第25話 救う価値の無い命
一郎さんはアカリに名を尋ねた。
アカリは膝をついて目線を合わせ、フルネームを名乗る。
「イチロウ・マイダからアカリ・ナクミアへ、カードの所有権を譲渡する」
差し出されたカードをアカリは掴む。
「お受け取りいたします」
王者のカードが淡く光る。
それで所有権が書き換わったのだろう。
「って、そんなことをしている場合じゃないですよ。怪我の治療をしないと」
なかなかの出血だった。
手当てをしないと死んでしまうのではないかと俺は心配になった。
そして確実に助ける魔法がある。
200万円の治療の魔法のパッケージ。
ユーキアさんの目を治した魔法ならば、このくらいの傷などは治せるはずだ。
しかし俺の意図を察した一郎さんが制止する。
「俺を治す必要は無いよ。このまま放っておいてくれればいい」
「でもそんなことしたら、死んでしまいます」
それでも一郎さんは首を振る。
なおも血は流れ出る。
「いいんだ。俺は会社の経営をろくにできずに親から継いだ会社を潰して、その苦痛に耐えきれずに自殺をしたような男だ。自ら命を絶つような人間が、異世界で人生をやり直そうだなんて、そんなことは道理に反するよ」
一郎さんの自虐を聞いて、彼がわざと敗れようとしたことに俺は気付く。
剣を持っていてもそれを攻撃に使おうとはしなかった。
最後には剣を両手持ちする振りをして盾をしまい、無防備になった。
カードを俺たちに託して、自分は死ぬために。
そのつもりでいたから、戦いながら白マントの解説をしたり、自分の過ちを伝えたりしてきたのだ。
一郎さんは死にたがっている。
だとしても、助けられるのであれば助けるべきなんじゃないか。
そう考えてしまう。
だけどそのとおりに行動できずに迷っているのは、200万円に重みがあるからだ。
一郎さんもそのことを指摘する。
「カードも託した。俺の命に価値はもう無いよ。俺なんかを助けるために金を使って、それでギヒルルに勝てるつもりか?」
そうだ。
勝つ確率を少しでも上げるために200万円は欲しい。
仮に一郎さんを助けたとして、一文無しのこの人からどんな利益が得られるだろう。
損得勘定の上では見捨てるべきだと感じる。
それに、一郎さんはさっき言っていた。
無償の正義はこの世界に存在しない。
資金を正しく金儲けのために使い、恒久的に人助けを続けるようにすべきだと。
だから俺は、一郎さんを助けることはできない。
しかし一郎さんの出血は止まっていた。
傷が塞がって、顔色も次第に良くなってくる。
俺は魔法を使っていない。
それなのにどうして、と混乱しかけたが、この場で魔法を使えるのは他に一人だけ。
アカリだった。
その行動に一郎さんは怒りで目をむく。
「アカリ、お前は俺の言うことを」
「わかっています。受け取ったカードの中のお金を使いました。利益が少し減っただけで、損じゃないです」
「それは詭弁だ。無駄な出費はするべきじゃない」
「しますよ。人の命が助かるんですから。だから、時には無償で人を助けます。助けられるくらい儲けてみせます。それが私の経営理念です」
そう言ってアカリは立ち上がる。
そして俺の方を振り返った。
アカリの目は睨むように鋭くなっていて、それは決意の色を持っていた。
その目の迫力に一郎さんもひるんだようだった。
だけどもアカリはすぐに柔らかく微笑んだ。
「行きましょう。本当の勝負はこの次です」
「ああ」
俺は一郎さんに、おばあさんの家の場所を教えた。
そして俺たちは当初の作戦のとおりに町の外へ出る。
ギヒルルが逃げ込むという森の中にある道に潜み、町を見張る。
もし彼らが町から出て森に向かってくれば、ランタンの明かりが見えてくる。
それを待つ。
「アカリ、さっきはありがとう。一郎さんを助けてくれて」
こちらの存在を向こうに気取られてはまずいので、俺たちはランタンの火を消していた。
そのためにアカリの表情はうかがえない。
「コウさんは甘いんですよ」
アカリの声は親しみの笑いが含まれているようでもあり、非難の色があるようでもある、微妙な声だった。
「はは。でもそれを言ったら、一郎さんを助けたアカリもだろ」
