第17話「禁忌など、ものともせず」

 アルンザイトは提督に布陣変更を提案するため、東へと引き換えしていた。

 ルキシオの水兵とイスルードの水兵が協力して操艦しているので、転舵から再び風を捕まえるのが早い。


 もはや彼らは混成部隊ではない。

 彼らは共にアルンザイト号の乗員たちになったのだ。


 ——やっと本当の意味で魔法艦を手にすることができた。


 艦長は彼らの操帆作業を満足そうに眺めていた。


 だがここで一つの疑問が浮かんでくる。


 帝国海軍は竜騎士団を用いて大勝利を収め、魔法艦の時代を終わらせた。

 その帝国が、なぜ魔法艦を欲するのか?


 実は、必ずしも全員が欲しているわけではない。

 戦場に出ない宮廷の者たちや、何事にも口を出してくる陸軍の者たちは、不要と考えていた。


 海軍内にも竜騎士団最強を信じる者たちが多く、同様の意見を唱えていたが、そうはいかない。

 これからの帝国海軍にどうしても必要なものだった。



 ***



 アレータ島の領有権を巡る国際紛争は帝国がリーベル王国に勝利した。

 それは間違いない。


 では、帝国艦隊はいかにしてリーベル無敵艦隊に勝利したのか?

 そう問われると返答に困る。

 艦隊戦から逃げたのだから……

 勝ち目が全くなかったから竜の力に頼った。


 その竜の力も完全無欠ではない。

 帝国のお歴々は無敵艦隊を叩きのめしてやった、竜が魔法に勝ったと大はしゃぎだがそうではない。


 運が良かっただけだ。

 無敵艦隊が無敵ではなかったように、竜騎士団にも弱点がある。

 弱点が露呈する前に勝ちを拾うことができて幸運だったのだ。


 竜は水に弱い。

 これは陸軍の大型種も共通だ。


 竜は基本的に火竜種が多く、生まれつき火の力を宿している。

 ゆえに詠唱なく火を吐けるのが強みだ。

 その反面、雨の日は水の力が強いので、竜たちは使い物にならなくなる。

 無理に飛ばそうとすれば、機嫌が悪くなって制御不能になったり、体調を崩すものも出る。


 陸と海の竜騎士団は根気強く訓練したが、せいぜい小雨の日に短時間飛べる程度で、肝心の竜息攻撃は無理だった。

 他の種、雷竜種で試してみたが、雷も水と相性が悪いらしく、やはり同様の結果に終わった。


 竜にとって沢山の水はそれほど苦手なものなのだ。

 だから探知魔法を掻い潜る低空飛行も、竜本来の飛行方法ではない。

 低空飛行訓練を始めたばかりの竜たちは皆、海面を嫌がった。

 一匹の例外もなく。


 あの日、奇襲の日が快晴で海軍竜騎士団は助かった。


 もし小雨が降っていたら飛行距離が短くなってしまい、艦隊により近いところで出撃しなければならない。

 それでは〈巣箱〉が探知されてしまう。

 しかも艦隊に到達できても竜息が使えないのでは、銃や弓で射撃してくる位しかやれることがない。


 小雨ではなく、土砂降りだったら出撃自体が見送りだ。

 その場合はリーベル遠征艦隊がアレータ島に上陸してしまう。


 海軍魔法兵は半減しながらも、波や揺れの中で魔法を完成させられる者たちだ。

 陸に上がれば本来の能力を発揮できる。


 あとはウェンドアまで攻め寄せたときと同じ展開になるだけだ。

 たとえ翌日晴れたとしても、小竜の溜炎では陸に上がった魔法兵が展開する障壁を破れない。

 ぐずぐずしているうちに障壁の内側で工事は進み、防衛陣地が完成する。


 そうなれば迎撃艦隊にできることは何もない。

 玉砕覚悟で突撃しても足止めにすらならない。

 大人しく退却し、帝都ルキシオの陸軍に任せるしかない。


 戦の後、迎撃艦隊に参加していた者たちは、改めて無敵艦隊と自分たちとの力の差を思い知った。


〈巣箱〉に乗っていた士官の一人は戦後、海軍士官学校の教官になった。

 シオドア少年の教官が彼だった。


 教官は少年たちに常々語っていた。

 我々の竜が勝ったと思うな。

 無敵艦隊が天気に敗れただけだ、と。



 ***



 晴れの日は竜で良いが、雨の日はどうするのか?

