第7話「カツオドリvs魔法使い」

 いまも衰えていないロレッタ卿の魔力。

 抵抗は無意味だ、とエルミラは悟った。


「一つ目の質問には答えたから、二つ目の質問にも答えるわね」


 無動作の空間転移に驚いて忘れていたが、宿屋号で確かに質問していた。

 出奔した理由と、なぜ助けてくれるのか、だ。


「さっきは閑散としていたけれど——」


 そう前置きしてから、女将は二つ目の質問について答え始めた。


 宿屋号が完成してから彼女は世界各地を巡った。

 魔法艦隊の噂を聞けば、どこへでも。

 戦闘海域周辺に待機し、一人でも多くの遭難者を拾い上げていった。


 やがて海上宿屋の評判が広まり、少しずつ冒険者や船乗りたちが集まり、いつしか宿屋号の甲板酒場は、情報交換の場になっていた。


 そのうち依頼の話も集まるようになってきたので、現在はギルドのようになっているという。


 今日もセルーリアス海付近の船や冒険者たちが集まってくるだろう。

 だから女将の下には彼らによって続々と新しい情報が齎されるのだ。


 それらの情報の中で最近、気になるものがあった。

 リーベル王国滅亡と共和国の建国だ。


 共和国建国と同時に、エルミラ王女が帝国に嫁ぐことになったという。

 どう見ても人質御供だ。

 不愉快な話ではあったが、すでにその国を去った者がとやかく言うことではない。


 評判の良い王女様のようだが、政治の都合で結婚相手を決められてしまう御立場だ。

 和平のため、敵国に嫁がされる場合だってある。

 今回がそうだったのだ。


 お気の毒にとは思うが、庶民であるロレッタがそれ以上何かを思うことはなかった。


 ところが昨日、その人質が艦を奪って脱走した。


 報を聞いた女将は彼女に興味が湧いた。


 いつの頃からか、団長はお飾りと化していたが、彼女はそうではなかったようだ。


 近頃の団長は、船酔いがひどいので一度も乗艦しない者や、魔法王国の王族なのに魔法が苦手だったり、と能無しが多かった。

 真面目にやれば上達すると思うのだが、彼等には始める前から優秀な成績が約束されている。

 ゆえに、それでも真剣に取り組もうという物好きな王族はいなかった。


 しかし、当代団長、エルミラ王女はその物好きだ。

 歴代王族団長の中では珍しく、訓練を怠けず、一人前の魔法剣士になったという。

 その彼女が共和国に迷惑がかかることも厭わず、帝国から逃げた。

 まだ見たことがない王女様から、意思の強さが感じられた。


 一体どんな女性なのか、と興味が湧いたので会いに来たのだ。


「そんな理由で?」


 まさか単なる好奇心だったとは。

 裏を読もうと、あれこれ考えを巡らせていたのが馬鹿々々しい。


 呆れてガックリと肩を落としたが、女将はそう決めつけるのはまだ早い、と制した。


「これから長い付き合いになるかもしれないのだから、どんな人物か知っておかないと」


 長い付き合い?

