8.いつか君と、日向の窓で
その日の夜、僕はこんな夢を見た。
窓辺から柔らかい陽射しが差し込む黒木家の応接間で、年老いた僕と美遊がゆったりとお茶を楽しんでいるのだ。
現実の僕らと違って、二人は同い年くらいに見えた。その関係は夫婦なのか、それともただの家族なのかは分からないけれども……とても幸せそうだった。いつか、二人であんな時間を過ごしてみたいと思うほどに。
とても幸せな気持ちで目覚めることが出来た。
――さて、そこから先の話を少ししよう。
美遊の家出騒動でお世話になった人々にお礼を言って回るついでに、僕らは「婚約」を報告した。
お互いの口約束だけにしても良かったのだけれども、まあ、一応のけじめというやつだ。
ユーキは「いよ! ロリコン! 性犯罪者!」等と茶化してきたけど、小太郎さんや鈴木さんは祝福してくれた。
特に鈴木さんからは「大変な……でも素晴らしい決断をされましたね。何かあれば、引き続きご相談ください」という心強い言葉ももらっていた。
僕はこれから、美遊の贖罪に付き合っていくことになる。鈴木さんはきっとそのことを言ったのだと思う。
まだ具体的に何が出来るのか、美遊にも僕にも分からない。けれども、見守ってくれる人がいることは心強かった。
それから、美遊とお揃いの指輪を買った。決して高いものではないけれども、一応の婚約指輪になる。
本当なら「給料三か月分の~」なんて昭和みたいなネタをやりたい所だったけど、僕はまだ無職だ。無理は出来ないし、何より美遊がそれでいい――いや、「それがいい」と言ってくれていた。
もちろん、婚約の件は祖母にも報告済みだ。
祖母は非常に喜んでくれたけれども、「そうかい、まだ籍は入れないのかい……。ひ孫の顔を生きている内に見たいものだねぇ~」等と、僕にプレッシャーをかけることも忘れていなかった。
ついでにそれ以来、定期的に精力剤を送り付けてくるようになった。全く、祖母には勝てない。あれはきっと百超えても生きる。
さて、懸案事項の僕の再就職だけれども……実は意外なところから声がかかっていた。
ある日、鈴木さんからこんな連絡があったのだ。
『実は、帰還者の為の療養施設を移設予定なのです。今の建物は仮のものでして、ずっと正式な施設を作るべきだと国に上申していたのですが……それが、前回の事件をきっかけに正式に承認されました。建物自体は随分前に押さえてあったのですが――どこだと思いますか?』
鈴木さんにしては珍しい、どこか愉快そうな言い回しで飛び出したその場所の名は……なんと「鎌倉ヶ丘」だった。
しかも建物は、黒木家のほど近くにある、例の「兵庫製鋼」の元社員寮だ。
『首都圏内で、それでいて療養に向いた風光明媚な、なるべく人目につかない場所を探していたら、そこが見事にヒットしたのですよ。私も驚きました。
……それで、ですね。新しい施設は出来るだけ隠密性を持たせたいと思っています。白き魔女の協力のもと、魔法による人払いを正式採用する話も出ています。職員も選りすぐりを各方面から招集する予定です。
ただ、公務員だけでは人員に限界があります。民間からの登用も考えているのですが、本件の特殊性を鑑みて、出来れば事情を知っている人間が好ましい。――そこで、なんですが。清十郎さん、寮監の一人になっていただけませんか?』
なんとも寝耳に水の話だった。
就職先を探していた僕にとっては、ありがたいことこの上ない。けれども、『僕に務まるのだろうか?』だとか、『いずれ役割を終える――終えなくてはならない施設の寮監では、一生の仕事には出来ないのでは?』だとか、色々な考えが頭を巡り、返事は保留にしてあった。
いずれにせよ、よく考えて決めなければならない。
――意外な出来事はそれだけではなかった。なんと、黒木家に新たな住人が増えることになったのだ。
