第6話「ロレッタの宿屋」

 新兵たちの実力が判明してすぐ、ロレッタは海軍司令部に出向いた。

 少しでも残っている資金を出してくれないか、と。


 海軍は元々予算が削られている組織だ。

 にも関わらず、有り金をすべて吐き出せなどという戯言が通るはずがない。

 彼女の話を最後まで聞くことなく、将校たちは机を叩いて激怒した。


 まだ産声を上げたばかりの新兵団で、海軍所属でもあるからと、転属組の横暴に目を瞑ってきた。

 今回の水兵たちの転属も許可した。

 すでに様々な譲歩をしている。

 その上、金の無心だ。

 司令部の面々が怒るのも無理はなかった。


 皆が興奮する中、最年長の総司令官は真っ白な顎鬚をいじりながら、突飛な発言をする若い団長を見据えていた。

 彼女の真意を測っているのだ。


 本心を言えば、いま怒っている周囲の部下たちと同じ意見だ。

 だが、彼はこの若い魔法剣士の才能と人格を高く買っていた。


 陸路に魔法使いたちが拘っていたときに、彼女は海路を提案した。

 同じ宮廷側の魔法使いだったにも関わらず、だ。

 その後は海の魔法使いなどという荒唐無稽も言い出した。

 正直、彼女の正気を疑ったものだが、結果は見事だったと言わざるを得ない。


 彼女の突飛で型破りに聞こえる発言や行動は、世界を渡り歩いてきた経験によるもの。

 非常識なトラブルメーカーなのではなく、島国に閉じこもっていた我々が頑迷な時代遅れだった。


 この魔法剣士に見えているものが、我々には見えていなかったのだ。


 いま将校たちが彼女一人を猛批判しているが、申し出内容の批判から、魔法使いというものに対する積年の恨み辛みに変わってきた。


 ——なんと無様な……


 新兵団は陛下直々に、足りないものがあればいつでも申せ、とのお言葉を賜っている。

 予算が足りなければ、国から直接支援を受けることができるのだ。

 だから形式的には海軍所属でも、気兼ねせずに独立した組織として振舞うことだってできる。

 ……陸軍の魔法兵共のように。


 その彼女が今日、海軍司令部ここにやってきた。

 我々と共にやっていく意思があるから、〈海軍所属〉という筋を通しにきたのではないか。

 それを傲岸不遜な魔法使い共の同類に見立てて、長々とみっともない……


「全員、静まれ……!」


 総司令官は低く重みのある声で荒ぶる将校たちを一喝した。

 彼女のおかげで皆が海に注目するようになり、海軍にも光が当たり始めた。

 その功労者が資金を必要としている。

 将校たちが中断させてしまった話の続きを聞かなければならない。


 続きを促されたロレッタは一枚の図面を広げた。

 一体何か、と皆が覗き込む。


 それは小型艦の図面だった。


 ——?