 エルミラは女将の言葉に首を傾げた。


 話を聞く限り、女将は二度とリーベルの土は踏まないつもりだろう。

 一方、こちらはリルを故郷に送り届けるために帰国する。


 その後はおそらく他国に渡り、船とは無関係の生活を送ることになるだろう。

 例えば、かつての女将のように冒険者になるとか。


 これからも海上で宿屋をやっていく彼女とは接点がない。

 長い付き合いにはならないと思うのだが……


「それじゃ、お互いをよく知るために今度は私の番」


 女将はエルミラの疑問は気にせず、自分の質問を開始する。


 小型とはいえ、歴とした一隻の軍艦。

 たった二人でどうやってここまで航行してきたのか、と。


「リルに操舵を任せて、操帆は私がなんとか……」


 自分で言っていて苦しい。

 嘘をついているので視線が泳いでしまう。

 それでも一瞬だけちらっと、女将と目が合ってしまった。


「そう。大変だったわね」


 言葉では同調しているが、彼女の微笑みが物語っていた。

 嘘はお見通しだ、と。

 だから続けて突っ込まれた。


「それでよく戦闘を切り抜けられたわね」

「……っ!」


 一番痛い所を突かれて、ぐうの音も出ない。


 そんな王女様を、ロレッタは明らかに面白がっていた。

 だが、ただ単にからかって楽しんでいたわけではない。

 王女様が信用できる人間か、試していたのだ。

 これでスラスラと次の嘘が出てくるようならば、信用できない。


 見れば、返答に困って俯いてしまっている。

 正直に話せば、あの少女のことを暴露することになる。

 たとえ困ったことになっても、易々と仲間の秘密をバラさない人物。

 彼女を愛した民衆の目は確かだった。

 嘘が下手で実直な王女のようだ。


 合格だ。

 だからこそ、このままリーベルに帰らせるわけにはいかないのだ。


 そろそろ本題を切り出そうかと思ったとき、ボートを漕いでいたエルミラがファンタズマ号の異変に気付いた。


「あれ? 少し膨張しているような……」


 振り返ると、艦体が迎えに来たときより膨らんで見える。


 ——ああ、やっぱり……


 振り返ったロレッタの表情は一瞬険しくなった。


 宿屋号に誘ったとき、甲板から覗き込む人影は二人だけだった。

 そのうち一人は子供。

 実質一人でここまで航行してきたことになるが、そんなことは不可能だ。


 どこの国でも沿岸から沖までを警備隊が哨戒している。

 帝国海軍も同様だ。


 うまく艦を奪って出航できても、彼らの追撃が待っている。

 二人がここまで辿り着くためには、これを振り切らなければならない。


 戦闘は急な旋回や加減速が続く忙しい作業の連続だ。

 十分な人員が確保できていても楽ではない。

 にも関わらず、戦闘時の急速な展帆と縮帆を彼女一人で?


