3.君のやりたいことをやれ

 その日は昼食を済ませてから、美遊と一緒に鎌倉ヶ丘を散歩して歩いた。美遊が桜を見たいと言ったのだ。


「見て見てせーちゃん! まるで桜のトンネルみたい!」


 鎌倉ヶ丘の道路は狭い。その分、道の両側に生えている桜の枝同士が互いに触れ合い、文字通り桜のトンネルになってる場所も多かった。

 寿命や病気で幾つかは枯れてしまったので、僕らが子供の頃よりも数は減っているけれども、それでも見事な桜並木だ。


 だからなのか、市の内外からわざわざ鎌倉ヶ丘まで桜を見に来る人も多い。

 殆どの人は徒歩だけれども、中には自動車でやってきてノロノロと運転しながら桜見物と洒落込む不埒者もいる。ただでさえ狭く曲がりくねった鎌倉ヶ丘の道路を、フラフラ運転の車が走っていく様は、危ないなんてものじゃなかった。

 そのせいもあって――。


「せーちゃん。車が危ないから、もっとくっついて歩きましょう?」


 美遊は、僕にぴったりと体を寄せながら歩いていた。

 これはかなり恥ずかしいし、それなりに人通りもあるので周囲にどんな目で見られているのか、怖くもある。

 でも、それ以上に「悪くない」という思いもあった。


 そんな、どこか甘い雰囲気を漂わせながらの美遊との散歩だったけれども、良いことばかりでもない。


「随分と空き家が増えたのね……」


 美遊が、道沿いの家にかかった「売り家」の看板に寂しげな表情を見せる。

 何分、鎌倉ヶ丘は不便すぎる場所だ。代替わりや、うちの祖母のように足腰を悪くしたことをきっかけに、ここを去ってしまう住人も少なくなかった。

 時折どこかのお金持ちが騙されて引っ越してくることもあるけれども、何年かすると不便さに耐えかねて出て行く、なんてケースもある。住民自体は減る一方なのだ。


「そうだね。兵庫製鋼の寮も随分前に閉めちゃったらしいから。寂しくなる一方だね」

「兵庫製鋼の寮って……うちの近くにあった、あの大きな建物?」

「そうそう。鎌倉ヶ丘唯一の大型物件の、あれさ」


 鎌倉ヶ丘には、お屋敷はあれどマンションのような大きな建物は殆どない。唯一存在する大型物件が、兵庫製鋼という会社の社員寮だった。

 兵庫製鋼は鎌倉ヶ丘開発に携わった企業の一つだ。バブルの頃までは神奈川県内にも大きな工場があって、そこで働く人達の為に建てたのだとか。


 でも、その工場も何年も前に閉鎖。

 その後、社員寮は保養施設や研修施設として使われていたのだけれども、不況の波には勝てず閉鎖され売りに出されたそうだ。既にどこかへ売却済みらしい。


 静かな生活を送るのなら、鎌倉ヶ丘は決して悪い場所じゃない。

 けれども、活気の失われていく土地で暮らすのには、そこそこの覚悟と、何より先立つ物――つまりお金が必要だ。今はまだ余裕があるけど、僕の貯蓄だっていずれは尽きる。

 美遊を守って生きていこうというのなら、この点からは目を背けられないのだ――。


   ***


 その日の夜、自室へ戻るや否や、僕はユーキに電話をかけていた。

 要件はもちろん、美遊のことだ。鈴木さんから聞いた話を踏まえて、一度彼女にも相談しておきたかったのだ。


『――美遊の心境に変化が起こっているのは、まず間違いないね。それは私も感じてる』


 今朝の鈴木さんとのやりとりをかいつまんで伝えると、ユーキは「あくまでも私見だけど」と前置きしてからそんなことを言ってきた。


「具体的には?」

『そこは逆に聞くけど、清十郎はどう思ってるんだい? 「最近、美遊のおっぱいが大きくなってきた気がするなぁ」とか、そんな感想でもいいから言ってみなよ』

「……茶化さないでくれよ」


 最近は真面目モードも多かったが、ユーキは基本こういうふざけた奴なのだ。僕も少し忘れていたけど。


「そうだな……何となくだけど、以前よりも自立することに対して前向きに見える。でもそれと同じくらい、僕にくっついてきたりすることが増えていて――」

『理性が持ちそうにない?』

「……恥ずかしながらそれはある。けど、とりあえず僕のことは置いといて、だ。何だか最近の美遊は、焦っているように思うんだ」