 司令部一同は全員首を傾げてしまった。

 図面はすでに何隻も建造されているものだったからだ。

 主に沿岸警備隊に配備され、沿岸から近海にかけての哨戒任務に就いている艦だ。


「兵団でも自前で護衛用の艦を持ちたいということか?」


 団長の真意を測りかねた将校の一人が尋ねた。

 それならば資金ではなく、すでに建造済みの中から兵団に回せば済むことだ。


 総司令官は黙って図面を隅々まで眺めていた。

 将校の言う通りなら、最初から「艦をくれ」と言うだろう。


 その彼女が金の無心をし、見せてきた図面だ。

 何かあるのだ。


 中央に描かれている艦の図で特に気になる点はない。

 ただ、艦体のあちこちから線が伸びているので辿っていくと、何かが書き込まれている。


 忙しい中で僅かな時間を見つけて殴り書きしたのだろう。

 読むのに苦労したが、総司令官は気になる記述を見つけた。


「鋼化装甲板?」


 鋼化装甲板——

 海戦時、敵砲撃から艦を守るため、チーク材などの装甲板を取り付ける場合がある。

 その装甲板に魔力を付与し、鋼のように硬化させた呪物だ。


 表側は鋼の硬さだが、裏側は普通のチーク材の硬さなので好きな大きさと形に加工できる。

 そういう便利な呪物なので他国でも需要が高く、リーベルの主力交易品の一つだ。


 彼女の殴り書きによれば、その板が大量に必要らしい。

 さらに他の呪物も……

 ロレッタの願いはその購入資金を出してほしいということだった。

 それもいますぐに。


「…………」


 誰も一言も発しない。

 いままであれほど騒々しかった司令部が静寂に包まれた。


 全部揃えるとかなりの額になる。

 総司令官も即座に許可することはできない。


「団長。魔法の心得がない我々にもわかるように教えてくれないか?」


 総司令官の顔には困った表情が浮かんでいる。


 呪物は魔法を使えない者が代わりに使う物。

 もしくは未熟な魔法使いが能力を補うために所持する物。

 ロレッタたちには必要ないはずだ。


「どうしても必要なのです」


 その声には焦りが滲んでいた。

 海軍がずっと予算を削られ続けてきたことは承知している。

 だからこそロレッタは急がなければならないのだ。


 彼女は志願してきてくれた水兵たちの実力を把握してから、ずっと考えてきた。

 彼等は訓練熱心なので少しずつではあるが、確実に海での魔力は高まってきていた。

 しかし、それでは間に合わない。


 新兵団は転属組が去ってしまったことで、再び三人に戻ってしまった。

 そこへ編成完了次第すぐに出航したい、という船団からの護衛依頼が殺到していた。


 現状、海の魔法兵は団長を含めても僅か三名。

 出発したい船は両手の指より多い。

 毎日商人たちに出航を待ってくれるよう、頭を下げに回った。


 だが、どうしても一つの船団だけは出航させなければならなかった。

 単に呪物を売って儲けてくるのではない。

 帰りに不足してきた薬品を買い付けてくる予定の船団だ。

 陛下直々のご命令だった。


 前回のように三人で護衛すれば、その船団は問題ないだろう。

 しかし、その間の訓練はどうする?