 ……無理だ。


 それにあの少女もおかしい。

 さっき宿屋号甲板に下すとき、違和感があった。

 例えると、


 ——リルちゃんの霊が、リルちゃんそっくりの別人に憑依している。


 妙な言い方だが、その違和感を言葉にするとこうなる。


 王国を出奔してから数百年。

 長生きしていると、魔法に頼らなくても〈気〉を感じ取れるようになった。

 それゆえに、触れただけで感じ取れたのだった。


 王女様は最新型の魔法艦位に思っているのかもしれない。

 だが、ふっくらと膨張している艦体から立ち上っている〈気〉は、単なる魔法艦のものではない。


 複数の精霊の気配が入り乱れ、その中央からリルちゃんの〈気〉が立ち上っている。

 はっきり言って異様だ。

 異なる精霊同士を一つの場所に居合わせることはできないからだ。


 そしてなぜ宿屋号でひっくり返っている少女の〈気〉があの艦からも感じられるのか。

 ロレッタの中で一つの仮説が立っていた。


 もしその仮説が正しいとしたら、とても危険な艦だ。

 妖魔艦どころではない。


 おそらく尋ねても二人は何も知らないだろう。

 だから自分の目で確かめるしかない。

 魔法王国の闇が、どこまで育ってしまったのかを。



 ***



「ファンタズマ号へようこそ」


 宿屋号での女将のように、エルミラもやってみせた。

 あちらと違って、こちらは軍艦。

 その様子は武骨なものだったが。


 甲板に立ったロレッタは、ぐるりと周囲を見渡した。


 小口径砲が両舷合わせて一〇門。

 それと弩が四基。

 艦首付近と艦尾付近に二基ずつ配置されている。

 そのすべてから魔力を感じる。

 搭載されている砲は〈魔力砲まりょくほう〉だ。


 初代ペンタグラムにも搭載されていたこの砲は、普通の砲弾でも戦艦並みの威力を発揮できるが、本来の使い方ではない。

 この砲の真価は魔法を装填して撃ち出せることにある。


 だから砲手は誰でもよいが、装填手は魔法使いでなければならない。

 初期魔法艦では魔法兵がその役割を担った。

 後に妖魔を乗せ、吸い出した魔力を装填するようになったが、既述のように、妖魔艦は人間に制御できるものではなかった。


 その代わりに登場したのが〈精霊艦せいれいかん〉だ。


 人間以外の力を利用するという仕組みは妖魔艦と同じだが、妖魔の代わりに精霊を拘束しておき、その力を吸い出して使う。

 この新しい艦は妖魔艦ほどの力は出なかったが、艦を丸ごと取り込んで暴走するということはなかった。


 しかし何も問題がなかったわけではない。


 一つは、非常に手間が掛かるということ。


 精霊はこの世界に顕現させて使役し、終わったら帰らせるしかない。

 その一連の流れが精霊魔法だ。

 長く顕現させておこうとしたら、術者である召喚士が集中し続けるしかないが、航海中ずっと続けるのは無理だ。


 そこで核室を疑似的な精霊界として留めようとしたが、永続的に、というのは無理だった。

 だから海戦終了の度に核室から精霊を解放し、改めて召喚し直さなければならなかった。

 これが非常に手間だった。


 もう一つは初期魔法艦並みの費用が掛かることだ。


 例えば火の精霊を拘束した艦に水の精霊を同居させることはできないので、火精艦、水精艦という感じに一隻ずつ用意しなければならなかった。

 後に〈単一精霊艦〉と呼ばれる魔法艦だ。


 戦場ではどの精霊が必要になるかわからない。

 海戦になると、各種の単一精霊艦をすべて連れて行かなければならなかった。

 当然、建造費が膨れ上がる。


 そこで考えられたのが核室を仕切り、異なる精霊を同居させる方法だ。

 状況に応じて火精艦にも水精艦にもなれるので、〈可変精霊艦〉と呼ばれた。

 一隻で済むので費用が抑えられ、妖魔艦のように暴走することもない。


 初期魔法艦以来、何らかの問題点を抱えていたが、ついにそのすべてを解決した真の魔法艦が誕生した。

 そう考えたリーベル海軍は、この新型を次々と建造しようとしていた。


 しかしエルミラたちが生きる現代——

 可変型は初期に建造された数隻のみで、後は建造されていない。


 それは可変型によっていままでの問題点を解決できたのだが、代わりに看過できない危険があったからだ。


 隔壁一枚で隣り合う相性の悪い精霊たち。

 例えば片方からは熱せられ、反対側からは冷やされる。

 これでは隔壁の強度がもたない。


 隔壁がなくなれば相性の悪い精霊同士は互いに力尽きるまで戦う。

 やがて限界を迎えたとき、それぞれの精霊界に帰っていく。

 周囲にあるものを巻き込みながら転移する。


 つまり人も艦も消滅したのだ。


 だからといってすぐに諦めるリーベルではない。

 精霊を制御し、隔壁の消耗を抑えるために海軍魔法兵団の中から精霊魔法の使い手〈召喚士〉を乗船させた。


 結局、魔法兵が乗船するなら初期魔法艦と同じだが、これで隔壁の問題は解決したことになる。


 では、なぜ海軍は単一型に戻ったのか?

 理由は二つ。


 一つは精霊魔法の使い手が少なかったということ。


 精霊魔法は意思ある精霊が相手だ。

 相性が重要なので、召喚士は機械的に育成できる兵科ではなかった。


 もう一つの理由は、海戦で召喚士が倒されると、制御できる者がいなくなってしまうということだ。

 そうなれば、残された艦には強制転移の運命が待っている。


 宿屋号に集まった情報によれば、何度か消滅を体験した後、可変型は封印されたのだという。


 だが封印されているはずの可変型がここにある……

 いま甲板に立つロレッタはこの艦から様々な精霊の〈気〉を感じ取っていた。


 ——下にいる……


 精霊たちだけではない。

 リルちゃんも……


 おそらく甲板の下にあるものはリーベルの悪意。


 妖魔艦のときから何も変わっていない。

 目的のためなら容易く外法に手を染める魔法研究所。

 いや、いまは海軍に取り込まれて海軍魔法研究所だったか?

