第11話「新たな旅立ち」

 これからの方針が決まったエルミラは、宿屋号の甲板で出されたお茶を味わっていた。


 いま、宿屋号はファンタズマの横に移動して補給作業中だ。

 乗員たちが食料や弾薬等の物資をファンタズマに搬入してくれている。


 彼女も一緒に搬入作業に参加しようとしたのだが、任せて休んでいるように言われ、甘えてしまった。

 正直、自艦の補給作業を他人に任せて、宿屋号甲板で優雅にお茶を楽しむ艦長というのは褒められない光景だ。


 だが、乗船して二日目。

 まだ艦内配置も決めていない手付かずの艦だったこともあり、手慣れている彼らにそこも含めてお任せすることにした。


 朝食後はお別れと思っていたが、イスルード島で情報を得た後は、宿屋号を拠点としてリルの解放を目指すことになった。

 帰還する度に補給してもらうのだから、彼らが考えてくれた配置にこちらが合わせることにした。

 その方がこれからお互いにやりやすそうだ。


 女将も搬入作業に参加していない。

 リルを連れて再び船室に戻った。

 いま頃、さっき出した子供服に着替えさせているだろう。


 二人が戻ってくるまで、落ち着いてお茶を楽しむことにする。

 出発したら、しばらくそんな暇はなくなるだろうから。


 テーブルの上にはお茶の皿と〈柩計画〉の書類が置かれている。

 搬入班第一陣が持ち帰った。

 女将の指示だという。

 お茶を啜りながら、投げ捨てた後半部分に目を通しておけ、と。


 確か、ファンタズマの性能について記されているのだった。

 これからリルの体調に留意しながら、あの艦で旅を続けなければならない。

 何をどの位できるのか、艦の性能を知っておくのは艦長として当然のことだった。


 だが、その手にあるのはお茶のカップ。

 

 いまは読みたくない。

 あまりにもショックな内容だった。

 もう少し落ち着く時間がほしい。


 リーベル、いや、イスルードまで何日も掛かるのだ。

 その間に読めばいい。

 それよりも——


「たった一ヶ月で随分と変わってしまったものだ……」


 宿屋号は巨艦ゆえにファンタズマより揺れが小さい。

 それでもじっとしていると、常にカップのお茶を穏やかに揺すり続けているのがわかる。

 その水面の揺らぎを見つめながら、エルミラは独り呟いた。


 彼女の一ヶ月も決して穏やかなものではなかったが、祖国が味わった荒波に比べたら、お茶の揺らぎのようなもの。


 到着したらなんとかして、解放軍と接触したい。

 いや、その前に沿岸に展開している帝国艦隊の防衛網を突破しなければならない。

 ウェンドアがある西側の守りは厚いだろう。


 ——大きく迂回して東海岸に上陸するか?


 上陸後は陸路でウェンドアを目指すことになるが、リルは連れていけない。

 距離が離れすぎている。

 その間、ファンタズマをどこに隠そうか?


「ただいま」


 彼女の考え事の間に割って入るように、子供の高い声がする。

 リルだ。


「おかえり」


 少女は幽霊のような白い夜着姿から小さな航海者に変身していた。

 お互い、まともな姿になったと笑い合う。

 夜着の少女と裸足の侍女。

 考えてみれば、おかしな組み合わせだった。


 サイズはぴったりだったようだ。

 よく子供用があったと感心したが、そうではない。

 時々、人間の冒険者たちに混じって、ドワーフやホビットがやってくるらしい。

 小さな服は彼らのための物だった。


「それにしても——」


 もらった服には品質を保つ魔法が掛かっているわけでも何でもなく、正真正銘の新品。

 冒険者向けの売り物だったらしい。

 それがなぜ女将の私室にあるのか?

 エルミラが疑問に思っていると、


「段々と品揃えを増やしていったら、置き場所がなくなっちゃったから、あの部屋は服の在庫置き場になってしまったのよ」


 それじゃ、女将の衣装はどこに?

