第13話「リルとデシリア」

 ファンタズマ号艦長室——


 少しでも生存確率を高めようと、エルミラは気が進まない読書にさっきから取り組んでいた。

 その本の名は「柩計画」

 彼女の実家に仕えていた家来たちの悪行の記録だ。


 正直、焼き捨てたかったが、リルに艦長と認められた者として責任があるし、女将からも、捨てずに目を通しておけと言われていた。


 目下、艦長の最大の懸念は、敵哨戒網をどう突破するかということなのだが、そのためにも自艦の得手不得手を心得ておくことは重要だった。


 嫌な思いを辛抱しながら読んだ甲斐はさっそくあった。

 現在乗員二名のこの艦が、魔法艦隊を出し抜く方策が見つかった。

 遮光だ。


 リルの体調と相談しながらになるが、これでなんとか突破できそうだと喜んだ。


 安堵した艦長はページをめくるが、そこで希望は再び打ち砕かれた。

 次のページも遮光について続いていた。

 ただし、弱点についての注意書きが。


「……まあ、そうだろうな」


 精霊魔法に限らず、魔法は決して万能なものではない。

 強みがあるなら、弱みも必ずあるのだ。


 遮光は透明になれるので、敵見張り員に見つからない。

 また魔法による現象なので、敵探知魔法にも見つかりにくい。


 だが……


 透明になれるのは艦体とそこにいる人間と物品のみ。

 航跡まで消すことはできない。


 だから敵の近くで速度を上げると、艦の姿は見えずとも、白波から位置を把握されてしまうのだ。


 それに魔法による現象とはいえ、油断することはできない。

 水幕のおかげで、敵探知魔法の目には水面と区別がつきにくいかもしれないが、それも距離が離れていればだ。

 接近しすぎれば、さすがにバレる。


 つまり遮光中は動くなということだ。

 どうしても遮光しながら航行したければ、距離を取って波が起きないようにゆっくり進むしかない。

 ただし、速度を上げた分だけ遮光の効果が減少していく。


 遮光についてはこう締めくくられていた。

 古のデシリア卿ほどではないとしても、探知魔法の熟練者はいつの時代にも存在する。

 彼らの感覚の鋭さと視野の広さを侮るべきではない、と。


「……はぁ」


 エルミラの口から思わず溜め息が漏れた。

 しかし続きは、さらに彼女をがっかりさせるものだった。


 遮光中は水幕を境に物の見え方が歪むので、そこにある物が正しく見えなくなる。

 敵だけでなく、こちらも。


「……冗談でしょ?」


 こちらも正しく見えなくなってしまっては、敵をやり過ごせたのかわからない。

 停船していても、相手の気が変わって転舵してくるかもしれない。

 どちらも、衝突するまでわからないということだ。


 エルミラはさっきより大きな溜め息を吐きながら天を仰いだ。

 瞑っている目がピクピクと痙攣する。


 ——これでは意味がない。


 せっかく奴らの目を眩ます方法が見つかったと思ったのに……


 うっかり忘れていた。

 これが実家の連中の仕事だ。


 彼らの能力と知識はすごい。

 多少、自惚れても良いなら、世界一と言ってもいいだろう。


 しかしそれだけだ。

 あれこれ理屈を並べるが、結局誰も助からない。

 何の役にも立たない。


 遮光もその類だったのだ。

 これでなんとかなるかもしれない、と喜んだ数分前の自分を怒鳴りつけてやりたい。


 頭にくるが、いま怒っても仕方がない。

 本番前に使い物にならないとわかっただけでも幸いだった。

 そう気持ちを切り替えて、書類の続きを再開した。


 次のページも遮光についてつべこべと。

 連中の言い分など知りたくないので、読み飛ばそうとしたときだった。

 めくる手が止まった。


 くだらない言い訳の最後に「そこで——」とあるのを見つけたからだ。


 何か対策があるのか? 