 ――そう。最近の美遊は何かを焦っているようにも見える。


「未帰還者の遺族に連絡を取りたがっていた件と、自立に前向きになった件。それと僕へのアプローチが過激になってきた件は、一本の線で繋がっているように思えるんだよ」

『ふむふむ。清十郎はその一本の線に心当たりがあるんだね? いいよ、焦らずに君の言葉で言ってみて』


 今度は茶化さず、僕を勇気付けるようにユーキが促す。


「……美遊は、何らかの形で『異世界』での罪を償おうとしているように見えるんだ。それが何なのかは分からない。でも、それに僕を付き合わせる気が無いんだと思う。未帰還者の遺族の件で、何の相談も無かったからね。

 それで……僕へのアプローチが過激になった件は、その……自意識過剰って言われるかもだけど」

『大丈夫、笑ったりしないから言ってごらん?』


 ユーキはあくまでも優しい声音のままだ。それに後押しされるように、僕は意を決して口を開く。


「美遊は一人で贖罪しょくざいに向かう為に、僕への想いに一区切り付けようとしてるんじゃないかって思うんだ。その……

『一線越える? 具体的には?』

「ちょっ!? いや、分かるだろ! アレだよ、アレ!」


 ――やけに優しいと思っていたらこれだ。いや、引っかかる僕も僕なんだけど。

 僕だって、今更「その言葉」を口にするのが恥ずかしいって訳じゃないが、想定している相手が美遊だと流石に……口にしづらい。色々な意味で。


『あっはっは、清十郎は可愛いなぁ。私は君の初体験の相手だってよく知ってるんだ。今更恥ずかしがることないだろ?』

「……むしろそれが一生分の恥だよ」


 ――余談だが、僕の元カノ事情や「どこまでいったか」等の情報は、余すことなくユーキに把握されている。

 何せ、僕が付き合ってきた数少ない女性達は、皆ユーキ経由で知り合った子だったのだ。それはもう筒抜けである――。


『――さて。真面目な話に戻るけど、私の考えも清十郎の推測に近い。美遊はね、この数ヶ月で失っていた色々な感情を取り戻しつつあるんだよ。清十郎が言っていた罪悪感もその一つだろう。

 君への執着や依存も、家族や想い人としての愛に傾きつつあるように見える。そこは己惚うぬぼれていいと思うよ、清十郎。

 そして、それ自体はいいことなんだ。美遊が普通の少女に戻り始めた証拠だからね。でも、彼女が。「異世界」で犯した罪の重さに耐える為に普通じゃなくなったのだから、当たり前の話だ。普通のままでは耐えられない経験を、あの子は強いられてきたんだから』


 ――美遊が、普通の少女らしい感性や感情を取り戻せば取り戻す程、罪悪感も増していく。

 それは……それはなんて、残酷な話だろうか。


「ユーキ。僕は……僕は美遊に何をしてあげればいいんだろう?」

『前も言ったかもだけど、それは自分で考えな。私から言えることがあるとすれば、「何をしてあげるか」じゃなくて「君が何をしたいのか」を大事にしろ、くらいだよ。君はいつまで、美遊にとっての「優しいせーちゃん」でいるつもりなんだい? もっと自分勝手になっても罰は当たらないはずだよ』

「――っ」


 「いや、僕は美遊を手元に置いておきたいというエゴを押し通して来たぞ」と答えようとして、言葉に詰まる。

 ――果たして、それは本当に「僕がしたいこと」だったのだろうか? 僕はただ美遊を守ろうとするだけで、本当の意味での望みを表に出したことは、一度として無いんじゃなかろうか。


『あと、いい加減に就職活動したらどうだい? 多分だけど、美遊は自分のせいで君が無職を続けてると思い始めてるよ? 自立に前向きになり始めた理由の何割かは、むしろそっちじゃないかな?』

「……善処します」


 相談と言うよりお説教といった感じになって、その日の通話は終わった。

 思えば、ユーキには沢山迷惑をかけられてきたけれども、同じ位に、あるいはそれ以上に世話にもなっている気がする。「親友」とはよく言ったものだ。


 その友情に報いる為にも、僕は向き合わなければならない。

 美遊の心にも、僕自身の心にも。

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