 研究所と陸の兵団には任せられない……


 王宮からの帰り道、ロレッタは八方塞がりだった。

 いくら考えても何も浮かばない。


 彼女はいつの間にか工房区画を歩いていた。

 特に高級な物は宮廷の付与魔法使いの手によるが、それ以外のリーベル製呪物の多くがここで生み出されている。


 昔は島の中で使う分しか生産されなかったが、交易によって需要が高まった。

 それを受けて、この区画には職人や付与魔法使いが多く住み着くようになっていた。


 ところが船団壊滅事件から注文が減り、かつての賑わいはなかった。

 大通りの市場も同様だ。

 他国で売れると思って増産していた様々な呪物が行き場を失い、値下がりしていた。


 ——呪物、水兵、相場、船団護衛……


 バラバラだった欠片たちがロレッタの中で一つの形になろうとしていた。


 彼女は翌日から商人たちとの交渉の傍ら、港で整備中の小型艦に通った。

 外側から眺めるだけでは足りず、船内整備中の船大工たちの横でメモを取り続けた。


 そうして完成したのが、総司令官たちに見せている図面だった。


「……もしかして、初代ペンタグラム号か?」


 エルミラの推測は正解だった。

 史上初の魔法艦は、従来艦を呪物で改装したものだったという。

 魔法兵たちの練度不足を補強するためにロレッタ卿が考案した。


 甲板に防水処理を施した魔法陣を設置し、未熟な魔法兵でも魔法攻撃を容易にした。

 舷側には隙間なく鋼化装甲板を貼り付け、障壁を展開しなくても敵砲撃を防げた。

 その他にも魔法の詠唱を助ける呪物や仕掛けが施され、移動式魔法陣といえる艦だった。


 見習い魔法使いが杖を持つように、転向してきた元水兵たちにもこの魔法艦という〈杖〉が必要だった。


 そのためには大量の呪物が必要なのだ。

 宮廷に依頼を出して作ってもらうのが一番だが、それでは交易船団の出航に間に合わない。


 また、抜け目ない商人たちは交易再開が近いと予測し、呪物を買い始めていた。

 相場が値上がりするのにそれほど時間は掛からないだろう。


 彼女は海軍の少ない予算の中から買い集めるには、いましかないのだと主張した。


 司令部は状況を理解した。

 直ちに図面に書かれている呪物を買い集め、小型艦一隻の改装を始めた。


 こうして完成したのが史上初の魔法艦、ペンタグラム五芒星号だった。


 この艦に比較的魔法が上達してきていた水兵たちを乗せ、アルシールとデシリアが率いるということで、なんとか船団護衛の目途が立った。

 船団出航予定日の前日のことだった。


 彼らの出航を見送ったロレッタは、ウェンドアで残った海軍魔法兵を訓練して帰りを待った。


 ペンタグラムは本来の機動力と戦艦並みの頑強さを備え、揺れを抑える仕掛けのおかげで巡洋艦のように外洋を自在に走った。

 その甲板では防水魔法陣のおかげで魔法兵たちが十分な能力を発揮でき、モンスターや海賊を悉く粉砕した。


 急拵えの改装魔法艦だったが、お手柄だった。

 護衛された船団は大量の薬品を持ち帰ることに成功した。

 海の魔法使いに続き、魔法艦も王国中から認められ、海軍に魔法艦増産の予算が組まれることになった。


 やがて老朽化により退役することになったが、数々の武勲を立て続けたペンタグラム。

 その名は代々、第一艦隊旗艦に引き継がれた。


「その通りだ。ペンタグラムはずっと私たちの誇りだったよ」

「そう……」


 話の途中、一緒に笑う場面もあったが、再び彼女の表情は沈んだ。


 エルミラはどうしてもわからない。


 兵団創設の経緯等について、実際の場面と伝わっている歴史の相違はあったが、誤差の範囲といえるのではないだろうか。

 大臣や軍から承認されて兵団が創設され、初代ペンタグラム号が登場したことは事実なのだ。


 困難を乗り越えて王国繁栄の土台を築いた英雄譚にしか聞こえない。

 しかし、彼女は自身を英雄ではないと言い張る。


「やめとけば良かったわ。そうすれば、あんなことには……」


 彼女の後悔、それは——

 魔法艦を世に出してしまったことだった。



 ***



 強力な魔法艦だったが、良いことばかりではなかった。

 高価な呪物で武装した艦なので、とにかく金が掛かるのだ。


 さらに整備に必要な人手も増えた。

 通常艦同様の整備の他に、搭載している呪物のために付与魔法使いが必要だったからだ。


 せっかく増えた海軍の予算だったが、この費用に消えていき、苦しい状態は変わらなかった。


 さらに追い討ちをかけるように出航を待たされていた商人たちが騒ぎ出した。

 次は自分たちの番だ、と。


 それでもペンタグラムの初陣で手応えを掴んだ海軍とロレッタたちは、次々と魔法艦と海の魔法兵を送り出していった。