 どちらでも中身は同じだ。


 研究所の魔法使いたちに意思や理性はなく、あるのは不可能を可能にしたいという欲求のみ。

 そんな彼らに海という新たな可能性を示したのは、他ならぬロレッタ自身だ。


「大丈夫か? 顔色が悪いようだが……」


 傍らでエルミラが心配するほど、深刻そうだったのだろう。


「ちょっと昔のことを思い出していただけ」


 大丈夫と返すが、その微笑みにさっきまでの余裕はなかった。

 どう見ても作り笑いであることは明らかだった。


 ロレッタが甲板でこれ以上、見るものはない。

 エルミラに船室を案内してくれるよう頼んだ。


「ああ、それは構わないが……」


 開かずの扉と空の船室がひたすら続くだけで、女将が体調不良を我慢しながら見るほどのものはない。

 だが、その目には意を決した者の力が宿っていた。

 その眼光に圧倒されながら、エルミラは甲板下へと続く扉を開けた。



 ***



 不揃いな足音を立てながら、階段を下りていく末代団長と初代団長。

 二人は甲板直下、第一デッキに下り立った。

 例の開かずの扉が並ぶ区画だ。

 女将はその一つの扉の前で立ち止まった。

 ちょうど目線の位置に古代語らしきプレートがある。


「何て書いてあるんだ?」


 魔法兵の端くれとして情けないが、見たことがない文字なのだ。

 でも伝説の魔法使いなら、と期待を込めて尋ねた。


「大したことは書いてないわ」


 エルミラの見立て通り、プレートは古代文字だった。

 ただし遥か昔に滅亡している少数部族の言語だという。


 訓練生時代、一部の古代語を学ぶ機会はあったが、あくまでも現代の魔法に必要な範囲だけだ。

 古代語の習得を目的としているわけではないし、少数部族の古代語などまったく学ぶ必要はない。


 勤勉だったにも関わらず、彼女が理解できなかったのはそのためだ。


 女将は扉を順に指差しながらプレートを読み上げていった。


「火精室、雷精室、土精室……」


 おかげでそれぞれ何の部屋なのかわかった。

 精霊を拘束しておく部屋だ。

 シルフもウンディーネもここから呼び出されたのだ。

 海上で土の精霊を呼び出せたのも納得できる。


 扉に付与されている魔力は鍵の代わりだ。

 中のものを拘束しておくだけでなく、水兵がうっかり開けてしまわないようにするためのもの。


「あれ?」


 すべての開かずの扉を読み終えると、女将は首を傾げた。

 もう一つ、あるはずの部屋がない。


 見落としがあったかと再度、扉を順に確認するがやはりない。

 そこで何かに気が付き、視線を下に落とす。


 ——下にいるのね。


「下もこことそんなに変わらないが、見に行くか?」


 女将の様子に気付いて尋ねた。

 こことそんなに変わらない階層。

 船倉と思われる空き部屋の他には開かずの扉が二つあるだけだ。


 何の部屋かわからなかったが、いまは読解可能な女将を伴っている。

 何と書いてあるのか、エルミラも興味があった。


「ええ。でもその前に——」


 女将も、すべて見せてもらうつもりだ。

 だが、その前に艦長室に連れて行ってもらうことにした。


 聞けば、この第一デッキには艦長室の他は空き部屋しかないという。

 絶対になければならない部屋がこの階にはなかった。


 その部屋はこの艦の最重要区画だ。

 精霊室同様の鍵が掛けられているはず。

