第1章 神獣復活

第1話 出会い

 江陵館こうりょうかん高校は札幌市と宵闇よいやみ市の境目、鬱蒼うっそうとした原生林がい茂るなだらかな丘陵地帯にある。暮れなずむ夕陽が要塞のようにそびえる校舎を照らしていた。


 成瀬なるせ春馬 はるまは敷地内にあるスクールバスの停留所へ急いでいた。下校のピークを過ぎた停留所にはテスト期間中ということもあって人影が全くない。春馬はベンチに腰かけるとスクールバッグを大事そうに抱えた。



──今日はあまりからかわれなかった。うん、うん。今日はいい日だ。明日のテストもうまくいくといいな……。



 左右に人がいるわけでもないのに肩をすくませる。顔を上げると丘陵地帯の先に隣の札幌市が見下ろせた。夕日に染まる街並みをぼんやり眺めていると突然、名前を呼ばれた。



「あのさ……B組の成瀬春馬君だよね?」

「!?」



 春馬が慌てて横を向くと、短めの髪とスカートを風になびかせて女子生徒が立っている。目鼻立ちのはっきりとした美人だった。



──緋咲ひさき小夜さやさん……。



 春馬は小夜を知っている。親しく話したことはないが、中等部の2年生と3年生で同じクラス。華やかな雰囲気の女子生徒で、学年でも目立つ存在だった。


 高等部へ進学してクラスが遠く離れた今でも生徒の間でささやかれる噂をよく耳にする。会話を盗み聞きしたわけではない。昼休みを教室の片隅で孤独に過ごす春馬には嫌でも噂話が聞こえてきてしまう。


 ただ、聞こえてくる小夜さやの噂はどれもよいものではなかった。『同じ学校の友達と一緒に遊ばない』とか『大学生や社会人の彼氏をっかえっかえしている』とか……そんな噂話ばかりだった。


 高校を支配する無慈悲な階級で考えてみると、他人をよせつけない緋咲小夜は学園に君臨する『冷たい女王様』だった。女王様が何の興味があって春馬へ話しかけてきたのかわからない。気まぐれやからかいだとしたら、それほど迷惑な話はなかった。



「だから、成瀬春馬君だよね?」

「……」



 小夜は質問を繰り返す。春馬は顔を引きつらせてうなずいた。



「ねぇ、隣に座っていい?」

「……」

「座るよ」



 小夜がベンチの中央に腰かけると春馬はスクールバッグを抱えたまま端へ席を詰める。小夜は少しだけ眉を顰めた。



──自信なさげなところとか、昔と変わらないな……。



 小夜は同級生だったころを思い出しながら口を開いた。



「春馬君って……今日、誕生日だよね?」

「!?」



 春馬は驚いて目を見張った。小夜は自分でも忘れていた誕生日を知っている。少し嬉しかったが、どう反応すればよいのかわからなかった。返答に困っていると小夜はつくり笑顔でつけ加える。



「あ、勘違いしないでね。オメデトウとか言うつもりないから。なんとなく話しかけてみただけ……」

「……」


 

 春馬が戸惑っていると小夜はわざとらしく脚を組みかえる。短めのスカートから白い太ももが見えると春馬はあからさまに顔を赤くした。視線を泳がせていると小夜は春馬を観察するように顔を覗きこんできた。



「ねぇねぇ、春馬君っていつも自信なさげで、オドオドしているよね……気持ち悪いって女子の間で有名だよ。みんなになんて言われてるか知ってる?」

「……」

だって。アハハ、面白いよね♪」

「……」



 春馬が黙りこむと小夜はさらに身体を近づけてくる。そして、春馬の耳元へ唇をよせ、あざけるように続けた。



「存在感が薄いだけなら空気なんだろうけど……グループ授業とかで一緒になると、みんなの息が詰まるんだって。だから二酸化炭素……笑える♪」

「……」



 どうして小夜はこんなにも攻撃的なのだろうか。春馬には見当もつかない。ただ黙ってうつむくことしかできなかった。



──僕はいつも誰かにバカにされる。やっぱり、今日もいい日じゃなかった……悲しいな……。



 春馬は『侮辱されても我慢する』が日常となっていた。プライドを保つため、『僕は何を言われても平気』とでも言うように頬を引きつらせて笑顔をつくる。卑屈で痛々しい笑顔だったが、小夜はかまわずに畳みかけた。



「たまにいるよね、春馬君みたいに考える人……とりあえず笑顔になれば他人との距離を保てるって考える人。気味が悪くてイタイだけなのに」

「……」



 何を言われても春馬は沈黙している。辛そうに俯く春馬を見ていると小夜は胸が苦しくなった。本当は小夜だってこんなことを言いたくはない。しかし、ひろしに『兵隊ポーンとしての資質を試す。成瀬春馬をキレさせろ』と厳命されていた。卑劣な方法だとわかっていながら春馬を侮辱していた。

 


──ここまで言われても黙っているつもり??



