第12話「複合精霊魔法」

 宿屋号と別れて一週間と少しが経った。

 ファンタズマはいま、セルーリアス海の東側まで来ていた。


 改めて出発した位置からウェンドアは東北東の方角にあるが、風は西に向かって吹いているので直進することはできない。


 昨夜までは風精シルフの力で直進するつもりだったが、リルのことを知ったいま、それはできない。

 彼女の力はどうしても困ったときだけ借りる。

 それ以外は通常航行で行くと決めた。


 本艦は縦帆船なので、横帆船と比べれば逆風に対して強い。

 とはいえ、直進することはできないので、ジグザグと斜めに風を受ける方向を変えながら、故郷の島を目指していた。


「取舵―っ!」

「よーそろーっ!」


 大海原に元気な掛け声が響く。

 さっきまで北東に進んでいたが、何度目かの転舵を行い、東南東へ針路をとった。


「舵、戻―せーっ!」


 ファンタズマ艦首の幽霊像は東南東を向いた。


「リル、ここを頼む。何かあったらすぐに知らせてくれ」


 そう言うと、エルミラは胸の巻貝を掴んで見せた。

 この巻貝のおかげでいちいち呼びに行かなくても、その場で直ちに報告ができる。


「どこへ行くの?」

「艦長室へ。もっとこの艦のことを勉強しないと」


 あまり気は進まないが、例の計画書後段に目を通しておかなければならない。

 いまも胸糞悪いと思っているが、艦長として本艦リルの性能を把握しておく必要がある。


了解アイマムっ!」


 エルミラの苦悩を知らないリルは元気に敬礼を返し、後を引き受けた。


 ——アイマム……か。


 敬礼を返された艦長は、少し後ろめたい気持ちになってしまった。


 海では艦長の命令に対して「アイサー」と返す。

 了解の意だ。

 女性艦長に対してはサーがマムに変わる。


 リルはファンタズマそのものだ。

 私たちリーベルがそうさせた……


 加害者が被害者から敬意を払われる。

 それが何とも後ろめたかった。

 しかし、いつまでもそうしてはいられない。


「……後を頼む」


 エルミラは背中越しにそれだけ言い残して、甲板下へ降りて行った。



 ***



 艦長室の扉を閉め、書類を机に放ると椅子に深く腰掛けた。

 これからエルミラは実家の悪行の続きを読まなければならない。


 ——いつまでも逃げているわけにはいかないか……


 決心の溜め息を一つ吐くと、投げ捨てたところまでページを飛ばす。


 ……あった。


 人型二三号のページ。

 ここで投げ捨てたのだ。


 もう初めて見たときのショックはないが、胸糞悪さは変わらない。

 一瞬、拳に力が入ったが、深呼吸をして気持ちを静め、落ち着いて次のページをめくった。


 女将の言う通りだった。

 そこからは単なる性能についての話が続いている。


 しかし、それもリルのと思うと気分が悪い。

 だから、あくまでもファンタズマ号という一隻の軍艦についての話なのだと、無理矢理割り切ることにした。


「…………」


 大人しく一行、一行、読み進めていく。


 本艦は霊式可変精霊艦だ。

 従来の可変型では難しかった複数同時召喚ができる。

 つまり異なる精霊の力を合わせた同時攻撃が可能だということだ。


 それならすでにある魔力砲にそれぞれ装填しておけば可能だ、と思うかもしれない。

 だが、そうではない。


 例えば従来の可変型で二門用意して、同時発射したら何が起きるか?

