2.奴が来た!

 美遊が「異世界」から帰ってきて、早一週間が過ぎていた。

 日用品や洋服も徐々に揃い始め、美遊の部屋の掃除も終わり……いよいよ、僕らの生活を取り戻すフェーズに入った。

 ――さしあたっての課題は、美遊の「勉強」のことだろう。


 何せ美遊が暮らしていた頃から、地球では三十年の時が流れているのだ。何もかもが変わっていた。

 例えば、


「えっ!? これがテレビなの? そんな……ブラウン管もこんなに薄くなったのね」


とか、


「ええっ!? この薄い板がお電話? え、スマホ? 携帯電話の一種? いんたーねっとも出来るって……インターネットって何かしら?」


とか、


「えええっ!? ソ連という国はもう無いの!? まさか……第三次世界大戦が!?」


とか、浦島太郎状態もいいところなのだ。

 日常の知識はもちろん、ここ三十年の歴史についてもおいおい教えていかなければならない。

 もちろん、美遊が本来習っていたであろう、学校の勉強についてもだ。


 そういえば、鈴木さんが「近いうちにカウンセリングと学習支援の担当者を寄越します」と言っていたけれども、一向に連絡が来ない。もしや、忘れられているのかな……?

 「近い内にこちらから連絡してみるか」等と、僕が気楽に考えていた、その時だった。


 ――ピンポーン。


 黒木家のインターホンが押された。こんな朝っぱらから誰だろう?

 宅配便が来る予定はなかったはずだ。となると、訪問販売や宗教勧誘、はたまた無許可の廃品回収業者(という名の悪徳業者)か? これは居留守を使った方がいいかな?

 ――等と思っていたら。


「は~い、どちらさまですか?」


 カメラ付きインターホンの使い方を覚えたばかりの美遊が、張り切って応答してしまっていた!


『あ、お忙しいところ失礼いたします。大変遅くなりました。わたくし、神奈川県警の鈴木様からの指示でやってまいりました、黒木美遊様のカウンセリング及び学習支援を担当させていただく者ですが……ご本人様でいらっしゃいますか?』

「あ、はい! 少々お待ち下さいね――」


 等と、美遊がそのまま玄関に出ようとしたので、慌てて腕を掴んで引き止める。


「ちょっと待つんだ、美遊。相手が怪しいやつだったら、どうするんだ?」

「ええ? でも、鈴木さんのお名前も出してるし、私が帰ってきたことを知ってるのだから、関係者の方じゃないのかしら?」


 ……む。美遊の言うことももっともだ。

 勢いよく止めておいて何だけど、考えなしなのはむしろ僕の方な気がしてきた。


「それとも……せーちゃん、に見知らぬ誰かが入ってくるのが嫌、とか?」

「なっ……!」


 僕が反論出来ないと見るや否や、美遊は歳不相応の妖艶な笑みを浮かべて、僕に流し目を送ってきた。

 確かに、美遊との生活もまだ安定していない内に、この家に他人を上げることには少し抵抗がある。けれども、それは美遊が言うような意味じゃなくて――。


 そのまま、美遊の腕を掴んだままの状態で見つめ合う。

 言葉がうまく出てこない。まるで、美遊に何かの呪術をかけられたかのように頭がぼぅっとして――。


「あれぇ? お取り込み中だった?」


 ――突然、二人の間に割って入った声で、急速に我に返った。

 というか、今の声は!?


 声のした方――玄関へ目を向けると、そこには一人の「ダークなスーツに身を包んだ、ちょっと歳をとったイケメン」が斜に構えて立っていた。

 鍵をきちんとかけていたのはずの玄関ドアは、いつのまにか開け放たれている。

 美遊も流石にびっくりしたのか、僕に抱きつくように身を寄せてきた。


「そ、そんな……!?」

「え、ちょっと美遊さん。今なんて?」


 何か物騒なことを呟きながら、玄関のイケメンを警戒する美遊。

 けれども僕は、それとは裏腹に少々脱力していた。何故ならば――。


「おい、。お前、また?」

「あははは! の家の合鍵を作るのに、理由や許可がいるのかい?」

「普通は理由も許可もいるわ! アホか!」


 「アッハッハ」とバカみたいに高笑いするイケメン。

 「全く、こいつは昔から」……等と心の中でため息をついていると、腕の中の美遊が僕の胸を指で軽く叩いてきた。


「あの……せーちゃん。あの人、お知り合い……?」


 すっかり置いてけぼりをくらった美遊が、不機嫌そうに頬を膨らませていた。

 ……ああ、そうか。


「美遊、アレは浅川祐希あさかわ ゆうきと言って、僕の『親友』を自称する不審者だ。心を許してはいけないよ?」

「不審者とは何だ、不審者とは! むしろ美少女を抱きしめている君の方が世間的には不審者だぞ!」


 ――中々痛い所を突いてくるが、奴のペースに乗ってはいけない。


「ところで美遊。小学校の時の同級生に、千川せんかわ祐希という女の子がいたのを、覚えているかい?」

「……? ええ、同じクラスだったでしょう? 私のお友達だもの、よく覚えているわ」

「うん。それでね、あの不審者のも、千川なんだ」

「あら、それは面白い偶然……あら? あらあら?」


 そこでようやく、美遊は何かに気付いたらしく、ユーキの顔をまじまじと眺め始めた。

 そして――。


「あの……失礼ですけど、ユーキさん? は、男性ですか?」

「いんや? 私は生まれた時からだけど?」


 ――等と答える、ちょっと歳のいったイケメンにしか見えないアラフォー女ユーキ


「ええと……その、違ったらごめんなさい。もしかして……ユーキちゃん?」

「――ようやく気付いてくれたんだね、美遊!!」


 歓喜の叫びをあげるユーキ――こと、小学校時代の僕らの同級生・祐希は、玄関口から飛び上がるように駆けてきて、美遊をひしと抱きしめた。

 ……美遊を抱きしめる形になっていた僕ごと。


「ああ、本当に美遊だ! しかも若い! 美少女だ! クンカクンカ!」

「おいこら、やめろ変態! またお前の旦那に言いつけるぞ!」


 ――浅川祐希。旧姓・千川。

 イケメンにしか見えないアラフォー女。これでも既婚者。

 僕の親友を自称する変態で、いまいち信用できない奴だけど、ただ一つ確かなことがあった。

 彼女もまた、美遊の帰りを信じて待っていてくれた一人なのだ。

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