 疑問に答えるように、彼女は自身の横の空間に手を翳した。

 すると、突如クローゼットが現れた。


「私のは、こっちに」


 中には様々な衣装が収納してあった。

 見せるために一つだけ呼び出したが、同じようなクローゼットや棚がまだあるという。


「…………」


 やはり彼女も老魔法使いだった。

 私たちの目に見えないだけで、数百年分の荷物に囲まれている。


「むしろ、在庫をそっちに……いや、何でもない」


 女将の部屋だ。

 何を置くかは彼女の自由だ。


 それに、数百年分の魔女の私物をこの双胴船に収納しようとしたら、客室がなくなってしまうだろう。

 逆に賢明な配置だったのかもしれない。


 そう納得すると、もらった服に着替えて印象が変わったリルの全体を見る。

 合わせてくれたのか、自分がもらった一式とお揃いだった。

 皮革の色も似ている。

 下から順に見ていき、胸元までくると自分にないものがあることに気が付いた。


 リルの掌に収まるほどの小さな巻貝に、革紐を付けた首飾りを下げていた。


「それは?」

「あら、いけない。忘れるところだったわ」


 尋ねられたことで忘れ物に気が付いた女将は、ポケットから同じものを出してエルミラに手渡した。


「あなたにもあげるわ」


 それは〈遠音とおおと巻貝まきがい〉という呪物だった。

 この巻貝を持つ者同士なら、遠く離れていても、手に取ってその相手を思い浮かべるだけで会話することができる。


 宿屋号を拠点とする冒険者や航海者たちに持たせている、女将の自作品だ。

 この巻貝を通して、彼女は世界中の情報を把握している。


 エルミラたちの帝都脱出の情報も、帝国に滞在していた冒険者から齎されたものだ。

 女将は巻貝を通して、ファンタズマ出航を阻止しようとする帝都の砲撃音も聞いていた。


 二人に使い方を教えながら、女将自身の巻貝も出して三人で通信の練習をした。

 特段難しいことは何もないので、二人はすぐに使い方を覚えた。


 ファンタズマの補給作業はその間に完了した。

 いよいよ出発のとき。


 これから向かう先は、イスルード島。

 しかしそこはリーベルではない。

 だから帰国ではない。


 最も警戒すべきは帝国軍だが、解放軍も味方だと断定することはできない。

 いま、彼らは自らの野望を達成するために、命がけで帝国と戦っている。

 積極的に敵対してくることはないと思うが、こちらの目的に協力してくれる可能性は低そうだ。


 女将は危地へと向かう二人に注意した。


「いい? 危ないと思ったらすぐに逃げなさい」


 そう言うと自身の首から下げている巻貝を掲げた。

 いざとなったら連絡しろということだ。


「ただ、あの子たちを危険に晒すわけにはいかないから、岸には近付けない」


 女将の視線の先には、給仕たちの姿が。

 元は戦列艦だったかもしれないが、いまは砲をすべて下してしまった丸腰の客船。

 島に近付けば哨戒艦隊が砲撃してくるだろう。


 船長として、彼らを危険に晒すわけにはいかない。

 だから宿屋号は、ファンタズマが沖まで逃げてくるのを待つしかない。


 艦長として引き際を見極め、退却困難にならない内に沖まで逃げて来い。

 そうすれば、二隻まとめて空間転移で離脱できる。


 これが宿屋号船長としての、精一杯の支援だった。


 エルミラは了解した。

 何から何までありがたかった。



 ***



 すべての準備が整い、エルミラとリルはファンタズマの甲板に戻った。

 乗員たちの掛け声と共にタラップと舫い綱が外され、親子のような大小二隻の間に波が割り込んでいく。


「行ってきます! みんなありがとー!」


 食べ過ぎからすっかり回復したリルが、宿屋号に向かって元気に手を振った。

 宿屋号の乗員たちも大きく手を振り返す。


「エルミラー!」


 女将は潮風に負けまいと、大きな声で彼女の名を呼んだ。

 呼ばれた当人だけでなく、乗員たちも何かと静まった。

 全員注視の中、女将はさっき出したままの自分のクローゼットを指差した。


「便利でしょー!?」


 あの魔女はこんなときに一体何を言い出すのか?

 エルミラは意味がわからなかったが、便利か不便かと問われたら便利なのだろうと考え、同意を返した。


「あなたにも教えてあげるわ! だから必ず帰ってきなさい!」


 時と空間の魔法使いロレッタ卿の弟子——

 これで絶対に生還しなければならなくなった。


 エルミラは師に対して踵を付けて敬礼した。


「いってきます!」


 ファンタズマは宿屋号から離れ、総帆展帆した。

 東からの逆風を斜めに受けながら、軽快にセルーリアス海を走る。


 東北東へ針路をとり、イスルード島を目指す。

 ……戦乱の元祖国リーベルへ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る