声筒を取り出して、副長に指示を出す。


「艦長よりアルンザイト、抜錨し艦隊に続け!」


 事は急を要する。

 ボートを下ろして戻っている時間はない。

 このままノイエッドから指揮をとる。


 第三艦隊が悪霊退治を中止するほどの一大事。

 それは交易船団からの救助要請だった。


 船団は帝都からウェンドアに向かう途中だった。

 それが、セルーリアス海の半ばを越えた辺りで島蛸の襲撃を受けた。


 幸運にも、船客として旅の魔法使いが乗り合わせ、迎撃を買って出てくれたのだが、全速力の甲板は激しく揺れた……

 詠唱に苦労しながら、なんとかウェンドア沖まで辿り着いたとき、前方の空で何個もの火球が爆発するのを見た。


 ——沿岸警備隊が近くにいる!


 そこで位置を知らせるために火球を作って直上に撃ち出したのだった。


 第三艦隊の任務はイスルード島に近付く不審船の排除だ。

 それともう一つ重要な任務がある。

 人命救助だ。


 今日、この重要な二つが同時に起こってしまったが、提督たちは迷うことなく人命を優先した。


 ——せっかく幽霊船が潜んでいる場所を絞り込めたのに……


 確かに残念ではあるが、そこにいる可能性が高いというだけだ。

 必ずそこにいると確約されているわけではない。


 他方、船団はいますぐ救助に行かなければ、必ず死傷者が出ると確約されている。

 どちらを優先するべきか、考えるまでもない。


 それに幽霊船のことは気になるが、拿捕・撃沈のチャンスはまだある。


 海賊エルミラは、幽霊船を解放軍に引き渡すつもりだろう。

 そのためにどこかで上陸しなければならないはずだが、島にはすでに大陸最強の陸軍が配備されている。


 精霊艦も海軍魔法兵も海で真価を発揮するもの。

 船を降りたリーベル人などブレシア騎兵の敵ではない。

 幽霊船そのものよりエルミラを捕縛すればよいのだ。


 そんなことより、いまは島蛸退治だ。

 頭を切り替えたシオドアの号令がアルンザイト副長の伝声筒に届く。


「副長、雷撃用意!」


 これは、無敵艦隊を葬った者の務めだ。

 大頭足クラーケン類や海賊に襲われている船団があれば、これからは帝国海軍が救う。

 ウェンドア沖では第三艦隊がその責務を果たす。


 森の代わりに海を守るネヴェル型精霊艦。

 いま、その甲板ではいくつもの雷球が青白い唸りを上げている。


 王国から帝国へ。

 雷球を放つ者は変わったが、島蛸が嫌いなものはいまも昔も変わらなかった……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る