第5話「海軍魔法兵団」

 見事、島蛸を撃退したロレッタたちに水兵たちの喝采が鳴り止まなかった。


 巷の魔法使いたちの噂を聞いていたので、水兵たちは正直不安だったのだ。

 波と揺れで集中を妨げられるので海は魔法に向かない場所だ、と。


 陸での魔法兵の強さは知っているが、果たして海ではどうだろう?

 そんな心配はまったく不要だった。

 モンスターを雷球一発で追い払ってくれた。

 賑やかではあってもどこか船団全体に漂っていた悲壮感がこの瞬間から消えた。


 論より証拠という。

 水兵たちは見もせずに決めつけた魔法使いたちの話より、たったいま目の前で見せつけられた海の魔法使いの力を信頼した。


 確かに今回のような大型モンスターを仕留めようとするなら、大魔法が必要になる。

 それなら魔法使いたちの言うように海は不利だ。


 だが、彼女の考える海軍魔法兵はあくまでも交易船団の護衛。

 要は船団が無事に航行できればよく、相手を追い払うのに大魔法は必要なかった。

 だから半減していてもアルシールの雷撃で十分だった。


 翌日、船団は普段通りの航海に戻り、穏やかな日が続いた。

 しかし、これで終わったわけではないことを全員が承知していた。


 モンスター撃退から数日後、船団は目的地の近海に到達した。

 ここから再び海の魔法使いが活躍する。


 壊滅した船団はこの辺りでを受けた。

 おそらく今回も……

 ロレッタたちだけでなく、水兵たちも周囲を警戒していると、やはり現れた。


 前方に船影が一つ。

 商船だった。

 甲板に人影はまばらで、最小人員で航行しているようだった。

 まさに経費を抑えている真っ当な商船です、と言わんばかりの海賊船だ。


 肉食獣も海賊も相手を狩るという点で同じ発想になるようだ。

 攻撃力と速力で強引に狩るか、安全無害と油断させて不意討ちを仕掛けるか。

 どうやら今回は後者のようだった。


 望遠鏡から見える商船の甲板上は不気味なほど穏やかだ。

 こちらは相手を警戒し、望遠鏡を所持している者たちが一斉に片眼を瞑って覗き込んでいる。


 対してあちらは誰もそうしない。

 こちらこそ、交易船団の振りをした海賊団の可能性があるかもしれないのに。

 露ほども疑っていないようだ。


 甲板にいる者たちの身なりも悪くないし、望遠鏡に向かって全員が人懐っこい笑顔を見せている。

 うまく騙せたと確信して零れてくる笑みなのだろうが、デシリアたちによってすべて探知されていた。


 接舷するために投げ込む鉤縄の存在。

 甲板のすぐ下で待機している不穏な〈気〉を纏った大勢の男たち。


 大量の鉤縄がこちらから目視できない足元に隠してあった。

 それに商船は積み荷の積載量を増やすために最小人員で動かす忙しい船だ。

 甲板に出ている人数より、船室で休んでいる交代要員の方が多いなどということはありえない。


 あとは同じだ。

 モンスターも海賊も撃退あるのみ。

 大砲も鉤縄も届かない超長距離からアルシールは雷球を発射した。

 少し遅れてロレッタの火球が後に続く。


 海賊たちの反応は島蛸と同じだった。

 獲物の先頭艦からこちらに飛んでくる青白い球体。

 それが何なのか心当りはなかったが、飛んできているという時点で嫌な予感がした。


 だが、いまから総帆展帆しても間に合わない。


 バチィィィッ——!


 雷球はメインマストの根本付近に命中。

 島蛸の眼球を吹っ飛ばすほどの電撃が、波で濡れた甲板を伝ってそこにいる全員に襲い掛かる。


「ギャ……!」


 海賊が島蛸と違う点は命中の寸前、危険を悟って悲鳴を上げようとすることだが、物語のように「ギャァァァッ!」などと長い叫び声は上げられない。

 伝わった電流で身体の表面だけでなく、内側も焼かれるので肺も喉もやられて息を吐くことができないからだ。

 立っていられる者は一人もいなかった。


 悲劇はさらに続く。


 ドォォォンッ!!


