7.告白

 「鎌倉西小学校」は、名前の通り鎌倉の西の郊外に位置する市立小だ。創立は昭和四十年代と、市内の小学校の中では比較的新しい。

 けれども、既に築四十年以上。鉄筋コンクリートの校舎は数度の改修工事を経ても、時代を感じさせる色褪せを見せていた。


「――ビンゴだ、清十郎。始業の少し後に、一人で訪ねてきた女の子がいたらしいよ。美遊の写真を見せたら『ああ、この子だ』って、警備員さんが」

「それで、美遊は中に?」

「いんや、今日日きょうびの小学校は、許可証を持ってない人間はおいそれと入れないよ。父兄やOB・OGであってもね。きちんと手続きしないと駄目だ」


 クイクイ、とユーキが親指で指し示す方を見ると、確かに校門はしっかりと閉まっていた。校門の内側には守衛室があって、常に警備員が常駐しているらしい。

 僕らが子供の頃とは大違いの厳重さだ。


「警備員さんの話だと、入れないことを知った美遊は、お礼を言ってどこかに行ってしまったらしい。……どうする? 次は鎌西中カマニシチューにでも行ってみるかい?」


 「鎌西中」というのは、すぐ近くにある「鎌倉西中学校」のことだ。僕とユーキの母校で、本当なら美遊もそこへ通うはずだった。

 でも――。


「いや、美遊は鎌西中へ行ったこともないはずだ。それよりもまず、小学校の周辺を探してみよう。ほら、放課後に皆で遊んだ公園とか、あっただろう?」

「ふむ、一理あるな。よし、私は小学校の周囲をグルっと探してくるから、清十郎は先に公園へ行っててくれ」

「――分かった。また後で」


 ユーキに一時別れを告げながら、近くの公園へと向かう。

 昔はジャングルジムや滑り台、ブランコなんかがあって随分と遊んだものだけれども、今はどうなっているやら。


 そんなことをぼんやりと考えながら公園に向かうと――果たして、美遊がそこにいた。


 公園の遊具は軒並み撤去されて、所々に固定ベンチが置かれているだけという有様だ。そんな見る影も無くなった公園の片隅で、美遊はベンチの一つに腰かけて、じっと空を見つめている。


「――美遊」


 そっと近付き声をかけると、美遊はビクッと身を震わせて……ゆっくりとこちらに向き直った。

 彼女の大きな瞳が、驚きで見開かれる。


「……せーちゃん、どうしてここが分かったの?」

「確信があった訳じゃない。けど、美遊が帰ってきてから、西。美遊が何か、気持ちに一区切り付けたいと思っているなら、小学校に立ち寄ると思ったんだ」

「……せーちゃんは、私のことをよく分かっているのね」


 美遊の言葉に、責めるニュアンスは一切ない。けれども僕の胸にはズキリと鈍い痛みが走った。

 本当に分かっていたら、美遊にあんな壊れそうな表情はさせていない。


「小学校を一度見ておきたかったの。私は結局、卒業出来なかったから。でも、警備員のおじさんに『許可証がないと、事前連絡のない人は入れません』って言われちゃった! 残念……」

「ちゃんと手続きを踏めば入れるさ。なんなら、ユーキに口を利いてもらってもいい」


 じりじりと美遊との距離を詰めつつ、語り掛ける。

 けれども美遊は、珍しく自嘲気味な表情を浮かべながら、こう答えた。


「いいの。私にはもう関係ない場所だって、分かったから。

 あーあ……卒業、ちゃんとしたかったな。せーちゃんと一緒に。中学の入学式も一緒に出たかった。学校生活を楽しみたかったし、中学の文化祭や体育祭というものもやってみたかったし……一緒に中学も卒業したかった。出来れば高校も、大学も、一緒に……。でも、それはもう無理なのね」

「美遊……」


 晴れ渡る空を眺めながら美遊がこぼす言葉の数々が、僕の心にも突き刺さる。

 彼女が夢想しながらも決して手に入れられない学校生活は、僕にとってもそうだったから。


「私ね? 両親やお祖父ちゃんたちのことは忘れても、何故かせーちゃんのことだけは覚えていたの。せーちゃんに会いたい、生きて再会して、また一緒に学校に通うんだって、それだけが心の支えだった。

