第8話「少女と幽霊船」

 明らかになった無敵艦隊の弱点。

 世界から最強と恐れられていた魔法艦隊は、素早く小さな敵が苦手であり、また真上からの攻撃が致命的だった。

 弱小と侮られていた帝国海軍はその弱点を見事に突き、最強の看板を下ろさせたのだった。

 以後、各国海軍は金食い虫だった魔法艦から引き上げていった。


 いまや竜の時代。

 各国はより優秀な竜を集め、増やし、竜騎士団増強に努めていた。

 現在、魔法艦を積極的に運用しているのはリーベルのみ。

 竜騎士団を創設しようという話はなかった。


 理由は二つあり、一つ目はイスルード島に竜が生息できるほどの高い山がなかったこと。

 主に竜は高い山に巣を作るので、主な生息地は大陸の山岳地帯だった。

 つまり自国内で竜騎士団を作ることはできないのだ。


 どうしてもというならば、他国から竜を輸入するしかないが、かつて魔力砲の輸出を禁止していたように、竜の生産国も雌竜の輸出を禁止していた。

 時々、雌竜が売られるときがあったが、繁殖を終えた老竜や病竜という有様だった。


 二つ目の理由は、魔法が竜に完敗したとは思っていなかったこと。

 確かに魔法兵の障壁は溜炎の連撃を防ぐことはできなかった。

 ただし、それは海上での話だ。


 アレータ海海戦後、手応えを掴んだ帝国海軍は王都ウェンドアに攻め寄せた。

 しかし、集中を乱すものがない陸地で展開された魔法兵たちの障壁は堅固で、小竜の連撃程度では突破できなかった。


 帝国海軍の竜騎士団を追い返した後、海軍魔法兵団では空中の敵、特に上からの攻撃を想定した訓練に重点が置かれるようになった。


 敗れたのは想定外の攻撃だったから。

 竜が勝てたのは、奇襲に成功したからだ。

 魔法が敗れたわけではない。

 魔法使いたちはそう主張し、竜騎士団創設に反対し続けた。


 二つの理由はもっともな話だったが、これは建前だ。

 本音は、かつて自分たちが陸軍から力も立場も奪い取ったように、今度は竜騎士団に奪われてしまうのではないかと恐れたのだ。


 だが、詠唱なしに飛んでくる竜炎に対して〈魔法〉が後れを取ったことは事実だ。


 そこで彼らは竜に対抗するため、一つの計画を立案した。

 その計画が目指したもの、それは〈死なない召喚士が制御する可変精霊艦〉だ。


 搭載する魔力砲や装甲板を自国生産できるので、可変精霊艦の建造自体は難しくない。

 加えて新兵器もいくつか搭載することが決まり、艦体の建造は問題なく始まった。


 一方で、召喚士を不死身にする方法は全く見当がつかなかった。

 真っ先に思いついたのは、召喚士の不死アンデッド化だが、これは止められた。


 禁忌ゆえに名は記されていないが、この計画には死霊魔法の使い手が参加していたらしい。

 召喚士の不死化は、他でもないこの死霊魔法使いから止められた。


 例えば風の精霊を呼び出すために、召喚士は自身の〈気〉の性質を風に変える。

 仲間だと思わせるためだ。

 仲間が呼んでいるから精霊はこの世界に顕現してくる。


 ところが不死になると、その召喚士の〈気〉の性質が〈闇〉に固定され、闇の精霊しか呼び出せなくなる。

 これでは可変型にする意味がない。


 他にも、筋肉や内臓を残したまま不死になると、生ある者の血肉を求めるようになってしまう問題があった。

 かつての妖魔艦と同じ惨劇が起きてしまう。


 これを防ぐには不死化と共に、完全に肉を落として骸骨化させるしかないのだが……

 そこまでされて、いまの王国に忠義を尽くす召喚士がいるだろうか?