 海賊は船団から見えない舷側の縁に小口径砲を用意していた。

 その弾薬に雷球の火花が引火した。

 爆発の衝撃でメインマストはなぎ倒され、甲板が抜けて火薬と火が付いた床板の破片が船室に降り注いだ。


 甲板下で助かった待機組は何が起きているのか、理解が追い付かない。

 しかしその中の一人が「火薬だ!」と騒いだことで全員我に返り、火薬と一緒に落ちてきた火を踏み消した。


 すべて消火し、ほっとした彼らが改めて抜けた甲板を見上げると、そこには大きな火の球が。

 ロレッタの火球だ。

 雷球を追いかけるように発射され、甲板に開いた大穴に吸い込まれていった。

 そして——


 ドゴォォォン……!


 さっきより大きな火柱を上げて海賊船は爆散した。

 船体内部で爆発したため、破片があちこちに飛び散り、黒煙を上げながら流されていった。


 徐々に遠ざかっていく黒煙を見上げながら、その場にいる全員が確信した。

 これからは海で魔法を使える者が海洋覇権を握る時代になっていくのだ、と。


 その後、船団は無事に交易をすることができた。

 災い転じて、というべきか……

 モンスターと海賊のせいでリーベル製呪物の流通が止まっていたので、値上がりしていた。

 そのおかげで莫大な収益を上げることができた。


 呪物を捌いて空になった船倉に島で不足している品々を満載し、船団は帰路についた。

 もちろん帰りもロレッタたちが目を光らせている。


 出発して一ヶ月と半分——

 行きは順調だったのだが、帰りは風に恵まれず、日数が掛かってしまった。

 だが、一隻も脱落することなく、金貨と物資を満載した交易船団八隻は無事に王都ウェンドア港へ帰還した。


 母港に投錨した船団に万雷の拍手が降り注いだ。

 残念ながら、それは船団の無事を喜ぶ拍手であり、守り抜いたロレッタたちの手柄を褒めるものではなかった。


 それでも三人は満足だった。

 私たちは絶望に打ち勝ったのだ、と。


 その夜、街の酒場はすべて満員で大騒ぎになっていたので、三人は宿屋の一室で祝杯を上げた。


 街の人たちが騒ぎ立てるのは仕方がなかった。

 護衛の軍艦も付けずに丸腰で出発した船団が、奇跡の生還を果たしたのだ。

 暗い話ばかり続いた王都に、久しぶりに舞い込んできた明るい話題だった。


 その喧噪の傍ら、ロレッタは二人を労った。

 二人が彼女の考えに賛同し、今日まで頑張ってくれたおかげで、海の魔法使いは海の脅威に対して有効であると証明できた。


 後は今回の成功を武器に、頭の固い宮廷の魔法使いたちを説得するだけ。

 それはロレッタ一人の仕事だ。

 一魔法兵のアルシールと一般市民のデシリアが協力できることはない。


 だから海の魔法使いは今晩で解散となる。

 それぞれ陸軍魔法兵と占い師に戻るのだ。


 感謝の言葉を述べながら、アルシールとデシリアに酒を注いでいく。

 最後にロレッタもグラスを掲げた。


「お疲れ様でした! 乾杯!」


 二人も「乾杯!」と続き、一気に呷った。

 酒はまだまだある。

 三人は出会ってから今日までの思い出話で、いつまでも盛り上がった。


 だが、訓練中の失敗談で盛り上がっている最中、ふとロレッタの脳裏に明日からの宮廷のことが思い浮かんだ。


 二人はそれぞれの日常に戻っていくが、ロレッタの戦いはまだ終わらない。

 明日から始まる戦いは海と違い、魔法で相手をやっつける戦いではない。

 海軍魔法兵団創設に反対している連中を説き伏せる戦い。

 論戦だ。


 魔法王国というだけあって、魔法使いたちの発言力は大きい。

 彼女の案はその魔法使いたちから反対されている。

