3.怒りの日

「おっ!? なんだなんだ、清十郎と美遊じゃないか。お揃いで……そんなに私のことが心配だったのかい? かわいい奴らめ!」


 ――夕方。

 「ユーキが病院に担ぎ込まれた」という一報を受けて、僕と美遊は急ぎ彼女が入院した病院へと向かった。……のだけれども、そこで目にしたのは、思いの外にいつも通りに振る舞うユーキの姿だった。

 しかし、その振る舞いとは裏腹に、頭には痛々しいまでに大量の包帯が巻かれていた。


「……ユーキちゃん、起きてて大丈夫なの? 救急車で運ばれたって聞いたのだけれど」

「ん? ああ、ちょっと派手に転んでね。運悪く後頭部をぶつけて、ちょこっと血が出ちゃったのさ。大丈夫、きちんとCTとか撮ってもらったけど、とりあえず脳に異常はないらしいから。入院も念の為だってさ」


 ユーキの答えに、美遊がホッと息をつく。――けれども僕は逆に、ユーキの「元気そのもの」と言った態度が引っかかっていた。

 そんな「ちょっと怪我をした」くらいのことで、ユーキの旦那さんがわざわざ僕へ連絡を寄越すだろうか?

 ――等と思っていると、その連絡を寄越してくれたユーキの旦那さんが、ちょうど病室へと入ってきた。


「ああ、これはこれは黒木さん。わざわざお見舞いに来てくださって、ありがとうございます。……あ、そちらが美遊さんですね? はじめまして、祐希の夫の浅川小太郎あさかわ こたろうと申します」


 ペコリ、と頭を下げるユーキの旦那――小太郎さんにつられて、美遊も戸惑いがちに頭を下げる。

 恐らく、「友達の夫」という未知の存在にどう接していいのか、よく分からないのだろう。


 ――浅川小太郎。年齢は僕やユーキと同じ。

 背は高くなく一六〇半ばと、ユーキよりも低い。ややぽっちゃり気味の体型をしている。

 見るからに柔和そうな表情が印象的で、「菩薩か仏」といった雰囲気をまとっている。なんというか、周囲を和ませる人だった。

 まあ、あのユーキの旦那をやっているのだから、当たり前のように人格者だったりする。


「ご覧の通り、本人はいたって元気でして……ご足労頂いて申し訳ない。美遊さん、よろしければ祐希の話し相手になっていただけませんか? どうにも、じっとしているのが退屈らしく……」

「あっ、はい! 私で良ければ」

「それと……黒木さん、申し訳ないのですが、ちょっと車から荷物を運ぶので、手伝っていただけませんか?」


 ――と、小太郎さんが何やら僕にだけ目配せしながら、そんなことを言って来た。

 どうやら何か内密な話があるらしい。


「……美遊、僕はちょっと小太郎さんを手伝ってくるから、ユーキとお話しててくれるかな?」

「はーい。……あまり遅くならないでね?」


 美遊の言葉に頷きつつ、病室を出る。

 そのまましばらく歩いた所で、小太郎さんが切り出した。


「……祐希のやつは『転んだ』だなんて言ってたと思いますが、実際には違うんです。実は……職場の椅子が突然壊れて、後ろにひっくり返ったらしいんですよ」

「――なんですって?」


 小太郎さんが言うには、どうやらこういうことらしい。

 今朝、ユーキがいつものように出勤して、普段使っているオフィスチェアーに腰掛けたところ、座面が外れてそのまま後ろにひっくり返ったのだとか。

 全く予期していなかったので、ユーキは後頭部を強打し、出血。そのまま昏倒してしまったという。傷はそこそこ大きく、七針も縫うことになった。


「祐希の職場の方は、『きっと不良品だったのだろう』と仰っていましたが……そんなことあるのでしょうか? 昨日まで普通に使っていた、それほど古くないオフィスチェアが突然酷い壊れ方をするだなんて……」