 普段からプライドが高く、他者の意見に耳など貸さない海軍の魔法使いたちも過ちを繰り返したくはない。

 召喚士の不死化は大人しく諦めた。


 ただの可変型なら作っても仕方がない。

 計画は中止になるかと思われた。

 しかし不死化案を止めた死霊魔法使い自らが、代案を出した。


 それが召喚士の〈霊〉化だ。


 死霊魔法といえば死者を操ったり、生者を不死にする魔法という印象が強いが、元々は降霊術だったもの。

 ゆえに他の魔法と異なる〈霊〉という概念があった。


 死霊魔法と精霊魔法は、人間とは異なる存在を使役するという点で似ているが、当然違う点もある。

 その最も大きな違いは、異界というものの解釈だ。


 精霊魔法にとって異界とは精霊界を意味する。

 ゆえに召喚士は生身の人間のまま、この世界に身を置き、精霊を呼び出す。


 対して、死霊魔法にとっての異界は冥界を意味する。

 ゆえに死霊魔法使いはこの世界に死者を呼び出すが、必要であれば霊体になって冥界に赴くこともある。


 彼の語る〈霊〉化とは、この仕組みを利用して霊体となった召喚士に艦の精霊たちを制御させようという案だった。


 これなら〈死なない召喚士が制御する可変精霊艦〉を実現できる。

 海軍研究所の魔法使いたちは、全員一致でこの案を採用した。


 繰り返すが、真理探究に狂った魔法使いたちに倫理や人道などという高尚な概念はない。

 注目するのは目的達成に資するかどうか、その一点のみである。


 霊体化した召喚士に制御させるという方針が決まったのだが、

 実験開始早々、死者が相次いだ。

 肉体から遠く離れたり、長時間霊体のままでいると本当に死んでしまうのだ。


 そうなれば召喚士は冥界に旅立ってしまい、制御を失った可変精霊艦は強制転移してしまう。

 計画は、霊体をどうやって艦に繋ぎとめておくか、という新たな問題に直面した。


 難問だった。

 しかし様々な系統の魔法使いたちが知恵を出し合い、一つの答えを出した。


 その答えは〈召喚士と艦を一体化させる〉というものだった。


 死霊魔法により霊体となった召喚士がそのまま死なないように、肉体を核室に安置する。

 核室は従来の拘束目的ではなく、外部からの衝撃を防ぐために鋼化装甲板等を用い、付与魔法使いがさらに補強する。


 出来上がった新型の核室は早速試され、溜炎に見立てた火球や雷球を受けたが、中身に傷一つ付かなかった。


 この頑丈な核室内に安置すれば、外部からの攻撃で殺される可能性は少なくなる。

 だが霊体となっている間、召喚士の肉体は眠り続けるので食事も運動もできない。

 核室の中で弱っていき、最後は衰弱死するだろう。


 それを防ぐため、魔法と相性の良い水晶で生命維持装置を作り、内部に〈時〉を止める魔法を付与することにした。

 この装置に召喚士の肉体を収めている間、霊体になる直前の状態がずっと保たれる。

 健康状態も、年齢も。


 頑丈な霊室に安置された水晶の柩——

「柩計画」だ。


 霊体化した召喚士が艦内の精霊を制御する可変精霊艦。

 魔法使いたちはこの仕組みを〈霊式〉と呼んだ。


 すぐにこの霊式可変精霊艦の試作艦が完成した。

 しかし、これがファンタズマ号だというわけではない。


 ファンタズマ号誕生までには、もう一つ解決しなければならない問題が残されていた。



 ***



 試作艦は完成すると直ちに試験航海に出た。

 果たして求められている性能は発揮されるのか?


 戦況に合わせて艦内から呼び出す精霊を切り替える。

 あるいは複数同時に呼び出す。

 いまのファンタズマ号が備えている性能だ。


 エルミラとリルが、帝都から無事に逃げ延びることができたことを考えれば、この試験は成功したのだろう。

 実際、試験は成功していた。

 ここまでは。


 航海は続き、この艦の最も重要な性能について、試験するときがやってきた。

 新たに搭載された呪物装備の性能試験だ。

 竜に対抗するための霊式艦だ。

 新兵器がうまく機能しなければ意味がない。


 結果は……

 召喚士を除く全員が海に飛び込んだ。

 皆全力で泳いで艦から十分離れた頃、試作艦は消滅した。

 召喚士死亡による精霊界強制転移だ。


 出航前、艦長及び士官たちは研究所の魔法使いたちから注意を受けていた。

 呼び出していた精霊が勝手なことを始めたら、召喚士のことは気にするな。

 すでに死んでいるということだから、乗員は即時退艦しろ、と。


 攻撃されたわけでもないのに、なぜ召喚士の肉体が死んでしまったのか?