 魔法研究所からも、魔法兵団からも……


 それでもアルシールを出してくれた兵団と組みたいが、一筋縄ではいかないだろうと予測していた。

 彼らの使命は島内のモンスター討伐と街道を行く隊商の護衛。

 そもそも海上輸送案自体に反対だったのだ。


 兵団がアルシールを出してくれたのは研究所が断固反対したからだ。

 つまり研究所への当てつけだ。


 すでに真理探究を目指す研究所と実用を重視する兵団の争いがあるのに、さらに陸と海の争いが追加されることは望むまい。


 頼みの綱は国王陛下と大臣たちだが、二大勢力が海の兵団に反対するという一点において団結してきたとき、どこまで抵抗できるか……


 そういう神経の磨り減る戦いが待っていると思うと、いまから気が重い。


 悪い気分を吹き飛ばすようにロレッタはグラスに残った酒を一気に飲み干した。



 ***



 翌朝、ロレッタはデシリアに叩き起こされた。

 昨晩は遅くまで飲んでいたので頭が働かない。

 そんな彼女にデシリアの声が厳しい。


「早く起きて!」


 一体何だというのか?

 陛下に航海の報告をしなければならないが、午前中はお忙しいので謁見は昼からだ。


 ——今日は疲れる話が続くのだから、もう少し寝ていたい……


 愚図る子供のように枕に顔を埋めていると、力ずくで奪い取られ、引っ張り起こされた。


「ほら、早く着替えて!」


 まるでお母さんのようである。

 ロレッタの寝ぼけた頭にふと、彼女の夫は大変だったな——と同情の念が浮かんだ。


「デシリア! ロレッタは起きたか?」


 扉の外からアルシールの大きな声が聞こえる。


「起きたけど、まだ支度中だから入ってこないで!」


 扉一枚を挟んで二人が怒鳴り合っている。

 そしてまだベッドに座ったまま身体が動かないロレッタのことがじれったいのか、デシリアはその髪を梳かし始めた。


「デシリア、痛いから静かにやってくれ」


 彼女は焦るあまり、櫛を持つ手に力が入っていた。

 そう、焦っているのだ。

 彼女もアルシールも。


 ——?


 髪を梳かされながら、段々意識がはっきりしてきたロレッタは疑問に思った。


 二人共、兵団司令部と自分の家に帰るだけではないか?

 焦る必要はないし、何か急ぎの用事を思い出したのだとしても、なぜ私まで一緒に急がなければならないのか?


「デシリア、どうして——」

「はい、終わった。さあ、早く着替えて!」


 髪を梳かし終えたデシリアは質問に答える代わりに、ロレッタの膝目掛けて服を投げ渡した。


 ——問答無用か。


 いまは大人しく従うしかない、と諦めて投げ渡された服に着替えた。

 式典用の軍服のようだ。

 見覚えがある。


 ——魔法兵団正式軍装? でも……


 色が違う。

 形は似ているが、魔法兵団は深緑。

 いま手に持っている服は濃紺だった。


「デシリア、まだか!」


 再びアルシールの大声とノックする音が続く。


「いつまで寝ぼけているの! ほら、急いで!」


 寝ぼけているのではなく、状況が飲み込めていないだけなのだが……

 苛立つ彼女の剣幕には逆らえない。

 手を掴まれ、扉の方へ引っ張られていく。


 そこで気が付いた。

 デシリアも同じ濃紺の軍服を着ている。

 扉の外にいたアルシールも同様だ。


 宿泊していた部屋は二階だったので、下りていくと王宮からの使者が待っていた。

 彼も急いでいたようで三人揃っているのを確認すると、まだ一階に下り立っていないうちに正面入口の扉を開いた。


 その途端——


 ワアアアァァァッ!!


 叫び?

 大歓声?

