第18話「幽霊の正体」
しばらく闇の中を進んでいたアルンザイト号は、前方に光の点を見つけた。
一つ、二つ、三つ……
近付くほどに増えていく光点は、行儀よく整列して漂っていた。
帝国海軍第三艦隊だ。
艦隊に対して丁の字に停船すると、錨を下ろした。
これから旗艦に向かう。
ボートを海面に下し、シオドアと漕ぎ手の水兵一名が乗り込んだ。
「では、行ってくる」
彼はボートから上を見上げて、副長に敬礼しながら伝声筒を掲げてみせた。
何かあれば旗艦から指示するので戦闘態勢のまま待機せよ、ということだ。
「はっ、おまかせください」
欄干から見送る副長も、伝声筒を掴んでみせた。
両者の敬礼が終わると、水兵が力強くボートを漕ぎ出した。
海は暗いが、もう艦隊各艦のランタンが灯されているので迷うことはなかった。
シオドアはボートを水兵に任せると着くまでの間、提督に話す内容を考え始める。
提督に面談を申し込んだのは、明朝からの布陣についてだった。
しかし、これから話す内容を変更せざるをえない状況だった。
件の幽霊船は、もうこの海域に辿り着いている。
明朝といわず、いまから探し出して撃沈しなければならない。
見えない敵をどうやって見つけるか?
いま目を瞑って考えていることは、その方法だった。
当初、幽霊船はアルンザイトと艦隊の間にいると予測していた。
だから東進していけば停船する艦隊に幽霊船を追い込み、本艦か艦隊の魔法兵が探知できるはずだった。
それが、何もないまま艦隊と合流してしまった。
艦隊の魔法兵はお世辞にもやる気がある連中とは言い難いが、敵船が迫れば、我が身を守るために発見を報告するだろう。
そうなれば艦隊は直ちに迎撃態勢をとる。
本国からは撃沈命令が出ているし、共和国を滅ぼしたいま、エルミラ王女にも用はなかった。
砲撃を躊躇う理由がない。
それが静かなままということは、向こうも異常を見つけられていないということだ。
ここへ来る途中も、不審な白波は艦隊に向かって続いていた。
——まさかいきなり艦隊に襲い掛かる気なのか?
そう肝を冷やしたが、もう少しで艦隊が見えるというところで白波は消失した。
まるで本当の幽霊船のように。
帝都で箝口令が出たのも頷ける。
確かに気味が悪い。
迷信深い者は本物と信じてしまうだろう。
正直、シオドアも不気味に思っている。
思ってはいるが、不気味さと迷信を分けて考えていた。
市民と違い、彼は迷信など信じない。
さっきまで、もしかして本物の幽霊船かもと考える瞬間はあったが、いまは違う。
目が覚めた理由はエルミラ王女だ。
彼女は実在の人物だ。
実在していたからこそ世話係の侍女がつけられていたし、港で死傷者が出たのだ。
全員、物理的な攻撃による傷だ。
祟りや呪いではない。
接収してきた王国の小型艦も、港の外れに係留されていた。
何人もの兵や市民たちが目撃している。
断じて幽霊船ではない。
帝都沖でガレーが砲撃したらしいが、当たらなかったというから彼女は死んでいない。
死んでいるというならともかく、生きている人間が幽霊船を乗りまわしている話など聞いたことがない。
だから命ある者が乗り続けられる現実の船だ。
幽霊船のような能力を有するリーベルの可変型精霊艦にすぎない。
きっと幽霊のように消えたり、現れたりすることができるのだ。
「なんて、でたらめな精霊艦なんだ……」
「はっ?」
漕ぎ手の水兵は艦長の呟きが聞こえてきたので、無視してはいけないと漕ぐ手が止まった。
「いや、こっちのことだ。気にしないでくれ」
水兵に気付いたシオドアが照れ臭そうに詫びる。
自分に向かっての言葉ではなかった、と理解した水兵は再びボートを漕ぎ出した。
精霊艦といえば四元素の精霊の力で戦う軍艦だ。
だが、火や水の精霊を召喚して、肉眼からも魔法の目からも姿を消せるという話など聞いたことがない。
——ん? 精霊?
水兵を惑わせないよう、今度は頭の中で呟いた。
精霊の力と聞いて、すぐ精霊魔法に結び付けてしまったが、そうとは限らないのではないか?
精霊魔法といってしまうと、この世界に召喚した四精霊の用い方の話になってしまう。
一つの魔法体系とすることで説明は容易になるが、反面、説明できない現象に直面したときに困ってしまう。
一つ挙げるなら、子供の頃に祖父母が暖炉で語り聞かせてくれる昔話だ。
いま思い返してみると、でたらめで自由奔放な精霊たちが山ほど登場していた。
それらを精霊魔法の理屈に当てはめると難しくなる。
精霊魔法と精霊は別。
自分も含めて皆、精霊魔法で戦う艦と決めつけていたが、四精霊も含めた様々な精霊を召喚できるのだとしたら?