 無理だったのだ。

 霊体は生涯、肉体の中に収まっているべきもの。

 そこから出るときは、いよいよこの世を去るときのみ。


 霊体をこの世に晒し続ければ、急速に命がすり減っていく。

 また魔力砲の装填等、精霊魔法が必要になる場面ではさらに消耗する。


〈柩〉の中にあるのは、いわば制御装置を動かすための〈燃料〉だ。

 命という燃料がなくなれば機能を停止し、制御を失った艦内精霊は暴走を始めてしまう。


 問題は他にもあった。


 艦長以下乗員たちは普通の人間なので、霊を知覚することができなかった。

 反対に召喚士も、乗員たちの言うことがわからないようだった。


 霊の姿は見えないし、正面に立っているかどうかも確認できない。

 艦長たちは周囲に向かって、身振り手振りで命令を何度も訴え続け、ようやく必要な精霊が呼び出されるという有様だった。


 これは艦の消滅以上に重大な問題だった。

 明瞭な言葉で、艦長から乗員たちへ命令を発し、あるいは乗員から艦長へ報告する。

 聞いた者は直ちに理解し、即座に行動を開始する。


 海で、この意思疎通がとれないというのは致命的だった。

 こうなると、両者の意思疎通のために霊媒を乗船させなければならないが、これでは本末転倒だ。


 霊式艦の出発点は召喚士の死によって、艦全体が消滅するのを防ぐところにある。

 召喚士が死ななくても、生身の霊媒が戦死すれば結局同じだ。


 つまり、死なない生身の召喚士が必要だった。

 大変な矛盾だったが、リーベルの魔法使いたちは見事これを解決する。

 彼らの使命は真理の探究だったが、それが役に立った。


 一口に真理と言っても様々ある。

 その一つが、〈生物はなぜ動けるのか?〉ということだ。


 それを知るために、人を含めたあらゆる生物の構造を詳しく調べてきた。

 材質、形状、役割、もしその器官がなくなったら何が起きるのか?

 それらを自分たちの知識と技術で生み出した呪物が代替できるか?