 よくわからない音の洪水が雪崩れ込んできて、ロレッタたちを叩いた。


 ウェンドアの市民たちだった。

 海の魔法使いの功績が、船団の乗員たちによって一晩のうちに広まった。

 そして夜が明けて、彼女たちの奮戦のおかげで無事に届いた品々が朝市に並んだ。

 薬品、外国の食材、様々な生産活動に必要な素材、リーベルでは産出されない鉱石……


 魔法使いたちの語る難解な真理など吹き飛んだ。


 船団が持ち帰った品々で市民の生活が救われた。

 その船団を守ったのは海の魔法使い。

 これこそが真理だった。


 彼等はその英雄たちを一目見ようと押しかけてきた群衆だった。


 入口の外には馬車が待っているが、その間も群衆で埋め尽くされている。

 馬車随伴の衛兵たちが必死に押し戻して、なんとか一人通れる幅の道を確保していた。


「急いでください! 陛下をお待たせしてはいけません」


 デシリアに続き、使者までが呆然としているロレッタを叱り始めた。


 三人は顔を見合わせると、覚悟を決めて宿屋を出た。

 唯一の男性であるアルシールが露払いを務め、二人が後に続く。


 外に出た途端、襲い掛かってくる熱気と圧力。

 英雄に触れようと伸びてくる無数の手が彼らを叩き、掴み、引っ張った。


 なんとかはぐれることなく三人は馬車に乗り込めたが、最後尾の使者が……

 衛兵たちは群衆を抑えるので精一杯。

 使者が残って外から馬車の扉を閉めた。


「出せ! 私に構わず行け!」


 御者は指示通り、使者を見捨てて馬車を走らせた。

 後ろの窓から振り返ると、使者と衛兵たちが群衆に飲み込まれていた……


 馬車は速度を落とさずに走り続け、群衆を撒くことに成功した。

 三人はようやく落ち着き、お互いを見る余裕ができた。

 せっかく梳かしてくれた髪も服も滅茶苦茶になっていた。


 その車中、ようやくロレッタは何でこうなったのかを二人から聞くことができた。

 とはいっても、実は二人共、それほど詳しいわけではなかったのだが。


 昨夜、あまり飲んでいなかったデシリアは早起きし、身支度を整えていた。

 そこへ宿の主人が慌てた様子でやってきて、一階に来てほしい、と。

 何かと思い、下りてみるとさっきの騒ぎと使者が。

 三人の軍服を渡され、陛下がお待ちになっているから急ぐように、と告げられた。

 陛下と聞いて仰天し、階段手前から順にアルシール、ロレッタと起こしていったのだという。


 ——陛下が?


 解せなかった。

 航海の報告は昼からだ。

 午前中は大臣たちとの朝議でお忙しいはず。


 考えている間も馬車は疾走し、宮殿へ。

 正門前に到着するとやはり人だかりができていた。

 馬車がやってきたのがわかると、ここでも衛兵たちと群衆の押し合いが始まる。

 けれど、宿屋の前と違って宮殿に詰めている衛兵の数は多く、馬車の通路は確保された。

 そこを走り抜けて宮殿の中へ。


 すぐ謁見かと思ったが、まず群衆によって滅茶苦茶にされた身なりを直さなければならない。

 初老男性の侍従によって別室へ案内され、そこで待っていた侍女たちに身支度を整えられながら、今日の段取りを伝えられた。


「本日の任命式ですが、まず——」

「任命?」


 一体誰が、何に任命されるのだろうか?

 ずっと海にいたから、その間の宮廷内の事情がわからない。


 それに——

 海の魔法使いなどと異端な発言をしていたせいで、他の魔法使いたちから避けられていた。

 これほど大慌てで祝わなければならない相手に心当たりがなかった。


「誰か出世するのかしら?」


 いま思えば、当事者意識に欠けた間抜けな質問だったと恥ずかしい。


 兵団のものによく似た色違いの軍服——

 なぜか平民のデシリアの分まであった。

 そこで察するべきだったのかもしれないが、叩き起こされてすぐに滅茶苦茶にされ、いまようやく一息ついたロレッタには無理だった。


 尋ねられた侍従は一瞬キョトンとした後、逆に確認するように答えた。


「……皆様の任命式ですが?」


 三人は顔を見合わせ、目で尋ね合った。


 おい、知ってたか?

 いや、初耳だ。

 何に任命されるんだ?

 さあ?


