第1話 成瀬春馬02

 はたから見れば夕暮れのバス停で高校生の男女が見つめ合っている。ロマンチックな光景に見えたかも知れないが実際は違う。小夜は春馬から視線をらすことができなかった。



──く、苦しい……。



 呼吸ができずひたいには玉の汗が浮かびあがる。どのくらい時間がたっただろうか……小夜の緊張はフッと解けた。肩の力が抜けて安堵感が広がると同時に、春馬も柔らかな笑みを浮かべる。



「ウルサイとか、乱暴な言葉を使うつもりはなかったんだ。せっかく小夜さんが話しかけてくれたのに……僕はバカだな……」



 春馬はスクールバッグからハンカチを取り出して小夜に手渡す。受け取る小夜の手はまだ少し震えていた。



「あ、ありがとう……春馬君」

「久しぶりに学校で話しかけられたから緊張しちゃって。あ、ハンカチは使ってないから綺麗だよ」

「……うん」

「小夜さんを怖がらせるつもりなんて少しもなかった。本当だよ……ごめんなさい」



 春馬は小夜を精一杯に気づかっている。小夜の早まった鼓動は心地よい平穏を取り戻す。それと同時に春馬へ罪の意識を抱いた。一方的に言葉で傷つけたのは小夜の方だった。



「わたしの方こそ、いきなり嫌なことを言ってごめん」

「……」

「簡単に許せることじゃないと思うけど……ごめんなさい」

「大丈夫、僕なら気にしてないよ。だって、二酸化炭素なのは事実だから」

「え……」

「悪口とか陰口ってさ、言われてる方はとっくに気づいているんだ。だから、気にしなくていいよ」



 春馬は悲しげに笑ってみせる。その態度は先ほどまでの悪意と敵意に満ちあふれた少年とまるで別人だった。気の弱い奥手な少年にしか見えない。しかし、小夜は別の感想を抱いた。



──今の成瀬春馬は嘘。きっと、本当の成瀬春馬は凶暴で暴力的な人間……それを必死になって隠してる。



 小夜にはそう思えてならない。そして、なぜか急に春馬に対する興味が湧いてくる。春馬の本性を覗き見てみたい……危険な欲求が小夜の心をくすぐった。



「ねぇ、これからデートしない?」

「……え?」

「テスト期間中だけど、これから一緒に遊びに行こうよ!!」



 小夜は勢いよく立ち上がると春馬が見たことのないとびきりの笑顔で誘ってくる。春馬は言葉の意味が理解できず、小夜を見上げたまま口を半開きにした。



「えっと、それは……?? ん?? デート!? 僕と小夜さんが!?」



 急な展開に思考が追いつかない。春馬はこれまで一度も同級生から遊びに誘われたことがなかった。それどころか、友人と一緒になって登下校したことすらない。動揺は増すばかりだった。



──やっぱり、小夜さんは僕をからかっているのかな……でも……。



 さっきまで小夜は辛辣しんらつな言葉を並べていたが、初めての誘いが学園の女王様なら悪い気はしない。春馬の自尊心は揺さぶられた。



「い、いいよ。僕も時間あるし。でも、どこへ行くの?」

「それはもう決めてあるの……ホラ」



 そう言って小夜は停留所に隣接する駐車場へ視線を送る。ちょうど一台のオフロード車が入ってくるところだった。



「兄さんが迎えに来たから一緒に行こう!!」



 小夜は春馬の手を握ると強引に立ち上がらせる。ひんやりとした柔らかな感触。初めて異性に手を握られた春馬は傍目はためにもわかるほど頬を紅く染めた。



──わかりやすいなぁ……。



 小夜は女子に不慣ふなれな春馬を見て優越感を感じた。小夜に気後きおくれする男子はたくさんいるが、春馬ほどあからさまな反応は見たことがない。しかし……。



「初めて遊びに誘われたんだ……小夜さん、ありがとう」



 嬉しそうな春馬を見ていると小夜の心はチクリと痛んだ。

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