 でも、せっかく生きて帰ってきたのに、せーちゃんはすっかりおじさんになっていて――学校なんて、とっくの昔に卒業してて」


 自分の心臓ハートを守るように胸に手を当てる美遊の姿は、どこか祈りをささげているようでもあった。


「――それでも、せーちゃんは変わらず優しくて素敵で……やっぱり大好きになった。これから一緒に過ごせるのなら、それでいいと思ってた。もうどうしようもないことはきっぱり諦めて、これからのことを考えようって思っていたわ。

 でも気付いたの。私、せーちゃんにずっと甘えていたんだって。せーちゃんが優しいのをいいことに、甘え続けていたんだって。せーちゃんは自分のことよりも私のことを優先して、自分の人生を送れてないんだって」

「美遊、それは違――」

「それに、私は罪人だから」


 空を眺めていた美遊の瞳が下げられ、僕を射抜く。「それ以上近寄らないで」と言っているかのような視線だった。


「あちらの世界で、沢山の人を死に追いやったわ。直接手を汚さず、呪術という方法で、何人も。皆、自分が生き残りたくて必死なだけだったのに……」

「でもそれは、自分や仲間の命を守る為だったんだろ?」

「ええ。だから私も、自分に言い聞かせて来たわ。『これは仕方ないんだ』『やらなきゃ私達がやられるんだ』って。日本に帰ってきてからも、ずっとそう思ってた。『間違いなんかじゃない』って。自分達を守る為に、あの子達を犠牲にしたことも……私がせーちゃんに抱き続けた思いも。

 あれだけのことをしたのだから、願いが叶わなければ――せーちゃんと一緒に幸せに暮らせなきゃ嘘だ、って」


 美遊の体から、例の黒いオーラが噴出した――ように見えた。そんな感覚があった。

 思えばこの感覚は、美遊が負の感情に取りつかれている時に表れるものだった。


「でも、それはただのごまかしだったのね。きっと私は、私の重荷をせーちゃんにも背負ってほしいだけだったのよ。せーちゃんが自分の生活を犠牲にしてまで私に優しくしてくれるから、甘えていたの」

「……甘えて何が悪いんだ」

「駄目よ。『家族』だって理由だけで、私の罪を一緒に背負ってほしいだなんて、そんなの許されないわ。……せーちゃん。私、家を出て行くわ。それで、リサちゃん達と一緒に――きゃっ!?」


 ――美遊の言葉は最後まで続かなかった。僕が、彼女を抱きしめたから。


「せ、せーちゃん!? 駄目よ、離して――」

「いいや、離さないぞ。絶対に離さないぞ! いいか、よく聞くんだ美遊。――僕は、僕は美遊が大好きだ!」

「……でもそれは、家族としての『好き』でしょう?」

「もちろんそれもある。……けど、違うんだ美遊。僕は……僕は、一人の異性としても君が好きなんだ」

「――っ!?」


 僕の言葉に、美遊の体から抵抗する力が少しだけ抜ける。


「保護者としての気持ちがあるのも嘘じゃない。だから、君への気持ちを認めることが、僕には中々出来なかった。僕はもうこんなおじさんで、十六歳の美遊とは釣り合わないなんて思う気持ちも、かなりある。

 ――天寿を全う出来たとしても、僕は君より何十年も先に死んでしまう。また君を一人にしてしまうんじゃないかって、怖い夢を見たこともある」


 ――「死んでしまう」という言葉に、美遊の身体が少しだけ震えたのが分かった。


「でも、そんな気持ちでも消せないくらいに美遊が好きなんだ。毎日こうやって抱きしめたいし、キスとかそれ以上だって沢山したい。僕は美遊が思うほど聖人君子じゃないんだ。……美遊を守りたいのと同じくらい、独り占めしたいんだ」

