第19話「悪霊へ贈る十字砲火」

 挟撃だけはなんとか回避できたファンタズマだったが、いまも際どい状況は続いていた。

 南向きの警備艦隊に対し、自分たちは北向きで並ぶように停船中だ。


 艦隊至近で白波を立てるわけにもいかず、取舵を切りながら帆を畳んだ。

 なんとか惰性航行で艦隊横をすり抜けたかったが、うまくいかない。

 ノロノロと艦隊後部で止まってしまった。


 この状態で気付かれたら、魔力砲を至近距離で撃たれる。

 ファンタズマも魔法艦なので鋼化装甲板で武装しているが、ただでは済まないだろう。


 どうかそのまま通り過ぎてくれ、と祈る思いで空間鏡に見入っていた。


 現在、ファンタズマは遮光中で周囲から見えないが、自分たちも周囲が見えない。

 頼れるのは空間鏡に映る光景のみ。


 エルミラとリルは物音一つ立てず、台座に手をついて球体内の小さな艦隊を注視していた。


「……エルミラ」


 異変に気付いたのはリルだった。

 小声で彼女に知らせると、少女は空間鏡の一点を指差した。


 それはボートだった。

 一度抜き去ったのに何を思ったのか、引き返してきた警備艦から下ろされた。

 少し拡大してみると、水兵と士官らしき人影が乗り込み、艦隊に向かって漕ぎ出した。


「交代の挨拶かもしれない」


 エルミラはそう説明した。

 女将の巻貝には劣るが、王国海軍には伝声筒という呪物があり、士官以上は皆所持していた。

 おかげで他国海軍のように、いちいち旗艦に移乗しなくても意思伝達が可能だった。


 帝国海軍も共和国を滅ぼし、そのまま手に入れたはずだが、ブレシアの野蛮人には扱いが難しかったか?

 あるいは伝統に則って、交代時の申し送りだけは直接やる決まりなのか。


 説明しながら、彼女自身も少し安堵していた。

 こちらを発見して戻ってきたわけではなかったのだ。

 きっと後方から戻ってきた警備艦は、深夜直が終わって交代なのだ。


 安心した彼女は、さらに名案を思い付いた。

 報告が終われば艦隊は動き出すだろう。

 前方を塞ぐ艦隊がいなくなれば、後方艦も帰港しようとするに違いない。

 遮光したままその後ろに付いて行けば、残りの哨戒網を楽に通過できる。


 苦しいときに見えた一筋の希望。

 縋りたくなるのが人情だが、焦ってはいけない。

 苦しいときには、さらに苦しいことが起こるもの。


 次に少女から発せられた言葉によって、女艦長の希望は打ち砕かれる。


「あの人、なんだかこっちを睨んでるみたい……」


 少女はボートを指差していた。

 驚いたエルミラは、小さな点だったボートを拡大して確認する。


 よくぞ確認できたと少女の視力の良さに感心するが、そうではない。

 空間鏡は、リルの〈目〉だ。

 生身の人間と違い、少女の視野は広いのだ。

 拡大表示している最中であっても、ウェンドア沖のすべてを捉えていた。


 確認してみると、確かに士官がまっすぐこちらを睨んでいるのがわかった。

 彼の顔はこちらに固定されたまま動かなかったが、ボートが艦隊中央の一隻に辿り着くと、睨むのをやめて乗り込んでいった。


 その一部始終を見届けた女艦長の頭の中では、激しく警鐘が鳴り響いている。


 ——位置を知られている? なぜ? どうして?


