4.密談
その日の夜はとても冷えたので、晩御飯は「鶏だんご鍋」にした。
鶏ガラベースに酒と醤油で味付けしたシンプルなスープに、白菜をはじめとした野菜を投入。鶏だんごは、何も入っていないプレーンなものと、「トンブリ」を混ぜたもの、細かく砕いた鶏の軟骨を混ぜたものの三種類。それぞれ違った食感を楽しめるという寸法だ。
美遊にはとても好評で作った甲斐があったのだけれども、一つ欠点もあった。
「美味しいけど、二人だけでお鍋は、ちょっと寂しいわね……」
鍋という料理には、ある種「家族団らん」の象徴みたいな側面がある。最近では一人鍋なんてものも流行っているらしいけど、やはり鍋は皆でつついてナンボのものだ。
だから美遊も、黒木家みんなで鍋をつついた時のことを、思い出してしまったのだろう。
「……そうだね。じゃあ、ユーキの怪我が良くなったら、小太郎さんと一緒に鍋に誘ってみる?」
「――ええ、ええ! それは良いアイディアだわ、せーちゃん。ぜひそうしましょう? ……でも、その前に」
「分かってるよ。ユーキに今回のことについて、きちんと聞いておくから。安心して? さあさあ、鶏だんごを全部食べちゃおうよ。なんと、この後にはうどんもあるんだ!」
「あらあらあら……それは……。うふふ、私、太ってしまうわね?」
「うどん」と聞いて、美遊の眼が獲物を狙うそれになる。……鍋の締めのうどんは、格別で別腹なのだ。
最近の美遊は、顔色や肌艶は大分良くなってきたけれども、まだまだ痩せすぎだった。背丈も一五〇センチないので、実年齢よりも下に見えるくらいだ。
今月中に、一度健康診断に連れて行く予定になっているので、その時に栄養面についても相談してみようと思っている。
美遊は沢山のものを失ってしまった。だからこれからは、幸せな人生を送ってほしい。
その為なら僕は、なんだってするさ――。
***
夕食が終わって、いつものテレビタイムがやってきた。
最近の美遊のお気に入りは、
今回はアフリカの動物たちの姿を追った、イギリスの番組だ。
「美遊、ちょっと電話してくるけど……大丈夫かい?」
「……ユーキちゃんに?」
「そ。腰を据えて話すつもりだから、結構時間がかかるけど……」
――何故わざわざこんな事を尋ねるかと言うと、美遊は一緒にテレビを観ている時に僕が中座すると、とても不安がるからだった。
何度かは、トイレの前にまで付いてきたくらいだ。自室で勉強している時以外は、極力一人になりたくないらしい。
「うふふ、私は大丈夫よ。……ユーキちゃんのこと、お願いね?」
真剣な表情の美遊に見送られながら、僕は階段を上がり、自室へ入る。もしかすると美遊に聞かせたくない話も出てくるかもしれないので、念の為だ。
「……と、流石にこの時間に電話は非常識、か」
時計を見ると、既に九時を回っていた。ユーキの病室は携帯での通話禁止ではなかったけれども、流石に時間が時間だ。うっかりにもほどがある。
仕方なく、僕はメッセージアプリを起動し、『起きてる? ちょっと話いいか?』とユーキに送った。――返事はすぐに来た。
『いいけど、なんだい?』
『まどろっこしいのは嫌いだろうから単刀直入に。お前の怪我は、誰かにやられたんじゃないのか?』
『やれやれ、うちの旦那に聞いたのかい? あの人も心配性だね……。うん、まあ、私も単刀直入に答えるけど、恐らくは人為的なものだよ』
意外にも、ユーキはあっさり認めた。けれども――。
『多分、課長の仕業だろうけど、警察沙汰にする気はないよ』
『なんで? 椅子に細工されたのなら、物的な証拠も残ってるだろ?』
『役所って所は、警察の介入を嫌うのさ。よしんば課長を立件できたとしても、課長の所属する派閥の心証を悪くすることになる。今はまだ課長個人と私の話だけど、派閥全体を敵に回すと……最悪、私が職場にいられなくなると思う』
「なっ……!?」
ユーキのメッセージを前に、僕は思わず言葉を失っていた。
課長のやっていることは、立派な犯罪だ。それを糾弾した方が職場にいられなくなるって、何の冗談だ? 僕が最後に勤めていた会社も甚だブラックだったけど、ユーキの職場も負けていないらしい。
『課長もね、嫌がらせしてやろうくらいにしか考えてなかったと思うんだ。それが予想外に大事になって、今頃はガクブルしてるんじゃないかな? それにこの間も言ったけど、慣例に従えば課長は次の四月で全く別の部署に異動する予定なんだ。あと数ヶ月我慢すれば、しばらくはオサラバ出来る。
だからね、清十郎。心配をかけてすまないけど、私は大丈夫だから』
――ユーキの意志は固いらしい。
「私は大丈夫だから」という言葉の裏には、これからの数カ月間に待ち受ける様々な苦痛が濃縮されているようにも見える。けれども、彼女はそれに耐えてみせると言っているのだ。
ユーキはいつもそうだ。
ああいう性格なので、今までも異性・同性問わず敵を作りやすい質だったけど、それを全て跳ね返してきた。
けれどもそれは、痛みを感じないという訳じゃない。痛いけど、耐えているだけなのだ。
そう言えばあの時もそうだった。ユーキが髪を短くしたきっかけとなった、あの事件の時も――。
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