7.少女はかつて荒野に

「――清十郎、流石にショックだったかい?」


 気遣うようなユーキの問いかけに、なんとかコクンと首を縦に振る。

 本当は分かっていたことだ。美遊が「異世界」とやらでどんな生活を強いられてきたのか、断片的にでも知ったその時から、覚悟していたことだ。

 それでも、「美遊なら大丈夫だ」と、心のどこかで希望的観測に身を委ねていた。


 ――美遊の倫理観は壊れてしまっている。

 全てではないけれども、大切なコアの部分に致命的な欠落が生じてしまっているのだ。


 その美遊は今、会議室の中でユーキが招いた講師の人から、とある講義を受けている。

 美遊が課長に呪いをかけたことに対してのもの――ではなく、前々から決まっていたものだ。本当ならば、美遊と膝を突き合わせて話し合いをしたい所だけれども……今回の講義は、ユーキの入院で一度延期になっているのだ。講師の人の予定もあるので、これ以上延ばす訳にはいかなかったらしい。


 映像資料を伴った専門的かつセンシティブな内容らしく、僕とユーキはその間、会議室の外で待機しているという訳だ。

 会議室の中からは、講師の人の声と美遊の声とが時折漏れ聞こえてくる。美遊の声は落ち着いたトーンで、「どこにでもいる普通の少女」としか思えない。


「清十郎。少し嫌な話になるが、いいかい?」


 ユーキが背後の扉を気にしながら、小声で尋ねてくる。どうやら、美遊には聞かれたくない話らしい。


「……美遊のことか?」

「うん。まずは謝らなくちゃいけないんだけど、私は美遊が抱えているに気付いていたんだ。……鈴木さんの方からも、美遊が異世界? とやらでどんな仕打ちを受けていたか、聞いていたからね。

 ……清十郎は、『少年兵』って言って分かるかな?」

「年端も行かない子供を兵士として扱うって、あれか?」


 僕の言葉に、ユーキがコクリと頷く。

 その表情は暗く硬い。そう言えば、ここ最近で彼女のこんな表情をよく見ている気がする。


「今の日本じゃ殆ど例がないけど、海外では少年兵の問題が深刻でね。国や軍隊、テロ組織なんかに強制的に徴用されて、それは過酷な扱いを受けるんだ。多くは最前線に駆り出されて人間の盾にされたり、大人の兵士達が嫌がるような汚れ仕事を押し付けられたり……様々さ。

 その存在が倫理上許されないことに疑いはないよね? だから、国際機関なんかが彼らを救うために手を尽くして、実際開放された少年兵も多いんだけど……助けた後がまた問題でね」


 ――背後の会議室からは、講師と美遊以外の声も漏れ聞こえ始めた。どうやら、映像教材とやらの再生が始まったらしい。


「戦場で殺し合いを強いられていた少年兵が平和の中に戻された場合、どうなると思う? 多くの子は、平和な日常に馴染めないで問題行動を起こすようになるんだ。テロ組織にいた場合は、そこにおかしな思想なんかも加わってきて、日常に溶け込むことがより難しくなる。

 ……中には、自分の家族や里親の元から逃げ出して、ストリートチルドレンやギャングになってしまう子供たちもいる。周囲も根気強く心のケアに励むけど、全ての子供が救われる訳じゃない」


 ユーキは、皮肉めいた笑顔を浮かべながら語り続けた。

 そう言えば、彼女の専門の一つは、何らかの問題を抱えて教育を受けられなくなった子供のケアだったはずだ。そういった実例についても、目にしたことがあるのかもしれない。


「美遊の心理状態は、少年兵たちのそれによく似ている。普段は、十一歳までに培った『今までの美遊』が顔を出しているけれども、その内側には私達の知らない『異世界で戦いを強いられた美遊』がいるんだ。

 ――正直、私も少し油断はしていたんだ。美遊は良い子のままだったからね。でも、今回の件ではっきり分かった。彼女の日常を本当の意味で取り戻すのには、時間と根気が必要だ。……その覚悟はあるかい? 清十郎」

「――当たり前だ」


 真剣な眼差しで尋ねてくるユーキに、僕は力強く頷いてみせた。

 「僕に何が出来るのだろうか?」と弱気に思う気持ちもある。けれども、僕は美遊が幸せな人生を取り戻せるのならば、何だってすると決意したのだ。

 残り何十年かあるだろう僕の人生を、そのことに捧げたっていい。


「うん、その言葉が聞きたかった。私も、公私問わず出来るだけ協力するつもりだけど……『家族』の君にしか出来ないこともある。頑張りなよ、清十郎」

「ああ。僕も全力を尽くすから……ユーキもどうか力を貸してほしい」


 多分、ユーキにはこれからも世話になると思う。おそらく、彼女の仕事という領分を越えて、だ。

 だからせめて、僕は深く頭を下げて感謝の意を示したのだけれども――。


『あらあらあらあら! まあまあまあまあ!!』


 その時、会議室の中から美遊のそんな悲鳴(?)のような声が響いた。


「っ!? 美遊!」

「あ、ちょい待ち清十郎」


 美遊の一大事かと会議室に乗り込もうとした僕を、ユーキが首根っこを掴んで取り押さえる。


「なんで止めるんだ!? 美遊の今の声を聞いただろう?」

「ちょいちょい、落ち着いて落ち着いて。耳を澄ませてごらんよ」


 慌てた様子もなく落ち着き払ったユーキの様子を訝しがりつつ、言われるがままに会議室の中の様子を窺うべく耳を澄ませる。

 すると、映像教材の音声に混じって、美遊と講師が何やら話している様子が聞こえてきた。美遊はなんだか興奮した様子で、講師の人がそれをなだめているような感じだ。

 確かに、心配するような事態にはなっていないらしいが……。


「……なあ、ユーキ」

「なんだい、清十郎」

「今、美遊が受けてる講義って、どんな内容なんだ? 僕は専門的かつセンシティブな内容、としか聞いてないんだけど」


 僕の言葉に、ユーキがキョトンと首を傾げる。

 実は、今回の講義について、僕はその内容を全く知らされていない。美遊が「せーちゃんは知らなくていい」の一点張りで、教えてくれなかったのだ。

 ユーキはすぐにそのことを察したのか、満面の笑みを浮かべながら、こんな答えを返してきた。


「ああ、そうか。清十郎は聞いていなかったんだね。美遊が受けているのは、

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る