 激務だったが辛くはなかった。

 人々の幸福のための仕事だという実感があったから。


「大変だったけど、充実した日々だった」


 だから見逃してしまったのだ。

 知らないうちに芽生え始めていたリーベルの闇を……


 海軍とロレッタたちは激務と格闘していたが、その内容は微妙に違った。

 海軍の苦労は、増えた予算以上に要求される魔法艦の増産にどう応えるか、という遣り繰りの苦労。

 対して、ロレッタたちの苦労は素人に一から魔法を教え、海に慣れさせて半減を抑えるという育成の苦労。


 この差が後日、意見の相違に育っていく。


 海軍の問題は追加予算や船大工の増員で解決できるが、兵団の問題は人間の成長次第なので、解決しようがなかった。

 そしてついに送り出す魔法兵の数より、出航希望の船団の数が上回ってしまった。


 そんなある日、ロレッタたちに協力の申し出があった。

 魔法研究所からだ。


 彼等も魔法艦に使う呪物の増産が追い付かずに困っていた。

 だから協力というより提案だった。


 その提案とは、新型魔法艦の建造計画だった。

 準備が良いことに設計図も完成していた。

 使者として遣わされた研究員は「画期的な艦です」と興奮気味に広げていく。


 ——研究所の設計図……


 正直、ロレッタは気が進まなかった。

 元々、海の兵団に反対していた連中だ。

 三人だけで訓練していた頃、最も誹謗中傷していたのが彼らだった。


 だが見たくない理由は、散々悪口を言われたから研究所が気に食わない、ということではない。

 彼らの研究が物騒だったからだ。


 研究所の魔法使いたちの目的は真理探究だ。

 もう少し簡単に言うと、なぜ人を含めた動物とモンスターは生きて動けるのか、その仕組みを解き明かすということ。

 そのために捕らえたモンスターだけでなく、囚人や奴隷に残酷な実験を繰り返していた。


 その実験で得た知識が設計図にも反映しているはず。

 だから見たくないのだ。


 しかし協力や提案と称している以上、団長として理由も述べずに却下するのはまずい。

 内心では渋々と、広げられた設計図に視線を落とした。


「…………」


 ロレッタは無言のままその図面に視線を滑らせていった。


 大きさは現在の魔法艦より少し大きくなるようだ。

 艦は出動の機会が減った通常巡洋艦を流用する。


 この改装巡洋艦は呪物をまったく必要としないので、海軍が資金難から解放される。

 海の兵団は乗艦させる魔法兵を減らすことができるから、人員不足が解決する。

 呪物が足りない、という毎日の催促から研究所も救われる。


 研究所はこの新型艦を朝議に提出するつもりだが、実際に運用することになる海軍と海軍魔法兵団から先に賛同を得たかったのだ。

 現場の声、という奴だ。


 三者全員が助かる妙案だったが、ロレッタは断った。

 創設前の仕返しではない。

 彼女が問題視したのは、その仕組みだ。


 不足している呪物と魔法兵をどうやって補うか?

 研究所が出した答えは——

 現在の魔法艦が抱える高経費という問題点を克服し、安価でいくらでも補充できる妖魔を魔法兵の代わりに乗せる。

 その魔力を引き出して敵を撃退する艦、〈妖魔艦〉だ。


 妖魔はモンスターの一種。

 モンスターと一口に言っても自然動物に近いものやこの世ならざる、文字通りの魔物まで様々だ。

 その中から強い魔力を持つ魔物が妖魔と呼ばれる。


 まさか人員不足の兵団から反対されると思っていなかった使者は面食らった。

 如何に兵団・海軍・研究所にとって利があるかを必死に説明したが、取り付く島がない。


 ロレッタが〈海〉を示したのはモンスターの脅威から人々を救うため。

 その船団にモンスターの力を持ち込むという矛盾を、どうしても見逃すことができなかった。


 また、安全性の不安もあった。

 厳重に拘束するから大丈夫だ、とこの使者は言うが、妖魔についてはまだまだ不明なことが多い。

 そんなよくわからないものを大海原に連れて行って、何かあったときには逃げ場がない。


 翌日の朝議でも彼女は反対した。

 船団護衛は人間の力で行うべきだ、と。


 しかし妖魔艦は賛成多数で可決されてしまった。


 賛成したのは、早く船団を出発させたい大臣たちと建造したい研究所。

 そして、海軍……


 海軍はこの魔法艦という新兵器の可能性を強く感じていた。

 これからは魔法艦を多く揃えた者が海を制する、と。


 得体の知れない妖魔ものを乗せる不気味さはあったし、拘束具についても一抹の不安がないわけではない。

 ただ、大砲の火薬が暴発して甲板が吹き飛ぶことだってあるのだ。

 海に絶対安全などない。


 ——ならば試してみる価値があるのではないか?