 教官は自らの授業でよくこの問題を学生たちに投げかけていた。


 月日は流れ……


 いま、シオドアはアルンザイトの甲板に立っていた。

 あの日、教官から投げかけられた問いに対する彼の答え、それは——

〈帝国も魔法艦隊をもつ〉ということだった。


 竜が苦手なのは雨だけではない。

 夜も苦手だった。

 飛ぶことはできるが、低空飛行はできない。

 竜息攻撃もできないことはないが、竜だけでなく騎乗する竜騎士も暗闇で標的が見えないので命中率は落ちた。


 魔法艦なら雨天戦闘と夜戦を行える。

 見せしめとして竜の標的艦にするなど、とんでもないことだった。


 他の艦長たちはリーベル兵から情報だけ引き出せれば良いと考えているようだが、シオドアは違う。


 嘘かもしれない情報を元に、魔法兵もどきを育成し、見よう見まねで作った魔法艦らしき物を海に浮かべる。

 その魔法艦隊ごっこは雨の日や夜、本当に竜の代わりが務まるのか?


 いつかは自国だけで完成できるようになるべきだが、いまは帝国お手製に拘るときではない。

 せっかく本物が手に入ったのだから、壊さずそのまま活用すればよい。


 彼がリーベル兵を手懐けたのは、その人柄だけではない。

 帝国海軍の将来を考えてのことだった。



 ***



 ファンタズマが遮光により、目視からも探知魔法からも消えた頃——

 その警備艦の甲板に立つシオドアは、何も知らずに東へ進んでいた。


 海図で第三艦隊との距離を確かめていた副長は彼に報告した。


「あと少しで伝声筒が使える距離に入ります」


 伝声筒——

 リーベルに限らず、世界中でよく見かける呪物だ。

 用途は遠音の巻貝と同じ。

 離れた二者の声を届ける呪物だが、世界中に届く巻貝と違って、ある程度近付いてからでないと使えなかった。


 こう語ると劣悪品に聞こえてしまうが、そうではない。

 第三艦隊の呪物装備品はすべてリーベル製だ。

 他国の伝声筒より遠くまで届く。


 だが遠音の巻貝は、伝説の魔法使いロレッタ卿の手によるもの。

 優秀さの桁が違うものを並べて、見比べるべきではない。


 彼は自分の伝声筒を取り出し、第三艦隊と交信を始めた。

 提督は面談を了承し、現在地で待機するとのことだった。

 急な要請に応えてくれたことへ礼を述べて終了した。


 艦隊は先に前方海域に到達し、停船して待ってくれている。

 あとは直進して合流するだけだ。

 逆風に対してジグザグと切り上がりながら、アルンザイトを面談する海域に急がせた。


 夜の甲板に、帆が風になびく音と波を切る音が続く。

 魔法兵たちは少しの異変も見逃すまいと、甲板下で探知魔法に集中し、操帆手たちは少しでも速力を上げようと、帆に風を集めている。


 黙々と、それぞれの持ち場で役割を果たしている中、副長は艦長の様子がおかしいことに気が付いた。

 彼は舷側の欄干に頬杖をつき、真っ暗な海に向かって物思いに耽っていた。


「他にも何か気がかりが?」


 副長は海図から離れ、欄干の彼に声をかけた。

 夜間の哨戒任務で疲れたから、と一人さぼっているわけではない。

 艦長はそんな人物ではない。

 出会った頃は貴族出身の名ばかり艦長、と侮る気持ちがなかったわけではないが、すぐに改めた。


 貴族は士官学校一年生の内容を習得できていなくても優秀な成績で卒業し、何もできない素人のくせに威張り散らして艦内を混乱させる。


 しかし彼は違った。

 甲板掃除も帆の交換も兵たちと並んで行い、食事も皆と一緒に同じものをとった。

 あまりにも貴族らしくなかったので尋ねると、平民として育てられたのだという。


 話を聞いた後、我々は彼との間に壁を作るのをやめた。

 相手が「平民め」と差別してこないのに、こちらから「貴族め」と差別するわけにはいかない。


 また彼は二〇代後半だったが、若者特有の血の気の多さもなく、年上の副長より冷静だ。

 誰に対しても公平で冷静沈着な艦長。

 そんな彼が欄干で頬杖をついているときはさぼっているのではなく、何か思うところがあるのだ。


「副長——」

「はい」


 艦長は頬杖をやめて、副長の方を向く。


「本艦が来るより前に、この辺を僚艦が通ったか?」

「……?」


 予想していなかった副長は即答できない。

 確認します、と艦長を欄干に残して海図のところへ戻った。


 すぐに、キョロキョロとせわしなく目で図面を辿る。

 だが、そんな僚艦はいない。

 通過した艦も、これから通過しそうな艦もない。

 念のため、副長は自分の伝声筒で魔法探知の確認も指示する。


「副長より魔法兵詰所——」


 詰所に控える水兵が応答した。

 魔法兵は通常時、甲板下の詰所で探知魔法に専念しているので、集中を乱さないように、休憩中の魔法兵か伝令役の水兵が伝声筒を持つことになっていた。


「本艦前方を精密探査しろ」

「了解」


 命令は直ちに実行された。

 ファンタズマの空間鏡で見たら、探知円が狭い扇形に代わるのがわかったことだろう。


 しばらくすると、副長の伝声筒から声がした。


「魔法兵詰所より副長」

「こちら副長」


 結果は……

 第三艦隊と本艦の間に何も存在しない、という報告だった。

 副長は通常の索敵態勢に戻らせ、自分も欄干の艦長のところへ戻った。


「艦長、本艦の前に通過した僚艦はなく、魔法兵の精密探査でも何も見つかりませんでした」

「……そうか」


 だが、艦長は納得していない様子だった。

 副長がその理由を尋ねる。


「大した理由じゃないんだが……」


 そう言いながら水面を指差した。

 何かと思い、副長も欄干に捕まって覗き込む。


 ——?


