第二話「取り戻せ日常」
1.服を買おう!
「さあ、美遊。なんでも好きな服を選んでいいよ」
鎌倉警察署からの帰り道、僕は美遊を連れて近隣のショッピングモールへとやってきていた。美遊の為の日用品や、洋服を買うためだ。
流石にいつまでもあのジャージのまま、というのは駄目だろう(あの赤いジャージは、警察でもらったものらしい)。
「わぁ、お洋服がいっぱい……! 同じデザインでも、こんなに色違いが揃ってるなんて……!」
最初に連れてきたのは、いわゆるファストファッションの店だった。
この手の、画一的なデザインだけれどもカラーバリエーションは豊富――という店は、僕や美遊が子供の頃にはあまり無かったものの一つだ。
「……でも、本当にいいの? 結構高そうに見えるけど」
「大丈夫だよ。この店の服はそんなに高くないから。ほら、これなんて千円だよ?」
「あら、ホント! ああ、この可愛いTシャツも千円以下だわ! 安いものには全く見えないのに……」
美遊の金銭感覚は三十年前のもので止まっているはずだけど、それでもファストファッションの格安さは衝撃的だったらしい。僕はぼんやりと「日本って本当にデフレ社会なんだなぁ」だなんて益体もないことを考えながら、はしゃぐ美遊を見守っていた。
すると――。
「あ、あの……せーちゃん?」
「ん? なんだい?」
美遊が何やら、恥ずかしそうに体をもじもじとし始めた。なんだろうか?
「あのね……、し、下着も……買っていい?」
「……もちろん」
僕が答えると、美遊は嬉しそうにアンダーウェアのコーナーへと駆けていった。
よっぽど恥ずかしかったのか、後ろから見た彼女の耳は、真っ赤になっていた。……多分、僕の顔も赤くなっているだろう。
そうか……そうだよな。当然いるよな、下着。盲点だった……。
全く気にしていなかったけど、アラフォー男が十代の女の子の買い物に付き合うのは、実は結構恥ずかしいものだったらしい。相手が「自分の娘」とかだったら、また違うんだろうけど。
流石に下着売り場に付いていくのは気がひけるが、美遊から目を離す訳にもいかない。ちょっと不審人物っぽくなるけど、遠巻きに静かに見守ろう――。
***
「……ちょっと買い過ぎ、かしら?」
数十分後。美遊の手にした買い物かごには、洋服がうず高く詰め込まれていた。
「いや、むしろこれでも足りないくらいじゃないかな? まあ、今日全部買っていかなくてもいいさ。足りないものがあったら、また一緒に買いに来よう?」
「――うん!」
僕の言葉に、美遊が心底嬉しそうな笑顔を浮かべる。流石にそうストレートに喜ばれると、照れてしまう。
「あ、せーちゃん。お会計の前に、いくつか試着しておきたいんだけど……」
「そう言えば、試着はまだだったね。いいよ、試着室は確か店の奥の方だったから……こっちだね」
試着室の方へ美遊を連れて行く。途中、店員さんがこちらをジロジロ見ていたので、「試着室、お借りしますね?」と一応声をかけておいた。
……やはり僕と美遊とでは、少々不審な組み合わせに見えるのだろうか?
「せーちゃん、どこにも行かないでね?」
「大丈夫だよ、どこにも行かない。声をかけてくれれば、きちんと返事もするから」
試着室のカーテンを閉める時、美遊はとても不安そうな表情を見せた。多分、一人になるのが怖いのだと思う。
昨日から僕にやたらとくっついてくるのも、きっとそういう感情からくる行動なんだろう。だから、僕は笑顔でそう答えていた。
「じゃあ、ちょっと待っててね?」
僕の言葉に安心したのか、美遊が眩しい笑顔を見せながら、カーテンの奥へと消える。
……ふと、足元に視線を落とすと、美遊が履いていた真新しい白いスニーカーが目に入った。なんでも、美遊は保護された時は裸足だったという。このスニーカーは、見かねた警察の誰かが買い与えてくれたものらしい。
「後で靴も買わないとな」等と、僕が思っていると――。
「――娘さんですか?」
不意に、横合いから誰かに声をかけられた。見れば、先程話しかけた店員さんだった。
やや、不審そうな目で僕を見ている。まあ、無理もないだろう。「質素な赤いジャージに真新しい安物のスニーカーを履いた、ボサボサ頭で栄養状態の悪そうな少女を連れたアラフォー男」なんて、怪しい以外の何物でもないだろう。
「いえ、従妹なんです」
「あ、そうなんですね~。随分歳が離れてるんですね?」
「あはは、まあ、色々と事情がありまして……」
店員さんは僕から離れる気配がない。どうも、相当に怪しまれているらしい。
「さて、どうしたものか」と、僕が思案していると――。
「せーちゃん? 誰とお話しているの? 女の人の声が聞こえるけど……」
試着室の中から、美遊の鈴の音のような声が聞こえてきた。――何故かそこはかとなく、不思議な迫力を帯びているのは気のせいだろうか?