 いまより少ない魔法兵と費用で、より強力な魔法艦を配備できるという点が海軍にとって魅力的だったのだ。


 陸軍は中立だった。

 海軍でどのような艦を採用するかなど、口出しすることではないからだ。


 こうして朝議は賛成三票、反対一票、中立一票という結果に終わり、港に繋がれたままだった巡洋艦は次々と妖魔艦に改装されていった。


 以後、魔法艦という言葉は、通常艦と異なる魔法主体の艦を指す広い意味を持つようになった。

 だから妖魔艦も広義では魔法艦の一種である。


 新型は妖魔を拘束しておく器具が大きいので、巡洋艦が選ばれた。

 そうして改装が済んだ妖魔艦は初期魔法艦より大型になった。

 大きくなった分、小回りは利かなくなったが、それと引き換えに高い攻撃力を手に入れた。


 ロレッタたちと陸軍以外の全員がその性能に惚れ、妖魔艦は急速に増えていった。

 それこそモンスターのように……


 当初、交易船団一個に対して護衛を一隻配備する予定だったのだが、想定していたより改装が進んでしまった。


 王国がモンスターに賞金を懸けていたのだが、妖魔に対して研究所が追加金を出したからだ。

 想定していた以上に妖魔が集まった。

 冒険者たちが生け捕りしてきた妖魔たちで、工廠に邪気が立ち込めるほどだった。


 人は大きすぎる力を持つと、悪いことを考え始める。


 モンスターの脅威から生存を勝ち取り、豊かになったリーベルが次に願うもの。

 それは海洋覇権。


 豊かになった島国がその願いを叶えるのに邪魔なものがあった。


 リーベル王国から遙か南東、ネイギアス海に浮かぶコタブレナ島。

 現在は無人島だが、当時そこに小さな都市国家があった。

 主要交易路から外れた位置に存在し、他国の交易船が求めるような資源がない貧しい島。


 そう、リーベルと同じだ。

 だからそこに住む人々も、周囲に無尽蔵にあるマナを利用する方法を身に付けた。

 魔法だ。


 島のどこにでも生えている枝から削り出した只の杖……

 しかし魔力を付与すれば魔法の杖に変わり、価値を生み出した。


 二島はよく似ていたが、違う点も当然ある。

 その違いがやがて命運を分けることになった。


 リーベル王国は大きい島だが、周囲に他の島はなく、どこへ行くにも長距離を航海しなければならない。

 ゆえに一度の交易で大きな利益を出すことが重要だった。

 そのために、呪物の価値が少しでも高まるよう、性能向上に努めていた。


 都市国家コタブレナは小さな島だったが、群島海域にあったので、危険な長距離航海をしなくて済んだ。

 売る場所が近くの島々なので、生産した呪物はすぐに売れた。そのために、実用十分な性能を保ちつつ、より安価で早く、〈いま〉に即している呪物の生産に重点が置かれた。


 だから戦の情報を掴んだリーベル船団が呪物をネイギアスの島々に運んでも、コタブレナに先を越されているということが多かった。


 ネイギアス海は、東と西の大洋から様々な人と物が集まる一大貿易地。

 リーベルがそこを諦めることはできなかった。


 両国はなんとか衝突を避けようと外交交渉を続けたが、あまり意味はなかった。

 何をどの位生産して、いつ誰に売るかなど、コタブレナ側の自由だからだ。


 リーベルにとって、どうしても邪魔な相手だった。


 ——魔法王国は一つで良い。


 おそらく互いに同じ思いだったのだろう。

 相手への否定が極限に達したとき、事件が起きた。


 ある日、リーベル船団がネイギアス海に近付いたところで、海賊の襲撃を受けた。

 護衛の妖魔艦によってこれを撃退したが、問題はその後だ。


 海戦の後、海に投げ出されて漂っている海賊を引き上げた。

 到着後、役人に引き渡すためだ。

 すでに息絶えていたが、甲板上で彼を見た者たちは騒然となった。

 海賊は、コタブレナの海軍士官だった……



 ***



「悪趣味な海賊が、軍艦から奪った軍服を着ているのでは?」


 死体を囲んでいる一人がそう言い出したが、複数の者たちが打ち消した。

 海賊は奪った敵の服を洗濯したりしない。

 剣に付いた血を袖で拭き、手が汚れたら裾に擦り付けてボロボロになった頃、次の獲物の服を奪って着替えるのだ。


 この死体の男は軍服の着方が正しいし、その軍服からは異臭がしない。

 こまめに着替え、清潔に着ているということだ。

 おそらくこの船の軍事顧問か何かのだったのではないだろうか。


 つまり、戦った相手は海賊船ではなく、コタブレナの私掠船だったのだ。


 船団はそのまま何事もなかったように航海を続け、交易を済ませた。

 私掠船に気付いていることがバレたら、口を封じられるかもしれない。