 彼らに期待してはならないとわかってはいるが、不安と期待が織り交ざった気持ちで文字を辿った。



 ***



「ここか……」


 第一デッキ指揮所——

 いまエルミラは艦長室からその船室にやってきた。


 扉に付けられたプレートには現代語で書かれていた。

 古代語は例の外法に関わる部屋だけだったようだ。


 彼女がこの部屋にやってきた理由。

 それは遮光の問題点を解決する方策を確認するため。

 書類によれば、その解決策がこの部屋にあると記されていた。


 この新型艦が旧王国にとって重要だったのは、対竜兵器としてだけではない。

 この艦が活躍するかどうかに、失墜した魔法使いたちの名誉挽回が掛かっていた。


 だから敵から見えなくなるが、こちらも敵が見えなくなるなどという欠陥をそのままにしておくはずはなかった。

 それがこの部屋に。


 ガチャッ——


 扉には鍵も魔法も掛かっておらず、素直に開いた。

 部屋の中央、そこに設置されていたのは一つの呪物だった。


 艦長室から左脇に抱えてきた書類に、その名が記されている。

 曰く、〈デシリア型空間鏡〉と。


 すべての敵を見逃さなかったという探知魔法の達人。

 古の大魔法使いデシリア卿。

 その名を冠する呪物は直系いちエールト程の大きな球体だった。


 指揮所中央、大きな木製の台座の上にその球体は設置されている。

 よく見ると、球体の中には半分程の水が入っており、水面はユラユラと小さく揺れ動いていた。


「ん?」


 その水面を見ていたエルミラはあることに気が付いた。


 ——揺れ方がおかしい。


 艦船は波に揺さぶられているので、中にある水や酒類などの液体が揺れるのは当たり前だ。

 だが、球体内の揺れはなんというか、小さな〈波〉のようだ。


 いま、球体の端から少し大きい小波が現れて、中央に向かっていった。

 その行き先に視線を先回りさせると、中央にスループの模型が浮かんでいる。

 このまま進めば右舷側に受けるようだ。


「…………」


 エルミラは、その模型に心当たりがあった。

 そしてその心当りは正しい。


 おそらく彼女が考えている通りのことだ。

 仮説が正しいかどうかを検証するために、女将から貰った巻貝を掴む。


「リル、右舷方向から来る大波に注意しろ」

「え? うん」


 甲板に注意を促すと、自分も重心を低くして備える。

 その間にも波はどんどん球体中央に接近していく。

 そして——


 ドオォーンッ!


 大きな小波が模型の右舷にぶつかるのと同時に、ファンタズマ右舷に大きな衝撃が!