 彼らの知りたいという欲求は人の道から外れていくことも辞さない。

 残酷な実験が繰り返されるうち、人間そのものを作ってみようと考えるようになった。

 その歪んだ願望の中で生まれたのが〈人型ひとがた〉だ。


 人型は文字通り人間そっくりに作られた人形だ。

 どんなに小さな器官でも精密に再現されている。

 違う点は霊魂が入っていないということくらいだ。


 だが大昔から知識を積み上げてきたリーベルの魔法使いたちでも、さすがに霊魂まで作ることはできなかった。

 だから人間を作るという目的が達成できない以上、この人型は失敗作なのだが、召喚士問題にとっては好都合だった。


 この空っぽの人型に召喚士の霊体を収めるのだ。

 沢山用意しておけば、人型が破壊されてもすぐに次の人型に乗り移って精霊の制御を続行できる。


 失敗を繰り返した結果、最適な手順が固まった。


 まず、召喚士から霊体を抜き出し、最初から艦と一心同体の存在だったと刷り込む。

 次に、召喚士そっくりに作った人型に霊体を収め、乗員と意思疎通を可能にさせる。

 最期に、肉体を核室に安置し、柩を通して霊式艦と一体化させる。


 あとは核室の隣等、別の部屋に予備の人型を用意しておけば、行動不能に陥っても瞬時に乗り換えることができる。


 これらの術を施す魔法使いはすべて揃っているのだが、外法の噂が広まり、召喚士たちが逃げ出してしまった。


 二二回続いた実験は、召喚士がいなくなったことで中止かと思われた。

 ところが、二三回目の実験でついに成功した。

 召喚士ではなく、死霊魔法使いがどこからか連れてきた少女を魔力核に使った結果だった。


 その少女は、召喚士ではない。

 だが、精霊を呼び出せるし、肉体から抜け出ることも問題ないという。


 彼女は古代少数部族の末裔。

 その部族は一般には知られていないが、ある程度魔法を修めた者ならば一度は話に聞く有名な部族だった。

 死霊魔法を世に生み出した者たちだ。


 死霊魔法使いによれば、彼の魔法はその部族が行っていた降霊術に端を発する。

 いつしか部族は、降霊術としての側面を守り継ぐ派と魔法に発展させようという派に分かれてしまった。


 彼は魔法派の古代人というわけではないが、教えてくれた師匠が末裔だったという。

 その師匠から伝え聞いていた。

 降霊派の末裔たちが隠れ住む集落の場所を。


 少女は巫女の血筋だった。

 巫女は死者だけでなく、精霊等の霊的なものを呼び出したり、自らが霊体となって冥界に渡ったりすることができる。

 計画に最適な人物だった。


 まだ年若く、巫女の修行は始まっていないようだったが、むしろ好都合だった。

 霊式艦の魔力核にするために、どうせ頭の中をにしなければならないのだ。

 その手間が省ける。


 古代の降霊術に用はない。

 必要なのは精霊と相性が良く、霊体になっても異常をきたさない素質だ。


 その集落がどこなのかは不明だが、そこから攫ってきたことは確かだった。

 少女は縛られ、何らかの魔法障壁で包まれ、昏睡状態でリーベルに運び込まれた。


 誘拐などと、まるで山賊のようだったが、王国の魔法使いたちは誰も咎めなかった。

 実験は座礁しかけていた。

 目的のために手段を選んでいる場合ではなかったのだ。


 こうして多大な犠牲を出した実験はようやく成功した。


 また人型を乗せる艦の開発も完了していた。

 実験失敗によって何度も消滅したが、建造の度に改良を重ね、人型が制御するのに適した艦に仕上がった。


 霊が制御し、無人でも航行可能な幽霊船。

 海軍魔法研究所はこの霊式艦を〈ファンタズマ幽霊型〉と名付けた。


 開発の成功を受け、海軍は直ちにこの新型艦を建造した。


 それがいま、エルミラとロレッタが乗っている艦——

 霊式可変精霊艦ファンタズマ型一番艦、ファンタズマ号だ。


 完成したファンタズマ号には、実験を成功に導いた人型二三号が搭載された。

 もちろん試作艦の魔力核だったことは消去し、ファンタズマ号の魔力核として記憶を書き換えた上で。


 人型二三号と名付けられた少女は、元の名をリルという。



 ***



「胸糞悪いっ!」


 エルミラは読み終えた書類を壁に叩きつけた。

 書類にはまだ続きがあったが、これ以上読む必要はない。


 前段を読んだだけで、自分の実家が神をも恐れぬ悪魔の国だということがよくわかった。

 悪行自慢の後段など読むまでもない。


 散乱した書類を淡々と拾い集める女将は、姫様とは対称的に悲しんでいた。


 この霊式艦ファンタズマ号も、ペンタグラムから始まった過ちの延長線上に出現した艦だ。

 あの日、工房区画で余計なことを思いついたから、今日こんにち、リルちゃんが酷い目に遭うことになった。

 エルミラは前段までで投げ捨てたが、女将は責任もってこの書類を最後まで読んだ。


 読めば読むほど気分が落ち込んだが、それだけではない。

 後段部分で気になる箇所があった。

 さっき甲板で見た弩についてだ。


 魔法艦隊を葬った竜たちが攻め寄せてきたウェンドア防衛戦は、リーベルが勝利した。

 非力な小竜たちの火力ではリーベルの大障壁を破れなかったので退却したと言われているが、実は攻めあぐねていた竜騎士団に被害が出たからだ。


 陸上では魔法が半減しないので、強固な防壁を展開して竜を防ぐことはできた。

 だが、撃退するためには竜を攻撃しなければならない。


 陸の魔法使いたちも、目視で狙わなければならないという海と同じ問題に直面することになった。

 甲板と違って地面は揺れなかったが、初めて見る竜の速度についていけず、火球も雷撃も当たらなかった。


 有効だったのは城壁に設置してある大型弩だった。


 城壁の大型弩は真上に撃てなかったが、速射性と目標までの到達速度で魔法に勝っていた。

 そこで矢や銃撃で弩の前に誘導することで、命中させることに成功した。


 生物相手には大きく見やすい魔法や砲弾より、小さく鋭い鏃が有効だ。


 ただ、大型弩をそのまま搭載することはできないので、艦の大きさに合わせて四基の〈魔法弩マジックバリスタ〉が甲板に設置された。


 魔法弩——

 見た目は城壁のものより小振りな弩だが、通常の矢の他に、各種の魔法を装填して撃ち出すことができる。


 弓も弩も斜め上に撃つことはあるが、本来は水平線上の敵を想定しているもの。

 相手へ届かせるため、斜め上に曲射することはあっても、真上に撃つことはなかった。


 そこでファンタズマに載せる魔法弩は、真上に射出できるように改良が施されている。

 これで竜に対して死角はなくなった。


 あとは、変幻自在に飛び回る高速の竜に単発の攻撃が当たるのか、という問題が残っていたのだが、魔法使いたちはその問題も克服していた。


 エルミラは知らない。

 途中で投げ捨ててしまったから。

 最期まで読んだ女将だけがその答えを見た。


 魔法が竜に完敗して以来、王国内で彼らの権威に疑問が生じ始めていた。

 日々高まっていく竜騎士団待望論を潰す一方で、魔法使いたちは死に物狂いで考えた。

 どうすれば魔法で竜に勝てるか?

 どうすれば竜に命中させられるのか?


 弟子の弟子が出した答えに、ロレッタ卿が点数を付けるとしたら百点満点だ。

 どんなに変則的な飛び方をしようと、この艦が正確に撃ち落す。

 小竜の四個小隊程度では勝負にならない。


 恐ろしい幽霊船だ。

 かつてちっぽけな竜騎士団が魔法艦隊を全滅させたが、その竜騎士団をこのちっぽけな小型艦が一隻で全滅させ得る。


 ——やはりこの子たちを、いまのリーベルに行かせるわけにはいかない。


 書類を拾い終えた女将は決意し、振り返った。


「これからどうするの?」


 書類によれば、リルちゃんはどこか他の土地から連れてこられた。

 女将がリーベルに仕えていた頃、島内で降霊術に長けた先住民の話など聞いたことがない。

 ゆえに件の末裔たちは他の大陸か島だと推測できる。


 イスルード島はリルちゃんの故郷ではない。

 だから帝国軍が待っている島に帰る必要はないはずだ。


 ようやく怒りが治まったエルミラは女将の話に頷いたが、それでも帰るという。

 それが祖国恋しさからではないことはわかっているが、なぜなのか?