ボートに揺られながら、彼は幼い頃に聞いた昔話を思い出していた。
やんちゃな子供が大人たちの注意を守らずに森へ入ってしまい、そこに住んでいる闇の精霊に隠されてしまうという話だ。
物語の最後で、やんちゃだった子供は良い子になると精霊に約束する。
子供は精霊から許されて森から出ることができ、無事に帰宅できるという結末だ。
もちろんこれは、子供が一人で森に入らないように戒める作り話だ。
だがもし、リーベルの最新鋭魔法艦がこの昔話と同じことができるのだとしたら?
——!
いまは夜明け前で真っ暗だ。
不可視の魔法で透明にならなくても、艦を闇の精霊が包んだら、昔話の子供のように姿を隠せるのではないか?
しかも自然現象ではなく魔法による現象だから、探知魔法も阻害できる。
シオドアは仮説を立てた。
幽霊船の正体——
それは海上で闇の精霊を召喚できる可変型精霊艦なのではないだろうか?
「…………」
やはり魔法王国は侮れない。
シオドアは思わず無言のまま、心の中で唸った。
四精霊を呼び出すこと自体大変なことだが、光や闇を呼び出すのはさらに大変だと聞く。
あの艦はそれを海上でやってのけているのだ。
つまり、幽霊のような能力は闇精によるもの。
夜闇に紛れて航行できるので、こちらの目も魔法も晦ませることができる。
だが幻ではなく、現実に存在する艦なので白波は立つ。
さすがの魔法王国でも、海上では艦を隠すだけで精一杯なのだろう。
さっきまでそこにいた証、航跡までは隠せなかった。
その白波が艦隊の直前で消えている。
きっと挟み撃ちに遭うと知り、帆を畳みながらどちらかに転舵したのだ。
「もし……」
シオドアは再び目を瞑り、自分たちより先にここを通ったかもしれないエルミラ王女の立場になって思い浮かべてみた。
前方で南下中の艦隊が停船し、後ろからは警備艦が一隻迫ってくる状況——
自分が彼女だったら、艦隊の進行方向と逆の北に向かって取舵をとる。
面舵の場合、艦隊前方を横切る航路をとることになるが、急に艦隊が動き出したら先頭艦と衝突してしまう。
取舵なら、艦隊が動き出しても何も問題なく通過できる。
あとは後方の警備艦だが、戦闘態勢を告げる鐘もならず、増速してくるわけでもない。
よって追撃されているわけではないと判断できる。
後方艦がウェンドア港に戻る途中なのか、艦隊に合流しに来たのか不明だが、道を譲って先に行かせてしまえばよい。
いくら闇精艦とはいえ、あまり近くで動くと白波が立ちすぎて、バレてしまう恐れがある。
取舵転舵のままじっと停船していれば、艦隊も後方艦もどこかへ行くだろう。
それまで大人しくしていよう……
「近いな」
考えがまとまったシオドアは、ゆっくりと目を開きながら言った。
漕いでいた水兵は艦隊のことかと勘違いし、「はい。まもなく到着します」と返した。
艦長が近いと言ったのは艦隊のことではない。
闇精艦のことだ。
帆を畳みながら転舵すれば一気に減速する。
艦隊の横を通り過ぎることはできなかったはずだ。
こちらからは見えないが、おそらく艦隊右舷後半部のどこかで並んで停船している。
撃てば当たる距離に、奴はいる。
彼の中で方針が固まった。
右舷魔力砲一斉射撃だ。
後半部だけでなく、面舵を切った可能性も考慮して前半部もばら撒く。
同時に艦隊の魔法兵に命じて空中に火球を撃たせる。
闇を打ち消すには光だ。
火球を空中で爆発させて夜空を明々と照らしてやるのだ。
ついでに、帆に引火して焼け落ちてくれれば尚よい。
「帝都を騒がす悪霊め……日が上る前に退治してやるぞ」
シオドアはボートの上から艦隊後方の空間を睨みつけた。
……闇精艦になれる可変型精霊艦というのは、まったくの間違いだった。
複合精霊魔法のことを知らない彼が、水と光を組み合わる遮光航行など思いつくはずがない。
こればかりは仕方がないことだ。
しかし彼の読みは〈中らずと雖も遠からず〉といえるのではないだろうか?
闇精というのは間違いだが、なんらかの魔法による作用で見えなくなっているに過ぎない、というのは当たっている。
そして予測位置も。
ファンタズマは、確かに帆を畳みながら取舵転舵していた。
惰性で左旋回していくと、艦隊後半部辺りで停船する。
彼の読みは正確だった。
砲撃が始まれば、各艦の砲手たちは命中音を至近距離で聞くことになるだろう。
新たな白波は起きていないようだ。
幽霊は、いまもそこにいる……
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