 彼女は空間鏡を忙しく操作し、今度はファンタズマのすぐ横にいる魔法艦を拡大した。

 艦名はわからないが、王国で何隻も建造されている艦型だ。

 確か第一魔法艦隊に配備されていた精霊艦だったように思う。


 おそらくその核室には何らかの精霊が留められていると思うが、外側から見ただけではわからない。

 戦闘態勢になって初めて、その艦が何の精霊艦なのか判明するのだ。


 甲板に水兵は立っているが、魔力砲の準備をしている者はいないようだ。

 いますぐ撃たれるわけではないと安心したが、さっきの士官が気になる。


 拡大しても小さくて、目つきまで精密に確認できたわけではない。

 だが、なんというかあの士官から殺気のようなものを感じるのだ。

 こっちを見ていたのは何となくではない。

 明確に位置を掴んでいるようだった。


「リル、これから——」


 胸騒ぎが止まらないエルミラは、傍らの少女へ静かに指示を出した。



 ***



 第三艦隊旗艦ノイエッド号提督室前——


 コン、コン……


 旗艦に辿り着いたシオドアは、甲板で待っていた水兵に提督室へ案内された。


「入れ」


 ドアをノックすると中から応答があった。


「失礼します」


 入室を許可されてドアを開けると、そこにいたのは初老の男性。

 第三艦隊の提督、ロイエス将軍だ。


「夜明け前から押しかけてしまい、申し訳ございません」

「気にするな。それで——」


 長々とした挨拶は不要。

 提督は本題を話すよう促した。


 彼は陸軍から左遷されてきたのではなく、生粋の海軍軍人だった。

 若い頃から帝国第二艦隊の一戦隊を率いて、北上してくるネイギアス海の海賊を退治していたという。

 いまは髭の中に白髪が混じっているが、目の奥に宿る光はまだまだ強い。

 帝国では数少ない、海賊退治を生業としてきた本物の海の武人だった。


「はっ、脱走艦の位置が予測できました。」

「ほう、それは何よりだ」


 だが……

 たったそれだけのことで、わざわざ合流しに?

 提督は首を傾げた。


 上官に対して丁寧なのは感心だが、この艦隊には第二艦隊にあったものより、遥かに遠くまで声が届く伝声筒があるのだ。

 それで知らせてくれれば、こちらもすぐに艦隊行動がとれる。


 ……なぜこんな回りくどいことを?