「リルを攫ってきた死霊魔法使いを尋問する」


 女将の問いに答える彼女に怒りはない。

 代わりにその目と声には、毅然としたものが宿っていた。

 だが、どうやって尋問しようというのか。


「名前もわからないのに?」


 書類には死霊魔法使いとだけ記されている。

 おそらく普段は一般的な魔法使いとして振舞っていたのだろう。

 禁忌の魔法なので、堂々と名乗る者はいない。


 それに王国滅亡の混乱時に沢山の魔法使いたちが殺され、残った者たちの大半が島を去っていった。

 いまから帰国しても、見つかるとは思えなかった。


「それでも何かあるはずだ! リルに関するもっと詳しい書類や、事情を知っている人間が残っているかもしれない!」


 王家の一人として、王国が働いた悪行を償おうというのか。

 責任感の強さには好感を覚えるが、それならなおさら帰るべきではないのだ。


 帰ったその場所はもうリーベルではない。

 だから少女に関連するものも残っていないだろう。

 なぜなら——


「もう、リーベルはなくなったのよ」



 ***



 女将の言葉に、エルミラは溜息を吐いた。

 王国が滅亡してから帝国に送られたのだから、いまイスルード島にあるのが共和国だということは知っている。


 だが、女将が言っているのはそういう意味ではない。

 本当にリーベルという名が正式にこの世から消え去ったのだ。


 知っての通り、リーベル王国は帝国海軍の策略によって滅びた。

 すでに欲まみれだった大臣や将軍たちが易々と買収され、内側から崩されたのだった。


 そのとき帝国側が囁いたのが、共和制だ。

 君主制を廃止し、実際に国を支えてきた者たち自らが議員になって共和国を作ってはどうか?