 自分で煽っておきながら小夜は困惑した。春馬は首をちぢめて小夜が去るのを待っている。会話しようとしている自分がバカバカしく思えたが、それでも遠い記憶を手繰たぐりよせた。



「そういえば、春馬君にはがいたよね? 確か中等部のとき、学校祭にお母さんと一緒に来てた……」



 小夜が『妹』という単語を口にした瞬間だった。先ほどまで吹いていた風がやみ、二人の間の空気が凍った。小夜は雰囲気の変化に気づいて春馬を見つめる。春馬の顔からは笑みが消えていた。何も言わないまま、ジッと小夜の顔を見つめている。その瞳と視線が合った瞬間、小夜は息をのんだ。



──ま、まるで蛇……暗闇から蛇がこちらを凝視している。

 


 そう感じた瞬間、身体の芯から得体えたいの知れない恐怖が湧き起こって小夜を縛る。身体中がすくんで動けなくなった。気づけば春馬の顔が鼻先まで近づいている。



「さっきから……ウルサイ」



 春馬は無表情のまま感情のこもらない声で告げた。



✕  ✕  ✕



 はたから見れば夕暮れのバス停で高校生の男女が見つめ合っている。ロマンチックな光景に見えたかも知れないが実際は違う。小夜は春馬から視線をらすことができなかった。呼吸もできずひたいには玉の汗が浮かびあがる。



──く、苦しい……。



 苦悶で顔を歪めると緊張はフッと解けた。肩の力が抜けて安堵感が広がると同時に、春馬も柔らかな笑みを浮かべる。



「ウルサイとか、乱暴な言葉を使うつもりはなかったんだ。せっかく小夜さんが話しかけてくれたのに……僕はバカだな……」



 春馬はスクールバッグからハンカチを取り出して小夜に手渡す。受け取る小夜の手はまだ少し震えていた。



「あ、ありがとう……」

「久しぶりに学校で話しかけられたから緊張しちゃって。あ、ハンカチは使ってないから綺麗だよ」

「……うん」

「小夜さんを怖がらせるつもりなんて少しもなかった。本当だよ……ごめんなさい」



 春馬は小夜を精一杯に気づかっている。早まった鼓動が鎮まると小夜は罪の意識を抱いた。春馬を一方的に傷つけたのは小夜の方だった。



「わたしの方こそ、いきなり嫌なことを言ってごめん」

「……」

「簡単に許せることじゃないと思うけど……ごめんなさい」

「大丈夫、僕なら気にしてないよ。だって、二酸化炭素なのは知っているから」

「え……」

「悪口とか陰口ってさ、言われてる方はとっくに気づいているんだ。だから、気にしなくていいよ」



 春馬は悲しげに笑ってみせる。その態度は先ほどまでの悪意と敵意に満ちあふれた少年とまるで別人だった。気の弱い奥手な少年にしか見えない。しかし、小夜は別の感想を抱いた。



──今の成瀬春馬は嘘。きっと、本当の成瀬春馬は凶暴で暴力的な人間……それを必死になって隠してる。



 小夜にはそう思えてならない。そして、なぜか急に春馬に対する興味が湧いてくるのを感じた。春馬の本性を覗き見てみたい……危険な欲求が小夜の心をくすぐった。



「ねぇ、これからデートしない?」

「……え?」

「テスト期間中だけど、これから一緒に遊びに行こうよ!!」



 小夜は勢いよく立ち上がり、とびきりの笑顔で誘ってくる。春馬は言葉の意味が理解できず、小夜を見上げたまま口を半開きにした。



「えっと、それは……?? ん?? デート!? 僕と小夜さんが!?」



 急な展開に思考が追いつかない。春馬はこれまで一度も同級生から遊びに誘われたことがなかった。それどころか、友人と一緒になって登下校したことすらない。動揺は増すばかりだった。



──やっぱり、小夜さんは僕をからかっているのかな……でも……。



 小夜の態度は辛辣しんらつだったが、今は優しげで可愛く見える。それに、初めての誘いが学園の女王様なら悪い気はしない。春馬の自尊心は揺さぶられた。



「い、いいよ。僕も時間あるし。でも、どこへ行くの?」

「それはもう決めてあるの……ホラ」



 そう言って小夜は停留所に隣接する駐車場へ視線を送る。ちょうど一台のオフロード車が入ってくるところだった。



「兄さんが迎えに来たから一緒に行こう!!」



 小夜は春馬の手を握ると強引に立ち上がらせる。ひんやりとした柔らかな感触。初めて異性に手を握られた春馬は傍目はためにもわかるほど頬を紅く染めた。



──わかりやすいなぁ……。



 小夜は女子に不慣ふなれな春馬を見て優越感を感じた。小夜に気後きおくれする男子はたくさん見てきたが、春馬ほどあからさまな反応は見たことがない。しかし……。



「初めて遊びに誘われたんだ……小夜さん、ありがとう」



 嬉しそうな春馬を見ていると小夜は心の片隅がチクリと痛んだ。

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