 特に気になることはない。

 本艦の水押が作り出した白波が後ろに流れているだけだ。


「今日はなんだか、普段より白波が多くないか?」


 艦長から見るべき点を指摘された副長は、改めて海面を見た。

 指摘された通りの視点で見てみれば、確かに多い。

 手前の濃い白波は本艦が作ったもの。

 では、その向こうの薄い白波は?


 このような波は、縦列航行をしているときにみられる。

 先頭艦が作った白波を押しのけながら、後続艦が新しい白波を作るので、白波が二層になるときがある。


 ようやく副長にも、艦長の疑問が理解できた。


 本艦は単独行動をとっていたのだから、先頭艦はいない。

 あるとしたら僚艦の存在だが、艦長の記憶が正しければ、この辺りを航行予定の僚艦はいないはず。


 だが、記憶違いということもありえるので、副長に確認したのだ。

 この辺を通る僚艦はいただろうか、と。


 確認の結果、そんな艦はいないということが明らかになった。

 それにウェンドア沖はなだらかな海底が続いていて、白波が起きるような岩礁はない。

 これは自然に出来た白波が流れてきたのではない。


 ——気味が悪い。


 姿がないのに、そこにいた痕跡だけがある。

 まるで幽霊船ではないか。

 副長は決して迷信深い人間ではないが、夜の暗さも手伝って、気味悪さを隠すことができない。


 だが艦長は、僚艦不在を確認してもらったことで、一つの仮説が立っていた。

 今度はその仮説が正しいのかを確かめる。

 伝声筒を掴むと、再び魔法兵詰所に向かって命令した。


 程なくして、トントン、と階段を上る音と共に、交代で休憩中だった魔法兵が一人やってきた。


 彼に艦長が尋ねる。

 リーベルには不可視化の魔法というものがあったと聞くが、それは艦に対してもかけられるのか、と。


 魔法兵は首を横に振った。

 高位魔法であり、大魔法使いと呼ばれる者でも、透明にできるのはせいぜい数人。

 それも長時間は無理だった。


 次の質問——

 王国はアレータ海海戦後も可変型精霊艦を作っていたか?


 この質問に対しては即答できず、魔法兵は少し考えてから答えた。

 竜に敗れてからは作らなくなったようだが、自分たちが知らないところで作っていた可能性は否定できない、と。


 これで必要なことは確認できた。

 魔法兵に下がって休むよう伝えると、最初のように海図を睨みながら考えをまとめた。


 帝都の幽霊騒ぎ、白い航跡だけ残して姿が見えない艦、エルミラ王女が奪還したという最新鋭艦……


 艦長は海図から視線だけを上げて夜の海を睨む。

 その視線の先にいるのは第三艦隊。

 しかし睨んでいるのはその手前の海。


「いる……」


 帝都を騒がせた幽霊船は、もうこの海に帰ってきている。

 それも意外と近くに。


 どうやっているのかは不明だが、魔法兵ができないと断言した艦の不可視化で哨戒網を突破された。

 それに、帝都からの日数を考えると、封鎖海域を通る航路だったようだ。


 帝都の武勇伝を聞いたときに感じた印象は正しかった。

 やはりあの王女は狂っている。

 まさかリーベル人が禁忌の海を渡ってくるとは……


 確かに彼女は脱走後、ネイギアス海を目指していた。

 だが、目指し始めた矢先に宿屋号に拾われ、洋上で補給を受けることができた。

 そこから東に転針。

 彼女はほとんど南下しなかったので、計算上、コタブレナ沖を通った場合と日数が合致してしまった。


 エルミラには気の毒だが、彼の中に定着してしまった、禁忌破りも厭わない戦闘狂の化け物、というイメージを払拭することはできないだろう。

 彼の想像は全くの誤解なのだが、それをこの場で修正できる者はいなかった。


 頭のおかしい女海賊が幽霊船に乗って、暗闇からこちらの様子を窺っている……


 シオドアは自らが出した結論にゾッとした。


「副長、総員戦闘配備。静かにな」


 命令は幽霊船に気付かれないよう、号令も鐘も鳴らさず、口伝えで艦内隅々まで伝わっていった。


 敵は探知魔法にも引っかからない幽霊船。

 いつ、どこから撃ってくるかわからない。

 命令と一緒にその不気味さも伝わっていった。


 アルンザイトの甲板に、不安な夜はまだまだ続いていく……

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