第10話「愛刀に込めた思い」
実在した伝説の剣は、想像していたより軽かった。
王宮の私室に残してきた自分のサーベルと同じ位だ。
考えてみれば当然か。
魔法で切れ味を補強できるし、重く頑丈にして叩き切ることもできるので、剣本来の威力はそれほど重要視されない。
だから魔法剣士が選ぶ剣は、自然と薄く軽いものになる。
つまり片刃刀や細剣だ。
たとえ伝説の一振りであろうと、サーベルはサーベルだ。
伝説の分だけ重量が増すわけではない。
当たり前のことだった。
「エルミラ」
そのとき、女将から急に名を呼ばれた。
両手に乗っているサーベルから女将に視線を移すと、さっきまでと打って変わり、こちらを厳しい表情で見据えていた。
「な、何だ?」
急な女将の変化に狼狽した。
何か気に障ったかと思い返すが、心当りがない。
一体何だ?
姫の顔にありありと困惑の色が浮かんでいるが、女将の説教はお構いなしに始まった。
「昨夜は大変だったわね」
昨夜——
ガレー二隻に追いかけられたが、下手に応戦しようとせず、逃げることに専念した戦い。
舷側の魔力砲は使わず、攻撃はたった一回。
追い縋ってきた一隻の前方に水晶銃の氷撃のみ。
女将はそのことについて尋ねた。
昨夜の戦いでなぜ魔力砲を使わなかったのか、と。
「なぜって、それは——」
ロレッタ卿本人に魔法艦の戦術について説明するなど、不遜極まりない。
それでもあえて尋ねてくるというのは、そのときの思考を知りたいということだ。
エルミラは質問の意図をそう解釈した。
「あのとき——」
ガレー二隻に対し、こちらはたった二名。
リルは操舵に専念しなければならず、他の作業はすべて自分一人で担当しなければならない状況だった。
その状況下で発砲可能な魔力砲は一門が限界だ。
しかし、いくら強力な魔力砲でも、たった一門でガレーを撃沈することはできない。
本来、魔力砲は組み合わせて使うもの。
たとえば、水精艦が水撃によって敵艦の甲板を水浸しにした後、雷精艦がその甲板目掛けて雷撃する。
これを一隻で行えるのが可変型なのだが、最低でも二門使えなければ意味がない。
それに敵ガレーは接舷攻撃のために、漕ぎ手を増やして猛追している最中だった。
そんなときに攻撃しようと転舵したら、突っ込んでくるガレーに舷側を晒すことになる。
だから撃退は諦め、逃げに専念したのだった。
また昨夜の時点ではまだリルの秘密を知らず、天才召喚士だと思っていた。
精霊の入れ替えや同時召喚はさすが天才と唸ったが、子供の体力でいつまで続けられるのか不安だった。
退却戦において最も重要なのは、足を止めないことだ。
こちらの強みは逆風に向かって直進できることと急停止。
そして横滑りができること。
リルが力尽きたとき、これらの強みが消滅して足が止まる。
ゆえに昨夜は召喚士の負担が増大する魔力砲は封じたのだった。
「賢明だったわね」
エルミラの答えにロレッタ先生は一応合格点を付けてくれたようだった。
だが、ほっとしている暇はない。
先生の出題は続く。
「じゃあ、次の質問——」
リルちゃんを救うというが、どうやって救うつもりなのか?
——?
意味がわからない。
エルミラは首を傾げた。
さっきファンタズマの核室で話した通りだ。
リルと同時代の遺跡に連れていく。
その時代を特定するためにウェンドアに戻って情報を集める。
いまのところ変更する予定はないが、なぜ同じことを尋ねてくるのか……
「そう、その部分」
女将は手を翳して止めるような仕草をした。
「ウェンドアに戻って情報を集めるっていうけど、一体どうやって?」
追加の質問にエルミラはまた怪訝そうになる。
これもさっき話したことの繰り返しだ。
リルを攫ってきた死霊魔法使いを探し出して尋問する。
もしくは誘拐を手伝った、時の魔法使いを尋問する。
そこまで厳しい表情で聞いていた女将の顔に苦笑いが浮かんだ。
「だから、どうやって尋問するの?」
「…………」
——何なんだ? この問答は。
この魔女が、何に引っかかっているのかわからない。
どう答えれば満足してくれるのかわからず、彼女は降参した。
「乱世の島で関係者が見つかったとして、一体どうやって相手に答えさせるの?」
女将が彼女にまず言いたかったこと。
それは——
己の身の程を知れ、ということだった。
***
王国が健在だった頃、人は夢など見なかった。
いや、見てはいたのかもしれないが、妄想と現実の区別がついていた。
しかし王国も共和国も滅んでしまったいま、誰でも力さえあれば夢を叶えられる時代がやってきた。
力ある者が見る夢——野望だ。
いま島にいる連中は皆、己の野望を叶えようという強者ばかり。
帝国を追い出そうとする者、帝国に取り入ろうとする者、帝国軍と解放軍の共倒れを企図する者……
力を頼みとする様々な思惑が入り乱れている。
死霊魔法も時の魔法も高度な魔法だ。
そのような優秀な魔法使いはどこかの勢力に取り込まれているか、あるいは自らが野望を追いかける側になっているかもしれない。