「ああ、店員さんだよ。美遊、サイズはどうだい? 問題ない?」
「うん! 全体的にちょっと大きめだけど、大丈夫よ。――あ、でも一つだけ問題が」
「ん? サイズが合わないのでもあった?」
笑顔を浮かべながら僕らの会話に聞き耳を立てている店員さんを意識しつつ、美遊とのやりとりを続けていたら――。
「あ、あのね? ブラジャーの着け方が分からないの。せーちゃん手伝って?」
とんでもない爆弾発言が飛び出した!
「みみみみみ美遊さん!? ちょっと、流石にそれは……手伝えませんでございますよ!?」
美遊の爆弾発言と膨れ上がった店員さんからのプレッシャーに、僕はおかしな口調になりながらも何とかそう答える。
……いやいやいや。美遊さん、それは甘えるとかそういうレベルのお話じゃないですよ?
というか、恥ずかしながら僕もブラジャーにはそんなに詳しくはないのだ……。外したことなら何回かあるんだけど……。いや、本当に恥ずかしながらその経験も少ないんだけど……。
――っと、そんなことを考えている場合じゃない。店員さんからの誤解を解きつつ、美遊の要請に応えるにはどうすれば……!?
僕は狼狽しながらも、脳をフル回転させて一生懸命に答えを導き出した。
「あ、あの~、店員さん?」
「はい、なんでしょうお客様?」
店員さんは笑顔のままだったけど、それは内心で「ぼちぼち警察に通報した方がいいかも」と考えているような笑顔だった。
それに負けじと、僕は彼女にこう告げていた。
「実は……従妹は、つい最近までずっと入院していたんです。五年間も。しかも、彼女の両親はもう鬼籍に入っていて……僕以外に身内は殆どいないんです。だから……恥ずかしながら、ブラの着け方一つ教えてあげられていないんです」
「えっ……」
僕が切り出した話に、店員さんが思わず絶句する。
……まあ、半分くらいは本当のことだから、真に迫っているように感じてくれたのだろう。このまま一気に畳み掛けよう。
「なのでその、ご迷惑じゃなければ……彼女にブラの着け方を、教えてあげてくれませんか?」
***
「ありがとうございました~!」
店員さんのやけに大きな声を背に受けて、美遊と二人で店を出る。
あの後、店員さんは「私で良ければ教えて差し上げます!」と、目に涙を溜めながら、美遊にブラやその他諸々の女性用品の身に着け方を教えてくれた。
「あのお姉さん、いい人ね。『またお二人で来てくださいね』って言ってくれたわ」
「……そいつは良かった」
美遊は、早速今日買った服を身に着けて、ホクホク顔だった。
上は淡いピンクのPコート、下は臙脂色のプリーツスカート。Pコートの中には、白いブラウスとベージュのジャケットを着ている。
……なんとなく、中高生に見えなくもないコーディネートだった。うん、似合っている。
「さて、服は買ったから、次は日用品を――」
「あ、待って、せーちゃん。その、ね? その前に、したいことがあるの」
美遊は少し丈の余ったコートの袖を手で掴みながら、何やらもじもじしている。……ちょっと可愛すぎるので、勘弁してもらいたい。
「したいこと?」
「うん、あのね……? 髪を、切りたいの。……駄目?」
「ああ……」
――そう言えば、美遊の髪は変わらずボサボサのままだった。なんでも、保護された時はもっとボサボサの伸び放題で、見かねた女性警官が整えてくれたらしいのだけど……明らかに素人の仕事だ。
「もちろんいいよ! 確か、ここのモールに安いけど女性も入れるような床屋があったはずだから……そこでもいい?」
「うん!」
そういうことになった。
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