 帝国が力を貸す、と。


 そして革命が起きた。

 指揮官が買収されていた部隊は、無抵抗で帝国海軍を王都まで通してしまった。

 中には買収に応じなかった指揮官が独断で抵抗したが、散発的だったため、敵と味方の連合軍に鎮圧された。


 寝返った大臣、将軍、貴族たちは革命軍を名乗り、王族たちを悉く捕えた。


 エルミラも捕えられた一人だ。

 海軍は寝返ったが、魔法兵団は断固抵抗すると宣言し、帝国軍と革命軍に兵団単独で抵抗しようとした。


 だが、所詮は多勢に無勢。

 包囲されてしまい、部下たちの命を救うために投降したのだった。


 悪政で民衆を苦しめた罪により——

 それを言うなら革命軍の連中も同罪だと思うが、なぜか裁く側になり、国王をはじめ、主だった王族を処刑し、残りは流刑に処した。


 こうして帝国承認の下、リーベル共和国が始まったのだった。

 しかしこれで終わりではなく、帝国が革命軍に協力したのは己が利を得るため。

 属国である共和国に対して見返りを求めてきた。


 帝国が求めたものは二つ。

 一つは両国の絆を深めるため、エルミラ王女が帝国に嫁ぐこと。

 もう一つは王国海軍の技術を帝国に提供すること。


 人質の件は何の問題もない。

 魔法兵団が無駄な抵抗をしたせいで、帝国軍にも革命軍にも被害が出た。

 その指揮官がエルミラ王女だ。

 王位継承順位は低いが流刑ではなく、見せしめのためにも処刑すべきだった人物だ。


 それが共和国の役に立つというなら、喜んで引き渡す。


 そんなことよりも二つ目の条件が引っかかった。

 海軍の技術とは、要するに魔法艦の技術のことだ。

 どこの国でも、海洋魔法王国を乗っ取ったからには当然欲する。

 だが、議員たちは自己の利益しか考えていなかったので、革命協力の見返りのことを失念していた。


 議員たちは難色を示した。

 他人エルミラが苦しむだけで済む一番目の条件と違い、二番目は自分たちが握っている利益を丸ごとよこせという話だったからだ。


 しかしこれを一刀両断に断るのは難しい。


 革命支援のために上陸した帝国海軍兵が今日もウェンドアに居座っている。

 また、後からやってきた帝国艦隊が近海を哨戒し、船舶の臨検を強化していた。

 だから少しでも両国の関係が不穏になれば、彼らはすぐに海上封鎖するだろう。


 議会は紛糾した。

 これは単なる技術供与の話ではない。

 魔法艦はリーベルの宝。

 そのことは共和国になっても変わらない。


 竜と魔法艦。

 二つの強大な力を持った帝国海軍は世界最強の海軍になり、その脅威はかつてのリーベル魔法艦隊以上になるだろう。

 その海軍から降れと迫られたら、共和国は滅ぶ。


 即決できる話ではない。

 だが結局、帝国の要求を呑むことになった。


 屁理屈になるが、要求されているのはだ。

 つまり作り方を教えろということだ。

 だから現役艦の設計図を引き渡してやればよい。


 先人たちの苦労の結晶を他国へ渡すことに、抵抗を感じないわけではないが、どうせ帝国海軍如きに作れはしない。


 魔法艦は非常に繊細なもの。

 設計図通りに組み立てれば完成するというものではない。

 図面には「この工程で魔力を付与——」としか記述されていないが、ここで付与魔法の呪文を唱えましょうという単純な話ではない。


 材木を切り出したその樹木が生えていた土地には、どんな〈マナ〉が働いているのか?

 材木にはその力の影響が色濃く残っている。

 だからそれに合わせた魔力付与を行わないと材質と付与した魔力が衝突して効果が半減してしまうのだ。


 例えば火精艦を作るためには、火の力が強く働いている地の樹木を用いるが、そこへ水の魔力付与を行えば、火と水が反発し、せっかく生まれ持っていた火の力が消散してしまう。