「私は甘いことをしたつもりはありませんよ。迷うことなく、自分のルールに沿って決断を下しました」
「迷うことなく……か」
確かに俺は、助けるべきかどうか悩んでいた。
決断できないのは、決断してしまうことに恐れがあるからなのかもしれない。
自分の考えがもしかして間違っているのではないかという不信感。
それを甘えと言うのかはわからないが、それが俺を惑わせているのは間違いないことだった。
「私がコウさんを甘くて危ういと感じるのは、そこらへんが不安定だからです。でも、迷うことは結論に向かおうとすることでもありますから。だからいつか、コウさんの結論を出してくださいね」
「ああ。その時はアカリに披露してやるよ」
結論が出る自信さえ全く無かったけれど俺は強がってそう返した。
だけども強がりなことは筒抜けだった。
アカリは小さく笑った。
「楽しみにしています」
そこで会話が終わり、静かな時間が戻ってくる。
まだギヒルルたちの明かりは見えてこない。
町を凝視しながら、俺は一つの事実について考える。
アカリが行動してくれなかったら俺は一郎さんを見殺しにしていたであろうことだ。
悩んだ末にギヒルルとの戦いのことを憂慮して、一郎さんに魔法を使わなかったと思える。
アカリの言うとおりだ。
俺は甘かった。
王者のカードの所有者として、どう行動するべきか。
それが自分の中で定まっていれば、助けるにせよ見捨てるにせよ迷うことはない。
アカリは立派だった。
彼女は覚悟の上で一郎さんを助けた。
だから俺も、せめて今度の戦いの中では迷わないように覚悟をしよう。
ギヒルルは手加減して倒せる相手じゃない。
それほどまでに財力に差がある。
しかも俺たちは魔法で戦いをするには資金が少なすぎる。
この戦いから俺の甘えは消す。
勝つために、ギヒルルの命は奪う。
迷いを潰せば、心は平静になる。
もとより緊張はしないタイプなのだ。
動揺の無くなった心で現状を見れば、当初の想定よりも事態は好転している。
ギヒルルのボディーガードの一人、一郎さんは退けた。
さらには彼の持つカードがアカリの手に渡った。
そうなればアカリにもアドゥレさんの相手をしてもらえる。
あるいは雑魚を散らしてもらってもいい。
とにかくギヒルルと俺が勝負する構図を作り出しやすくなった。
これは俺たちにとって大きなプラスだ。
ギヒルルを引っ張り出せれば、あとは賭けに勝つか負けるかだ。
つまりはその展開に誘導するまでが俺たちの勝負とも言えた。
この状況、俺たちは既に勝勢にある。
「あ、なんか見えました」
ギヒルルたちの明かりを最初に見つけたのはアカリだった。
その明かりを見つけると、どう見てもギヒルルたちのものだろうと思える様相だった。
馬車にいくつかランタンを下げ、その周りを歩く手下もランタンを持っていて、遠目からも目立っていた。
「計画どおり、こっちに向かってきていますね」
とジェンロが言った。
彼らは先ほど俺たちが通った道をそのまま進んできている。
このまま森に入ってくるか、それとも気を変えて別の道に曲がるか。
別の道に行ってしまっても俺とアカリは魔法で身体能力を強化して追える。
それでも向こうから俺たちの所に来てくれた方が話は早いから、俺は祈る気持ちでランタンの明かりを見る。
「さあ、こっちに来い……」
俺たちという罠の待ち受けるこっちに来い。
お前たちに相応しいエンディングがここに待っている。
だからこっちに来い。
祈る念力に導かれるように、馬車は森に向かってくる。
「来ますね」
とアカリが俺に言った。
「ああ。来る」
まだまだ遠くにいる馬車に俺たちの声が届くとは思えないが、それでも俺たちは声を潜めていた。
もう少し近付いてくれば、俺たちは静まり返って森の闇と同化する。
敵を陥れる暗闇になるのだ。
しかしその敵が罠にかかった瞬間、俺たちは光を取り戻し、輝く。
その輝き――明かりを想像して、俺は刀を握る少女に語り掛けた。
「さあ、アカリ。世界を照らすぞ」
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