5.少女たちの檻

 「未帰還者の遺族」――その言葉に、少女たちから笑顔が消えた。

 部屋の中からは、ざわざわと戸惑いに満ちた囁きが聞こえ……「死んだ誰かの母親」の肩を支える美遊の手は、震えていた。

 けれども――。


「……娘さんのお名前をお聞きしても?」


 美遊は気丈にも、そんな言葉を口にしていた。手の震えを必死に抑え、瞳を揺らしながらも、女性の目をまっすぐに見て。


「あ、あの! 娘の名前は黒崎幸子くろさき さちこと言います! ご存じありませんか!?」

「クロサキ……サチコさん?」


 女性の言葉に、美遊が眉をひそめる。どうやら心当たりが無いようだった。

 室内からも「聞き覚えある?」「ううん、違うサチコちゃんならいるけど」等と、戸惑いの囁きが漏れ聞こえてくる。

 美遊たち「帰還者」とは面識のない子だったのだろうか?


「娘さんの写真はありますか?」

「あ、はい! こちらです……どうか……少しでも良いのです。娘の行方を……」


 女性が震える手で巾着の中から一枚の古い写真を取り出す。

 色褪せた写真の中では、背の高い中学生くらいの少女がキリっとした笑顔を見せていた。これが彼女の娘さんらしい。


「この子は……だわ」

「っ!? そ、そうです! 娘は友達からは、苗字と名前から一文字ずつを取って『黒子』と呼ばれていました! ご、ご存じなのですか!?」

「本名も今知りました。でも、よく知っています。彼女は――」


 美遊が意を決したように口を開きかけた、その時――


「美遊、アタシが話すわ」


室内からリサが顔を出し、美遊の代わりに女性と向き合った。


「オバさん。残念だけど……黒子はもういないわ。だいぶ前に死ん……亡くなってるの」

「う、嘘よ! こんなに帰ってきた子がいるのなら、娘だって帰ってきてもいいものでしょう!?」


 リサの言葉に女性が目に見えて動揺し始めるが、リサはゆっくりと首を横に振り、続けた。


「黒子はアタシと同い年で、他の子たちより背も高かったから『皆のお姉さん』みたいな子だった。槍が上手くて、いつも年下の子たちを守って勇敢に戦っていたわ……。でも、最期は怪物に……。ごめんなさい、アタシは何も出来ませんでした」


 言いながら、深く頭を下げるリサ。

 そう言えば、以前リサから聞いた話に「槍使いの黒子」という少女が出てきたはずだ。確か彼女は、怪物の群れから逃げる最中に助ける間もなく喰われてしまったと聞いている。

 その時リサに出来ることはなかったのだから、本来は謝る必要がない。けれども、彼女はあえて謝った。その意味するところは――。


「……どうして? どうしてよ! どうしてうちの子を助けてくれなかったの!? どうしてあなた達だけ生き残っているの! 答えて! どうして……どうしてよ!」


 女性が、壊れたレコードのように「どうして」という言葉ばかりを繰り返しながら、リサに詰め寄る。

 バシバシと、下げられたリサの頭を平手打ちするが――それでもリサは頭を上げず、耐えている。慌てて鈴木さんが止めに入ろうとするも、リサはそれを手で制して、延々と女性からの責めを受け続けた。


 ――室内からは、少女たちのすすり泣きが漏れ始めていた。



   ***


「――本当に、申し訳ありませんでした!」


 数十分後。女性と彼女を連れてきた男性は、駆け付けた警備員にどこかへと連れられて行った。

 そして少女たちが落ち着いた頃を見計らって、鈴木さんが深く深く頭を下げ始めたのだ。


 黒子という少女の母親を連れてきた男は、「未帰還者」の遺族への連絡担当官だそうだ。

 どうやら、連絡の為に足繁あししげく遺族のもとへ通っている内に同情心が募ってしまい、「帰還者の少女たちに話を聞きたい」という黒子の母親の懇願を聞き入れて、密かにこの施設へと引き入れてしまったらしい。


「鈴木のオッサンが謝ることじゃないでしょ? ……ああいや、アンタだったっけ? でもね、どちらにしろアタシ達は誰も、アンタの落ち度だなんて思ってないから。遅かれ早かれ、こういう日が来るって覚悟してたし……。黒子のママだっただけ、少しはマシだったしね。