 見渡したところ、この階層にこれ以上、開かずの扉はない。


 甲板で呼び出して使うのだから、精霊室は甲板直下にあったほうが良いという考えだろう。

 砲撃が部屋に命中する可能性があるが、砲弾で死ぬ精霊はいない。


 だから砲撃から守りたいものがあるなら喫水付近の第二デッキの方が安全だ。

 喫水付近なら砲撃を受ける可能性が下がる。


 研究所の魔法使いたちは、人として尊敬できないが、優秀な頭脳集団だ。

 艦が生身の召喚士と一蓮托生、という問題点をそのままにはしておかない。


 一度は封印されていた可変型が、こうして建造されている。

 ということは、その問題が解決されたということだ。

 おそらくはそれがリルちゃんだ。


 下りて行けば、彼女がいまも宿屋号でひっくり返っているのに、同時にこの艦の第二デッキにも存在している謎が解けるだろう。

 エルミラはそこで実家が行っていた悪事を知ることになる。

 素直で優しい人物だから、かなりの衝撃を受けるはずだ。


 だから先に艦長室を目指す。

 この艦について何か記されているものがあるはずだ。

 例えば研究所から艦長に対して、最重要区画についての注意点などが。


 真実に直面するのは先に知識を得てからのほうが良い、という女将の配慮だ。


 また女将もプレートを見てから、嫌な予感がしていたので心の準備が必要だった。

 その少数部族の文字に見覚えがあるのだ。

 死霊魔法に長けた部族の文字だ。


 リーベル王国に仕える前、女将にも少女時代があり、師匠の下で魔法の修行に励んでいた。

 確かその師匠から教わったのだ。

 独特な死生観を持つその部族のことを。


 ——人は死ぬが、霊魂は不滅。


 そこまでなら現代の神官たちも、葬式で同じようなことを言っているが、その部族が独特だったのはその先だ。


 ——死は絆を断ち切るものではない。


 これはこの世とあの世に分かれても、心は繋がっているなどという素敵な意味ではない。

 死後も、愛する人たちと共に暮らしていけるということだ。

 この世で。


 だからその村ではある系統の魔法が発達していたという。

 現代も残っているその系統——

 死霊魔法だ。


 本来は死者との一時的な交信を目的とする降霊術の一つだった。

 やがてその降霊術は、墓に眠る屍を呼び起こして敵を襲わせたり、人を不死にする魔法へと発達していった。


 彼らはある日突然、歴史からその姿を消した。

 冥界に飲み込まれたとも、自らが使役していた不死アンデッドに食い滅ぼされたとも伝わるが、正確なことは誰にもわからない。

 そして魔法だけが残った。


 伝授する前に師匠は少女ロレッタを戒めた。

 外法の技である。

 だが、その仕組みを理解しておくことは、いつかその外法と相対するときに役立つ。

 だから教えるが、使ってはならない。

 使えば魔に堕ちる、と。


 現代のリーベルにその使い手がいる。

 扉のプレートが何よりの証拠だ。

 艦長室へ先導するエルミラの後ろに付いて行きながら、女将の予感は確信に変わっていった。


 複雑な艦だ。

 精霊魔法、死霊魔法、付与魔法……

 他にも何を組み合わせてあるかわからない。

 非常に危うい艦だ。


 単一型も可変型も、精霊の永続的な拘束は実現できておらず、魔法の補助という〈杖〉にはなりえても、魔法兵なしに海上で魔法を行使できるというもう一つの目的を果たせずにいた。