 また同じ土地に生えている樹木でも微妙に差異があり、どれ位の魔力付与に耐え得るかは一本一本違う。

 火の樹木だからと、一律平等に火の魔力を付与したら、許容量の小さい材木は魔法に負けて生まれ持った力が消散するのだ。


 難しい力加減を要する。

 その加減は一隻一隻違うので図面に書き表すことはできない。

 熟練付与魔法使いの勘のみが成し得る。


 帝国は強大だが、陸軍主体の国。

 海軍とは名ばかりの小舟の寄せ集め。

 帝国にも宮廷魔法使いがいるようだが、もしリーベルだったら見習いの域を出ない未熟者。


 初心者同然の彼らに設計図を見せたところで、高度すぎて理解できまい、と侮ったのだ。


 それに、魔法艦隊は竜に敗れたのであり、艦対艦で敗れたわけではない。

 旧式艦の設計図で苦戦している間にこちらは例の新型を量産すればよい。


 魔法使いたちの決断にはそんな打算があった。


 確かに帝国の軍人たちがリーベルの知の奥義を理解することはできないかもしれない。

 一方でリーベルの魔法使いたちもブレシア騎兵というものを理解していなかった。


 大昔、彼らは大陸を転々と移動する遊牧民族だった。

 その暮らしは貧しく、足りない生活の糧を狩猟で補っていた。獲物を馬で追い、弓矢で仕留める。

 この馬弓術は戦においても有効だった。


 戦のとき、この優秀な騎兵たちが心掛けていたことは、決して立ち止まらないということ。

 馬は走るもの。

 その速さが騎兵最大の武器なのだ。

 立ち止まるということは、その利点を捨てることになる。


 この思想はその後の竜騎士団にも引き継がれ、ウェンドア防衛戦においても障壁を破れないと悟ると、直ちに引き上げた。


 彼らはとにかく素早いのだ。

 狩猟の傍ら、他の部族に攻め込んで略奪を行うこともあったようだが、そのときも素早く奪い取り、相手の反撃態勢が整う前に離脱した。


 だからリーベルの技術を奪い取るのも素早かった。


 駐留している帝国兵は議会が話し合っているうちに突入準備を整えて待った。

 そして要求を呑むと議決されるやいなや、直ちに工廠に突入して占拠した。

 海軍研究所がファンタズマ号の開発・建造を行っていた工廠だ。


 共和国の議員や官僚たちは王国の貴族だった。

 貴族は才能がなかったとしても、教養として魔法を学ぶ。

 当然、あの教えも学んでいる。


 ——魔法使いは味方かどうかわからない者に接近を許してはならない。


 ロレッタとアルシールの教えは驕る貴族たちにとってはただの知識自慢の種。

 ただ諳んじることができさえすればよく、その意味をよく考えることはなかった。


 意味が理解できていないから、味方かどうかわからない帝国と内通し、王都を守る大障壁の内側に帝国兵を引き入れてしまったのだ。


 帝国軍の騎兵が治安を守る名目で王都内を巡回し、魔法艦には魔法兵の護衛と称して重装兵が乗り込んでいる。

 魔法を詠唱する素振りを見せれば、完成するより先に潰されてしまうだろう。


 ブレシア騎兵の接近を許してしまった魔法使いたちにできることはなかった。

 あとは何もかも奪われるのみ。

 こうしてファンタズマ号は帝国の手に落ちたのだった。


 滅亡から一ヶ月。

 奪われた霊式艦はエルミラリーベルの手に戻った。

 あとはイスルード島に戻って、過去の資料からリルの手掛かりを探すだけなのだが、女将は反対だった。

 なぜなら——


「あの島はもうリーベル共和国ですらなくなったのよ。ウェンドアも共和国首都ではない」


 一ヶ月という時間は、幽閉されている者にとっては気が遠くなるほど長いが、世界にとっては一瞬。

 その短い時間の間に、誕生したばかりの共和国は滅亡したのだった。


「……な、何?」


 頭が追い付かない。

 正直に言うなら、あれほどの威容を誇った王国がある日突然滅んだことさえ、エルミラはまだ受け入れられずにいるのだ。


 そこへリルの正体の話と共和国滅亡の話だ。

 あまりにも目まぐるしすぎる。


「……だったら、一体何なんだ?」


 その声にはありありと困惑の音が浮かんでいた。


 当然だ。

 王国滅亡、人質御供、帝都脱走、そして共和国滅亡。

 もし女将が姫様の立場なら間違いなく混乱する。

 だから細かい説明はやめ、現在のウェンドアの正式名称を教えることにした。

 それがあの島が置かれている状況を端的に表しているから。


「ブレシア帝国イスルード州、州都ウェンドア」

「……州都だと?」


 リーベルという名は帝国に併合されたことで消滅した。

 王宮の建物は共和国によって議事堂として用いられていたのだが、現在はそのまま州政府庁舎になっている。



 ***



 エルミラがいない間にイスルード島で何があったのか?


