2.髪を切ろう!

「じゃあ、切っていきますね~」

「は、はい! よろしくおねがいします!」


 床屋……というか、格安美容室で髪を切ることになった美遊は、とても緊張している様子だった。

 ――美遊はつとめて明るく振る舞っているけれども、やはり見知らぬ他人と会話する時には、そこかしこに緊張の色が見て取れた。先程、試着室で店員さんと二人っきりになる時も、最初のうちはひどく緊張していた。

 それも無理からぬことだ。聞く所によると、美遊の「異世界」での生活には、平和で穏やかな時間なんて殆ど存在しなかったらしいのだ。他人との何気ない会話なんて、ろくに出来なかったのだろう。


 異形の怪物と戦わされる日々。次々に死んでいく同じ拉致被害者たち。それがどれだけ辛く過酷な日々だったか……僕には想像することすら出来ない。僕から詳しく聞くつもりもない。

 いつの日か、美遊が自分から話せるようになるまで待つつもりだ。


 ――チョキチョキチョキと、美遊の髪が切られていく音が店内に響く。

 背中くらいまであった髪が、次第に肩の辺りまでにカットされていく。

 その間、美遊はずっと緊張した表情のまま固まっていた。美容師さんが何か話しかけても、「はい」とか「ええ」とか答えるのが精一杯なくらいだ。


 ふと、美遊の目線が忙しくなく動いていることに気付く。どうやら美容師さんの操るハサミの行方を追っているらしい。

 ……もしかして、美遊はハサミが――いや、刃物を持った他人に身を委ねている状況が怖いのだろうか?

 美遊は、つい先日まで命がけの戦いの日々を強いられていた。だったら、刃物を持った他人を前にして、じっとしていなければならない状況というのは、中々に恐怖を伴うのでは……?

 今更ながら、そんな懸念を抱き始めてしまった。


   ***


「はい、じゃあそろそろシャンプーに移りましょうか。あちらのシャンプー台までどうぞ」

「えっ……」


 髪を概ねカットし終えると、美容師さんは美遊を、少し離れたところにあるシャンプー台の方まで案内しようとした。けれども、美遊の動きは鈍い。

 シャンプー台は、シンクに顔を下にして突っ込むタイプのものだ。つまり、視界は完全に塞がれて、その状態で頭に水をかけられることになる。

 美遊の表情は、明らかに怯えたようなそれで――。


「――あ、あの! その子、ちょっと色々あって水が怖いんです! シャンプーの間、傍にいてあげてもいいですか?」


 僕はたまらずそんな声を上げていた。


「え? ああ、そうなんですね……。いいですよ。じゃあ、傍でしっかり見ていてあげて下さいね、


 最初は戸惑っていた美容師さんは、何かを察したように僕にシャンプー台近くの椅子を勧めてくれる。

 「お父さん」じゃないんだけど……まあ、「水が怖い」とか咄嗟に嘘も吐いちゃったし、これ以上あれこれ言うのは止めておこう。


「ほら、美遊。シャンプー終わるまで僕が傍にいるから……怖くないよ」

「……うん」


 そこでようやく、美遊ははにかむような笑顔をみせてくれた。


   ***


「はい! お疲れさまでした。どうです? 大分さっぱりしたんじゃないですか?」

「……ええ。こんなサラサラの髪なんて、久しぶりです……。事情があって、お手入れも殆ど出来なかったので……」


 丁寧にシャンプーされ、ドライヤーで乾かしてもらった美遊の髪は、見違えるようにツヤツヤになっていた。美遊はサラサラの髪に感動したように、何度も何度も自分の手で髪をいている。


「あの……ありがとうございました」

「いえいえ。またお越しくださいね? ……お父さんも一緒に」


 会計して美容室を出る。

 髪を切っている最中はえらく不安そうな顔を見せていた美遊も、今は打って変わって上機嫌になっていた。

 肩に少しかかるくらいの長めのボブカットは、美遊によく似合っている。ボサボサの髪でも十分に美少女だったのに、ますます磨きがかかった感じだ。


「せーちゃん、どう? 似合うかしら……?」

「……ああ、最高に可愛いぞ!」

「――っ」


 途端、美遊の頬が朱に染まる。

 ……我ながら、ちょっと直球過ぎたかもしれない。まあ、でも可愛いのは事実だから、仕方ない。


「……さて、次の買い物の前に、ちょっと遅いけどお昼にしようか。何が食べたい?」


 危うく僕も赤面しそうになったので、急いで話題をずらす。


「あっ……。ええと、その。お箸を使わないお店が……いいです」

「よし、じゃあハンバーガーにしよう! モリモリバーガー、好きだったよね?」

「ええ? ここにはモリモリバーガーもあるの? 本当になんでもあるのね……」


 美遊が感心したように呟く。

 僕らが子供だった時代には、まだこの手の「なんでもある」ようなショッピングモールは少なかった。まだまだ、街の商店街が元気な時代だったのだ。


 ……ちなみに、美遊が「お箸を使わない店がいい」と言ったのは、長い「異世界」生活でお箸の使い方が下手になっていて、人前で使うのが恥ずかしいからだったりする。

 昨晩も、僕が頑張って作った焼き魚や味噌汁などの「ザ・日本の晩ごはん」を、美遊は綺麗に食べられなくて少し泣きそうになっていたのだ。


 少しずつ、何でもないことでも少しずつ、美遊の「日常」を取り戻していかなければならない。

 たかが五年間、されど五年間だ。大人にとっての五年間と、十代前半の子供にとっての五年間は、その重みが違う。美遊にとっての五年間は、日常の何でもない所作ですらままならなくなるのに十分な時間だったのだ。

 改めて、美遊が奪われた時間の重さを思い知る。


 ――と、そこでふと疑問が浮かんだ。

 その濃密な五年間を、美遊は戦いとその為の技術を教え込まれることに費やさざるを得なかった。

 では、美遊が教え込まれたという「戦いの為の技術」とは、一体なんだったのだろう?

 剣術だったのか、弓術だったのか……それとも、まさか魔術だったのか。異世界のことは聞くまいと誓ってはいたものの、少し気になるのも事実だった。


 とは言え、僕の横で無邪気に笑う美遊の姿を見ていると、そんなことはどうでもいいようなことにも思えた。

 これからの美遊を知っていけばいいじゃないか、と。


 けれども、運命は皮肉なもので。

 僕はこの後すぐに、美遊が異世界で教え込まれた「戦いの為の技術」の片鱗を知ることになるのだった――。

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