 そこで死霊魔法の出番だ。

 降霊術から始まった魔法なので、霊的なものをこの世に留め続けることが得意だ。


 精霊もこの世界では霊的な存在。

 召喚士が精霊を呼び出し、死霊魔法使いが閉じ込めた。

 プレートの古代語はそういうことなのだろう。

 これなら〈永続的〉を実現できる。


 扉を解呪すること自体は可能だが、やめておいた方が良いだろう。

 解呪を条件に、扉を開いた者に死霊魔法の呪いが掛かるかもしれない。


「さあ、ここだ」


 先頭を歩くエルミラがそのまま部屋に入っていき、女将を迎え入れた。


 机の上に放置された箱が視界に飛び込んでくる。

 短銃と水晶銃が入っていた箱だ。

 昨日、ガレー船と戦うために銃を探しに来て、そのままだった。

 棚も全ての段が引き出したままだ。


 部屋に入った女将はその棚から覗く書類に気が付く。

 書類は現代語で記されていた。

 暫し黙って目を通していたが、エルミラの方を振り返った。


「リルちゃんのことが書いてあるわ」


 そう告げて、読み終えた書類を差し出した。

 女将の目は悲しそうだった。


 受け取って読み始めたエルミラも女将同様、その内容に沈黙してしまった。

 二人共、読んでいる最中の沈黙は同様だったが、感想は違った。


 女将は悲しみ。

 対するエルミラは——

 読み終えた書類を壁に叩きつけた。


「胸糞悪いっ!」


 あまりの内容に激昂し、拳を握りしめたまま、ブルブルと震えている。


 女将は至って冷静で、散乱した書類を拾い集めた。

 一枚、また一枚と。


 ここへは姫様を助けに来た。

 顔も知らない帝国の皇族に嫁がされるからではない。

 姫様は軟禁されていて知らないかもしれないが、共和国は民衆によって誕生した真っ当な政府ではない。


 宿屋号は〈悪いリーベル〉に苦しめられた人々を救済する船。

 王族であったとしてもその被害者ならば救済すべき対象だ。

 だからいま、救済の方針が決まった。


 ——姫様もリルちゃんも、リーベルへ帰らせない。


 散乱した書類をすべて拾い集めると、女将は棚に戻した。

 棚にはまだ他の書類もあったが、開いてみることはしなかった。

 偶然にも自分たちが知りたいことは、いまの書類で事足りた。

 十分だ。


 振り返ると、エルミラは唇を噛みしめ、はるか彼方、祖国の魔法使いたちに対しての怒りに耐えていた。


 無理もなかった。

 書類は女将にとっても衝撃的な内容だったが、姫様にとっては実家が働いていた悪行を知ってしまったのだから……


 書類によると、やはりファンタズマ号はリーベル海軍の最新鋭艦だったようだ。

 開発していたのは悪名高き海軍魔法研究所。


ひつぎ計画〉


 書類にはそう記されている。

 この艦を生み出した計画名だ。

 一枚めくるとこの計画が立案された経緯が始まる。


 まだ記憶に新しいアレータ海海戦。

 セルーリアス海中西部に浮かぶアレータ島という無人島を巡る帝国と王国の領有権争い。

 結果は海軍力で劣ると見られていた帝国海軍の圧勝。

 アレータ海はリーベル無敵艦隊終焉の地となった。


 一ページ目には、その大敗北についての研究者らしい考察が綴られている。


 その分析によれば、大敗北の要因は二つ。


 一つは無敵艦隊と称され続けたことによる慢心。

 もう一つは帝国海軍を甘く見過ぎていたことだ。

 魔法艦隊に勝ち目がないと悟っていた彼らは、海に〈竜〉を持ち込んできた。



 ***



 竜騎士——

 文字通り、騎竜に跨って戦う騎兵。

 銃や弓で武装しているが、あくまでも補助的なもの。

 恐るべきは、騎竜の口から吐き出される〈竜息ドラゴンブレス〉だ。


 火竜種は魔法使いの火球より強力な炎を、氷竜種は全てを凍らせる吹雪を吐き出した。

 それぞれ〈竜炎ファイアーブレス〉、〈竜氷アイスブレス〉と恐れられた。

 これらはもちろん生まれ持った能力なので、詠唱などしない。


 このように強力な兵科だったが、主力になれる存在ではなかった。

 竜に力を認められるほどの戦士とその騎竜が揃うことで竜騎士となる。

〈団〉を形成できるほどの数を確保することができなかったのだ。


 平地に展開する敵部隊に竜炎を仕掛けて陣形を乱したり、急斜面の砦へ空から攻撃を仕掛けて、攻城部隊を支援するのが主な任務だった。

 ところが、


 ——帝国陸軍が竜騎士団を編成している。


 密偵からの情報には素直に驚いた。

 二つの難しい条件を満たしたということだからだ。


 恐るべき相手ではあったが、海軍と研究所で検討した結果、本海戦において、その竜騎士団が投入されることはない、と判断した。


 山岳地帯で訓練中だという陸軍の竜は、大型で強力だ。

 だが、その大きさゆえに、それほど長時間飛行できるものではなかった。

 帝都からアレータ島まで距離があり、その途中に羽を休める場所はない。


 万が一、強行軍で飛来してきても、あんな目立つものは索敵担当の魔法兵がすぐに捕捉する。

 発見も迎撃も容易だと結論付け、特に備えはしなかった。


 この戦いはアレータ島がきっかけだが、同島を占領して終わりではない。

