2.舞い散る桜のように
四月上旬、鎌倉ヶ丘ではソメイヨシノが見頃を迎えていた。住宅地として開発が始まった頃に、そこかしこに植樹されたものがまだ沢山残っていて、見事な花を咲かせるのだ。
満開になり、ハラハラと桜の花びらが舞い散る姿は、それはそれは美しい。……のだけれども、風に乗った花びらが黒木家の敷地内にも降り積もるものだから、掃除が大変な時期でもあった。
ということで、その日も僕は朝から階段の掃き掃除に追われていた。
落ち葉と違い、桜の花びらはすぐに
――鈴木さんから電話があったのは、その掃き掃除も終わりに近付いた頃だった。
『急にお電話してすみません……今、お話よろしいでしょうか? 出来れば近くに美遊さんがいらっしゃらない方が望ましいのですが』
「あー……大丈夫です。この時間、美遊は自室に籠って勉強してますから」
チラリと家の様子を窺うと、美遊の部屋の窓は閉まったままだった。大きな声で話さなければ、電話の内容を聞かれることはないはずだ。
「それで、お話というのは? やはり美遊のこと、ですよね」
『はい。実は先日、美遊さんからお電話をいただきまして。その内容について、清十郎さんと共有する必要があると考えたのです』
「美遊が鈴木さんに直接電話を……?」
確かに、彼女に買ってあげたスマホには、お祖母ちゃんやユーキの他に、鈴木さんの連絡先も登録してあった。美遊が鈴木さんに電話をかけること自体は、何もおかしいことではない――が、その内容が問題らしい。
『清十郎さん。美遊さんは私に、未帰還者のご家族に連絡が取れないかと、尋ねてきたのです』
「えっ……?」
「未帰還者」というのは、「異世界」から帰ってこられなかった少女達の総称だ。
「異世界」の件が一段落したことに伴い、政府と警察は拉致被害者の確定作業を始めていた。その一環として、三月には帰還者の少女達へのヒアリングが行われた――「異世界」で命を落とした少女の名前や特徴を確認する為のものだ。
当然、美遊もヒアリングを受けていた。
美遊達の話と行方不明の子供達のリストを突き合わせた結果、既にかなりの数の「未帰還者」が特定されているらしい。
特定出来た少女達は正式に「死亡」扱いとなり、順次家族への通達が行われていると、鈴木さんから聞いていた。
「美遊は、連絡を取りたい理由について何か言っていましたか?」
『はい。せめて親御さんにお子さんの最期を報せてあげたい、とのことでしたが……丁重にお断りしました。清十郎さんも白き魔女からお聞きになっていると思いますが、未帰還者の一部は怪物ではなく、同じ人間の手によって亡くなられているのです。私共としても、帰還者と未帰還者のご遺族の接触には、細心の注意を払っています』
それはそうだろう。恐らく、帰還者の中には未帰還者の誰かを手にかけた少女も混じっているのだ。おいそれとその遺族に会せるわけにはいかない。
――そしてそれは、美遊にも言えることなのだ。
『実は、最近になって帰還者の方々の中に、美遊さんと同じように未帰還者のご遺族へ連絡を取りたいと言い出す方が増えているのです。理由もほぼ同じです。以前はそんなことは無かったのですが……』
「心境に変化が起きた、と?」
『ええ、恐らくは。我々は、帰還者の方々が「異世界」で行った他者に対するあらゆる行為とその結果について、責任を追及しないという方針をとっています。殆どの帰還者の方々がそれに賛同してくれていたのですが……一部の方には罪悪感が芽生え始めてしまったようです』
「罪悪感、ですか」
『――敵はやられる前にやらなくちゃ』
いつぞやの美遊の言葉が、僕の脳裏に蘇る。
あの時の美遊は、自分や親しい人々の身の安全を脅かす存在を「敵」と認識し、呪術で攻撃することを全く
白き魔女によれば、その美遊の考え方は「異世界」で敵対していた「赤の組」の少女達に向けられていたものなのだという。自分や仲間達の命を守る為に――生き延びて、再び僕と会う為に。美遊はその
最初の内こそ戸惑いもあったようだが、次第にそれも消えていき――美遊は「黒の女王」と呼ばれ、恐れられる存在になっていったのだ。
――でも、そんな美遊が今、「未帰還者」の遺族に連絡を取りたいと言っている。
もしその動機が、鈴木さんの話にあった他の帰還者の少女達と同じものだったとしたら……美遊は取り戻そうとしていることになる。他人を傷付けることへの「罪悪感」を。
それ自体は、むしろ喜ばしいことではある。失ってしまった幾つかの人間性の一つを、美遊が取り戻そうとしていることの証左なのだから。
けれども、美遊が「未帰還者」の家族に会いたいという気持ちが罪悪感に根差しているのなら、その目的は「彼女達の最期を伝える」だけに留まらないかもしれない。
――それこそ、「私が殺しました」と懺悔し始める可能性だってある。
いくら司法が責任に問わないと言ってくれても、罪悪感が消えるわけではない。
「誰かを犠牲にしてしまった」という想いを、美遊も他の少女達も抱えて生きていくことになる。それは、なんて辛いことだろうか。
『実は、他にも問題が山積みなのです。白き魔女と共に帰ってきた、「最終帰還者」の方々の多くはまだ、親元へ帰れていません。最後まで戦場に残っていた影響からか、日常に溶け込むことが難しい方も多く……。それに加えて、親側にも問題が発生していて引き取りを拒否されるケースも、幾つか発生しています』
「なっ!? ……せっかく戻ってきた娘さんの引き取りを拒否してる親がいるんですか?」
一瞬大きな声を出してしまい、慌てて声を潜める。家の様子を窺うが、美遊に気付かれた気配はない。
――もう少し気を付けなければ。
『ええ。とは言っても、やむを得ない事情を抱えている方も多いのです。娘さんの行方不明を切っ掛けに離婚されたり、一家が離散してしまっていたり、そもそもご両親が亡くなられていたり……。実は、清十郎さんもご存じのリサさんも、まだ東京にある政府の施設で保護している状態なのです』
「え、リサもですか? 確か、お父さんにはすぐ連絡がついたんですよね」
リサは父親の実家のある九州へと旅立っていたはずだ。それがいつの間にか、東京にある施設で保護されていたなんて……。一体何があったのだろうか?
『実は、リサさんのご両親は大分前に離婚されていて、お母様は母国のスウェーデンに帰国され、そちらで新しい家庭を持たれているそうなのです。お父様もそうです。故郷の九州で、新しい妻子と暮らしています。
お二人共、リサさんの引き取りを希望されているのですが、当のリサさんはどちらの家に行くのも嫌だ、と仰っていて……我々としても何が最善なのかを探っている状態なのです』
「そんな事情が……」
別れ際のリサは、父親に会えることで喜びいっぱいだった。
それがまさか、二ヶ月ほど経った今になっても落ち着くどころかこじれる一方だなんて……酷すぎる話だ。
『……すみません、少し話がそれました。とにかく、「異世界」の諸問題に一応の決着がついたことで、帰還者の方々の心境にも変化が出始めているようなのです。美遊さんの様子にも、いつも以上に気を配ってあげてください』
「分かりました。ユーキ……浅川さんとも相談してみます」
――鈴木さんとの通話を終え、僕は深い深いため息を吐いた。
美遊が僕には内緒で、未帰還者の遺族と連絡を取ろうとしていた。その行動の裏にあるのは、恐らく罪悪感で……。何だか、とても嫌な予感がした。
もし、美遊が
ハラハラと舞い落ちる桜の儚さが、何故だか美遊の姿と重なって見えた。
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