 それよりも、美遊!」


 リサは鈴木さんを責めずに、何故か美遊に厳しい視線を向けた。

 当の美遊は――とても悲しげな表情を浮かべて、黙ってリサの言葉に耳を傾けようとしている。


「美遊、アンタ……あのオバさんの娘が誰かなんて関係なく、『私のせいです』とか抜かそうとしてたでしょ? アタシが……アタシ達が気付かないとでも思った?」


 リサの言葉に、美遊が一瞬身を固くした気配があった。恐らく、リサの言っていることが図星だったのだ。

 ……僕も驚いていた。美遊が率先して娘さんの名前を尋ねたのには、そんな理由があったのか、と。

 つまり美遊は、相手がただ怪物の犠牲になった少女の遺族でも、この場にいる誰かのせいで死んだ少女の遺族でも、変わらず「自分のせいだ」と言おうとしていたことになる。――遺族の怒りややるせない感情を、全て自分へ向けようとしたのだ。


「美遊。確かにアンタは、あっちの世界でアタシ達の女王リーダーだった。でもね、こっちに帰って来たんだから、もうそういうのは止めにしない? そりゃあ、アタシ達を庇おうとしてくれたことは嬉しいけどさ――アンタも、もう少し自分の事だけ考えても、いいんだよ? アタシ達だって、いつまでもアンタに守ってもらうわけには……いかないんだから。

 みんな、自分の足で歩こうと必死になってる。まだどうすればイイのか全然分からないけど……みんなでガンバろうって。――だから、アンタ一人が犠牲になるとか、そういうのはもう止めよ?」


 リサの言葉に少女たちは、あるいは決意のまなざしと共に頷き、あるいは涙を流し、あるいはそれを慰めるなど、様々な反応を見せていた。

 それに対し美遊は――申し訳なさそうな表情を浮かべ俯くだけで、何の言葉も返せずにいた。



   ***


 結局その日は、そのままお開きとなってしまった。

 鈴木さんはずっと頭を下げっぱなしだったし、リサ達は一人ずつ美遊の手を握り、「また会おうね」と声をかけ続け、別れた。


 帰りの電車の中で、美遊はずっと無言だった。

 けれども、僕の手をずっと握っていたので、僕はそれを決して離さず優しく握り返し続けた。


 鎌倉駅へ着くと、僕らは鎌倉ヶ丘行きのバスへと乗り込んだ。

 時刻は既に夕方を過ぎ、昼間からの混雑が更に混迷を増す時間帯。鎌倉ヶ丘まで、下手をすると一時間近くバスに揺られる必要がある。

 満杯のバスの中、僕らは最後部のベンチシートを運よく確保し、美遊を窓際に座らせた。


「……」

「……」


 そのまま、お互い無言の時間が続く。その沈黙は、乗客が一人降り二人降り、段々と少なくなっていっても続いた。その間も僕らは手を握り合ったままだ。

 けれども、僕ら以外の最後の乗客が降りていった後、美遊はそっと僕の手を離すと、消え入りそうな声でポツリと言葉を漏らし始めた。


「せーちゃん……あのね? 私……私は……」


 窓の外へ視線を向けたまま、美遊が呟く。ガラスに映ったその表情は、泣いているように見えた。


「異世界で……人を殺したの。呪術で、何人も……」


 美遊はきっと気付いている。僕が既にそのことを知っているという事実を。

 けれども彼女は、あえて言葉にしてみせたのだ。何かの覚悟を秘めて。


 だったら、ここが間違いなく分水嶺だ。

 決して答えを間違ってはいけない。間違えたら――美遊を失ってしまうかもしれない。

 だから僕は、離された手を今度はこちらから繋ぎ、その言葉を口にした。


「美遊。僕がずっと傍にいる。頼りないかもしれないけど……どうか僕を頼ってほしい」


 ――バスは鎌倉ヶ丘の急な坂道へと至り、右へ左へと忙しなく曲がり始めた。

 その揺れで美遊が姿勢を崩し、そのまま僕の胸に倒れるように飛び込んでくる。僕はそっと、出来る限りの優しさをもってその身体を抱きしめた。


「……やっぱり、せーちゃんは優しいのね」


 僕の胸に顔をうずめたまま、美遊がそんな呟きを漏らす。

 僕はそんな彼女のことを、バス停に着くまで抱きしめ続けた――。



 そしてその翌朝、美遊は黒木家から姿を消した。

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