 驚きのあまり言葉が出てこないので、自然と首を横に振ったり、傾げたり……

 それを言葉に翻訳するとこんな会話になる。


「……使者からは何も?」


 どうやらあの使者はただの迎えではなく、本日の概要を伝える係だったらしい。

 それをロレッタが寝ぼけていたので、とにかく急いで出発し、車中で説明するつもりだったのだろう。

 それどころではなかったわけだが……


 ロレッタは代表してここまでの経緯を説明した。

 静かに聞いていた侍従は、三人が何も知らされずに連れてこられたのだと知り、呆れたようだ。

 だが、どうせ式の流れを説明するのだから同じこと。

 使者が伝えるはずだったことがいま、目の前の侍従から伝えられた。


 その内容に三人は呆然となる。

 三人共、まるでさっきの宿屋で群衆に圧倒されたロレッタのようになった。


 彼が語った本日の任命式。

 それは——

 王室、大臣、軍、研究所の承認の下、海軍魔法兵団の創設を宣言する。

 その上でロレッタを同兵団長に、アルシールを副団長に、デシリアを同兵団参謀に任命する式典だった。



 ***



 話を静かに聞いていたエルミラだったが、櫂を漕ぐ手に自然と力が入ってしまう。


 英雄自らが語る英雄譚——

 興奮するなという方が無理というもの。

 子供の頃から何度も聞いている話だが、やはり盛り上がる件だ。


 それでも女将の表情は変わらない。


「頑なだった魔法使いたちも民意を無視できなかったんだな」

「そんなことを気にする人たちではないわ。それに——」


 いくら何でも早すぎる。

 昨夜、海の魔法使いたちの手柄を聞き、朝市を見た市民たちが宿屋に殺到。

 緊急朝議を開いて僅か数分で兵団創設を決定。

 午前中にその創設宣言式と三人の任命式を執り行う……


「確かに……」


 女将の言う通り、不自然すぎる早業だった。


「あとでわかったことだけど——」


 船団の出航後、ロレッタの案を採用してはどうか、という大臣たちの意見が朝議に出された。


 彼らは政治家だ。

 真理探究や魔法兵団の都合より市民生活の安定の方が大事だった。


 陛下も気持ちは大臣たちと一緒だった。

 違う点は主君であるということ。

 家臣たちを統率する立場なのだ。


 反対してくる魔法使いたちも主君に仕える家臣であり、彼らの言い分にも一理あるのだ。

 即ち——

 魔法王国は高い魔法の力で成立している。

 より高めていくことに注力すべき、という言い分だ。


 意地悪な解釈をするならば、自分たちの地位を守るためなのかもしれない。

 だが、形式的には魔法王国の存続と発展を願っての主張だ。

 王として、これを無下にするわけにはいかなかった。


 ボートを漕ぐエルミラはもう十分に歴史のいい加減さを思い知ったが、それでも念のために尋ねた。


「あんたたちの大戦果を魔法使いたちも認めざるを得ず、賛成一致で創設されたと伝わっているが……」


 答えはエルミラの予測通り。

 女将は苦笑いを浮かべた。


 意外だが、その朝議においてロレッタ案は全員賛成で可決された。

 大臣は提案者だから当然賛成だ。

 海軍も海の脅威に対抗できる新たな戦力が手に入るのだから、嫌だとは言わない。


 不気味なのが魔法研究所と魔法兵団だ。

 なぜすんなり賛成したのか?


