第9話「時」

 リルは水晶の蓋一枚隔てた内側で、スヤスヤと寝息を立てている。

 心なしか、腹が膨らんでいるように見える。


 宿屋号でひっくり返っている人型の状態が、柩内の本体に反映されている。

 おそらく栄養や休息、疲れや怪我、そういったことすべてが。


 そして柩を通してファンタズマも繋がっているので、外から見たとき満腹で艦体が膨張していたのだろう。


 少女は人艦一体と化していた。


 蓋の上でエルミラの握りしめた拳が震えている。

 帝都から一緒に逃げてきた仲間が目の前にいるのに、果てしなく遠い……

 彼女は己の無力さを噛みしめていた。


「何か方法は?」


 己の未熟な魔法ではどうにもならない。

 だが、横にいる大魔法使いならば、あるいは。


「難しいわね……」


 縋る気持ちは伝わってきていたが、だからこそ無責任な言動はできない。

 女将は正直に答えた。


 簡単ではないが、方法はある。


 時の魔法は過去のものを未来に持ってくることはできるが、その逆はできない。

 だからリルちゃんが、如何なる時代から連れてこられた人間だったとしても、もうこの時代で暮らすしかない。


 そのために、彼女が暮らしていた〈時〉を特定し、同時代の遺跡へ柩を運ぶのだ。

 遺跡にはその時代の〈時〉が残っている。

 観光地になっているような遺跡には殆ど残っていないが、未発見の遺跡には色濃く残っている。

 もしくは、少数部族が外部者から守り隠してきた〈聖地〉でも良い。


 そういう遺跡で少しずつ現代の〈時〉に馴染ませていくのだ。


 遺跡を探して世界中を旅することになるだろう。

 幸い、宿屋号には冒険者が集まり、様々な情報や依頼が入ってくる。

 このまま宿屋号を拠点に、それらの依頼を受けながらリルの救出を目指す。


 これが女将の案だった。


「それに、あなたは密かに潜入するというけれど——」


 女将が帰国を止める理由がもう一つある。

 帝国軍の様子がおかしいのだ。


 王国滅亡時に他国へ亡命した王族たちがいた。

 いまは共和国が滅亡し、王国復活の機運が高まっているので、解放軍に合流しようと帰国したらしい。

 もちろん隠密行だったはずだ。


 しかし解放軍がその王族を擁立したという情報は入ってこない。

 きっと帝国軍によって合流が阻まれ、捕らえられたのだろう。


 妙なのがその帝国だ。

 捕らえたことを広く喧伝し、解放軍の士気を削ごうとするはずなのに、ずっと静かなまま。


 その静寂が女将には不気味だった。


 島で何かが起きている。

 その何かがわからないうちは下手に動かないほうが良い。


 それが帰国を止めるもう一つの理由だった。


「…………」


 エルミラは途中から目を瞑って傾聴していた。


 確かに、イスルード島に人跡未踏の地はない。

 島内の遺跡は王国の調査隊の手が入っている。

 モンスターが蔓延っているので、その後、観光地にはならなかったが。


 リルは他の土地、もしくは他の時代から攫われてきたのだから、現代のイスルード島は彼女の故郷ではない。


 また、敵の情報がわからないまま、進軍しないほうが良いというのも、理にかなっている。


 女将の言うことは正しい。

 依頼を受けながら世界中を探せば、手つかずの遺跡はやがて見つかるだろう。


 だが、リルの〈時代〉はいつ特定できる?