 彼は決して愚鈍な艦長ではない。

 わざわざ訪ねてくるということは余程の理由があるのだろう。

 まずは彼の話を聞くべきだ。

 そう考えた提督は、シオドアを壁に貼ってある海図へ導いた。


「それで、脱走艦はどこに?」

「はっ、ここです」


 指し示された場所を見た提督は、目を見開いて驚いた。

 そこはあまりにも荒唐無稽すぎる場所だった。

 直ちに信じることはできない。

 艦隊右舷後部。

 この艦隊のすぐ真横だ。


「……どういうことか、説明してもらえるか?」

「もちろんです」


 提督が怪訝そうになるのも無理はない。

 当然説明を求められることも予測していた。

 白波のこと、海賊エルミラの罪状、それらの根拠を一つ一つ挙げていった。


「なるほどな」


 提督は話を最後まで聞き終えると考え始めた。

 艦隊のすぐ隣、幽霊船が魔力砲で狙っているかもしれない、という件はゾッとした。

 大胆で突飛な話だったが、馬鹿々々しいと一笑することはできない。


 白波の説明は筋が通っている。

 闇で包んで見えなくなる艦など前代未聞だが、いまもこれからも登場しないと誰が断言できようか。


 エルミラ王女にお会いしたことはないが、海軍魔法兵団団長を務め、彼女自身は魔法剣士だったという。


 王国の魔法剣士は厄介な連中だ。

 剣術や体術に優れ、魔法も使いこなす万能の剣士たち。

 奴らの剣は細枝のようにか細いが、騙されてはいけない。

 自らの魔法でその細枝に、聖剣の切れ味と大剣の破壊力を付与できるから、長大な武器を持ち歩く必要がないのだ。


 奴らの能力が発揮される場面は、敵艦への斬り込みだけではない。

 拠点への潜入、破壊工作、要人暗殺等、多岐にわたる。

 だから帝国も含めた他国に伝わっている逸話が、その恐ろしさを物語っている。

 敵艦のマストを断面滑らかに切り倒したとか、酒場で絡んできた大男の胸板を、か細い拳で陥没させたとか……


 彼女はその魔法剣士だったのだ。

 か弱い姫君などではない。

 シオドア艦長の王女に対する人物考に則れば、艦隊に横付けくらい平気でやるだろう。


「……ここに来たのは報告だけではあるまい?」

「はい。作戦を考えてきました」


 聞こう——と提督は続きを促した。


 突如、艦隊に降りかかった緊急事態。

 例えるなら、暗闇の中でこめかみに銃口を突き付けられている状態だ。

 敵襲を知らせる鐘など鳴らしたら、こちらが先に撃たれてしまう。

 静謐の内に迎撃態勢を整えなければならなかった。



 ***



 第三艦隊旗艦ノイエッド号甲板——


 提督はシオドアを伴って甲板に上がってきた。

 気付いた水兵たちが一斉に敬礼する。

 二人も敬礼を返すと、すぐにそれぞれの仕事に戻らせた。


 提督の手には酒瓶とグラスが……

 もうすぐ夜明け。

 今日も無事に深夜直が終わる。

 まだ気が早いが、アルンザイトの艦長と一杯やるために、二人で甲板に上がってきた。

 ……と、幽霊船に見せかけたい。


「ここからでも、暗くてよく見えんな」


 グラスに注いだ酒をシオドアに渡すと、自分もグラスに注いでちびちびとやりながら欄干に肘をついた。

 これなら、仕事中に一杯引っかけている不良士官に見えるだろう。

 見るとはなしに右舷後部の海を見てみるが、真っ暗で何もわからない。


 提督は彼の話を信じたからこそ、自分の目でも見てみようと甲板に上がってきた。

 だが、改めて真っ暗な海を見ると、本当にいるのだろうか、と自信が揺らぐ。


 だからこそ撃ってみるのだ。

 わからないものは撃ってみればわかる。


 シオドアの作戦は、旗艦以外の全艦と丁の字に停船しているアルンザイトによる十字砲火だ。


 旗艦を除外したのは、同士討ちを避けるためであるが、ボートでまっすぐ漕いできて、何もないことを彼自身が確認していたからだ。

 いるとしたら艦隊後部の可能性が高いが、念のため前部も撃つ。


 作戦を了承した提督は、全艦に下令——

 各艦甲板は通常直のまま、静かに総員戦闘配備。


 甲板の魔力砲には触れず、下段のみ右砲戦用意。

 ただし命令するまで発砲は控え、第一デッキの砲門外扉は閉じたままで待機せよ、と。

 また各艦魔法兵にも、甲板に上がる階段で待機させ、火球の用意を始めさせた。


 旗艦ノイエッドを含めて第三艦隊は、ネヴェル型精霊艦という艦型で構成されている。

 アルンザイトはネヴェル型ではないが、艦隊の盾となるために編成されている例外だ。


 ネヴェル型は甲板上に魔力砲一〇門、第一デッキにも一〇門を備える攻撃力重視の単一精霊艦だ。


 ゆえに、今回のような作戦では、外扉を閉じたままその内側で砲撃準備を進めることができる。


 艦型名の「ネヴェル」とは、イスルード民話に登場する森の妖精の名だ。

 弓の名人で森を荒らす者を悉く退治したという。

 開発した王国海軍は、ネヴェルのようにリーベルの敵を撃退できるようにと願い、艦型名に採用したのだった。


 それがいまは、州都を荒らしに帰ってきたリーベルの姫を撃退しようと、弓の代わりに砲撃準備中だ。


 皮肉な運命だが、その甲板上でグラスを傾ける二人には関係ない。

 あとは準備完了の報告を待つのみ。

 それまで夜勤明けの部下と、一杯引っかけている振りを続ける。


「アルンザイトより艦長——」


 シオドアの伝声筒から副長の声が漏れ出る。

 提督は自分に構わず応答するよう促しながら、グラスに口をつける。


「はっ、失礼します」


 短い敬礼の後、伝声筒に応えた。


「こちら艦長」


 副長からの通信は、アルンザイトの準備が完了したという報告だった。

 同艦の魔力砲は甲板にあるので、水兵がわらわらと出てきて、準備を始めたら警戒されてしまう。

 そこで点検の振りをしながら、一門ずつ装填していった。


 両舷合わせて一〇門。

 のんびりやらなければならないので、いままで掛かってしまったのだった。


 また、自分たちも艦隊右舷に位置しているので、砲撃が始まれば何発かは飛んでくる。

 そこで同士討ちを恐れず、僚艦たちに火力を発揮してもらうため、その備えも……


 アルンザイトはスキュート型防盾艦だ。

 艦隊の盾として戦列艦の集中砲火や魔力砲の至近砲撃に耐えるために作られた。


 その盾の本領を発揮すべく、魔法兵たちを火球攻撃ではなく、防御に回した。

 すでにその準備も整い、砲撃開始と共に艦体前面と両舷に分厚い障壁を展開する。


「いつでもご命令を」という気合いの入った副長の声で通信が終わった。


 隣で聞いていた提督が頼もしそうに微笑む。


「さすがはアルンザイトだな。早い」


 提督が命じたことはもう少しかかるようだ。

 艦隊各艦はまだ魔法兵たちの信頼を獲得できていない。

 それが動きの鈍さとなって表れるのだ。


 もっともこの作戦は急ぐものではない。

 むしろ深夜明けで眠そうにしながら、相手を油断させ続けなければならない戦いだ。


 まだ白波は見えないから、幽霊船はどこにも行っていない。

 気持ちは焦るが、悠然としていなければならない。


 あと少し……

 あと少し…………


「提督——」


 それは提督の伝声筒から聞こえてきた。

 ノイエッド号艦長から提督への報告だ。

 ようやく全艦の砲撃準備と魔法兵たちの火球準備が完了した、と。


 それを聞くや否や、提督の手からグラスが海に落ちた。

 空になったその手には伝声筒が。

 直後、海の武人の咆哮がウェンドア沖に轟いた。


「撃ち方、始めっ!」

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