 後に語られる歴史は綺麗だが、〈いま〉というものは露骨で生々しい。

 彼らの賛成はロレッタたちの力を認めたからではない。

 両者の反目の結果だった。


 リーベルを魔法王国たらしめている二つの勢力。

 魔法の理としての側面を司る魔法研究所と、力としての側面を司る陸軍魔法兵団。


 理と力。

 どちらの立場で考えてもロレッタ案は受け入れられない。


 ところが、陸の兵団はアルシールを出した。

 どうせ雷撃魔法しか取り柄がない落ちこぼれだったからだ。

 研究所への当てつけになるし、落ちこぼれ頼みのロレッタ案は必ず失敗すると確信していた。


 万が一、成功したら……

 そのときは、力の魔法使いたる自分たち陸軍魔法兵団が、船団護衛の任を引き継げばよい。

 新たに海軍魔法兵団など作る必要はない。


 アルシールが貸し出されたという情報を耳にした理の魔法使いたちは、すぐにこの企みに気が付いた。

 そこでロレッタ案支持に回ることを決めたのだった。

 大抵の国で、陸軍と海軍の仲は良くない。

 我が国の魔法兵団も陸と海で揉めればよい。


 これが本音だった。

 しかしこれをそのまま朝議で述べるわけにはいかない。


 建前としては——

 真理探究のためには柔軟な思考も必要。

 船団が無事に帰還できたら、海で有効な魔法は何かという新たな研究を始めなければならない。

 ——ということになる。


 よって研究所は海軍魔法兵団創設に賛成すると表明した。


 そして大臣たちも食わせ者だった。

 太古よりこの島は、農地にできる平地が少なく、国の繁栄に必要な資源がほとんど産出されない場所だった。

 人々は自然と魔法を身につけていく。

 そういう土地柄なので伝統的に魔法使いが大切にされてきた。


 だが、近年の彼らは増長著しく、国政に対する口出しが酷かった。

 そして口出しはするが責任は取らない。

 都合が悪くなると、魔法使いは世俗のことに煩わされるべきではないと主張して、研究所も兵団も逃げるのだ。


 また、何かにつけて魔法王国発展のためと宣うが、その王国の主である陛下にも公然と反対する。

 彼らは一体誰のためにその魔法王国とやらを発展させようというのか?

 その研究と訓練は市民たちの税で賄われているというのに……


 そんなときに提案されたのがロレッタ案だった。

 もちろん船団が無事に航行できるようになることには大賛成だ。

 しかしそれだけで推進したのではない。


 魔法兵団を有する陸軍と研究所の力が強すぎて、海軍は存在感が薄かった。

 だから新兵団を海軍所属とすることで恩を売り、他二者の牽制役になってもらうのだ。


 大臣たちと研究所の思惑を察知した兵団の変わり身は素早く、朝議で条件付き賛成を表明した。


 その条件とはやはり、船団が生還できたら、半減した魔法であっても海で有効であることを認めるというものだった。

 しかも魔法兵を転属してくれるという。


 出航まで批判され続けたロレッタ案だったが、ついに反対する者が一人もいなくなった。

 海軍魔法兵団創設は無事に帰ってくることを条件に可決された。

 ロレッタたちが出航して数日後のことだった。

 だから三人の軍服を用意し、式典の準備を整える時間が十分にあったのだ。


 そこまで聞いたエルミラは眉をひそめた。


「それって、名前は海軍魔法兵団だが、中身は……」


 女将は頷く。


「そのつもりだったんだと思う」


 海軍所属といっても中身は陸軍魔法兵団そのもの。

 新兵団は海軍司令部より陸軍の言うことを聞くようになっていくだろう。

 思惑通りに陸軍のものとすることができる。


 このように、様々な勢力の思惑が重なり合った中心部分に成立したのが海軍魔法兵団だった。



 ***



 始まったばかりの新兵団だったが、様々な問題が噴出した。

 たった三人しかいないので陸の兵団と研究所から兵員が補充されたのだが、それがまずかった。


 陸の魔法兵と研究員は常にいがみ合っていた。

 宮廷で、街で、上官同士、部下同士、家族ぐるみで。


 その争いの場が新兵団になっただけだ。

 ロレッタたちの言うことは一切聞かず、何かある毎にそれぞれの派遣元のやり方を主張し合っていた。


 最も困ったのは、彼らがあくまでも高度な魔法に拘り続けたことだ。

 魔法陣を描き、蝋燭を灯し、長い詠唱の後に大魔法を披露してくれた。

 終わると「どうだ!」と言わんばかりに胸を張っていたが、三人は逆に落ち込んだ。


 海では甲板に描いた魔法陣も蝋燭も波が綺麗に洗い流す……

 直立した状態で両手を用いて複雑な印を切っていたが、前後左右の他に上下にも揺れる甲板で同じようにできるのか?