 女将自身が言ったではないか。

 簡単ではない、と。


 リルはファンタズマの燃料だ。

 もし女将の時代特定が手間取ってしまい、余計に〈時〉を費やしたら、その分だけ柩の中で少女の〈時〉が失われていく。


 エルミラはその〈時〉が惜しい。

 だからファンタズマを作った人間を捕まえ、いつの時代から連れてきたのかを聞き出すのが早い。

 たとえそこが帝国領であろうとも。


「……そう……」


 女将は反対しなかった。

 この問題に正解はない。


 あの人型を通して補給や回復はできるようだが、が多少、長持ちするだけ。

 柩の中で眠り続ける限り、少女の命は消耗していく一方だ。


 多少、安全を犠牲にすることになっても、一日も早い開放を目指すことは間違いではない。


 この艦の艦長はエルミラだ。

 他者の意見や状況を把握した上で下した決定だ。

 艦長の方針に口出しすべきではない。


 ならばできる限り、万全にして送り出してやるまでだ。


「そろそろ戻りましょう」


 二人はリル人型を迎えに宿屋号へ戻ることにした。

 第二デッキに下りてきたときは、核室を目指していたので素通りしてしまったが、隣は〈予備室〉だ。

 ここにが収納してある。


 だが、中を見ようとはせず、逃げ出すように階段を上がっていった。

 二人共、これ以上リーベルの悪行を見たくなかったから。


 甲板に出た途端、二人に纏わりついた魔法王国の狂気を潮風が吹き飛ばした。

 二人が知る真っ当な世界に吹く風だった。



 ***



「疲れたでしょ? 私が漕ぐわ」


 ボートに乗り込むと女将がそう申し出た。

 いや、私が——とエルミラが慌てるが、元気に漕ぎ始めてしまった。


 ——元気な老人だ。いや、齢数百年の若者か?