 彼女が人質としてファンタズマ号と共に帝国に送られた後、共和国内に噂が流れた。

 革命は悪政を正すためでも、民衆たちの国を作るためでもない。

 貴族や豪商たちが私利私欲のために王様から国を奪った。

 奴らは単なる謀反人たちである、と。


 共和国政府は島内に潜伏している王党派残党の仕業であると断定し、捜索を強化した。

 ただの噂と聞き流していれば良かったのかもしれない。

 だが、心当りが山ほどある政府首脳陣には、それができなかった。


 結果、密告のたびに無実の民が次々と逮捕され、厳しい尋問を受けることになった。

 共和国政府への怨嗟の声が島に満ち、根も葉もなかった噂は真と信じられていった。


 それに比例するように王国復活を願う声が高まり、とうとう政府軍と王党派の内乱が勃発してしまった。


 駐留帝国軍は当然政府軍を支援すると思われたが、意外にも沈黙を貫いた。

 共和国政府が何度使者を送っても門を閉じたまま、親書も受け取らなかった。


 固く閉じられていたその門が開いたのは内乱勃発から一週間後のこと。

 彼らは馬を駆ってウェンドアの街を疾走した。

 向かう先は共和国政府庁舎。

 帝国軍は王党派に味方した。


 王党派と帝国軍は事前の打ち合わせがあったわけではない。

 しかしその様子を見た王党派は急に訪れた勝機に即応した。


 帝国軍と王党派の挟撃。

 革命によって王国を電撃的に滅ぼした共和国政府だったが、自分たちも大した抵抗ができないまま降伏した。


 内乱は王党派の勝利に終わり、これから王国が復活する。

 皆がそう喜んでいたのも束の間、帝国軍は返す刃で王党派に斬り掛かった。


 民の苦しみを顧みず、権力闘争に明け暮れる連中にイスルード島を治める資格はないということだ。


 政府軍との戦いで全力を尽くした王党派に、帝国軍と戦う力は残っておらず、再び地下へと落ち延びていった。


 降伏した共和国の議員と官僚たちは財産を没収された後、囚人として他国の収容所へ送られ、王族も貴族もいなくなった政府庁舎には帝国旗が翻った。


 共和国政府の良くない噂を流したのは帝国軍。

 ただのウェンドア市民を王党派の一味だと密告したのも帝国軍。

 すべて帝国に仕組まれたことだった。


 島内各地にも続々と同じ旗が掲げられていき、かつてリーベルと呼ばれた島は帝国領イスルード州になったのだった。



 ***



 亡国の姫は何も言えず、黙って女将の話を聞いていた。

 まだ帝国軍が居座っていることは想定していた。

 だから静かに帰還し、リルの情報を集めるつもりだった。


 それが、まさか帝国領……


 すでに帝都ルキシオから役人が赴任し、帝国の統治が始まっているという。


 そして、それを黙って見ている王党派ではない。


 現在、王党派は解放軍を名乗り、帝国の統治に抵抗している。

 内乱の戦火は全島に及んだ。

 さらにはそこに乗じて利益を得ようという輩たちも入り込んでいた。

 王国滅亡から約一ヶ月、島は様々な勢力が入り乱れ、乱世と化していた。


 そんなところへ旧王家の姫君が最新鋭艦を引っ提げて帰還したら……

 艦は奪われ、姫様は利用されるだけだ。

 ゆえに女将は帰国に反対だった。


「……なら、リルはどうするんだ? ずっとこのままにしておけと?」


 エルミラは俯いたまま震える声で呟き、女将が拾い集めた書類を指差した。

 女将は黙って書類を棚に戻し、艦長室の扉を開いた。


「とりあえず、リルちゃんに会いに行きましょう。下にいるみたいだから」


 女将の誘いに対して「胸糞悪い」と反発はしなかった。

 正直、目を背けたい。

 だが、自分たちが仕出かしたことを直視するべきと思い直した。

 エルミラは大人しく女将の後ろを付いて行った。



 ***



 第二デッキ中央部。

 リルの部屋はそこにあった。

 誰に聞かずとも、すぐにわかった。

 他の船室に比べ、明らかに厳重だったから。

 ここがファンタズマ号の核室だ。


 書類によれば、この核室の外壁には鋼化装甲板が何層にも重ねられているが、それだけではない。

 鋼化装甲板の間に耐火、耐冷、耐雷等、様々な装甲板を挟んで強化している。


 女将はその物々しい船室の前に立つと、エルミラを階段まで下がらせた。


「私の姿が消えたら、全力で駆け上がって海に飛び込んでね」


 そう言い残すと、扉に手を翳して意識を集中する。

 扉のプレートには古代語で〈核室〉と書かれていた。


 この部屋はあらゆるものの来訪を歓迎していない。

 砲弾、魔法、そして人間も。

 だから解呪しようとする者に呪いが掛かるかもしれない。

 また、扉自体に罠が仕掛けられている可能性もある。


 何が発動しようと、自分一人なら瞬時に逃げることができるが、その時、同伴者も救えるか?

 階段で待機させているのは、そのための用心だった。


 指示された通り、エルミラは階段でその様子を見守っていた。

 女将の緊張が遠く離れたここまで届き、見ているだけの彼女まで緊張していた。


 女将は目を閉じて、ずっと扉に手を翳している。

 一般人が見たら何もしてないように見えるが、扉に掛かっている魔法と目に見えない鬩ぎ合いが続いていた。

 解呪の一方で、いつでも空間転移できるように備えながら。


 いつ終わるかわからない静かな戦い。

 しかし意外なことに、それほど時間は掛からなかった。

 扉の前に立ってから数分。

 女将はドアノブを回して、カチャッと成功の音を鳴らした。


「あなたの手錠と同じだったわ」


 扉は魔法で施錠されていたが、死霊魔法の呪いではなく、一般的な現代の魔法だった。

 探知魔法で室内の様子を探ると、特に遮るような魔法も掛かっておらず、安全だと確認できた。


 女将の無事に安堵したエルミラは、階段にかけていた片脚を下ろし、核室の前に戻った。


 扉の前で二人は顔を見合わせ、頷き合った。


 初代団長はかつて自ら生み出したものが、どれほど歪んでしまったのかを直視する覚悟。

 末代団長は悪行に気付けなかった己の不甲斐なさを直視する覚悟。


 お互い、覚悟ができた。

 女将は掴んでいたドアノブを室内に向かって押した。


「リル……」


 少女は部屋の中央、水晶製の柩の中で静かに眠っていた。

 その下部からは管のようなものが何本も伸び、床や壁、天井に繋がっている。

 書類に記されていた魔力核からを艦全体に送る管だろう。

 あるいは巫女が艦と一体になるための管か?


 室内を見渡すと家具等はなく、床や壁に難解な魔法陣が描かれているだけだった。


 女将に先導されて透明な柩の傍らに立つと、小さく胸が上下しているのがわかった。


 ——生きている!


 エルミラは衝動的に柩をこじ開けようと手を掛けた。


「やめなさいっ!」


 女将がそれを制する。


「放せっ! 邪魔するなっ!」

「無理矢理開けたら、リルちゃんが死んじゃうかもしれないでしょっ⁉」


 さすがの女将も世界中の少数部族をすべて記憶しているわけではない。

 古代より現代まで続いている降霊術に長けた部族というのは初耳だった。


 だからあの少女は、古代から連れてこられたかもしれないのだ。

 現代の王国にも時の魔法使いが仕えていただろうから、その者の助力があれば可能だ。


 柩の中と外で、流れている〈時〉が違う可能性がある。

 リルちゃんは柩の中で古代に生きているかもしれないのだ。

 それを強引に開ければ、現代の〈時〉が柩の中に雪崩れ込む。

 そのとき古代の少女は、どんな姿になるか?


〈時〉は情け容赦なく、その遅れを修正するだろう。


 リルの死……

 柩を掴むエルミラの手から力が失せた。

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