 大陸で覇権を握る帝国が、沿岸から遠く離れた無人島を欲するのは、海洋覇権を狙っているということを意味する。

 その野望を挫くために、帝都ルキシオを破壊しなければならない。


 最終的に帝都攻略を目標とする遠征艦隊は、王都防衛の第一艦隊以外のほぼすべての魔法艦が出動。

 空前絶後の大艦隊となった。


 彼らは意気揚々と出航していった。

 無敵艦隊終焉の地に向かって……



 ***



 ——艦隊は、飛んでくるはずがない竜たちにすべて消滅させられた。


 この報は奇跡的に生還した水兵によって齎された。


 艦隊は可変型と単一型の混成艦隊。

 精霊艦は召喚士や精霊室に何かあれば、制御を離れた精霊の転移によって消滅する。

 この水兵は一足先に海に飛び込んだことで、九死に一生を得たのだった。


 彼の報告によって魔法艦隊全滅の詳細が明らかになった。


 艦隊に飛来してきたのは陸軍の大型種ではなく、小型種の群れ。

 徹底的に秘匿されていたため、密偵たちでも掴めなかった海軍竜騎士団だった。


 いや、まったく掴めていなかったわけではない。

 出撃前、密偵からの報告は届いていたのだ。

 帝国海軍内でやたらと〈巣箱〉と〈ガネットカツオドリ〉という暗号が飛び交っている、と。


 せっかく彼らが掴んだ情報を、本国が黙殺してしまった。

 いま思えば、〈巣箱〉は竜たちを運ぶ母艦、〈ガネット〉は小型種の竜騎士団のことだったのだ……


 迎撃艦隊は一個艦隊。

 編成は〈巣箱〉と呼ばれている補給艦四隻とそれを護衛する通常巡洋艦が四隻。

 これから戦いに行くというより、物資を輸送する船団にしか見えなかったという。


 帝国の主力は陸軍。

 だから予算を圧迫されている海軍が、たった一個艦隊しか出せなくても不思議に思わなかった。


 アレータ海海戦は前哨戦に過ぎない。

 本当の戦いは大陸沿岸に到達してからだ。

 敵は大陸最強の帝国陸軍と噂の竜騎士団と定めていた。

 誰も迎撃艦隊のことなど眼中になかった。



 ***



 艦隊を攻撃する小竜は五頭一組で編隊を組む四個小隊。

 その数、合計二〇。

 彼らはアレータ島の西でそれぞれの巣箱から飛び立った。

 低く、水面を這うように。


 探知魔法による索敵はまず〈気〉が乱れている地点を発見し、その箇所を集中的に観測する。

 大きさや形状から乱れ方に違いがあるので、それらの特徴からどんな敵がいくつ接近しているのかがわかるのだ。


 便利な魔法なのだが、欠点もあった。


 日射しが強い日は水が蒸発し、その水面上に水の〈気〉が漂う。遠くからその〈気〉を観測すると同じに見えてしまうので、実際の水面と区別するには熟練を要した。


 この日の天気は快晴。

 小竜たちはその水の〈気〉の中に潜み、低空を飛んできた。

 古のデシリア卿ではない艦隊の魔法兵たちが、これを探知するのは困難だった。


 接近に気が付いたのは魔法兵ではなく、メインマストの見張り兵だった。

 艦隊に敵襲を告げる鐘が打ち鳴らされたが、時既に遅く、敵竜騎士団は攻撃態勢に入っていた。


 先頭を飛ぶ第一小隊は縦一列に整列して突っ込んでくると、口の中で溜めていた炎を砲弾のように撃ち出してきた。

 魔法使いが炎をそのまま放射せず、溜めて火球にするのと同じだ。

 命中した後、爆発するので破壊力を高めることができる。


 これは小竜が自然に出来る技ではない。


 陸軍の大型種を巣箱に乗せたら沈没してしまうが、小型種なら五頭まで乗せても沈没しない。

 だが、小竜の竜炎放射では魔法艦の厚い障壁に跳ね返される。


 この矛盾に悩んだ海軍竜騎士団が出した答え。

 それが炎を口腔内で溜めてから吐き出す溜炎りゅうえんだ。

 人と竜の努力が為せた技だった。


 先頭の竜は溜炎を発射すると、見届けることなく一気に上昇。

 すぐ後ろの二番手から五番手までがこれに続く。


 同一箇所に連続で溜炎を受けた精霊艦は、核室を破壊されて跡形なく転移した。


 その何もなくなった空間を第二小隊が吹き抜ける。

 騎竜の口の端から涎のように炎を零れさせながら。


 狙いは後続の二番艦。

 まだ態勢が整っていなかった二番艦も溜炎の連続射撃で消滅した。


 上昇離脱しようとする第二小隊だったが、そこへ雷球が迫った。

 ようやく迎撃態勢を整えることができた三番艦からのものだ。


 しかし棒で追い散らされる蠅の如く、小隊は分散し、当たることはなかった。

 散開しながら上昇していった小竜たちは、上空で合流して編隊を組み直す。


 ほんの一瞬の間、それを目で追っていた三番艦は反応が遅れた。

 狙いを定めていた第三小隊はそれを許さない。


 最初の敵襲警報からわずか一分足らず、三番艦までもが消滅した。


 攻撃を終えた第三小隊を四番艦が狙う。

 艦首の魔法兵は上昇を予測し、斜め上空に意識を集中していた。だが彼らは低空飛行のまま、高速で四番艦の横を通り過ぎていこうとする。


 魔法兵は躱されたが、舷側砲の前に竜自ら入ってきてくれた。

 こちらの魔力砲にはすでに雷力が装填されている。

 いまから上昇すれば、集中し直した魔法兵の雷撃が待っているので、このまま大人しく一斉射撃に晒されるしかない。


 なぜ、この小隊は舷側砲の前に身を晒す愚を犯したのか?