 特に副団長がそう注意していたのだが、陸の兵団において落ちこぼれだった彼の言葉は届かない。

 やがて海での魔法について何も学ばないまま、模擬戦の日を迎えた。


 当日——

 元研究員たちと元陸軍魔法兵たちは、真の魔法を見せつけて落ちこぼれ共に身の程を思い出させてやる、と意気に燃えていた。

 しかし彼等とは対照的にロレッタたちは暗かった。


 ダメなのだ……

 海で真の魔法を披露すると宣言している時点で。


 そんな彼らでも褒められる点が一つだけあった。

 普段はいがみ合っていても、共通の敵ロレッタたちが現れたら団結できたことだ。

 その団結に期待したのだが、結果は三人の想像以上の結果に終わった……


 模擬戦は北と南に分かれて沖を目指し、任務中の沿岸警備艦を探す。

 警備艦を発見したら挨拶をし、その後、転針して相手を探す。

 沿岸警備艦を探知するところから索敵訓練の成果を問われるのだ。


 ロレッタたちは北へ向かう。

 デシリアは抜錨した時点で最も近い警備艦を探知していたので、出航するとまっすぐそちらへ向かった。


 探知通り、進んだ先には警備艦の姿が。

 事前に模擬戦のことを聞いていたので、警備艦の甲板には水兵たちが並んでいた。

 ロレッタたちも甲板に並び、お互いに敬礼し合った。


 挨拶を終えると南へ転針。

 南進し、いま頃同じように転針しているはずの相手を探す。


 ところがデシリアが首を傾げた。

 予想海域に彼らの〈気〉は感じられず、港の近くを漂っているという。

 何か事故でもあったか、と戻ってみることに。


 三人がそこで見たものは、港を出てすぐのところで投錨している小型艦。

 その甲板では魔法使いたちが縛り上げられていた。



 ***



 使たちは出航してすぐに停船させた。

 揺れがひどくて魔法陣を描けないからだ。


 停船してもずっと揺れ続け、しかも波には規則性がない。

 魔法陣の中に書き込む文字も不意に襲い掛かる揺れの中では、歪んだり、点を打つ場所がズレてしまったり……

 文字の形、点の場所、一つでも違えば、意味が変わってしまう精密なものなのだ。

 大魔法の準備は困難を極めた。


 やっとの思いで描き上げ、蝋燭に火を灯し、聖なる土や霊木の枝を配置する。


 ——これで落ちこぼれ共に魔法を教えてやれる!


 ……と一息ついた矢先だった。


 ザバァァァンッ!