 それっきり、ボート上は無言になった。


 変わり果ててしまったペンタグラムの子。

 実家の悪行を目の当たりにした失望。

 二人共いまから酒でも呷りたい気分だった。

 だからお互い余計なことは言わず、女将は黙々と漕ぎ、することがないエルミラは徐々に大きくなっていく宿屋号を見ていた。


 最初は帝国の追手かと疑い、警戒心しかなかったが、いまはその巨体に安心感を覚える。

 悪意と狂気を目の当たりにした直後だと、余計にそう感じられた。


 宿屋号甲板に戻ると、リルは腹をさすりながらも復活していた。


「おかえり」


 出迎えてくれたリルはいつも通り明るかった。


「…………」


 核室を見てきた後で、この明るさは残酷すぎた。

 エルミラは俯き、返事ができない。

 代わりに女将が明るく「ただいま」と返した。


 女将は笑顔を返してくれたが、連れはただならぬ様子。

 少女は不安を覚え、艦で何かあったのかと尋ねたかった。

 だが、連れの思い詰めている顔が少女の質問を遮る。


 横目で見ていた女将はしゃがんで少女と目の高さを合わせた。


「もう少しだけここで待っていてくれる?」

「うん」


 少女は頷いたが、本心から納得している声ではなかった。

 それがわかった女将は待つ理由を伝えた。


「リルちゃんは良い子だけど、この艦長さんにはちょっとお説教があるの」


 正直、女将の内心も横の仏頂面とそう変わらないのだが、そこは年長者。

 明るく、悪戯っぽく振舞った。


 少女はそれでも不穏なものを感じ取っていたが、とりあえず納得した。

 ……納得するしかない。


 女将はしゃがんでいる状態から立ち上がり、エルミラを伴って甲板構造物の中に入っていった。

 入るとすぐに階段を下りて第一デッキへ。

 ファンタズマより広い廊下を艦尾方向へと歩く。

 辿り着いたのは艦尾の船長室。

 女将の私室だ。


「どうぞ、入って」


 部屋の主が先に入り、客人を招き入れた。


 宿屋号船長室。

 物に執着しない性格なのか、女将の私室は予想していたのと違い、余計な物は置かず、綺麗に整理整頓されていた。


 魔法使いは基本的に魔法の研究を優先する生活なので、他のことが後回しになりがちだ。


 つまりだらしないのだ。

 もう少し具体的にいうと、掃除や整理整頓が苦手だ。

 長生きに比例して魔法書やよくわからない物が乱雑に積み上げられていく。

 だから老魔法使いの部屋など、室内に何があるか本人にもわからない。


 それより遥かに高齢なロレッタ卿の部屋……

 内心、怖気付いていたのだが、エルミラの予想は裏切られた。


「ちょっとここに来てくれる?」


 いま女将はクローゼットの扉を開いて何か探しているが、視線を中の衣装にむけたまま、指で自身の隣に立つよう指示した。


「それで、私に対する説教とは?」


 甲板でそう言われたから、ここまで付いてきた。

 それをほったらかして、ずっとガソゴソやっている。

 時々こちらを見ながら、一体何を探しているのか?

 その答えを待っていると、説教の代わりに明るい声が返ってきた。


「あった」


 その手に持っていたのは白い長袖シャツと皮革製のジュストコールとジレ。

 それらを部屋中央に投げ出すと再びガサゴソと。

 何をしているのか理解できずにただ見ていると、上衣に合わせたズボンとブーツ、それにトリコルヌを追加した。


「さあ、それに着替えて」


 出された衣服はエルミラのための着替えだった。

 言われてようやく自分の姿を思い出した。

 ずっと侍女姿のままだった。


 好意に甘え、その衣装に着替えた。

 デザインが少々古かったが、サイズは合っていた。


 きっと若い頃の女将が着ていたのだろう。

 生地は傷んでおらず、とても数百年前のものとは思えない。

 これも魔女の力なのだろうか。


 女将はさらにもう一揃え用意した。

 やや小振りなので、リルの分だ。


 これで二人分の着替えが揃ったのだが、それでもまだガサゴソ続けていた。

 いまは別の棚の中を探っている。


「いろいろとすまない。でも——」


 後の部分を女将が続ける。


「でも、どうしてここまで親切にしてくれるのか?」

「あ、ああ」


 宿屋号の目的は知っている。

 だが、それだけなら水と食料を分け与えるだけで十分だったはずだ。

 別に漂流していたわけではないのだから。


「あなたに期待しているからよ」

「期待?」


 予想外の言葉が飛び出してきた。

 一体何の期待か?


 探し物を続行しながら、困惑している彼女へさらに混乱させるような女将の言葉が続いた。


「胸糞悪い」


 ——⁉


 女将らしくない悪態の言葉が飛び出した。

 だが、エルミラはすぐに思い出した。

 さっきファンタズマ号で自分が吐いた言葉だ。


「そんなあなたなら、リルちゃんのことを任せられると期待したからよ」

「リルのこと?」


 女将はあの子と何か関係があるのか?

 娘?