 大きく左に傾き、なんとか止まると今度は反動で右へ。

 振り子のように往復しながら徐々に揺れは治まっていった。


 落ち着いたところで再び巻貝を取り出す。


「リル、大丈夫か?」

「うん。ありがとう、エルミラ」


 手の中の貝殻から少女の元気な声が返ってきた。


 ——なるほど、こういう物か。


 いまの大波でこの球体が何なのか理解できた。

 この空間鏡はファンタズマ号から見えるすべてを映し出す呪物だ。

 中央の模型はこの艦を表しており、小さな波は実際の波を忠実に再現している。

 いまの大波も時間差がまったくなかった。


 水上、水中、そして空。

 取り巻く状況を、すべて表示できるということだった。


 一度、球体から目を離し、次は台座。


 そこには目盛が刻まれた金具が取り付けられていた。

 説明によればこの金具は表示される距離を調節するもの。


 エルミラが動かしてみると球体中央のファンタズマが小さくなった。

 これは広範囲を表示している。

 逆に動かすと大きくなり、甲板の様子まで表示された。

 リルは真面目に操舵に取組んでいるようだ。


 書類の続きにはこうある。

 遮光によってこちらも敵が見えなくなるが、空間鏡には自艦を取り巻くすべてが映し出される、と。


 これなら消えたまま目標とする場所に移動できる。

 そして遮光を解除すれば……


 ファンタズマ幽霊型とはよくぞ名付けたもの。

 いままで何もいなかったところに、本艦が急に現れるのだ。

 敵にとっては、海の怪談話に出てくる幽霊船だと思うだろう。


 これで哨戒網を突破する方策が立った。

 乱用は禁物だが、いざとなったらこの遮光航行でいく。


 相手は魔法艦隊。

 頼みにしていた遮光が諸刃の剣とわかり、お先真っ暗と悲観していた。

 だが解決策が見つかり、なんとかなるとわかったらやる気が湧いてきた。


 他には何かないかと、空間鏡について読み進めていく。

 一枚、また一枚と。


 すべて読み終えたとき、エルミラはこの呪物がなぜ球体なのかがわかった。

 遮光で見えなくなった敵艦との位置関係を把握するだけなら、平面の地図状のものでよい。


 この艦を考案した魔法使いたちの考えがわかった。

 確かにこの艦の建造目的を鑑みれば、平面より球体が適している。


 まだ書類の続きは残っているが、空間鏡については読み終えた。

 エルミラはさっきのように小脇に抱えると台座の周囲を回って何かを探し始めた。


「これだな」


 台座の下部、エルミラは一本のレバーを見つけた。

 それが何なのかは、もうわかっている。

 手を伸ばして掴むと、躊躇いなく引いた。


 すると「ガコッ」というくぐもった音の後、天井が開き、歯車が回る音を立てながら空間鏡と彼女が立っている床が上がっていく。


 甲板に戻ってきた。

 場所は舵輪の前方。

 振り返るとそこにはリルが。


「おかえりなさい」

「……ただいま」


 こんな戻り方は予定していなかったので、なんとなく恥ずかしい。

 元気な少女の挨拶に対して、艦長の声は小さかった。


「あ、それは——」


 少女は艦長の恥じらいなど意にも介さず、球体を見つけると指差した。


「ねえ、見てて」


 そう言うとリルは右舷前方斜め上を見上げた。


 何も知らなければ、一体何が始まったのかと首を傾げるところだが、いまのエルミラは少女が何を始めたのかを知っている。


 後ろで何かが動く気配がしたが、驚きはしない。

 何の音なのかは、書類に記されている。

 少し恥ずかしかったが、レバーを引いて甲板に戻ってきたのは、実際にこの目で確かめるためだ。


 ゆっくりと振り返ると、甲板に設置されているすべての魔法弩が右舷前方斜め上を狙っていた。


 そして空間鏡には——

 球体中央に漂うファンタズマの模型から見て、同じ方向と高さに白い点が表示されていた。


「…………」


 この艦の艦長として、もう一つ確認することにした。

 球体表面、ファンタズマ左舷水平方向に人差し指で触れた。

 すると、白点は一瞬で触れた箇所に移動した。


 振り返ると、リルは左を向いてキョロキョロと何かを探していた。


「そっちに何かあった? エルミラ」

「……いや、すまん。ちょっと触れてみただけだ」


 一言詫び、甲板に向き直る。

 艦長の視界の中、魔法弩は左舷水平方向をキョロキョロと狙っていた。


 デシリア型空間鏡が霊式艦に設置されている理由。

 それは航海のためではない。

 もちろん日常の航海時にも役立つが、本来の用途ではない。


 この呪物の本来の用途。

 それは変幻自在に飛び交う高速の小竜たちをすべて捕捉すること。

 魔法使いたちの肉眼で複数の標的を捉え続けるのは無理だったので、呪物の目で捉えるのだ。

 これなら見逃さない。


 魔法弩も、外すことがある生身の人間が狙うのではなく、霊式艦リル空間鏡デシリアが狙うのだ。


 女将がこの艦を帝国軍にも解放軍にも渡したくないのがよくわかった。

 リルによる複合精霊魔法の力を込めた魔法弩で、デシリア卿が連動して狙ったら、小竜の四個小隊などすべて撃ち落される。


 もし解放軍がこの力を手に入れたら、祖国奪還を果たすだろう。

 元の王家はお飾りになってしまうだろうが、名目上はリーベル王国の復活だ。


 では、その先は?

 竜が脅威でなくなった新海洋魔法王国は次に何を考えるか?

 再び海洋覇権を取り戻そうとするだろう。


 そのとき、邪魔になるのがブレシア帝国だ。

 時を置けば、霊式艦でも対処しきれないほどの大竜騎士団を作るかもしれない。

 痛い目に遭って反省した新生リーベルは、決してその時間を与えないだろう。


 祖国を踏みにじられた恨みも手伝って、解放後は直ちに帝国への遠征が始まる。

 相手は竜を擁する大国。

 コタブレナのときとは比べ物にならない大戦争になる。


 リルは「見てて」と言った後、真っ先に上空に視線を向けた。

 つまりこの艦の敵は空にいるのだ。

 魔力核としてそのことを刷り込まれている。


 ——対竜兵器……


 その言葉が持つ意味が、空間鏡の白点を見つめるエルミラに重くのしかかっていた。

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