 不自然な急ぎ方はせず、あえて宿に一泊してから帰国の途についた。


 コタブレナ海軍の待ち伏せを警戒したが、私掠船の襲撃を受けた海域は、例の島蛸が出る海域でもあったので、リーベル船団の仕業とは思われなかったようだ。


 無事に帰国した彼らの報告と証拠は宮廷を騒然とさせた。


 だが正直に言えば、こういう事態を待っていたのだ。

 同族嫌悪にも似た感情を抱いていたので、いつか叩きたい相手だった。

 軍服が本物かどうかなど、誰も気にせず、その日のうちにコタブレナへの攻撃が決まった。


 ロレッタ卿が漁師の倅と占い師を連れて船団護衛に出撃してから僅か数年。

 通常艦は、増産が容易だった妖魔艦に次々と換わっていき、リーベル海軍は他国にない魔法艦隊を有していた。


 コタブレナに派遣されるのはその第一・第二魔法艦隊。

 もちろん第一魔法艦隊の旗艦は、あのペンタグラムだ。


 リーベルの船団をモンスターから守りたくて考案したペンタグラムが、妖魔艦モンスターたちを率いてリーベルによく似た島を攻撃しに行く。

 皮肉なものだった。


 出撃前日、王宮から多くの使者が走り、王都ウェンドアの各国大使にコタブレナへの艦隊派遣とその理由を知らせた。

 王都ウェンドアの中央広場でも海賊の根拠地、コタブレナ島に討伐艦隊を派遣すると発表した。

 リーベルとコタブレナには何の友好条約もなく、大使館もなかったので宣戦布告の代わりだ。


 一つの国を攻撃するのに、こんな一方的な宣言では不十分なのだが、あくまでも相手を海賊として扱う。

 海賊相手に礼儀は不要という意思の表れだった。


 それにこの戦いは、魔法艦隊の力を他国に知らしめるための戦いでもある。


 リーベルの目標は海洋覇権を握ること。

 それを妨げる国には無礼も理不尽も辞さない。

 コタブレナはその見せしめだ。


 二つの魔法王国の違いは呪物の作り方だけではない。

 危険な海を越えていかなければならなかったリーベルは魔法だけでなく、航海術や造船技術が発達し、魔法艦という新たな力を生み出すことになった。


 一方、コタブレナが発達したのは魔法だけだった。

 その魔法もリーベルほどではない。

 他国は海の脅威を乗り越えて、ようやくネイギアス海に辿り着ける。


 ところがこの都市国家は最初からその海に位置しており、水深が浅い海には大型モンスターも出ない。

 そういう地の利に恵まれていたので、危険に対する備えが発達しにくかったのだ。


 この違いがコタブレナの惨劇を生むことになった。


「惨劇?」


 またエルミラの知らない歴史が出てきた。


 同島にあった海賊の根拠地を魔法艦隊が撃滅した。

 海賊に困っていた島民たちから感謝されたが、実は太古の昔に妖魔たちを封印していた島だった。

 戦闘によって封印が壊れ、妖魔が満ち溢れたので生き残った島民を他の島へ避難させた。


 これが彼女の知る歴史だ。

 だが、女将はその歴史を否定した。


 確かに魔法艦隊は洋上に展開していた迎撃艦隊海賊共を全滅させた。

 そのまま攻め込んでコタブレナ国王海賊の頭目を洋上で捕えた。

 辛うじて正しいのはそこまで。


「あの島に妖魔なんて封印されていなかったのよ」


 女将はエルミラに尋ねた。

 いま、島にいるのはどんな妖魔だと思うか、と。


 妖魔というのは総称だ。

 特定の種族を指した名前ではない。

 色・形状・大きさは多岐にわたる。


 エルミラはコタブレナに行ったことがない。

 行ったことがない島にいる妖魔がどんな姿かなどわかるわけがなかった。


「私も行ったことはない。でも——」


 彼女には島にいる妖魔たちの姿がわかる。

 そしてその数も。


 一三匹だ。

 いま何匹に増えているか定かではないが、一三匹から始まったことは確かだ。


「なんでそう言い切れる?」


 女将は具体的な数字を不気味に断言した。


「それはね——」


 当時は八隻編成で、それを二個艦隊派遣した。

 内訳は魔法艦一隻、妖魔艦一三隻、補給艦二隻。

 合計一六隻だったからだ。


「一三隻……」


 エルミラは嫌な予感がして呻いた。

 一三という数字が一致している。


 その通りだ。

 ロレッタは王都で次に出撃する魔法兵の育成に励んでいたので、見てきたわけではない。

 これは生還したペンタグラムと補給艦の乗員たちの報告だ。


 コタブレナ沖海戦において、妖魔艦は開発した研究所が想定した通りの能力を発揮した。

 ただしそれは異変が起きるまで。


 異変はリーベル艦隊の勝利が確実となった頃に起きた。


 妖魔艦は妖魔を魔力源として敵を攻撃する。

 艦底中央部に〈核室〉という拘束部屋を設置し、艦の中心核となった妖魔から艦内各所へ魔力を供給する仕組みだ。