「……人為的なものだ、と?」


 僕の言葉に、小太郎さんが頷く。柔和なアルカイックスマイルが、今はすっかり曇ってしまっていた。


「実は、以前から職場で、祐希の物が無くなったり壊されたりしていたことがあるらしいのです。一応は上司にも届け出ていたらしいのですが、特に効果も無く……。そんな中で起こった事ですから、誰かが悪意を持って祐希の椅子に細工をしたのではないか、と思ってしまうのです」

「……その、警察には?」

「言っていません。祐希も『事を荒立てる必要はない』の一点張りでして、私もどうしたらいいものかと――」


   ***


 病院を離れる頃には、すっかり日が暮れていた。

 ユーキはあと三日程は安静が必要らしい。……どちらにせよ、今週のテストと面談は中止だろう。


「ねぇ、せーちゃん」


 帰りの車の中、車窓から外を眺めながら、美遊がそっと切り出した。


「なんだい?」

「ユーキちゃんのあの怪我……もしかして、?」


 ――僕の背筋が一気に氷点下になる。

 美遊には小太郎さんから聞いた話は、一切伝えていない。それなのに何故、そう思うのか?

 それに……今の美遊の声は、今までに聞いたことが無いくらいに冷たく、それでいて沸々とした怒りを感じさせる迫力を秘めていたのだ。


「……なんでそう思うんだい?」

「呪術を使っているとね、何となく分かるの。他人の悪意とか敵意とか、そういったものの動きが。……ユーキちゃんの周りにも、はっきりとした『誰かの悪意』を感じたわ。まとわりつくような、それを」


 美遊の声は真剣そのものだ。僕をからかおうとしているのでも、変にカマをかけようとしているのでもなさそうだった。

 彼女が抱いているのは、疑念ではなく確信であるように思えた。――だから、僕も正直なところを答えた。


「小太郎さんもそれを疑ってたよ。なんでも、以前からユーキの持ち物が無くなったり壊されたりしてたらしい。でも、警察沙汰にはしたくないって言ってるんだってさ」

「――やっぱり」


 途端、助手席の方から「圧」というか、ドス黒いオーラのような気配が伝わってきた。

 ……以前にも感じた、美遊の感情が高ぶった時に感じるあの感触だ。もしかするとこれも、呪術の一種なのかもしれない。


「きっとあの怒鳴っていた課長さんね。……許せないわ。どうしてくれようかしら? 『因果応報』の呪いでもまだ足りない。もっと強力な呪いを準備しないと……」


 今にも課長さんを呪い殺しかねない迫力で、美遊が呟く。どうやら本気で怒っているようだった。

 それはそうだろう。せっかく再会し、また仲良くなれた友人を傷付けられたのだ。許せるはずがない。もちろん、僕だって心底腹が立っている。

 けれども――。


「決め付けはいけないよ、美遊。あの課長さんが犯人だって証拠を、僕らは何も持ってないんだ」


 僕も十中八九、あの課長の仕業だろうと疑っていた。けれども、「疑い」だけで誰かを糾弾してはいけないし、個人が個人を罰するなんてことをしてはいけない。それは私刑リンチだ。

 仮令たとえそれが、「呪術」という非現実的で間接的な方法であっても、だ。


「でも、このままだとユーキちゃん、また危ない目に遭うかも……」

「それもそうだけど……まずはユーキの意思を尊重しよう。大丈夫、僕も決して傍観はしないから。ひとまずは僕に預けてくれないか、美遊?」

「……せーちゃんがそこまでいうなら」


 美遊はいたく不満そうだったけど、まずは僕の提案を聞いてくれたようだ。

 ……美遊は呪術の恐ろしさを嫌悪しながらも、「大切な人を守る為なら使う」とも言っていた。今回がまさにその時だったらしい。

 けれども、今の感情の高ぶった美遊の好きにやらせれば、「因果応報」どころではない悲惨な結果を生み出しかねない気がする。彼女を暴走させてはいけない。


 ――さて、その為にもまず、ユーキの堅そうな口を割らせるところから始めないと。

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