 繰り返しになるが、精霊はそれぞれ別の精霊界に住んでいる。

 それがこの世界で遭遇したら、お互い消滅するまで戦ってしまう。


 だから同時に呼び出して、魔力砲に装填させようとすると、自分と異なる精霊が隣にいることに気付く。

 そうなればもう、呼び出された目的など忘れて、隣の精霊が消滅するまで戦う。

 ゆえに一属性ずつ呼び出す。


 非常に気を使うのだが、他にも面倒なことがある。

 仲が悪いのは精霊だけではない。

 精霊の力同士も仲が悪い。

 異なる精霊力を同時に発射すると、砲口から出た瞬間、捻じ曲がって隣に向かっていき、二つは正面衝突する。


 その後に待っているのは消滅だ。

 精霊界転移のように艦全体が巻き込まれるわけではないが、その魔力砲が設置してあった甲板と舷側がくりぬかれる。


 これは可変型特有の問題だ。

 例えば単一雷精艦は雷力しか装填できない。

 当然、全門同時装填ができるし、一斉射撃も可能だった。


 可変型の強みは、異属性同時攻撃が行えることだが、一属性ずつなので装填に時間がかかるし、一斉射ではなく順次砲撃。

 これでは同時攻撃とは言えない。


 そこで可変型はせっかくの強みを捨て、艦隊で不足している精霊艦になるという運用がなされていた。

 単一雷精艦のために水精艦になるのだが、これでは可変型にする意味がない。


 霊式艦ではこれが克服された。

 風と水が同時に呼び出され、連動しているところをエルミラ自身が目撃している。

 つまりこの艦は、異なる精霊力を装填した魔力砲で一斉射撃が可能ということだ。


 リルの下、隣り合っていても喧嘩が始まらないということは、おそらく複合攻撃も可能なのだろう。

 例えば敵水精艦に対し、一門の魔力砲に火と雷を合わせて装填し、撃ち出せるということだ。

 水精艦だから火は防げるが、雷は防げない。


 研究所の魔法使いが、人型を消耗品呼ばわりしているのがよくわかる。

 こんなことをやらせていたら、魔力核にされた者の命がもたない。


 本艦の目的は一日も早いリルの救出だ。

 こんな命の消耗が激しそうなことはやらせない。

 だからこそ、いまも通常の方法で航行している。


 ——でも……


 イスルード島近海に辿り着いたら、帝国海軍が待ち受けている。

 その内訳は、世界最強と謳われていた旧王国海軍。

 つまり魔法艦隊の哨戒網を突破しなければならないのだ。


「…………」


 無理だろう。

 背もたれにもたれかかりながら上を向いて瞑目する。


 ここだけは実家の魔法使いたちに賛成だ。

 小竜に敗れたのであって、魔法艦の力が衰えていたわけではない。

 艦対艦では、いまでも世界最強だろう。


 どんなに完璧な針路を導き出し、的確な操船を心掛けても、並の船が魔法艦の広い探知の目を掻い潜るのは不可能だ。

 エルミラ自身がその厄介さをよく知っている。


「……後にしよう」


 語りかけた相手は誰でもない。

 言い聞かせた相手はエルミラ自身。


 いまは艦の性能を把握している最中だ。

 悩む時間ではない。

 目を開いて、再び書類に取り組むことにした。


 気を取り直してページをめくると、そこには初めて見る言葉が記されていた。


「遮光?」


 もちろんその言葉自体は知っているが、それがなぜここに出てくるのかがわからず、エルミラは首を傾げた。


 高位魔法の中に、物質を不可視化させるというものがあるが、この艦も同じようなことができるらしい。

 すごいことだが、彼女の傾げた首は真っ直ぐに戻らない。

 魔法艦の説明書に登場する魔法ではないからだ。


 大魔法とまでは言わないが、不可視化は決して簡単な魔法ではない。

 また、その効果範囲はせいぜい人間一人分位。


 味方の甲板で魔法兵が一人だけ透明になっても仕方がない。

 ゆえにロレッタ卿以来、揺れる艦上での詠唱に向かないこの魔法が海軍魔法兵団で採用されたことはない。


 ファンタズマは何のためにこんな魔法を? 

 それに、不可視化ではなく遮光と記しているのは一体……


 首を傾げながら読み進めていたエルミラだったが、次のページでその意味を知る。


 艦を透明にしようと思ったら、高位魔法使いが何人必要になるかわからない。

 そこで、この計画に参加していた魔法使いたちは、新たに〈遮光〉という仕組みを考え出したのだ。


 遮光——

 水と光の精霊を組み合わせた、いわば複合精霊魔法ともいうべきもの。

 本艦独自のものといえる。


 召喚士たちは言う。

 小さい精霊同士も仲が悪いので争っているが、その小ささゆえに強制転移が起きるような力はない。

 ただ、争いの跡はこの世界に残る。

 人々が怪異と恐れたり、気味悪がる不思議な現象だ。


 それらの現象を召喚士に尋ねると、自身が専門とする精霊魔法から説明してくれる。

 例えば、水槽の水に腕を浸すと、水面を境に曲がって見える現象は、周囲に漂う小さな水と光の精霊の仕業だという。


 小さい精霊だから、光景を曲げる程度の悪戯で済んでいる。

 では、この艦の精霊たちなら?

 もはや〈気〉に近い微弱なものたちと違い、名前がついている歴とした精霊だ。


 水の精霊ウンディーネが水の幕で艦体を包んで、水槽と似た環境を作り出す。

 光の精霊、ウィル・オ・ウィスプはを境に光の見え方を制御する。


 彼らの力を合わせれば、敵艦から姿を消すことが可能になる。

 これが、霊式艦を開発した魔法使いたちが考えた〈遮光〉だ。


「……これしかない」


 エルミラは食い入るように読んでいた。

 魔法艦隊を突破するにはこれしかない。

 問題はリルにどの位、負担がかかるかだが……


 本艦を概ね把握した女将からは、リルに無理を重ねさせず、休ませれば回復すると聞いている。

 それで幾分気が楽になったが、だからといって乱用しようとは思わない。


 なるべく実家の悪行に頼りたくないし、回復するといっても全快できるのか、一休み程度にしかならないのかは女将も明言できなかった。

 それゆえ、明らかになるまで無理はさせるな、という注意だ。


 ——これは、迂回するだけでは回避できないときに限定すべきだな。


 魔力砲は、使えばかなりの威力を期待できそうだったが、引き続き封印しておく。

 この砲なら、魔法艦が相手でも勝てるだろう。

 しかし、魔法の装填手がいない現状では取り囲まれたら勝ち目がない。


 一方、遮光は奥の手として使用することに決めた。

 いまの自分達には魔力砲より、こちらの方が有用だ。


 エルミラはさらにページをめくっていった。

 まだ何か役立つものがあるかもしれない。


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