8.桃色の研究

「美遊が受けているのは、

「……今なんてパードゥン?」

「だから、性教育。観せているのも、いわゆる『性教育のビデオ』だよ。小学校の時に私らも観ただろ? あれの現代版」


 言われてみれば確かに、小学生の時にそういったものを観せられた記憶がある。

 二次性徴を迎えた女の子や男の子が登場して、様々な悩みを抱きながら、周囲の大人たちと相談して折り合いをつけていく……と言った内容だったと思う。

 当然、妊娠や出産に関わる知識――性行為についても触れられている。


「なんで、今?」

「なんでって……ああ、やっぱり気付いてなかったか。あのね清十郎、美遊の性に関する知識の一部は、小学校五年生以下のレベルで止まってるんだよ。ほら、美遊が帰って来てから、私が最初に君の家へ行った日のこと、覚えてる? 私が『美遊に手を出す素振りがないんだって?』ってからかった時。

 あの直前にね、美遊が不思議そうに尋ねたんだよ。『せーちゃんがいくら誘っても一緒に寝てくれないんだけど、どうしてだと思う?』って。……だから私、もしやと思って男女が同衾どうきんすることの意味を少しレクチャーしたら、真っ赤になっちゃってさ」

「ああ……」


 そう言えば、そんなこともあった。

 あの時は、ユーキのセクハラに照れているだけかと思っていたけれども、どうやらもっとの話だったらしい。


「性行為に関する知識はあるにはあるけど、それが実際の行動と直結していないというか……全体的になんだよ、今の美遊は」

「チグハグ?」

「うん、チグハグ。清十郎と一緒に仲良く寝たいという幼児性と、思春期らしい性への興味と羞恥心が両立していると言うか、上手く噛み合っていないというか……。一緒に寝ることによってあり得た『その先』の可能性を、自分では全く想像していなかった割に、私が指摘すると理解して恥ずかしがったり。

 傍から見たら誘惑しているようにしか見えないのに、本人には全くその気がない。知識と心と認識がうまく噛み合っていない感じがするんだ。――何にしても、一時の欲望に負けて手を出さなくて良かったね、清十郎」

「……そもそも手を出す訳ないだろ」


 ――等とユーキ相手に強がってはいるけど、少しも心が動かなかったと言えば嘘になる。

 美遊は時々、やけに色っぽい仕草を僕に向けることがあった。ユーキの話が事実ならば、そこに込められていた意味は、僕が考える段階よりも遥かに手前だったようだけど……僕が勘違いしてしまうくらいの破壊力はあった訳で。


 そう言えば「ブラジャーの着け方が分からないから手伝って」なんて言われたこともあったっけ。あれもユーキの言う「チグハグ」な行動の典型だったのだろうか。


「まあ、清十郎の気を引きたいという気持ち自体は本物なんだろうけどね。その先に何が起こるかを、実感として理解出来ていないだけで。小学生も高学年ともなると、この手の問題を抱えた子供が案外と多くいてね。中学生だともっとだ! そのことで、学校や両親から相談を受けることも多いんだ。

 なにせ、今はネットで色んな知識が手に入ってしまうからね。前提の大切な知識をスキップして、の知識だけを得てしまうことも多い。そんな、歪んだ知識が原因でを起こしてしまった……なんてケースが実際に何件も起きてる」


 遠い目をしながらユーキが呟く。

 おそらく、今言ったようなケースを実際に担当したこともあるのだろう。


「美遊は、体の発育は少し遅れているみたいだけど、女性としての機能は同年代の女子と同じくらいに成熟してる。でも、本来教えられたり学んだりしていたはずの知識や情緒の一部が、すっぽり抜けてるんだ。それがチグハグさの原因の一つだろうね。

 最初の面談の時に、とりあえず必要そうな知識は叩き込んでおいたけど、まだ実感が伴ってない時期だと思う。

 清十郎。男の君には大変なことだと思うけど、保護者として注意深く見守ってあげてほしいな」

「……もちろん、努力する」


 真剣な表情のユーキに、僕も真剣に頷き返した。

 「なんだかついさっきも同じようなやり取りをしたな」等と、僕が思った――その時。


『あらあらあらあら! まあまあまあまあ!!』


 扉の向こうから、美遊の恥じらいに満ちた悲鳴(?)が再び聞こえてきた。心なしか、なんだか嬉しそうにも聞こえる。


「ユーキ。真面目な性教育ビデオなんだよな?」

「ああ、いたって真面目だよ? でも、真面目な内容でも興奮してしまう時期ってなかったかい? 特に男子。国語辞書でちょっとエッチな単語を引いて喜んだりさ」

「あー……」


 ユーキの分かりやす過ぎる例に僕が納得するのとほぼ同時に、扉の向こうから三度目となる美遊の黄色い悲鳴が漏れ聞こえてきた――。


   ***


「そろそろ時間かな」


 ユーキが腕時計を見ながら呟く。つられて僕も確認すると、美遊がビデオを観始めてからおおよそ三十分ほどが経過していた。

 扉の外でハラハラする時間も、ようやく終わるらしい。


「どうなることかと思ったけど、美遊は最後まで観てくれそうだね。良かった良かった――ああ、ところで清十郎、もう一つ、美遊の件で君に釘を差しておかないといけないことがある」


 ――と思ったら、ユーキが再び真剣な表情を作り、僕に耳打ちし始めた。

 倫理観の件と性知識と……この上、更に懸念事項があるらしい。


「君ももう気付いてると思うけど……美遊の君への依存度は、ハッキリ言って異常だ。『肉親が君とお祖母様しか残っていないからやむを得ないか』なんて、私も最初は甘く考えていたけれど、あれは危ういレベルだよ。亡くなったご両親の身代わり、という話とも少し違うと思う」

「……どういうことだ?」


 美遊が僕にべったりなことは、もちろん気になっていた。

 けれどもそれは、「異世界」での過酷な生活によるトラウマと、祖父や両親が自分のいない間に亡くなってしまったことによる喪失感を埋めるためだと思っていた。

 でも、ユーキに言わせれば、それとも違うのだという。


「私もまだ、全部を聞けたわけじゃないけど……美遊が『異世界』とやらでの辛く厳しい生活を乗り越えられたのは――清十郎、君に『もう一度会いたい』という気持ちを強く持っていたかららしいんだ。ご両親でも祖父母でも友達でもなく、君に、だよ。

 そりゃあ、昔から彼女は君のことを好いていたけれど、それにしてもご両親を差し置いて、君を心の支えにするだろうか? どうもね、美遊の心には、まだ私たちが知らない傷が刻まれているらしい。……だから清十郎、くれぐれも慎重にね」

「……分かった」


 ユーキの言葉に頷きながらも、僕は彼女の言ったことの半分も理解出来ていなかった。

 美遊が「異世界」で生き延びる為に、僕との再会を心の支えにしてくれていた、という話は純粋に嬉しい。けれども、ユーキが言った通り、そこに両親との再会が含まれないのはあまりにも不自然だ。

 美遊と叔父さん、叔母さんはそれは仲の良い親子だったのに。


 「異世界」で美遊の身に何が起こったのか。僕たちはもっと、そのことについて知らなければならないのだろう――。

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