 いや、時代が合っていない。

 というか、三人の中でリルが最年長の可能性すらあるのだが……


 聞かずとも頭の中で考えていることがわかったのか、探す手を休めて女将は笑った。


「リルちゃんとは初対面よ。今朝まで知らなかったわ。それに——」


 それに、そもそも女将に子供はいない。

 島を去った後も〈リーベルのロレッタ〉の威名は彼女に付いて回った。

 それが嫌で皆が忘れてくれるまで各地を転々として、誰とも深く付き合わなかったのだ。

 子を設ける機会はなかった。


 そんな彼女にとって、海軍魔法兵団とペンタグラムの子孫たちが我が子のようなものだった。

 周囲に多大な迷惑をかけ続ける不肖の子たちではあるが。


 その不肖の子の一人が、非道を見て叫んだ。

「胸糞悪い」と。


 あの狂った国にも真っ当な人間がいた。

 しかもその子は当代兵団長。


 この子なら、〈海の魔法〉が酷い目に遭わせてしまったリルちゃんを救えるかもしれない。

 妖魔艦以来、狂ってしまった〈海の魔法〉を本来あるべき姿に戻せるかもしれない。


 そのためにリーベルで情報を得るのが一番だというなら、できる限りの支援をするまで。


 女将は彼女に渡したいものがあった。

 ただ、どこにしまい込んでしまったか忘れてしまい、難儀していた。

 この部屋にあるのは確かなのだが、宿屋を始めてから全く使う機会がなくなったので、正確な収納場所を失念していた。


 しばらくエルミラを放置したまま一段、一段、探っていた。

 やがて、その手にお目当ての手応えが。


「……あった!」


 探し物は一振りのサーベルだった。


「あげるわ。持っていきなさい」

「……まさか、それ……」


 魔法剣士はサーベルやレイピア等の軽い武器を装備している者が多い。

 相手が魔法使いなら軽装だから、倒すのに重く長大な武器は必要ない。

 また鉄製の鎧で武装している戦士が相手の場合、得物に魔力を付与することで、鉄を紙のように切り裂くことができる。


 女将も宿屋を始める前はその魔法剣士だった。

 くれるというそのサーベルは彼女の愛刀だ。


 エルミラの胸が高鳴る。

 差し出されたその剣に心当たりがあった。

 リーベルで育った者なら誰でも知っている。


 英雄ロレッタ卿の帯剣、魔法剣マジーア

 語り継がれてきた英雄譚の中に登場する魔法剣だ。


 高度な呪物は魔力を付与した魔法使いの名を冠する。

 マジーアとは世界的に有名な大魔法使いの名だ。

 人間というより、もはや神に近い。


 魔法剣マジーアは、弟子だったロレッタが世界へ旅立つ際、師自らがサーベルに魔力を付与して贈ったものだという。


 彼女はこの剣を引っ提げて活躍し、やがてリーベル王国に召し抱えられることになる。

 その後、彼女の失踪と共にリーベルから消え去り、数百年が経過した。


 現在ではその存在も疑問視されていた幻の呪物。

 まさか実在していたとは……


「いや、それは受け取れない」

「いいから、受け取って」


 そう言うと、女将は強引に握らせようとする。

 驚いたエルミラは渡し返そうとしたが、女将が先に手を放してしまったので慌てて両手で受け取ってしまった。


「あっ……」

「そう、それでいいの」


 受け取ってもらえた女将は微笑んだ。


「いまの私は宿屋の女将。剣は戦う者にこそ相応しい」


 戦い?

 一体、誰と?


 エルミラは首を傾げた。

 ウェンドアにいる帝国軍といますぐ戦う気はない。

 密かに上陸して必要な情報を得たら、静かに離脱するつもりだった。


 だから剣を抜いて戦う場面はないのだ。

 もしあったとしても、魔法剣士なのだから手頃な剣に自分で魔力付与する。


 女将の気持ちは嬉しいが、マジーアは大げさだ。


 しかし女将は首を横に振る。

 愛刀を譲ったのは単に護身のためではない。

 それなら姫の言う通り、普通のサーベルでよい。


 宿屋号は冒険者たちの拠点でもあるので、道具屋も兼ねている。

 一般的な武器・防具も扱っているから、その中から適当に見繕ってやれば済む。


 また、手錠が外れたいま、エルミラは魔法が解禁されている。

 魔法の心得がない巡回兵程度なら剣を抜くまでもなく、魔法で眩ましながら情報収集ができるだろう。


 にも関わらず、愛刀を譲るのはこれからのエルミラたちに必要だと思うからだ。

 しかし、何もわかっていないようだった。


 ——困った子。自分で決めたことの難しさを何も理解していない……


 女将がこの部屋に姫を連れてきたのは、着替えのためだけではない。

 甲板で宣言した通り、説教するためだ。


 説教などと、艦長の威厳を損ねるようなことは避けるべきだったが、いまのマジーアの受け渡しからやはり必要なようだ。


 彼女はこれからファンタズマ号の艦長として、リルを救う旅を続けることになる。

 その自覚を持ってもらわなければならない。


 微笑みから一転、女艦長に向ける女将の目は厳しくなった。

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