「……ええと、その……。せーちゃんは、私と……え、とかも、したいと思うの?」

「したい。凄くしたい。実はめちゃくちゃ我慢してる」

「そ、そうなんだ……」


 僕の腕の中で、美遊の体温が一気に上がるのが分かった。

 ここ最近の僕への過激なアプローチが、実は「肉食獣の檻に裸で飛び込んでいたようなもの」と気付いて、恥ずかしくなったのかもしれない。


 正直、僕だって恥ずかしい。中年のギラギラした欲望を晒すだなんて、美遊に嫌われてもおかしくない行為だ。本当ならもう少しオブラートに包むべきなんだろう。

 でも、恰好つけても仕方がない。ここで僕が自分を偽ることは、全てをさらけ出してくれた美遊を裏切る行為だ。


 美遊の欲しがる甘い言葉だけをささやいても、僕への依存を深めるだけだ。それでは駄目なのだ。

 僕は美遊に、自分自身の意志で未来を選んでほしいし……その上で一緒にいたいのだ。


「だから美遊……僕とずっと一緒にいてほしい。重荷でさえも僕に預けてほしい。君の全部が欲しい。――僕を一人にしないでほしい。僕に。それが僕の願いだ」

「やく、そく……?」

「小さい頃にしただろう? 『嘘吐いたら針千本呑ます』って誓約書を交わしたこと、忘れちゃった?」

「……ううん、忘れてない。忘れるはず……ない」


『せいやくしょ くろき せいじゅうろう

 ぼくはしょうらい、みゆちゃんをおよめさんにもらうことを、やくそくします

 うそついたらはりせんぼんのみます』

『せいやくしょ くろき みゆ

 わたしはしょうらい、せーちゃんをおむこさんにすることを、やくそくします

 うそついたらはりせんぼんのみます』


 ――幼い頃に交わした、僕と美遊だけの秘密の約束だ。


 美遊の手が控えめに僕の背中に回され、ぎゅっとしてくる。

 僕も彼女を抱きしめる手に更に力を入れ、二人の隙間が少しでもなくなるようにと想いを込める。美遊の柔らかい肢体が、僕の腕の中に収まる。


「美遊ってさ……」

「なぁに? せーちゃん」

「結構、着痩せするタイプだよね。こんなにとは予想外だった」

「――っ!? も、もう! せーちゃんのえっち!」


 美遊がぱっと手を放して、を僕から引き離そうと腕を突っ張るが、僕は力を緩めない。


「美遊、この通り僕は普通にスケベで、君のことが大好きすぎて、保護者のくせに君を手籠てごめにしたいと思ってしまう、悪い大人なんだ」

「わ、私、手籠めにされちゃうの……?」

「うん、する。――といっても、今すぐじゃないさ。まずは落ち着いて生活出来るようにならないと。僕の再就職、美遊の高卒認定試験……家も本格的にリフォームするか、それとも頑張って買い手を探して手放すか、そろそろ真面目に考えないといけない。他にも……沢山」

「……やらなくちゃいけないことが、山積みなのね」

「そう、山積みなんだ。だから、今すぐどうこうしようとは言わない。時間はかかるかもしれないけど……少しずつでもいいから進んでいこう?」


 美遊は諦めたのか、再び僕の背中に腕を回してきた。今度は更に控えめに。どうやら恥じらいが出て来たらしい。

 ――けれども、これでいい。この距離感でいいのだ。


「もちろん、これは僕の我儘わがままだ。美遊には自分の思う通りに生きてもらいたいとも思ってる。僕に愛想が尽きたら、新しい恋を見付けてくれたっていい。――でも、もし色々片付いた後でも僕のことを好きでいてくれたなら、その時は僕との約束を果たしてくれるかい?」

「私がせーちゃん以外の人を好きになるはずなんてないわ。……せーちゃんこそ、こんな重たい女の子でもいいの? 私、人殺しの上に嫉妬深いわよ?」


 お互いにどこか歪んだ告白プロポーズの言葉を送りあい、苦笑いする。

 僕らはそのまま、言葉の代わりにお互いの体をより強く抱きしめあうことで返事とした。


 本当なら、「二人は幸せなキスをしておしまい」の方が絵になるんだろうけど、そういうのは後回しでいい。まだ、何も終わってなどいないのだ。僕らは僕らのペースで進んでいけば良い。

 仮令たとえその先にあるのが、今描いている未来とは異なるものであってもだ。二人が将来別々の道を歩むことになっても、今この時に交わした新たな約束が偽物になる訳ではないのだから――。



   ***



「なんだい、チューくらいするかと思ったのに……。そっか、君はあくまでもその道を選ぶんだね、清十郎。君が選んだのは、誠実だけど辛い道のりだ。美遊を自分に依存させれば、君はもっと楽だろうに……。でも、そんな道を選ばず、美遊の未来を閉ざさなかった君を、私は誇りに思うよ」


 ――ユーキは一人、公園の外から清十郎と美遊の告白シーンを覗き見していた。


「――、かな? うん、でも堅物の清十郎を、実質的には美遊の勝ちかもね。

 清十郎、君は美遊が他の誰かを愛する未来をも受け入れるつもりなんだろうけど、それはあり得ない。君はもう、美遊からは逃げられないよ。そんなに愛されて……全くうらやましい限りだ! これからも末永く苦労するんだね、我が親友!」


 そのやや不穏な言葉を、清十郎は知る由もなかった。



(GOOD END?)


(もう少しだけ続きます)

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