「ヤッホー! 今日からお世話になるわよ!」
「ふふ、本日からお世話になりますね? お兄さん」
リサと白き魔女が、黒木家に下宿することになったのだ。
二人は、黒木家の二階の空き部屋――僕の両親や美遊の両親の寝室だった二部屋に住むことになった。
リサは療養施設に居座る気も、父親や母親の所へ行くつもりもなかったらしい。
白き魔女は、本格的に日本国籍を取得して移転後の療養施設で働くつもりで、近場に住居を探していたらしい。
そんな二人の要請に、僕らが応えた結果だった。あくまでも仮住まいだけれども、少なくとも一年間は同居することになると思う。
――それに、僕としても同居人がいた方が都合が良い。
晴れて両想いになった美遊と二人きりだと……その……折角良い感じで「保留」に出来た関係を、前倒しにしかねない。他人の目というブレーキが必要だ。
主に美遊が……「婚約」を軽く飛び越えようとしてくることがあるので、切に。
……しかし、白き魔女はともかくとして、リサは僕のことを嫌っていたはずだ。それがよく、一つ屋根の下で暮らすことを受け入れたものだ。
それだけ美遊と一緒にいたかったということか。
「ああ、そう言えば二人にはまだお伝えしてませんでしたね? 私こと白き魔女は、本格的に日本国籍をいただきまして……名前も改めましたの」
言いながら、白き魔女が差し出したのは原付免許だった。当面の身分証明書として、自力で取得したらしい。
氏名欄には、「
「これからは『泉お姉さん』と呼んでくださいね?」
白き魔女改め泉さんは、そう言って茶目っ気たっぷりな笑顔を見せた。
なんだか、初めて会った時よりも人間らしくなった気がする。
「うふふ、これから賑やかになるわね?」
言いながら、コロコロと笑う美遊。その笑顔に暗い影は見えない。
――けれども、彼女を蝕む罪悪感はまだ消えてなどいないのだ。未だに美遊は、夜中に悪夢にうなされて眠れず、僕の部屋を訪ねることがあった。そんな夜は彼女を優しく抱きしめて、一緒に眠ることにしていた。
美遊は今でも、「異世界」で犠牲にしてしまった少女達とその遺族に思いを馳せない日はないという。どうすれば償えるのかと、それだけを考え続けてしまうことが多々あるのだ。
もしかすると、美遊がリサと白き魔女――泉さんを黒木家へ招いたのは、同じ罪悪感を共有する人間を近くに置いておきたかったからなのかもしれない。
「さて、じゃあ二人とも。荷物を置いたら四人で買い物に行こうか? 今日は二人の歓迎会だ。僕と美遊に作れるものなら、なんでもリクエストに応えるよ?」
「へぇ? 美遊って料理出来たの?」
「それはもう、『妻』ですから!」
リサの言葉に、「妻」の部分を強調して答える美遊。
まだ婚約止まりなのにもかかわらず、最近の美遊はこうやって「夫婦」をアピールすることが多くなっていた。今すぐ結婚出来ないことを、少し不満に思っていることの
気恥ずかしいけど、嬉しくもある。
――予想外に賑やかな四人暮らしとなった黒木家。きっとこの先の生活は、楽しくもあり大変でもあるものになっていくのだろう。
僕が療養施設で働くか否かに関わらず、帰還者の少女達とも無関係ではいられないはずだ。美遊の「世界」には、間違いなく彼女達も含まれているのだから。
「異世界」で美遊達が負った心の傷が癒えるまでには、まだまだ時間がかかる。それこそ、一生ものになるはずだ。僕らの前には、長くて険しい道程が広がっている。
でもきっと、二人で――いや、皆で力を合わせれば、それさえも乗り越えていけると僕は信じていた。
そしていつか、美遊と二人で何の憂いもない暖かい時間を過ごすのだ。
夢に見た、あの日向の窓で。
(了)
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