いまさら滅んだ王家に敬意など払わないだろう。
もし敬意を払ってくれたとしたら、他の勢力より優位に立とうと担ぐためだ。
エルミラを王女として尊重しているからではない。
王家の血を引いているだけの小娘の意思など、誰も気にしない。
このような情勢の下、王家の肩書が通用しないなら実力で従わせるしかないが、一魔法剣士にすぎないエルミラが彼らすべてを捻じ伏せるなど無理だ。
亡国の姫は、あらゆる意味で丸腰だった。
王家の肩書は効力を失い、後ろ盾につく者もいない。
彼女はこの時代の漂流者だ。
だから宿屋号で拾いにきたのだ。
確かにいまのエルミラは無力だ。
だが、召喚士の消耗を考えて、魔力砲の使用を控えた判断は賢明だった。
窮地において、彼女は冷静だった。
無力ではあっても無能ではない。
だからこそ、己の置かれている現状を認識してほしいのだ。
リルちゃんが艦に迎え入れ、指示に従っているということはファンタズマ自身がエルミラを艦長と認めているということ。
艦長は勇み足で突っ走って良いものではない。
そのことを深く自覚してもらいたい。
かつての王国海軍はそのまま共和国海軍になり、いまはその海軍を帝国海軍が取り込んだ。
現在、その大艦隊は連日、訓練を兼ねた沿岸哨戒に出動し、何人も近寄れない。
そんな島へ魔力砲も満足に撃てないファンタズマがのこのこ行ったら……
帝都沖でガレーを振り切った手並みは見事だったが、何度も奇策が通用するものではない。
島へ上陸するには、近海に展開しているその大艦隊を突破しなければならず、そのためには艦の性能を十分に発揮しなければならない。
あの艦の強みは特殊な航行だけではない。
姫がさっき胸糞悪いと投げ捨てた書類の後半部分に、他の特殊能力についても記されていた。
それらの能力を自在に使いこなせるようになれば、単艦でも突破することが可能だ。
だから
そのためにも、彼女たちには仲間が必要だ。
魔力砲を任せられる砲手、操帆手、できれば探知魔法が使える見張り。
魔法艦なのだから魔法兵の生き残りも集めたほうがリルちゃんの負担が軽くなる。
世界各地を探索することになるから船医や料理人も必要だ。
本当はこれらの準備が整ってから島に行くべきだと思うが、艦長はその〈時〉が惜しいという。
ならば丸腰で向かわせることだけは避けたい。
そのためのマジーアだった。
情報を集める。
仲間を集める。
どちらも相手から信頼を得なければならない。
英雄ロレッタ卿の
一方、英雄の存命が知れ渡ることになってしまう。
しかし、女将はそれも辞さないと言っているのだ。
リルを救うことを通して、間違った方向に進んでしまった海の魔法を正しい姿に戻す。
そのためにエルミラという
だから艦長としてしっかりしてもらわないと困る。
艦長は内心で焦っていようと、余裕を見せなければならない。
リルに暗い顔を見せるなど、以ての外だった。
これから出会う仲間たちに対してもだ。
「…………」
この剣は彼女の期待の証だ。
これから島に帰ってこの剣を見せれば、彼女の言う通り、重い口を開いて情報を提供してもらえるかもしれない。
だがそれと引き換えに、やっと手に入れた彼女の平穏は失われていくだろう。
ロレッタ卿は女将ロレッタへと変身するために、永い時間をかけて人目を避けてきた。
彼女はその苦労が水泡に帰しても、リルの救助を通して罪を償おうと賭けている。
お飾り兵団長だったこの無力な女に……
エルミラは女将が伝えたかったことを理解した。
確かにいまの自分は無力だ。
滅んだ王家、しかも傍流の王女に味方してくれる物好きなど、この世界のどこにもいない。
いま、島には目的のためなら手段を選ばない強者たちがしのぎを削り合っている。
孤立無援のか細い声は誰にも届かないだろう。
だから女将はリルを救うためにロレッタの名を利用しろ、と申し出てくれているのだ。
人の思いには応えなければならない。
どこを見込んでくれたのかはわからないが、彼女の期待に見合う艦長にならなければならない。
家柄が良くなかった傍流の王女だから、といつまでも言い訳をしていてはいけない。
お飾り兵団長だったから、と己の無力を誤魔化すのは終わりだ。
無力なら、これから強くなればいい。
そのために手に入るものは何でも手に入れ、使えるものはとことん使う。
大魔法使いロレッタ卿の加護。
望んでも容易く得られるものではない。
それを相手から申し出てくれたのだ。
舞い込んできた幸運に対しては遠慮ではなく、感謝をすべきだ。
エルミラはもう両手に乗っている幸運を渡し返そうとは思わない。
感謝して、絶対に手放すまいと強く握りしめた。
「女将、ありがたく使わせていただく」
愛刀を固く握りしめている様子を見て、女将の顔に再び優雅な微笑が戻った。
そして、
「大事にしてね。それ、高いんだから」
真面目な話の締めに飛び出した女将の冗談。
船長室には二人の笑い声が満ちた。
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