 いや、愚かだったわけではない。

 次の炎を溜めるのに暫しの時が必要だったので、攻撃可能になった小隊のために敵艦の注意を引き付けていたのだ。


 初撃を終えて高空に離脱していた第一小隊だ。


 四番艦直上に差し掛かったところで、再び溜炎の準備が整った。

 小隊長の合図で順に竜の頭が下がり、降下していく。

 よく訓練されている小竜は、翼を畳んで降下速度を上げた。


 獲物の魚を見つけて急降下するカツオドリのように。


 水面上の第三小隊に気を取られていた四番艦は急降下に気が付かない。

 五発の溜炎に甲板から艦底まで撃ち抜かれて消滅した。


 一方的に撃沈されていく魔法艦隊。

 このまま崩れ去るかと思われたが、無敵艦隊の名は伊達ではなかった。


 竜たちに翻弄されている前衛艦隊を立て直すべく、本隊から可変精霊艦群が前に出てきた。


 まだ僅かしか建造されておらず、艦隊に配備されたばかりの最新鋭艦を提督は惜しげもなく投入した。

 初めて遭遇したこの小さな敵たちを強敵と認めたからだ。


 ここが勝負所と見定めて、主力を投入した判断は正しかった。

 だが、初代ペンタグラム以来、魔法艦は大頭足クラーケンや艦船に対抗することを想定してきた。

 強力だが、俊敏な相手ではない。


 その歴史の中でハーピーの群れに襲われることはあったが、障壁を突破する力はなかったし、弓や銃で追い払うことができた。


 しかし今回は違う。

 変幻自在に軌道を変えて飛び回る高速の竜。

 鱗は硬く、矢や弾丸は容易く通らない。


 そして竜騎士に操られているので、鬱陶しくなったからといって、ハーピーたちのように退散してはくれない。


 雷球や火球、氷の矢など一般的な攻撃魔法は目視で命中させなければならないが、魔法兵は四方八方を飛び交う竜に意識を集中させることができない。

 別の魔法兵が援護のために障壁を張るが、溜炎の連撃は容易く貫通する。

 王国が誇る海軍魔法兵は、高速の敵に翻弄され続けた。


 もう一つの誇りである魔法艦は、舷側に鋼化装甲板を張り巡らし、魔法兵の障壁を合わせれば、至近に迫った戦列艦の一斉射にも耐え得る。

 高い防御力を誇ったが、それは舷側のみ。

 甲板は通常艦と同じ木製だった。


 まさか上から甲板を撃たれる日がやってくるとは想像していなかった……


 可変型艦群は前衛艦隊の苦戦を見て、直ちにウンディーネを召喚。

 全艦、水精艦に変身した。

 火には水である。


 火竜種は生まれつき全身に火の力を宿している。

 ゆえに大量の水や寒さが苦手だった。

 可変型が水精を呼び出したこと自体は間違いではない。


 もっとも、火が必ず水に負けるとは限らない。

 逆に強い火力で水精を蒸発させてしまえばよいのだが、それには陸軍大型種のような大火力が必要だ。

 海軍の小型種には無理だった。


 ここから反撃が始まると思われたが、結果は可変型を含む魔法艦隊の壊滅。

 なぜか?


 迎撃艦隊はこの海戦に〈巣箱〉を四隻引き連れていた。

 一隻につき一個小隊なので、四個小隊でやってきたことになる。ここまでに登場しているのは第三小隊まで。

 残る一つはまだ登場していない。


 可変型の間違いは、まだ見ぬ第四小隊も火竜種と決めつけたことだった。

 それが致命傷となった。


 第四小隊は奇襲第一波には参加せず、遅れて飛び立った。

 急がず、ゆっくり戦闘海域に到着し、少し離れた高空で旋回待機していた。


 静かに彼らの敵が現れるのを待っていた。

 前衛艦隊ではない。

 相手が苦手とする精霊艦に変化できるという可変型だ。


 火竜種を見せれば、噂の可変型が水精艦になるだろう。

 火を撃退するには水だ。


 では、水を撃退するためには?


 思惑通り、可変型艦群は水精艦になり、前衛艦隊に群がる三個小隊を追い払おうとしている。

 それを見た第四小隊は旋回をやめ、真下に来ている獲物目掛けて降下を開始した。


 彼らの騎竜も口腔内に溜め込んでいたので、口の端から漏れ出していた。

 ……雷が。


 水を撃退するには雷だ。


 彼らの騎竜は雷竜種。

 急降下しながら、溜め込んでいた溜雷りゅうらいの連撃を可変型にお見舞いする。


 雷撃は甲板を貫き、艦内全区画が感電した。

 これにより召喚士を含めた全乗員が即死。

 あとは単一型も可変型も一緒だ。

 精霊を制御する者がいなくなった精霊艦は消滅する。


 可変型全滅後もまだ単一型の水精艦が残っていた。

 艦隊はこれを武器に、なんとか火竜小隊に対応しようとした。

 だが、火竜たちは付き合おうとせず、すぐに他の艦に向かってしまう。

 代わりに雷竜小隊が飛んできて、水精艦を虱潰しにしていく。


 こうして遠征艦隊は為す術なく消滅したのだった……


 書類は、ここまでを振り返って総括している。


 この大敗北により、魔法兵と魔法艦は、素早く小さな敵が苦手だということが判明した。

 特に上からの攻撃に対しては無力である、と。


 かつて人々はロレッタ卿を見て、これからは海で魔法を使える者が世界の海を制すると予感した。


 時は流れて現在。

 世界の海を制してきた魔法使いたちの誇りは、竜に打ち砕かれた。

 人々は竜の時代がやってきつつあることを予感していたのだった。

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