 この仕組みを考えた研究所は、決していい加減な仕事をしたわけではない。

 実験を何度も繰り返して拘束具には十分な強度を持たせた。


 だから妖魔艦乗員たちは何も心配せず、どんどん魔力を引き出していた。

 自分たちが疲弊するわけではないし、どうせ人間に有害な妖魔だ。

 魔力を使い果たして交換が必要になった頃、止めを刺して始末するのだ。

 遠慮は無用だった。


 妖魔に人間のような意思があるのかは不明だが、少なくとも本能はある。

 その本能が命じた。


 ——拘束から逃れないと危険だ、と。


 人間には火事場の馬鹿力という言葉があるが、妖魔にも当てはまった。

 生存本能と戦場の興奮。

 人間の想定を越える力を発揮した妖魔は拘束具を破壊した。


 自由になった妖魔はまず乗員たちを食って、減った体力を回復すると、艦体と同化した。

 舷側から何本もの脚が突き出し、船首は真一文字に裂けて口のようになった。

 いや、その中に牙と長い舌を覗かせているのだから実際、口なのだ。


 船妖せんようと化した妖魔艦は乗員たちだけでは物足らない。

 戦況は掃討戦の段階に入り、戦闘不能になったコタブレナ艦が降伏し始めていた。

 船妖はその白旗を掲げている相手に襲い掛かった。

 バリバリと、艦も人も食らう。


 沸き起こる悲鳴と銃声。

 だが、すぐに静かになった。


 その気配を感じ取ったのか、残りの一二隻も船妖と化す。


 もはや戦どころではない。

 リーベル対コタブレナの戦いは、人間対妖魔の戦いへと移行した。


 その結果は、ロレッタが危惧していた通りになった。

 妖魔たちは人間の想定を超え、制御不能に陥った。

 艦と一体化した妖魔に組み付かれては逃げ場がない。


 生き延びることができたのは、後方待機していた補給艦二隻と速力で勝ったペンタグラムのみ。


 食べたことで食欲が増した船妖たちはそのままコタブレナ島に向かって行った。

 進む方向は合っているが、当然、本来の命令を守っているのではない。

 獲物の匂いがする最も近い所がそこだったというだけだ。


 補給艦を外洋に避難させ、遠巻きに一部始終を見ていることしかできなかったペンタグラム乗員は語る。

 日が沈む頃には無人島になった、と。


 満腹になった船妖たちはそこで眠りについたようだった。

 元々、陸の妖魔を無理矢理海に連れ出したものだ。

 自分から海に戻ろうとは考えない。

 コタブレナまで全力疾走したのも、食欲だけでなく、不安定な足元が嫌だったのかもしれない。


 妖魔はそのまま島に定住した。

 今日まで。


 報告後、減ってしまった妖魔艦の回復と我が国の敵に対しては今回同様ので対処する、という方針が会議で決まった。

 ロレッタは反対したが、彼女の声はもはや誰にも届かない。


 人々を守るはずだった魔法の盾は欲に歪められ、血に飢えた魔剣へと変えられていく。

 これ以上、魔法艦というものが人を取って食らう化け物に変わっていくのを見たくない。


 翌早朝、彼女は来た時と同じように定期船でリーベルを去った。


 乗船時、よく役人に見つからなかったと思うが、彼女は元々、時と空間の魔法使い。

 誰にも見つからずに海を渡ることなど、造作もないことだった。


 こうして救国の英雄ロレッタ卿は忽然と姿を消し、様々な憶測を生むことになるのだった。



 ***



 本人が明かすロレッタ卿失踪の真相。

 エルミラは女将にかける言葉が見つからなかった。


「だから私は英雄なんかじゃない」


 魔法艦など余計なものを人々に示して、海に妖魔が放たれる切っ掛けを作ってしまった魔女……

 彼女は自らをそう締めくくった。


 彼女は自分自身に、狂っていくリーベルを他国から見届ける罰を科した。

 その刑期は命ある限り続く。


 しかし時が彼女を殺してくれることはない。

 あとは誰かに殺されるしかないが、空間を操れる彼女を殺せる者はいない。


 だから彼女がその刑期を終えることはない。

 永遠に……


 それでもエルミラは、彼女を救国の英雄だと思う。


 海の魔法使いと初期魔法艦は確かに人々を救ったのだ。

 悪かったのはそれに味を占めたリーベル人たちだ。

 彼らの欲が呪物で武装しただけの艦を妖魔艦に発展させた。


 彼女の罪ではない。


 しかしそう伝えても、きっと彼女は自分自身を赦さないだろう。

 おそらくそういうことではないのだ。


 出奔したロレッタはしばらくの間、偽名を使い、人目を避けながら各地を転々とした。

 正体がバレると仕官の誘いが来たり、リーベルの追手が来るかもしれないからだ。