 何度も挫けそうになりながら、懸命に作り上げた魔法陣はすべて波が洗い流してしまった。

 彼ら自身もずぶ濡れだ。


 魔法の習得には高価な魔法書が必要なので、貴族や豪商の子女が身に付けるものだった。

 だから研究員も魔法兵もそういう家の出身者ばかりで、エリート意識が強い。


 そのエリート風が何もなくなった甲板に吹き荒れた。


 艦の上では艦長が最も権限が高い。

 その艦長を、いくら貴族とはいえ、模擬戦に協力してもらっている立場の一魔法兵が怒鳴りつけた。


 船乗りのくせに波を被らないようにできないから、魔法陣が台無しになった。

 どう責任を取るのか、と。


 甲板は騒然となった……


 馬車による輸送が主体の島国に海軍は不要と、予算も人員も削られ続けてきた。

 だから元々海軍は研究所と陸軍が嫌いだった。

 それがようやく国を挙げて海に目を向けるようになり、今回、海軍も魔法兵団を有することになった。


 海軍の魔法兵団だ。

 海軍魔法兵団に海軍がするのではない。


 ロレッタ団長に免じて転属組の素行に目を瞑ってきたが、今日は軍艦上での出来事。

 見逃すわけにはいかなかった……


「それで、その馬鹿共はどうなった?」


 歴史書には記載されない大変な修羅場であり、行間の真実というやつだ。

 現代も魔法使いたちはエリート然としているが、昔からそんな醜態を晒していたのか、とエルミラは呆れた。


「船乗りを怒らせると怖いと思い知ったわ」


 女将は悪戯っぽく笑った。


 転属組の理不尽に水兵たちはいきり立ったが、艦長は冷静に部下たちを制していた。

 それが余計癪に障った彼らは、艦長の胸倉を掴んで揺さぶってしまった。

 それを見た海の男たちはキレた。


 ロレッタたちがやってきたときには魔法兵全員、失神したまま縛り上げられ、甲板に転がっていた。

 瞼は腫れ上がり、鼻と口は血で赤く染まっている。

 何があったかは聞くまでもなかった。


 このまま沖に連れて行って、鮫の餌にしてやろうと沸き立つ水兵たちと、軍法会議にかけようと息巻く士官たち。


 ロレッタたちの必死の謝罪と冷静な艦長のおかげでどちらも免れたが、この一件で懲りてしまった転属組は元の所属へ帰っていった。


 以降、海の恐ろしさが知れ渡ってしまい、両陣営から魔法使いの転属はなくなった……


 ボート上、エルミラは堪らず爆笑した。


「笑い過ぎよ。その後、大変だったんだから」


 漕ぎ手をたしなめる女将自身も笑っているが、当時は本当に笑える状況ではなかったのだ。


 傲慢な魔法使いたちが叩きのめされたのは痛快だったが、新兵団に転属しようという者はいなくなった。


 焦るロレッタたちと裏腹に、補給艦の船団が無事に帰還できたことで商人たちは安心し、交易再開の準備が始まった。


 そのことは喜ばしいのだが、問題は護衛をどうするかだ。

 まだ不安がっている船乗りが多く、思うように船団の乗員が確保できていないので、出発はまだ先だ。

 その間に増員しなければならない。


「海の恐ろしさが知れ渡ってしまったから、魔法使いたちは来ないだろう?」


 エルミラは笑いを堪えていた。


「頼みに行ったけど、もう門前払いだったわ」


 研究所も陸の兵団も、仲間を痛めつけられた恨みで断ったのではない。

 彼らに仲間意識はない。

 ボコボコになって帰ってきた者たちから話を聞いて悟ったのだ。

 自分たちの魔法は陸でこそ活きる。

 海では半減どころか、詠唱も儘ならないのだ、と。


 ロレッタも痛感した。

 海で魔法を使うにはアルシールのようにするしかない。

 もしくは夫の仇を討ちたかったデシリアのように強い目標意識で揺れを克服するしかない。


 魔法使いに転属してもらうのではなく、海の魔法使いを最初から育成するしかなかったのだが、いまそれを言っても仕方がなかった。

 船団の出発は海の魔法使いが育つのを待ってはくれない。


 ところが、まったく増員の目途がつかず、お手上げ状態だったロレッタに、意外なところから救いの手が差し伸べられた。

 海の魔法使いになりたいという者たちが志願してきたのだ。

 先日の水兵や士官たちだ。


 彼らは自分たちが怒り任せに振舞った結果、新兵団に迷惑をかけてしまったと反省していた。

 そこで少しでも魔法の心得がある者たちが艦長に転属を申し出たのだった。


 ありがたい申し出だった。

 ロレッタは転属を聞き入れてくれた艦長と海軍にお礼を伝え、その足で彼らをすぐに海へ連れ出した。


 償いたいという彼らの目標意識は強く、ロレッタたちの指導を素直に受け入れた。

 昨日まで船乗りだった彼らは揺れに強く、不意に波が襲ってきても集中が途切れることはない。

 彼らはたった数日でコツを掴むことができ、初歩的な魔法を発動できるようになった。


 ただ……


 海の脅威に対抗するのに大魔法は不要。

 確実に発動できる初歩的な魔法でよい。

 しかし彼らは子供の頃からずっと船上で魔法を使ってきたアルシールとは違う。


 揺れや波に詠唱が妨害されず、完成まで漕ぎ着けるというだけで、やはり威力は半減した。

 元々本職の魔法使いではない者たちだ。

 その初歩的な魔法がさらに半減したら護衛が務まらない。


 そこでもう一つの幸運がロレッタに味方した。

 その味方の名は〈相場〉という。


「相場? 交易とかの相場か?」

「そう。その相場」


 ——?


 相場が足りない魔力を補う?

 エルミラが首を傾げるのも無理はないことだった。


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