 そんな不便な暮らしを一〇〇年程続けていると、さすがに彼女を覚えている者はいなくなった。

 正確には、ロレッタという名声は残っていたが、そこにいる二〇代後半位の女性がその人だとは誰も思わなくなったのだ。


 そんなある日、寂れた浜を歩いていると、廃船が何隻も打ち上げられているのを見つけた。

 少し前に沖で海戦があったという。

 相手はリーベルの魔法艦隊だろう。

 どの船もひどく破壊されていた。


 その船山をぼんやりと見ていたロレッタだったが、急に何かを思いつき、目に光が宿った。


 廃船を一隻一隻見て回り、竜骨が無事だった二隻を選び出し、一人で修理を始めた。

 リーベルを去った日から優に一〇〇年以上。

 すでに彼女は人外の者、魔女といえる存在。


 その強大な魔女の力をもってすれば可能だった。

 もちろん単独作業ゆえに時間はかかるが、大した問題ではない。

 どうせ彼女の時間は無限にあるのだから。


 修理が完了すると、二隻の甲板を連結させて一隻の双胴船に改造した。


 彼女が見つけた新たな道。

 それはリーベル艦隊によって海に投げ出された人たちへ暖かい食事と寝床を提供し、最寄りの陸地へ送り届けること。

 この双胴船はその道を往くための船。


 船名は——

ロレッタの宿屋ロレッタズイン〉号だ。



 ***



 英雄が海上で宿屋をやっているなどと、初めは正気を疑った。

 しかし話を聞いてみれば、狂っていたのは当時のリーベル人たちの方。

 むしろその中でただ一人、正気を保っていたのが彼女だったのだ。


 立ち去って正解だったと思う。

 留まり続けていたら、どんな狂った計画に巻き込まれていたかわからない。


 話しているうちに、ボートはちょうど宿屋号とファンタズマの中間までやってきていた。

 エルミラはそこで櫂を止めた。


「どうしたの?」


 なぜ止まるのか、女将は尋ねた。


「…………」


 出奔の理由とあの双胴船が何なのかわかった。

 彼女のたちに苦しめられた人々を救う船だ。

 いまの話からすると、現代の海軍魔法兵団もその傍迷惑な弟子の弟子ということになる。

 その団長をなぜ助けにのか?


 ——味方かどうかわからない者に接近を許してはならない。


 初代の言葉をまとめたという、二代目団長アルシール卿の教義書ドクトリンの一節だ。


 ここなら宿屋号から離れているから、給仕たちもすぐに駆け付けることはできない。

 空間魔法の使い手らしく、転移しようとするかもしれないが、魔法である以上、集中と詠唱、もしくは代わりとなる動作は必要だ。

 少しでもその気配を感じたら、魔法が完成する前に体術で潰す。


 ファンタズマに案内するかどうかは、ここで正直に話してもらってから判断する。


 訝しんでいる女将に何も答えずにいると、彼女は何かに思い当たったのか、詫びの言葉を述べてきた。


「ごめんなさい。お客さんにずっと漕がせっぱなしだったわ」

「いや、それは別に——」


 最後まで聞かずに、女将はニコッと微笑んだ。

 次の瞬間、エルミラの視界から宿屋号が消え、代わりにファンタズマが現れた。


 両手にそれぞれ握っていた櫂もなくなっている。

 落としたか、と水面を探すが見つからない。

 キョロキョロしていると突然、


 ザザッ! ザバッ!


 と水を掻く音と共にボートが再び進み出した。


「……っ!?」


 驚いて女将を見ると、なくしたはずの櫂が二本とも彼女の手にあり、悠然と漕いでいた。


「いえいえ、疲れたでしょ? ゆっくり座っててちょうだい。」


 宿屋号が消えたのではない。

 女将と座っている位置が入れ替わったのだ。

 空間転移だ。


「それに、暴れると危ないし」


 体術のことが読まれていた。

 女将にはすべてお見通しだったのだ。


 ——こいつは人間じゃない……!


 エルミラの背に冷たいものが流れた。

 こちらの考えを読まれていたことも驚きだが、いまはそれどころではない。

 転移するとき、詠唱も動作もなかった……


 相手は丸腰だと安心していたが、迂闊だった。

 武装する必要がなかったのだ。

 いとも簡単に大魔法を発動できるのだから。


「私はあなたたちを助けようと思ってやって来た。それだけは信じてほしい」


 怪しい者に見えるかもしれないけど、と女将は困ったような笑みを浮かべた。


 大魔法を無造作に発動する人外の者。

 剣や体術でどうにかできる相手ではなかった。

 そんな化け物と狭いボートに二人きり。


 エルミラは助けに来たという彼女の言葉を信じる他なかった。

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